FLATBACKERとは日本のヘヴィメタルバンドである。
本項目では1987年に改名したE・Z・Oについても記載する。
バンドメンバー
概要
FLATBACKER
1982年、北海道札幌で結成。結成当時のバンド名は「FRATVACKER」
音楽性としてはスラッシュメタル、ハードコア、パンクロックを混ぜ合わせたものであり、歌詞も非常に過激な物が多い。
1984年、デモテープ「皆殺し」を発表。これを聴いた音楽ライター(現音楽評論家)の有島博志が「北海道にとんでもない奴がいる!」と様々な音楽雑誌で記事にしたことにより注目が集まる。
同年、コンテストで入賞し、1985年、ビクターより「戦争 -アクシデント-」でメジャーデビュー。バンド名も「FLATBACKER」になる。
デビューの際に「FRATVACKER」時代の楽曲を収録する変わりに一部過激過ぎる歌詞の変更を余儀なくされてしまうも、それでも歌詞の過激さは変わらなかった。
インディーズ時代と変わらぬ過激な歌詞&サウンドと山田の日本人離れした歌唱力により注目が集まったが
1986年にリリースされた「餌 -ESA-」を発表後に突如渡米。日本での活動が早くも休止された。
E・Z・O
1987年、KISSのベーシストでリーダーであるジーン・シモンズのプロデュースによりアルバム「E・Z・O」でデビュー。
バンド名も「E・Z・O」(イーズィーオー)に改名、音楽性もジーンのプロデュースにより、FLATBACKER時代の過激さが薄れたものであった。
バンド名に関してはE・Z・Oとしてデビューする前にマスコミに「NINJA-HANNYA」等の名前で告知されており、、如何にもアメリカ人のイメージする日本人的なコンセプトにされた事により、メンバーは全員忍者と言う設定でKISSを彷彿させる歌舞伎メイクを施し、「忍者メタル」として売り出され、MASAKI(風)SHOYO(火)TARO(地)HIRO(水)と言ったキャラクター設定のみならず、キャッチコピーも「隠れて何をしてたんだ!」と言ったものであった。
FLATBACKER時代の過激さが薄れた事により、過激さを重視していたファンからは批判の対象になってしまい、当時の一部の音楽雑誌の読者コーナーでもファン同士が葉書越しで口論になる等、話題性を集めていた。
1988年には凱旋公演を行う予定であったが、中止になった。
この時期の全米ツアーではガンズ・アンド・ローゼズと共に回っていたが、ダフ・マッケイガン(b)が見た当時のE・Z・Oの印象は「教科書どおりの演奏だった」とやや否定的なコメントを残したが、年月が過ぎた後、「(彼らが)ロックに対する姿勢は俺たちとさほど変わらないんだ」と評している。
1989年、それまでしていた隈取メイクを止め、素顔で活動を開始。
アルバム「FIRE FIRE」をリリースし、当時としては珍しく「ミュージックステーション」に出演(但し海外からの中継としての出演であり、凱旋出演ではない)。
だが、1990年、E・Z・Oとして日本の地を踏むことなく海外進出も失敗に終わり解散した。
E・Z・Oの楽曲が日本で最初に演奏されたのは第3期LOUDNESSのライブであった。
メンバーのその後
- ボーカルの山田は1992年、マイク・ヴェセーラの後任としてLOUDNESSに加入。2000年春頃まで在籍していた。現在はLAに在住しており女性ボーカルとFiRESiGNと言うバンドでベーシストとして活動中、日本語もあまり覚えていないのか樋口宗孝への追悼コメントは全て英語であった。
- ギターの飯田はバンド解散後に音楽業界から一線を引いており、現在は「SUSHISAMBA」と言う寿司屋で寿司職人として腕を振るっている。
- ベースの高橋は現在、くるりの担当ディレクターをしている。
- ドラムの本間は1991年に浜田麻里バンドのツアーメンバーとしての依頼を受けた事で他のメンバーよりいち早く帰国。
1994年に樋口の後任でLOUDNESSに加入し、2000年までに在籍。
現在は2001年に再結成したANTHEMのドラマーとして活躍している。
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関連項目
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