ジプシー(gypsy,gipsy)とは、
本項では1.について記述する。
概要
祖を遡ると北インドのロマニ系に至る、古い歴史を持つ民族である。
定住せずに馬車や自動車で移動しながら生活している印象が強いが、現代においては定住を選ぶ者も多い。
欧州委員間によると、欧州で暮らすロマの人口は推計で1000万~1200万とされている。最も数が多いのはルーマニアで、推計185万人。
ジプシーという名称は「エジプトからやって来た」と見なされていた事に由来している。
他にも国ごとに様々な名で呼ばれるが、蔑称であったりそうでなかったりと多様である。
東欧圏では主に「ツィガニ」、ロシアでは「ツィガーン」、ドイツでは「ツィゴイナー」、イタリアでは「ズィンガロ」、スペインでは「ヒターノ」など。
「ジプシー」という名称は差別的であるとされ、また上記の言葉も乞食や犯罪者の代名詞として使われる事から、徐々に用法は減りつつある。
代わってロマニ系に由来する「ロマ」という自称をもって表す事が、現在では一般的である。なおこの名称を用いない者も多く、コソボおよび周辺国の「アッシュカリ」、自らをエジプト人の末裔であるとする「エジプシャン」なども存在する。
言語においてはロマ語を主に使うが、研究によると13の言語グループに分かれている。また、各土地の言語やクレオール言語(異なる言語が合体して生まれた言語)を使う者もいる。
人種的な分類については、実は定説が存在しない。しかしロマの12種族が数えられており、それぞれに異なる言語を話している。そのルーツは職業集団であるとされ、傭兵・商人・馬飼いなどに由来していると言われている。
国際ロマ連盟において標準のロマ語として制定されているのは、マケドニアにおいて用いられるエリー語である。
宗教についても土地により多様。定住者は基本的にその地における主な宗教に改宗している。
ロマのイメージとして占い・まじないなどの神秘主義が挙げられているが、これは信仰とは別ものと考えられている。
歴史
ロマが各地を移動しながら生活するようになったのは、諸説あるが8世紀頃とされている。異民族の侵攻、為政者の圧政など様々な要因で彼らはインド北部からアラブに移住、更にヨーロッパへと足を運んだ。
1422年にはイタリア・ボローニャでロマの集団が確認されている。ここでは貴族を詐称して堂々と詐欺を働き、自分達はローマへの巡礼の旅を行っているとして寄付を強要している。
1447年にはスペイン、1505年にはイギリスにまで到達。しかし神聖ローマ皇帝のお墨付きを得ているとして様々な犯罪を繰り返していた彼らは蔑視されるようになり、ついに1500年、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は彼らが訴える権利は無効であると宣言。土地の法に照らして罪を犯したロマは処罰され、たとえ彼らを殺しても罪に問われない事になった。
かくしてロマは訪れる先々で警戒され、街や村に入ることを拒否された。人々は彼らの馬車を見つけると鐘を鳴らして合図し、攻撃して追い返すようになった。捕らえられて重労働を課せられたり、鞭打ち刑や追放の他、死刑とされることも珍しくなかったという。
17世紀に入り、近代化が始まると、為政者たちは悩みの種であるロマの定住および同化策を推進してゆく。しかしロマにとっては自分達の文化を否定するものとして受け入れられず、定着は難しかった。
ナチス政権下のドイツではロマは「劣等民族」と見なされ、既に同地に定住していた者の選挙権の剥奪に始まり、あらゆる自由が制限され、禁止された。
更に第二次世界大戦がはじまると、ニュルンベルク法により「人種に基づく国家の敵」と定義され、絶滅政策が取られる。これを「ポライモス(ロマ語で『絶滅』の意)」と呼び、ユダヤ人に対する「ホロコースト」同様、ロマは強制収容された上で重労働を課せられ、人体実験に使われ、優生学を踏襲して断種手術さえ行われた。結果、ドイツ国内でも10~25万人ものロマが殺害されている。
またドイツだけではなく、同様の絶滅政策はクロアチアやハンガリーなどの東欧諸国、更にはソ連でも行われた。全体の死者数は推定で22~50万人とされている。
更にユダヤ人と異なり、戦後補償についてもロマは当初対象外とされるなど、長らく不利な扱いを受けていた。それでも80年代に入ると徐々に流れは変わり、西ドイツ・東ドイツ(当時)共にポライモスの存在を認めて補償を開始するなど、少しずつ事態は変わっている。
現在
その最たるものがスイスで、ロマの子供を誘拐して施設に収容したり、スイス人の家庭に養子として引き渡す「青少年のために(プロ・ユーベンテューテ)」という民間団体が活動していた。
被害者の数は1000人近くに及び、活動には自治体や警察が協力、スイス政府も資金援助していた。これが1972年まで続いていたと公表され、スイスは国際的な非難を浴びる事となった。
公表された情報によると子供に対する暴力や洗脳、性的虐待が日常的に行われていたとあり、団体は「何れスイスにおけるロマはただの思い出になる」として民族の殲滅を宣言していた。
90年代になってようやく政府は誤りを認め、被害者への賠償が少しずつ進んでいるという。
1999年のコソボ紛争でも、ロマやアッシュカリーはセルビア人・アルバニア人の双方から迫害され、双方の利敵行為を行ったとして報復の為に虐殺された。
これにより多数のロマ・アッシュカリーがコソボからの脱出と難民化を余儀なくされている。
2013年にはアイルランドで住民の通報を受けた警察当局が、ダブリン在住のロマの夫婦の子供二人を「保護」。連れ去りに抵抗する夫婦を逮捕した。
特徴的なロマの風貌(黒髪に浅黒い肌)とは異なり、金髪・碧眼・白い肌をしていた為に「誘拐されて来た子供だ」と決めつけられたのが原因だった。しかし後にDNA検査で実子と判明。子供達は無事に釈放された親の元に返されている。しかしロマの人権団体は人種差別だとして強く抗議、通報した住民を巻き込んで裁判沙汰になってしまった。
このようなケースは他国でも多数起きており、無責任な報道や風評、偏見によってロマが危険に晒されていると論じられた。
とは言え、ロマに罪がないという訳では決してない。
彼らの居住地がスラム化して犯罪の温床となっている事実は否めず、貧困ゆえに犯罪に手を染めざるを得ないのが現状である。現にスペインでは麻薬密売の70%はロマが関与しているとされる。
更に付け加えるならば、ロマ特有の考えとして「全ての財産は共有物」という認識があり、盗難として認識していないが故のトラブルが伝統的な悪感情をもたらしているとされている。
文化
このように欧州におけるロマに対する悪感情は今なお根深いが、一方で旅芸人や鋳物屋としての商いが行われ、独自の音楽や踊りに魅了される者もいる。
特に踊りはフラメンコの原型になったとされており、祝い事に際してロマが呼ばれて音楽を演奏する伝統がある。これらロマの音楽は現地の文化と融合し、これに触発されて作曲された作品も多い。
リストの「ハンガリー狂詩曲」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」、モンティの「チャールダーシュ」などは広く知られている。
またメリメの小説、及びビゼーの歌劇「カルメン」に登場する魔性の女・カルメンはタバコ工場で働くロマの女で、その美貌と情熱、悪魔的な性格で男を破滅させるファム・ファタルとして描かれた。
ロマの女は占いをよくし、諸説ある中でもタロットカードの発祥であるともされている。
様々な"ジプシー"
音楽
- Gypsy - アメリカのプログレッシブ・ロックバンド。
- Gipsy - カナダのギタリスト、ジェシー・クック(Jesse Cook)の楽曲。
- Gypsy - コロンビア出身の歌手、シャキーラ(Shakira)の楽曲。
- GYPSY - 恋愛SLG『ときめきメモリアル Girl's Side』の登場人物、三原色(CV:三木眞一郎)のキャラソン。
- Gypsy - kous氏のボカロオリジナル曲。 → 【巡音ルカ】Gypsy【オリジナル】PV
名称・愛称・通称
関連項目
- Gypsy Kings
- ジプシーの旅
- ジプシーダンス
- サラサーテ『ツィゴイネルワイゼン』
- ラヴェル『ツィガーヌ』
- リスト『ハンガリー狂詩曲』
- モンティ『チャールダーシュ』
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