この項目は、書いてる途中です。 調べものなどの参考になるかも疑問なぐらい、絶対的に内容が不足しています。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 |
Ho229とはホルテン兄弟が開発した先進的全翼戦闘爆撃機(試作機)である。
概要
少年期から全翼機やグライダーに興味を持っていたホルテン兄弟(兄のヴァルター、弟のライマール)は、再軍備したドイツ空軍に入隊。兄弟は傍らアレクサンダー・マルティン・リピッシュ博士の指導も受けて無動力 H (II,III,IV,V)型を、1936年~1938年の間に、開発した。
1941年、戦闘機査察技術部に転任したヴァルターはライマールを転属させ、11月以降兄弟揃って全翼機開発に取り組む。1943年にヘルマン・ゲーリングは3×1000計画(1000 kgの爆弾搭載量、1000 km/hの速度、1000kmの航続距離、50万マルクの懸賞金付き!!)の計画をし、兄弟は全翼機に発動機を付けることを考え、ホルテンH IX計画を提案して応募したことから始まった。
H IX計画の内容は速度900km/h、爆弾搭載量700kg、航続距離2,000kmを目標とした物だった。
1943年8月にはヘルマン・ゲーリングは兄弟と面会し、提案が承認され50万マルクの援助をされ、ホルテン航空機会社を設立して計画は実行された。
1944年3月1日に、発動機無しの試作機、Horten H IX V1が初飛行に成功。Horten H IX V2の発動機はBMW 003Aに予定されていたが、開発の遅れによってjumo 004にした。jumo 004をHorten H IX V2にそのまま取り付けることはできないため1944年12月18日と遅れて完成した。1945年2月2日、テストパイロットのエルヴィン・ツィーラー中尉によりHorten H IX V2は初飛行し想像した計画値通りの性能に満足した。
同26日、4回目の試験飛行でMe262との模擬空中戦時に飛行時にエンジンがフレームアウトを起こしテストパイロットのツィーラー中尉は強制着陸を試みるも堕落、炎上した。ツィーラー中尉は死亡した。
計画通りの性能に満足し、驚いたドイツ空軍はHo229を制式化した。
ホルテン兄弟は量産能力を持たないため、クレム社に40機、ゴータ社に53機を代わりに発注し、さらにゴータ社は先立ってV3~V8の派生型を計画し、V3~V6は各地で製作途中であったが、結局ドイツは敗戦し製作も打ち切られた。
性能 通常型 A型 夜間戦闘機 B型
- Horten H IX V1
発動機がない試作機(情報を求む) - Horten H IX V2
乗員:1名
全幅:16.8(m)
全長:7.47(m)
全高:2.81(m)
翼面積:52.8(㎡)
前縁後退角:32.2(Grad
テーパー比:7.8
アスペクト比:5.35
空虚重量:4944(kg)
総重量:6876(kg)
翼面荷重:130(kg/㎡)
最大速度:977(km/h)
着陸速度:130(km/h)
エンジン:ユンカースJumo004 B(推力 900 Kg)×2 - Horten Ho229 V3 (Horten H IX V3)
V2の改良型V2と性能はあまり変わらない。 (情報を求む) - Horten Ho229 V4 (Horten H IX V4)
全天候夜戦戦闘機,複座型 - Horten Ho229 V5 (Horten H IX V5)
全天候夜戦戦闘機,複座型 - Horten Ho229 V6 (Horten H IX V6)
高高度戦闘機 - Horten Ho229 V7 (Horten H IX V7)
複座練習機 - Horten Ho229 V8 (Horten H IX V8)
情報を求む
ステルス
Ho229はステルス性を考慮して設計された最初の軍用機である。ホルテン兄弟はHo229の構想以前から胴体や尾翼などの電波を反射しやすい構造を持たない全翼機に高いステルス性があることを見抜いていた、と言うよりレーダーに察知されにくいステルスという「概念」を開発したのだ。実際に制作されたHo229の主翼は木製で、塗料や接着剤には電波を吸収する炭素粉が混ぜられるなどレーダー反射面積を減らすための様々な方策が施されていた。
時は流れて1980年代、B-2ステルス爆撃機の開発を請け負ったノースロップ(後のノースロップ・グラマン)はB-2と同じ全翼機であるHo229の持つ高いステルス性に着目し、B-2の開発と並行してHo229のステルス性の実証実験を行った。そして2008年、ノースロップ・グラマンはこれらの実験の集大成としてナショナルジオグラフィックの協力の下、25万ドルの制作費を投入してHo229の実物大モデルの制作に着手した。
ノースロップ・グラマンのスタッフはスミソニアン航空宇宙博物館に保管されているHo229の機体中央部を元に木材でモデルを制作した。この機体中央部は金属製なのでこの部分は金属板を貼り付けて代用、金属性の燃料タンクは金属板を組み立てて代用、エンジンは3Dプリンタで印刷された部品に導電性塗料を施すことで代用、キャノピーはガラスではなく整形しやすいアクリルで代用した。(これらの部分は第二次大戦当時のレーダー波の波長と比べて充分に小さいのでレーダー反射面積的には無視出来る)
こうして完成したモデルはカリフォルニア州テジャンにある施設に持ち込まれ、第二次大戦当時のイギリス軍のものと同じ周波数のレーダー波をあらゆる方向から照射して反射の度合を調べあげた。結果、Ho229の正面のレーダー反射面積はBf109の40%以下であることが判明した。これを当時英仏海峡岸に置かれていたイギリス軍の防空レーダーの能力に当てはめると、Bf109は英仏海峡に出た時点でレーダーに察知されるのに対し、Ho229は英仏海峡の半分を過ぎた時点で初めてレーダーに察知される上に、Ho229の速度なら発見から対岸まで到達するまでに2分を要さない。発見された時には既に遅し。たちまち防空網を突破されてしまうのである。Ho229の完成がもう少し早ければ対英戦の行方は果たしてどうなっていたのだろう…
モデルの制作と試験の様子はナショナルジオグラフィックチャンネルからドキュメンタリー番組として放映され、試験の終わったHo229の実物大モデルは現在もサンディエゴ航空宇宙博物館に展示されている。
アメリカ爆撃機計画 Horten H.XVIII型
関連動画
Ho229に関する動画はニコニコ動画にもありますが、削除される可能性があるため、youtubeから持ってきました。
関連項目
外部リンク(記事製作の参考とした情報元)
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