II号戦車単語

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ニゴウセンシャ
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II号戦車とは、ドイツ第二次世界大戦の前に開発・生産した軽戦車である。

概要

1934年ドイツは再軍備に伴い戦車製造の技術習得および乗員の訓練のためにI号戦車開発した。しかしこ車両はあくまで初歩的なものに過ぎず、小かつ機関銃のみの装備では射撃演習などの本格的な訓練に対し不足であることが明らかとなった。さらに予定されていた新戦車完成もまだ遠いという状況におかれていた。

そこでドイツ兵器局は、これらの問題を打開すべく「I号戦車よりも大で、ある程度の実戦運用もできる車両」の開発示した。これには新戦車の数がそろうまでの、いわゆる「つなぎ」としての名も含まれていた。
当時はまだヴェルサイユ条約のを受けていたため、I号戦車と同様にその開発的を隠蔽すべく「農業トラクター100(LaS100)」という秘匿名称を与えた。開発案はクルップ、ヘンシェル、MANから提示され、最終的にMANの開発案が採用された。

1935年末、10両のLaS100完成。これは後の1938年10月に採用された際、Sd.Kfz.121の特殊車両番号Panzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1)の制式名称が与えられている。その後a1、a2、a3b型そしてcの増加試作を経て、最初の生産であるA型の生産がスタートした。
もまた生産技術取得のため多くの会社の工場で生産され、増加試作を担当していたMAN、ダイムラーベンツの他にヘンシェル、ヴェクマン、アルケット、FAMOMIAGでも生産が行われた。

実戦

「まさかこれら訓練用戦車で大戦に突入するとは思ってもみなかった」

ハインツ・グデーリア

コンセプトは「訓練用車両であるI号戦車の発展で、『補助的に』戦闘も行える車両」というものであり、実戦運用はあくまで副次的なものとしていた。しかし時を置かずしてI号戦車と共に戦場へ赴くこととなった。

まずは評価テストを兼ねて1936年スペイン内戦に投入された。この時配備されたのは15両と少数であったが、榴弾も使える強機関をはじめから装備していた本は十分に威を発揮した。

その後はポーランド戦、フランス戦、北アフリカ戦線東部戦線などの様々な戦場III号戦車IV号戦車が充足されるまで、事実上の「戦車」として常に最前線で戦った。他戦車べれば火力や防御面では心許なかったが、ドイツが編み出した機動戦術も相まって電撃戦の陸の役の一つとなり得た。

また本はその役を終えた後も台を利用した各種自走砲開発され、も含めればドイツ戦車の中で最も長く戦った車両となった。

バリエーション

Panzerkampfwagen II Ausf.a1(II号戦車a1
一番最初の試作および増加試作。2個1組の転輪を3組という足回りを持ち、その外見はI号戦車をそのまま大きくしたような感じである。
武装は20mm高射機関30(2cm FlaK 30)を車載用に改造した20mm戦車30(2cm KwK 30)1門と、7.92mm MG34機1挺の同軸装備。
1935年10月より25両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.a2(II号戦車a2
a1で、エンジンの冷却機構など細部を修したもの。
a1に続く形で15両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.a3(II号戦車a3
a2で、前期と後期がある。前期では燃料ポンプや点検ハッチの追加が行われ、後期ではラジエーターの追加とサスペンションの強化が行われた。
a2に続く形で両者を含め50両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.b(II号戦車b型
a3で、履帯幅の増加やサスペンションの更なる強化を行い機動性を向上させたもの。
a3に続く形で25両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.c(II号戦車c
b型で、足回りを設計したもの。
独立した転輪1個をそれぞれサスペンションで支持させるという、他のドイツ戦車にはあまり見られない独特の足回りとなり、これが生産の標準仕様となった。これに伴い新履帯やサスペンション開発され耐久性や生産性も上がった。
1937年2月から3月にかけて25両が生産された。なお本は後の生産と同様に実戦参加や改造がされた。
Panzerkampfwagen II Ausf.A/B/C(II号戦車A~C
最初の生産。新式の変速機を搭載したこと以外はcとほぼ同じ仕様となっている。
A型からCまでの相違点は視察口の部品関係ぐらいで形式間での大きな差異はない。
A型1937年7月より、B型1937年12月より、C1938年6月よりそれぞれ生産が開始され、1940年3月までに3形式合わせておよそ1000両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.D/E(II号戦車D/E
速度のさらなる向上を狙った快速戦車1938年よりドイツ兵器局の示でダイムラーベンツにて開発が始まった。これには新たに「農業トラクター138(LaS138)」の秘匿名称が与えられた。
従来の生産との最大の違いは足回りで、上部支持輪を持たない大の4つの転輪で構成されている。これに伴いサスペンション履帯も新タイプが用意された。さらにEではハーフトラックで使用されているようなゴムパッドを装着(湿式履帯)、粘着の増強により踏破性の強化を図っている。外見はソ連のBT戦車に似ている。
路上速度は55km/hと大幅に上がったものの路外では従来以上に速度が低下してしまった。これはEに関しても同様であった。ポーランド戦に参加したもののやはり評価は芳しくなく、フランス戦直前の1940年5月には部隊から引き上げられてしまった。これによりドイツ兵器局も当初予定していた軽機械化師団(快速師団)への配備を見送る結果となった。
1938年5月から1939年8月にかけて両形式合わせてMAN社のみでわずか43両が生産されるにとどまったが、のちに後述する火焔放射戦車や対戦車自走砲改造された。
Panzerkampfwagen II Ausf.F(II号戦車F
A~Cの後継に当たる車両。本来ならばII号戦車の生産は終了しているはずだったが、なおもIII号戦車IV号戦車の数が足りなかったために補充用として生産されるに至った。
それまでのポーランド戦及びフランス戦での戦訓に伴い、従来の生産からの良点が多い。
まず、装甲は15mmから最大35mmまで増圧された。装甲強化自体はA~Cの全てとcの一部でも行われていたが、これらは従来の装甲に20mmの増加装甲をボルト止めするという応急処置的なものであり、本では初めから1枚で構成されていた。これによって防御は向上し生産性も上がった。
次に、長用キューポラが初期装備された。これまでEまでの形式では観音開き式のハッチで視察の際は体から身を乗り出す必要があり、その際に負傷してしまうケースが多かった。そこで内からでも視察できるようにキューポラを設置することで、安全性を確保しつつ広い視界を得ることができた(後にA~C用にもフランス戦後1940年10月にはキューポラを取り付けるための修キットも配布された)。
また、狙撃兵対策として体前面の操縦手用バイザーの横にダミーのバイザーカバーを設けた。
最後に、武装がFlaK 30改造のKwK 30からFlaK 38改造のKwK 38となり同時に新徹甲弾も用意された。これにより火力は上がり軽装甲車両相手にはより優位に立ったが、イギリスマチルダIIソ連T-34KV-1といった重装甲車両に対しては苦戦を強いられた。
なお本には後部に雑具が取り付けられるようになったが、取り付けないままのものもあった。
1941年3月から1942年12月にかけてFAMO社のみで524両が生産された。
Panzerkampfwagen II Ausf.G『VK.9.01』(II号戦車G
速度向上をした試作車両。その的や武装、足回りに至るまでI号戦車Cと同様であり外見もよく似ている。ただし武装はKwK 38とする説もあり、最高速度も50km/hとなっている。
当初75両が発注されたが1941年4月から1942年2月にかけて生産されたのは12両のみで、その後の量産計画は中止となった。また余剰となったトーチカとして流用された。なお本は実戦配備されていない。
Panzerkampfwagen II Ausf.H『VK.9.03』(II号戦車H
こちらも速度向上をした試作車両。足回りはGと同じでエンジンと変速機はそれぞれ新が搭載され、速度は60km/hに上がった。
1942年4月より量産の計画があったが、実際の生産開始は同年9月までずれ込んだ。この時期には本戦車としての価値も失われていたため計画は取り止められ、生産完成せず試作のみとなった。
Panzerkampfwagen II Ausf.J『VK.16.01』(II号戦車J
装甲強化をした試作車両I号戦車Fと同じコンセプトで作られたものである。ただし装備する機関銃は7.92mm MG42となっている。
まず増加試作30両が発注され1940年12月より生産が開始される予定であったが、何らかの理由で遅延が生じ1942年4月から12月にかけて22両のみが完成した。続いて生産も作られる予定であったがキャンセルされた。1943年部隊配備され実戦試験を受けている。
Panzerkampfwagen II Ausf.M『VK.13.01』(II号戦車M
GおよびHで得た経験を生かし良が行われた試作車両
武装はGと同じだが、路上速度は65km/hとII号戦車の中でも最速を誇る。
1942年4月に試作完成し、同年8月には増加試作4両も生産されたがそれ以上の生産はなかった。
Panzerkampfwagen II Ausf.L『VK.13.03』(II号戦車L
通称「Luchs(ルクス、山猫の意)」。新たにSd.Kfz.123の特殊車両番号が与えられた。
II号戦車の1種として分類されるが、他の試作を含む従来べて設計が大きく異なる。
武装はそれまでと同様ではあるが機関が中心線上に来るように移動されている。また、同軸機は装備しなくなったという説もある。また、新たに手が加えられ長が揮に専念できるようになった。
1939年4月より計画が開始され1942年8月に量産を開始する計画があったが、試作完成1942年4月になってからであった。ドイツ兵器局は試験における優れた性を見て1943年1月800両を発注した。
この時の内訳は機関100両、そしてIII号戦車Jの後期から装備されたものと同じ50mm戦車39(5cm KwK 39)を搭載した戦車を700両というものであった。しかし実際は1943年9月から1944年1月にかけて機関が生産されたのち、コストと機動に勝る新の8輪重装甲車Sd.Kfz.234/2(通称「プーマ」)の生産の処が立ったため戦車は生産中止となった。ただ、試作車両としての色合いが強いグループであるG以降の形式としては最も多く生産されたものであった。

スペック一覧

a1~F後期型

II号戦車 a1/a2/a3 b型 c A/B/C D/E F前期 F後期
全長 4.38m 4.81m 4.65m 4.81m
全幅 2.14m 2.22m 2.30m 2.22m
全高 1.95m 1.99m 2.06m 2.15m
重量 7.6t 7.9t 8.9t 10.0t 9.5t
乗員 3名(長、装填手、操縦手)
最高速 40km/h 55km/h 40km/h
航続距離 200km
武装 2cm KwK30戦車×1
7.92mm MG34機×1
2cm KwK38戦車×1
7.92mm MG34機×1
携行弾数 KwK30:180
(10発入り弾倉×18)
MG34:2250
(75発入り弾倉×30)
KwK38:180
(10発入り弾倉×18)
MG34:2250
(75発入り弾倉×30)
装甲圧 5~15mm 5~30mm 5~35mm

G~L型

II号戦車 G H J M L
全長 4.24m 4.38m 4.24m 4.63m
全幅 2.38m 2.64m 2.38m 2.48m
全高 2.05m 2.21m
重量 10.5t 18.0t 12.9t 13.0t
乗員 3名(長、装填手、操縦手) 4名(長、装填手、操縦手線手)
最高速 50km/h 65km/h 31km/h 65km/h 60km/h
航続距離 200km 250km
武装 2cm KwK38戦車×1
7.92mm MG34機×1
携行弾数 KwK38:180
(10発入り弾倉×18)
MG34:2250
(75発入り弾倉×30)
KwK38:330
(10発入り弾倉×33)
MG34:2250
(75発入り弾倉×30)
装甲圧 5~30mm 25~80mm 5~30mm 10~30mm

派生型

VK.16.02"Leopard"(レオルト戦車
1941年開発が始まった、強行偵察用の軽戦車。II号戦車の発展だが体は新しくなっており、傾斜装甲を取り入れている。レオルトとは(ひょう)のことで、パンターと同じ意味である。
武装はL戦車と同じだが、計画は中止されプーマに流用された。
Panzerkampfwagen II Flamm(II号火炎放射戦車
D及びEの足回りを流用して製作したもので、本格的な火炎放射戦車としてはドイツ軍初であった。新たにSd.Kfz.122の特殊車両番号が与えられた。Flamingo(フラミンゴ)という通称があるが、これは発射される火焔が脚の長いフラミンゴを髣髴とさせることと、ドイツ語で火焔を意味するFlamm(フランム)との語呂合わせであると考えられる。
は7.92mm MG34機1挺のみを搭載した小のものとなっているが、固定式であるため射界は狭い。火炎放射器履帯上部にある戦闘室前面のり出しに1つずつ装備し、それぞれ90度の方向へ放射が可である。火炎放射用燃料は撤去した機関の本体や弾薬の分のスペースを利用して内に格納した。
1942年1月から1942年3月にかけて43両が従来のD/Eからの改造112両が新規生産され合計155両が生産された。しかし当時のソ連では火炎放射による地攻撃の機会は少なく、のちにより必要とされた対戦車兵器として改造されるようになる。予定されていた本の増産分150両もすべて対戦車自走砲に割り当てられた。
15cm sIG 33 auf Fehrgestell Panzerkampfwagen II150mm重歩兵33搭載II号戦車台)
II号戦車をベースとした新台に15cm sIG 33を搭載したもの。通称「Bison II(ビゾン2)」。
この新台はアルケットによっていくつかの試作を経て作られたものである。最初はC体にI号戦車と同じ要領で輪ごと乗せたものを1940年初頭に製作したが、試験をしたところ搭載位置が高すぎたために反動が大きく精度に欠けるため不採用となった。
次に輪を外した状態で内に格納したもので実験を行い、それを元に1940年6月に脚を残して搭載したものを試作した。これは必要に応じてをはずして輪をつけて従来の牽引としても運用ができるように考慮したものだが、試験の結果操作性や弾薬格納が不足しているとしてこれも不採用となった。
これらを解消すべく開発された台は、従来のII号戦車台より体幅を320mm、体後方を670mm延長し転輪を1つ増やしたものであった。も本体や駐退機など基本的な部分のみが残され、これが採用された。他の特徴としては近接防御用に7.92mm MG34機を搭載したことと、前作のI号自走重歩兵の反省を生かし高を2m以下に抑えたことが挙げられる。
ドイツ兵器局は1941年8月から9月にかけて12両を発注したが、専用台となったため治具なども専用となって生産に手間取り全完成は同年12月までかかった。
全て北アフリカ戦線に送られ、重な重火力としてエル・アラメインの戦いで全が損耗するまで各地で戦った。さらに損傷した本からと防を取り外して、を失ったIII号戦車に強引に取り付けた現地改造もある。
Panzer Selbstfahrlafette 1 für 7.62 cm PaK36(r) auf Fahrgestell(76.2mm対戦車搭載装甲自走砲架1
=II号対戦車自走砲(76.2mm対戦車36搭載
DおよびEを元にした台に、独ソ戦初期に大量に鹵獲した76.2mm F-22良を加えた7.62cm PaK(r)を搭載したもの。「装甲自走砲架1」とは牽引車載用にするための固定架の1種で、II号戦車DおよびE向けに作られたものである。
東部戦線においてT-34という思わぬ強敵に遭遇したドイツ軍は、それに対抗し得る兵器として7.5cm PaKの開発を急いだが、前線への配備には時間が必要であった。そこで注されたのがソビエトから捕獲した76.2mm(3インチF-22であった。その名の通り間接照準による攻撃を体とする野だが、初速度に優れていた本は対戦車としても使用されていた。
当初は「7.62cm FK 296(r)」という名前でそのまま運用していたが、より使いやすくするために操作部や莢、照準器などに良を加えたものを製作しこれを「76.2mm対戦車36(7.62cm PaK 36(r))」と名付けた。さらに機動を持たせT-34などの屈強な戦車に対抗すべく、既に価値が低下していたII号火炎放射戦車改造して対戦車自走砲に仕立て上げた。
1942年初頭から1943年6月にかけて、火炎放射の増産分150両の他に既に生産された火炎放射51両を改造した合計201両が生産され、すべて東部戦線で戦った。
この車両には最初Sd.Kfz.131の特殊車両番号が与えられたが、後にSd.Kfz.132められた。
7.5cm PaK 40/2 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II(75mm対戦車40/2搭載II号戦車台)
=II号対戦車自走砲(75mm対戦車40搭載
c、A、B、Cの上部構造物を撤去し、7.5cm PaK 40の車載である7.5cm PaK 40/2を搭載したもの。通称「Marder IIマルダー・ツヴォーマルダー(テン)の意)」。Sd.Kfz.131の特殊車両番号が与えられた。
戦車としての価値がなくなったII号戦車各形式の台を利用した対戦車自走砲で、搭載は純産である。急造の76.2mm対戦車搭載とは違い十分な設計が練られた本は、発見されにくい背低の車両となった。
1942年7月から1943年6月にかけて531両が生産され、76.2mm対戦車搭載と共に前線ピンチヒッターとしての役割を果たした。さらに北アフリカ戦線にも派遣され、当時のイギリス戦車火力を大幅に上回る兵器として活躍をした。
なお、本完成した後7.62mm PaK 36(r)を搭載したものも「マルダーII」と呼ばれるようになったが、便宜的にこれを「マルダーIID」と呼ぶこともある。
10.5cm leFH 18/2 auf Fahrgestell Panzerkampfwagen II105mm軽榴弾18/2搭載II号戦車台)
Fの上部構造物を撤去し、10.5cm leFH 18の車載である10.5cm leFH 18/2を搭載したもの。搭載に当たり体は延長された。
通称「Wespe(ヴェスペ、スズメバチの意。ホルニッセと同じ)」。Sd.Kfz.124の特殊車両番号が与えられた。
電撃戦に対応しきれなかった牽引榴弾である10.5cm leFH 18を自走化する計画は、前線から次々と引き上げられていくII号戦車の数が増えるにしたがって進んでいった。当初はIV号戦車台を用いる計画もあったが、バランスコストの面でII号戦車の方が優れていることが後に明らかとなり生産に至った。
1943年2月から1944年7月にかけておよそ670両が生産され、同時にを搭載しない弾薬運搬がおよそ160両生産された。本はより大自走砲であるフンメルが配備されるまでのつなぎという名ではあったが、予想以上の戦果を挙げたため終戦まで活躍することとなった。

関連動画

ドイツ軍デンマーク侵攻を描いたデンマーク戦争映画エイリルソルジャーズ ナチス北欧侵略」のワンシーン。5:33辺りに登場する。

戦車装備が十分でない歩兵部隊にとっては、いかに軽装甲であっても脅威である事がよく分かる。

II号戦車L「ルクス」のレプリカ実動動画千鳥配置の足回りの挙動が興味深い。

模型紹介

価格は全て税抜である。

タミヤ II号戦車F(1/35スケール
タミヤから発売されているFのキット。1971年6月15日初登場、シリーズ番号9という驚異の古参キットで、現在定期的に生産されているキットの中で最も古いロングセラモデルである。敬語を使わない堅い表現の解説文が当時を思わせる。
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は1200円である。
戦車を構成する部品はわずか90足らずで、あっという間に組みあがる。当時からに変更はないので、工夫次第でより見栄えのいいモデルにすることもできる。戦車兵1体に加えアフリカ戦線の兵士も4体ついてくるのでストレート製作で生き生きとしたジオラマができる。
とにかく安くて作りやすいので、タミヤのMMを作るならまずこれからスタートするといい。ただし説明文が当時のままであるゆえの注意点がある。本製品は「II号戦車F/G」という名称だが実際は「Fの雑具あり/なし」の選択式であり本キットでGは作れない。くれぐれもご注意を。
タミヤ II号戦車A~Cフランス戦線)(1/35スケール
Fから実に37年の時を経てタミヤから発売されたA~Cのキットで、シリーズ番号292
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は3200円である。
A/B/Cの各形式のわずかな違いをよく再現したキットで、部品数はリアル感を重視したキャタピラ連結組立式も相まって多くなっているが、その分ディテールも大幅に向上している。マーキングフランス戦線のものが4種類用意されている。長の人形1体つき。
同社のFべ価格が3倍近く高いが、キットの精度を考慮すれば十分であろう。
タミヤ II号戦車Cポーランド戦線)(1/35スケール
タミヤから発売されているCのキットで、シリーズ番号299
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は3400円である。
内容は先発のII号戦車A~Cとほぼ同様だが、本製品ではポーランド戦線3種類のマーキングと精巧な兵士人形4体がついている。
タミヤ戦車自走砲マルダーII(1/35スケール
タミヤから発売されているマルダーIIのキット。1975年初登場、シリーズ番号60の古参キットである。
模型専門店または通信販売で入手できる可性があり、価格は1900円程度である。
内構造がよくわかるオープントップ式の体の魅を当時からよく再現しているキットで、作りやすさも同時に実現しているのが特長である。マーキングアフリカ戦線のものがチョイスされており、兵士人形2体も付属。
スポット生産品なので入手はやや難しいかもしれないが、2011年9月17日に「70年代傑作キット」として再生産されたので発見のチャンスはある。
タミヤ 自走榴弾ヴェスペ(1/35スケール
タミヤから発売されているヴェスペのキットで、シリーズ番号は200のキリ番
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は3000円である。
マーダII同様、オープントップ式ならではの内部の作り込みを底しつつ部品数を抑え、さらに完成後には実同様のアクションも楽しめる1品。履帯塗装と接着が可ベルト式が使用されている。
東部戦線マーキング3種と、兵士人形2体つき。
タミヤ 自走榴弾ヴェスペ”イタリア戦線”(1/35スケール
タミヤから発売されているヴェスペのキットで、シリーズ番号358
模型を取り扱う家電量販店でも入手が可で、定価は3600円である。
こちらは表題通り「イタリア戦線」をモチーフにしたキットとなっており、履帯は重量感抜群の部分連結式が採用されている。またアクセサリーパーツもさらに豊富に追加されている。
マーキングは2種類、長と手そして装填手2体の計4体(車両定員分)の人形つき。
ホビーボス 偵察軽戦車 VK1602レオルト(1/35スケール
ホビーボスから発売されているレオルトのキットで、シリーズ番号は82460。
模型専門店または通信販売で入手できる可性があり、価格は5000円程度である。
ミニパンター」と言える本のキットは、完成後にパンターと並べてその相似性を感じることが最大の楽しみだろう。

関連コミュニティ

関連項目

ナチス・ドイツ軍の軍用車両
装甲車 Sd.Kfz.222 / Sd.Kfz.231
戦車 I号戦車 / II号戦車 / 35(t)戦車 / 38(t)戦車
戦車 III号戦車 / IV号戦車 / パンター
戦車 ティーガー / ポルシェティーガー
戦車 マウス / ラーテ
駆逐戦車 ヘッツアー / IV号駆逐戦車 / フェルディナント / ヤークトティーガー
突撃 III号突撃砲 / ブルムベア
自走砲 カール自走臼砲
装軌 ケッテンクラート / Sd.Kfz.251
装輪車両 キューベルワーゲン / シュビムワーゲン

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II号戦車

10 ななしのよっしん
2015/05/06(水) 22:40:32 ID: cVTuUIUqFt
体左側に斜めに横たわってるレールのようなものは何ですか?
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11 なおゆき
2015/05/08(金) 21:11:51 ID: T0nC9Bcmly
>>10さん

あれは起倒式アンテナの収納ケースです。このアンテナケースI号戦車III号戦車IV号戦車にもあります。
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12 ななしのよっしん
2015/05/14(木) 18:29:52 ID: cVTuUIUqFt
>>11おお~よくよく考えたら納得です。ありがとうございます
色々想像働かせたんですが、アンテナのふもとにある事を見逃してました。
因みにあれを漏斗にして別の車両給油したりされたりすると考えてましたw
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13 ななしのよっしん
2016/04/16(土) 17:26:40 ID: L2EzcuRF/N
ルクスたん可愛いよ(*´Д`)ハァハァ
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14 ななしのよっしん
2016/04/24(日) 12:41:11 ID: FWWea7NZQQ
西住チャリ
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15 ななしのよっしん
2016/07/20(水) 16:14:14 ID: cVTuUIUqFt
ソーズ号戦車
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16 ななしのよっしん
2016/07/30(土) 16:29:50 ID: cs16HPkc3s
WoTLuchs使ってると結構な頻度で勲章獲得してる気がする……
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17 ななしのよっしん
2016/08/24(水) 15:39:12 ID: n3afMDRJoS
WoTキッズってほんと色んなとこに湧くなあ
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18 ななしのよっしん
2018/09/23(日) 04:18:17 ID: QOctbgLPG2
GTA5海底に沈んでるのあったんだけど戦車かってくらいデカすぎる
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19 ななしのよっしん
2021/05/22(土) 08:51:35 ID: J6MCrEfv5I
ホビーボスよりアスカモデルの方が作りやすいし、まだ店頭在庫である時有るし(かと言ってもあそこ商品シャーマンだからあんまり再販しないけど)で、貼り付けたいけどなぁ。
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