T-80とは、
概要
ロシア(旧ソビエト連邦)陸軍の戦後第3世代主力戦車(MBT)である。ソビエト連邦軍の精鋭部隊向けに開発された事から生産数は5000両程度。
背景
ソ連が西側の105mm砲搭載戦車に対抗するために開発したT-64は、125mm滑腔砲や複合装甲など新機軸を採用した画期的なものだった。しかし搭載を計画していたガスタービン・エンジンは完成度が低かったために実用化に失敗、ディーゼルエンジンを載せた量産型の生産開始後も機構が複雑でコストがかさむT-64は、運用側からは「故障が多く、扱いづらい」と敬遠されたため、機構を単純にして信頼性を高めた「廉価版新型戦車」T-72が開発された。T-72は世界中で採用されるベストセラーとなったが、ソ連の開発陣はガスタービン・エンジン搭載の主力戦車の開発を諦めず、T-72の量産が始まった頃には、T-64をベースにリニューアルした「高級タイプの主力戦車」T-80を完成させつつあった。[1]
構造
開発に当たって重視されたのは『ガスタービンエンジン』の採用であった。
ガスタービンは燃費が悪い反面、同出力のディーゼルエンジンより小型な事からロシア製戦車が重視する低車高に有利な事に加え、世界初のガスタービンエンジンを装備した実用MBTは対外的な宣伝に大きく使えるためである。尤も前述の通り燃費の悪さは評判が悪かった事に加え、失敗時の保険として従来通りのディーゼルエンジン搭載型の開発も並行して実施され、後の『T-80UD』に繋がった。
主砲は開発当初から125㎜滑腔砲を採用し、量産開始に当たって更にガンランチャー=戦車砲発射方式対戦車ミサイル『9M112』の運用能力が持たされ、後に『9k119』にアップデートされている。
防御面ではT-64からの複合装甲に加えERAを追加する事で防御力を稼いだ結果、重量はアメリカのM1エイブラムスを始めとする西側MBTより軽い40t台(T-80B42t・T-80U46t)である。
配備後
かくて配備が始まったT-80だが現実は厳しいものだった。
既にソビエト連邦は衰退の時期に入っており取り扱いが難しいT-80は持て余されだしたのである。
そして1991年、ソビエト連邦は崩壊しT-80もその影響を被ることになった。
旧ソビエトの大部分を引き継いだロシア連邦は財政難が続いた結果、兵站に大きな負担を強いていたT-80は早い段階で輸出が行われ、アラブ首長国連邦、韓国等で配備されたがモロッコに輸出したところイギリスの工作によってイギリス+アメリカの手に落ちるという失態もあった。
またT-80はウクライナ・ハルキウ(ハリコフ)の『ハルキウ機械製造設計局』グループで主に生産されていたがウクライナの独立により次第にロシアとの繋がりが薄くなりT-80UDを改良した後述のT-84を皮切りに独自性を次第に強めたのに対しロシアは運用コストが低く、自国メーカー『ウラル貨車工場』で生産しているT-72と改良型のT-90を重視するようになったがT-80の経験はT-90の開発に活かされている。
一方、実際の戦闘は1991年8月のソ連クーデター未遂事件(反乱側)、1993年10月の反エリツィン大統領勢力鎮圧の後1994年から1996年に掛けての第一次チェチェン紛争に投入された際には建物に潜むチェチェン兵の対戦車兵器に苦しめられた事により半ば引退に追い込まれていたが2022年のウクライナ侵攻でロシア、ウクライナ双方が戦闘に投入している。
派生型
- T-84/オプロート
独立ウクライナにおいて改良されたT-80UDベースのMBT。ロシア製戦車伝統の鋳造砲塔から溶接砲塔に変更しERA、ディーゼルエンジン、電子装備も独自開発品に変更した。 - 2S19『ムスタ』152㎜自走榴弾砲
ソビエト連邦末期に開発された自走砲。T-80の砲塔を外して152㎜榴弾砲と関連装備(弾薬庫・照準装置・補助エンジンetc)を詰め込んだ密閉式旋回砲塔を載せ、エンジンはディーゼルに変更された。
関連作品
動画
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関連項目
脚注
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