VT11.5型気動車とは、西ドイツ国鉄が運行、保有した特急型気動車である。形式番号規定変更後の形式はVT601。
概要
1950年代、ヨーロッパ各国の鉄道は航空機との競争に晒されていた。不要になった軍事用の空港を次々と旅客にも使えるようにし、そこから航空機のネットワークが一気に広がり始めていた。しかし、速度の面で劣る鉄道は劣勢に立たされ、この問題に立ち向かうべく、「TEE(Trans Europ Express)」の計画を立てた。この計画では各国の規格に全て対応した新型車両を作り、相互乗り入れをスムーズにし、更に国境越えのときの入国審査も車内で済ませるようにする等して航空機に対抗する事となっていた。そこでその専用車として西ドイツが製造したのがこのVT11.5型気動車である。
TEEの基準に合わせ、全車一等車、食堂車つき、営業最高速度140km/h、各国の保安装置に対応したブレーキ、異なる電化区間への乗り入れを楽にする為の気動車方式など、ほぼ全ての条件を満たしていた。ヨーロッパの各国でも同じ時期にTEE規格の車両を開発してはいたがいずれも難航していた。ところが、西ドイツは元々SVT887型フリーゲンダーハンブルガーや、SVT137型クルッケンベルグ等の特急型気動車の製造実績があった為、いち早く完成にこぎ付ける事が出来た。編成は両端の先頭車を動力車とし、中間に5~8両の中間客車を挟む形となった。1957年には運行を開始、瞬く間に西ドイツ一の人気列車となり、西ドイツ国鉄とTEEを代表するフラッグシップトレインとなった。その後も順調にTEEが運行区間を拡大していくと共にVT11.5型もその運行範囲を広げて行った。
運行を開始してから暫くすると、次第にVT11.5型には様々な問題が発生した。TEEの利用者が増えてくると、元々の収容力の低さから来る問題が発生、利用者を捌ききれなくなってきた。暫くは中間の客車の数を増やす等で対応したが、中間の客車の増結では足りなくなると、今度は二編成併合した形態での運行を行った。しかしこの方法での運用は非常に効率が悪く、中間に乗客を乗せることの出来ない機関車が2両も付いてしまい、更にボンネット型の先頭形状である為、通り抜けが出来ない構造となっており、食堂車も2両付いてしまい効率が悪かった。また、末端区間に入る場合も、編成の融通が客車に比べて悪かったことも追い討ちをかけた。更にTEE運行区間のほぼ全ての路線が電化される頃になると、複電源方式の電車や電気機関車が開発され、気動車で運行するメリットが少なくなってしまった。
その後、TEEは客車での運行でも問題ないと判断されると次第に電気機関車牽引の客車列車へと変わっていった。西ドイツのVT11.5型も例外ではなく、徐々にその活躍の場所を減らしていった。更に日本で新幹線の運行が開始されたことが追い討ちをかけ、新幹線の運行開始に刺激されたヨーロッパ各国の鉄道会社はこぞって列車のスピードアップをする事となった。TEEも例外ではなく、営業最高速度を140km/hから160km/hに引き上げることとなった。一応、VT11.5型も160km/hでの運行は可能だったが、その為には中間の客車を5両まで減らす必要があり、スピードアップのためにはただでさえ少ない収容力を更に削る必要があった。その為、西ドイツ国鉄も遂に新しい客車のTEE車両と専用機関車を開発、103型電気機関車(DB)とTEE専用客車「ラインゴルト」が完成、運行開始した。これに伴いVT11.5型の運用範囲は一気に狭まり、1971年には最後まで残っていたミラノ線の運行もイタリアの客車と交代する形で運行終了、これによりVT11.5型はTEEの定期運用を失ってしまった。
その後はIC(Inter City)の運用に入ったが、1970年代後半、ICに2等車を連結することが決まるとこの運用からも撤退を始めた。1等車のみで構成されていた編成であっただけでなく、特殊な車体構造が災いし、2等車への改造も難しい為、ICの定期運行に就けなくなってしまった。これにより1978年頃には完全に定期列車の運用から撤退、その後はアルプス方面へ向かう団体臨時列車等の運行に使用されたが、この頃には製造から25年以上が経ち、車体にもガタが来ていた為、検査期限が切れるとそのまま廃車される車両も現れた。また、一度はベルリン~ハンブルグ間を東ドイツ国鉄のVT18.16型気動車と共同運行の特急列車として走らせる計画もあったが、車両の都合がつかずこの計画は実現することは無かった。
VT11.5型が最後の定期運用に入ったのは1990年8月1日の事。ベルリン~ハンブルグ間のTEE運用であった。往年のTEEを復活させようと言う動きからこの話が持ち上がったが、この頃には車両の老朽化が進み、更に一度廃車となった車体を復活させた為、高速の運用に耐えられず、同年9月29日に運行中止、そのまま引退となった。
現在は何両かが保存車として現在も残っており、一部は営業運転が可能な状態で保存されている。また、ガスタービン試験車として改造された車両も保存されている。
DSB Litra MA
ヨーロッパで非常に好評だったVT11.5型だが、デンマーク国鉄(DSB)への乗り入れも検討された。しかし、デンマークの首都、コペンハーゲンへ乗り入れる為には途中、どうしてもフェリーを使用した車両航送に頼らざるを得ないため、編成の短縮が必要であった。しかし現状のまま中間の客車を減らすと、動力車2両に対し中間客車が3両しかなく、非効率だった為乗り入れ計画は中止となった。しかし、DSBにとってもVT11.5型は魅力的な車両であった為、同車をデンマーク向けにアレンジした車両をドイツ側に製作依頼した。その結果生まれたが「Litra MA」である。この車両、片方の先頭車は通常の動力車になっているが、もう片方の先頭車は貫通扉付き制御客車となっており、客室も1等車だけでなく、2等車も設定されていた。デンマークでの運用に特化させて作られた為か、それなりに長く定期運用に就くことができていた模様。1990年冬に引退。その後一部の車両がポーランドの私鉄に売却されたが、売却先の技術水準の低さに伴うメンテナンス不良、更には車体の老朽化もあって現在は運行中止となっている。デンマークに残った編成は現在も運行可能な状態で保存されている。
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