(有)未来検索ブラジルが運営するあらゆる言葉についての記事を閲覧・編集したり、コメントをしたりするサイトです。

単語記事: Beatles

編集

Beatles(ビートルズ)は、史上最も成功したバンド(by ギネスブック)。正式名称は「The Beatles」。

掲示板24よりぴーさんの絵

イギリスアルバムチャート51週連続1位を始めとした多数の記録を持つ20世紀を代表するアーティストである。とても全ては書ききれないので、詳しくはWikipedia等を参照されたし。

メンバー

略歴

「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」(①)が世界歴代シングル売上枚数で第5位を記録するなど、音楽については今さら言うまでも無いが、映像作品においても多数の功績を残している。

1964年、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』(②)[1]演し映画に進出。次作『ヘルプ!4人はアイドル(Help!)』(③)はカラーで撮影された。実際にメンバーが冗談混じりにっている他、これらの監督を務めたリチャードレスター(後に『ナック(The Knack ...and How to Get It)』でカンヌ国際映画祭最高賞(パルムドール)受賞)はMTVから「方がMTVだ」と賞状を贈られた。

1965年ニューヨークのシェイ球場(MLBメッツNFLのジェッツのホームグラウンド)で5万5千人をえる熱狂的な観客の前で史上初のスタジアムライヴを開催した(④)。球場開催は最大多数の観客を迎えるためであり、以降は彼らのライヴ形式として定着するが、一躍世界トップスターとなった彼らのこうした状況こそが後のライヴへの意欲低下の大きな原因となった。

同年末、自分たちで撮影した映像TV局に渡すという方法を考え出す(⑤)。実はメンバーたちは新曲をリリースする度に大規模なツアーを行ったりTV出演を繰り返す必要がある事に体的にも精的にも疲弊していたし、折ライヴでも納得のいく音が伝えられず(当時はステージ上を映すモニターは無く、十分な音量と音質を伝えられる高出アンプ等の音機材を備えた施設もんど無い上、開放式球場では音声が十分に反せず拡散してしまう)、そもそも「大勢の警備員で厳重に警しないと自分らと観客の双方の全を図れないライヴ」に果たして意味はあるのだろうか、といった疑問は彼らの中に徐々に募っていった。

1966年、彼らが世界ブームの火付け役となったロックミュージックは、特に年配者や体制側の無理解により一大社会問題となっていた。そんな大騒ぎの渦中で最初で最後の来日演(6/30~7/2、日本武道館)を行う。彼らは既にライヴへのモチベーションを欠いていたため数あるライヴの中でも最低クラスクオリティであったが、皮にもこの時撮影されたカラー映像は当時のビートルズを撮影した映像の中でも特に鮮明なものとして、後にファンの間で有名となる(⑥)[2]

結局1966年8月を最後にコンサート活動を終了し、1967年以降はスタジオでのアルバム製作に重点を置くことになった。この時期に生まれたPV作品では「レインRain)」では屋外での撮影を行い(⑦)、「ストロベリーフィールズ・フォーエバーStrawberry Fields Forever)」(⑧)では演奏シーンしてサイケデリック世界を表現して映像としても高い評価を受け、後のPVへの影を及ぼした。

史上初の衛中継番組「OUR WORLD」にイギリス代表として出演し、書き下ろしの新曲「こそはすべて(All You Need Is Love)」を世界中に披露する(⑨)など活動は順調だったが、1967年8月マネージャーブライアン・エプスタインの死を機に歯車が狂い出す。同年末に発表した自主制作映画マジカルミステリーツアーMagical Mystery Tour)』(⑩)は映画としては酷評されたが、現在ではPVとしてシュール映像音楽に重なる場面が特に評価されている。

1968年以降、険悪になっていく一方のメンバー結束を取り戻そうと、ポール・マッカートニーライブ活動への回帰を提案。同時に、リハーサルを撮影し復活を追ったドキュメンタリー映画製作する事となり、1969年1月に「Get Back(原点回帰)」と名付けられたセッションが始動する。しかしこのプロジェクトは完全に逆効果となり、人間関係が余計に悪化する原因となってしまった。ライヴシーンは「Rooftop Concert屋上コンサート)」と銘打たれ(⑪)、深夜ロンドンスタジオ屋上(気温2℃)でのゲリラライヴという形で行われたが、これが人前での最後のライヴとなった。

撮影されたフィルムは――ポールの当初の願いとは逆の形で――『レット・イット・ビー(Let It Be)』(⑫)、つまり「在るがままに」と名前を変え、解散へと向かうビートルズの姿を追った映画として1970年開され(監督は「レイン」のPV等を手掛けたマイケルリンゼイ=ホッグ)、同名のシングルアルバムが最後の作品となった。翌年3月ポールが解散をめた裁判がロンドン高裁で結審し、ビートルズは正式に解散した。

そして1980年ジョン・レノンがダコタ・ハウスで射殺された事で再結成は実現しないと思われていたが…
1995~1996年ジョンが生前残したテープにオーバーダビングする形で25年ぶりに製作された2曲の新曲「フリー・アズ・ア・バード(Free as a Bird)」「リアルラヴReal Love)」をリリースした(⑬)。

その後2001年ジョージ・ハリスンが死去、現在も存命なのはポールリンゴ・スターの2人である。

関連商品

関連コミュニティ

外部リンク

関連項目

脚注

  1. *この邦題の命名者はユナイト映画宣伝マン時代の水野晴郎
  2. *ちなみに、この演の前座演奏ザ・ドリフターズが前座用ではなくビートルズ用のステージに上がり込み約40秒間演奏した(そして退場の際にすれ違ったポールベースいかりや長介ベースが接触し「いかりや『が』怒られた」)が、当時素人だった志村けんは彼らが出ていない7/2の演を観たためにこの劇的シーン撃していない。前座を務めたのは他にも内田裕也桜井五郎、尾イサオ、望月浩、ジャッキー吉川ブルーコメッツ、寺内タケシブルージーンズ、という層々たる顔ぶれだった。
携帯版URL:
http://dic.nicomoba.jp/k/a/beatles
ページ番号: 201928 リビジョン番号: 1413509
読み:ビートルズ
初版作成日: 08/06/05 01:57 ◆ 最終更新日: 12/01/18 09:27
編集内容についての説明/コメント: 関連動画一部入れ替え&追加しました
記事編集 / 編集履歴を閲覧 /

Beatlesについて語るスレ

79 : ななしのよっしん :2012/02/26(日) 22:44:11 ID: roatwLx9TR
>>sm7354511


英国ファンにはたまらんかったみたい
80 : ななしのよっしん :2012/03/07(水) 20:14:47 ID: hfkIdQ4htF
なぜかJASRAC作品コードでのタイトル
FOOL ON THE HILL THEになっている?

タイトル:The Fool On The Hill (ビートルズ)
Twitterで紹介する


81 : ななしのよっしん :2012/03/07(水) 21:01:29 ID: 75Rv8jSzFH
演奏に関する議論も尽きないな。
ただ全員音楽センスがもの凄いからグルーブ感が半端無い。
リンゴも?とか言った人そこに正座しなさい
82 : ななしのよっしん :2012/04/06(金) 17:50:54 ID: ieWovoFbwp
>>81
ジャンピング土下座してきます
83 : ななしのよっしん :2012/04/25(水) 20:37:21 ID: Rzen0IiqdO
>>81
When I'm Sixty-Fourのドラミングとかすごい
あの曲でリンゴ好きになった

のでジャンピング土下座してきます
84 : ななしのよっしん :2012/04/26(木) 10:12:23 ID: OukJ8RjYR6
何年か前にデジタルマスターされたけど、
買い直した方がいいかな?
85 : ななしのよっしん :2012/04/27(金) 04:30:46 ID: wwOCcpW4Bd
>>84
とりあえず借りてみるっていう手も有るんじゃない?
86 : ななしのよっしん :2012/05/03(木) 20:09:46 ID: JAh6Dnn/2h
>>83
曲調の変化に応じて変化する変幻自在なドラミング
たまらんよね
87 : ななしのよっしん :2012/05/15(火) 22:16:44 ID: +NA9782Hh7
リンゴはshe said she said のドラムが好きだな
88 : ななしのよっしん :2012/05/16(水) 21:10:43 ID: yduAuAD3w1
In My Lifeの最後が甲高い声になってるのは何か意味があるの?


In my life I love you more ってとこ
なんか気になる
ページトップへ戻る