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CC・サバシア(CC Sabathia)とは、ニューヨーク・ヤンキースに所属するメジャーリーガー(投手)である。背番号は52。
本名はカーステン・チャールズ・サバシア(Carsten Charles Sabathia)。登録名は「C.C.サバシア」だったが2008年に移籍したのを機に現在の名に変えた。
概要
プレースタイル
6' 7"(200.7cm)の巨体から投げ下ろす速球と、スライダーやチェンジアップなどの変化球が持ち味。サバシアと対戦したマイク・ローウェルは「30フィートくらい離れた場所から玉を投げ込んでくる」と表現。奪三振数・奪三振率は毎年アメリカンリーグの上位10人以内に入っている。同僚のデレク・ジーターは「小細工をせずに勝負を挑んでくる。現役最高のパワーピッチャーの一人」と評価した。
守備は苦手でフィールディングに難がある。特にバント処理は苦手。またクイックモーションの時に牽制ができないため、盗塁されやすい。
経歴
プロ入り以前
4歳のころに野球を始める。子どものころから体が大きく、8歳を過ぎるころには相手チームから年齢を疑われるようになったため、母親が試合の度に出生証明書のコピーを持参していた。母親は元ソフトボールの捕手でサバシアのボールを自ら受けていたという。1992年に両親が離婚し、父が家を出て行ったためサバシアは深く傷ついた。
ヴァレーホ高校に入ると野球以外にもアメフトとバスケットボールも掛け持ちでプレイ。野球では早くからスカウトの間で「まるで大人のような子供が、時速90マイルの速球を投げている」と噂になっていた。アメフトではタイトエンドとしてオール・カンファレンスに選出され、バスケットボールでは州を代表するパワーフォワードとして高い評価を受けていた。
ハワイ大学がアメリカンフットボール奨学生の推薦をサバシアに出し、これに対してサバシアは野球も両立できるようにする条項を契約書に加えたうえでサインしたが、1998年MLBドラフト
1巡目(全体20位)でグリーブランド・インディアンズから指名されると、進学を撤回してプロ野球選手の道を選んだ。
マイナーリーグ
球団は「絶対にこの逸材をつぶしてはならない」と慎重かつ綿密な育成プランを作成。入団3年目でAA級アクロンに昇格しマリナーリーグのオールスターであるフューチャーズゲームなどにも出場した。この年のシドニー五輪に出場するアメリカ合衆国代表の候補にも選ばれたが、インディアンスがサバシアを先発として起用することを条件に代表入りを許可していたのに対し、代表チームが中継ぎで登板させる方針だったことが発覚したため、インディアンスはサバシアを無理矢理帰国させている。
クリーブランド・インディアンス
2001年にはAAA級を飛び越えてメジャーに昇格。開幕5試合目の2001年4月8日のオリオールズ戦で先発してメジャーデビュー。その試合でメジャー初勝利をあげる。その後先発ローテーションに定着。33試合で17勝5敗171奪三振、防御率4.39を記録し、チームの地区優勝に貢献した。ポストシーズンでもマリナーズとの地区シリーズ第3戦で先発し6回2失点で勝利投手になった。その年の新人王投票ではイチローに次ぐ2位となり、サバシアは「本格派左腕として今後の球界を代表する存在になるだろう」と期待されるようになった
しかし2002年以降は伸び悩み、精神面が安定せず、サバシアとバッテリーを組むビクター・マルティネスは「何か理由を見つけては怒り狂っていた」と語り、自分を抑えられなくなっていたという。
2004年には開幕直前に上腕二頭筋を痛め故障者リスト入りし、復帰後には左肩を故障。医者通いをしながら登板を続けたものの、9月には膝の腱まで痛めて、再び故障者リスト入りしそのままシーズンを終えた。
2005年にも契約延長交渉を進めていたさなかに脇腹を負傷。開幕を故障者リスト入りで迎え、シーズン初登板は開幕から半月近くが経った4月17日と出遅れる。契約交渉は同月27日にまとまり、2007年
から2年総額1,775万ドルで残留が決まったものの
、2006年
4月の試合中にまたも右腹部を痛めて戦線離脱したことで、ついには巨漢サバシアのコンディショニングを問題視する声も出るようになった。
ところが2007年に、サバシアは一気に飛躍する。各球団エースの中でサバシアだけは投球回が210を超えることはない、と予想する声もあったが、ボールを低めに集めるのを徹底したことで試合中盤に打ち込まれることが減った。相手打者として対戦したトリー・ハンターはサバシアの変貌ぶりを「投手として成熟してきた。三振も取れるが、必要なときにはゴロを打たせて併殺に仕留められるようになっている」と語っている。
結果としてリーグ最多の241.0イニングを投げて19勝7敗・209奪三振・防御率3.21という成績を残し、エースとして活躍。6年ぶり出場のポストシーズンでは、レッドソックスとの
リーグ優勝決定戦で2戦2敗・防御率10.45と本来の力を発揮することができなかったが、シーズン終了後にはサイ・ヤング賞
を初受賞するなど、レギュラーシーズンでの働きは高く評価された。
2008年、サバシアは開幕投手に。しかし開幕戦を6回途中5失点で降板するなど、4月終了時点で1勝4敗・防御率7.88と不振 に陥った。さらにチームのほうも、前年の地区優勝から一転して最下位に低迷。サバシアのほうは5月・6月の2か月間で5勝4敗・防御率2.19と復調した が、チームのほうはなかなか浮上できず、そのためインディアンスがシーズン途中でサバシアを有望若手選手とのトレードを決定した。
ミルウォーキー・ブルワーズ
2008年7月7日、サバシアは若手選手4人とのトレードでミルウォーキー・ブルワーズへの移籍が決定。資金力のないブルワーズはシーズン終了後にサバシアと契約を延長する可能性は低く、ブルワーズの狙いはシーズン終了後にサバシアがFAで移籍することで移籍先の球団から補償としてドラフト上位指名権を獲得することにあると見られた。
サバシアはナショナル・リーグでは3か月弱しか投げていないにもかかわらず、サバシアはリーグ最多の7完投・3完封を記録。移籍前のアメリカン・リーグ
での成績と合計すると、奪三振・防御率・完投・完封・投球回で、前年のサイ・ヤング賞受賞時の成績を大幅に上回る自己最高を記録した。
ニューヨーク・ヤンキース
11月1日にサバシアがFAを申請すると、ブルワーズを含めた複数の球団による争奪戦が繰り広げられた。サバシアとの独占交渉権を同月13日まで保有していたブルワーズは5年1億ドルを提示。他球団との交渉解禁となった14日には、ニューヨーク・ヤンキースが6年1億4,000万ドルでオファーした。その後、サバシアが生まれ育ったカリフォルニア州を本拠地とするロサンゼルス・ドジャース
がサバシアに興味を示し、サバシア本人もドジャースを希望していると報じられたこともあった。しかし結局12月18日になってヤンキースが、7年1億6,100万ドルという投手史上最高額の大型契約をサバシアと締結した。
ヤンキース移籍1年目の2009年、開幕投手となったサバシアは19勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得した。過去2年間は結果を残せなかったポストシーズンでは、ツインズとの地区シリーズ
では第1戦を7回途中2失点でまとめ勝利投手になり、続くエンゼルスとのリーグ優勝決定戦では、2試合16イニングを投げ2勝・防御率1.12の好投でシリーズMVPを受賞。ヤンキース6年ぶりのリーグ優勝の原動力となる。自身初の出場となったふぃリーズとのワールドシリーズ
でも、2試合でにソロホームラン3本を浴びた以外はほぼ抑え、ヤンキースはフィリーズを4勝2敗で下し世界一となった。
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リビジョン番号: 1371895
読み:シーシーサバシア
初版作成日: 10/11/21 14:42 ◆ 最終更新日: 11/12/06 12:34
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