T-26単語

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テードヴァーツァチシェースチ
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T-26とは、第二次世界大戦の前からソビエト開発・生産した軽戦車である。
ソ連軍内では「軽歩兵戦車(лёгкий пехотный танк、リョフキー・ピホートヌィ・タンク)」と定義された。

T-26(1933年型)

概要

1928年に生産が開始されたソ連初の本格的な量産型戦車である「T-18」の後継として開発された戦車である。

本格的な機甲部隊設立を的とした欧州への兵器調派遣において輸入が決定したイギリス製の「ヴィッカース 6トン戦車」をベースとして装備に独自の要素を取り入れる形で開発が行われることとなった。
(ソ連兵器調派遣については「BT(戦車)」の項に詳しいのでそちらを参照)

1929年完成した15両の車両には搭載武装以外にこれといった変化はなく、当初「V-26」の名称が与えられた。
その後は自エンジンへの変更を経て1931年に「T-26」として制式採用され、レニングラード第232工場にて生産が開始された。

実戦

登場当時の戦車としては最大である45mmのを持つT-26は、同じ口径のを備えるBT戦車と共に当時の戦車戦を大幅に優位に進めた。初の実戦参加となったスペイン内戦においては機しか持たないドイツI号戦車イタリアL3/33を一方的に撃破し、続くノモンハン事変でも対戦車に難があった日本軍八九式中戦車九七式中戦車に対しても優勢を維持した。

しかし装甲は最大で15mmしかなかったため対戦車の一撃で仕留められてしまう事が少なからずあり、また火炎瓶による被害も多かった。さらに使用しているエンジンが低であったためBT戦車べて足が遅く、当時としては強であった戦車であるにもかかわらず乗員からの評判はあまり良くなかったという。それでも10年ほどに渡って開発が続けられ、独ソ戦の時点ではソ連戦車の半数近くを本が占めた。そして性が上がりつつあったドイツ戦車に対して多くの犠牲を出しつつも、後継となるT-34KV-1の出現まで緒戦を戦い抜いた。

バリエーション

T-26A(1931年型)

一番最初に開発されたで、一の双である。構造の関係で左右のは内側に向すると干渉してしまうため、旋回度はそれぞれ270度に限定されてしまった。

の装備によって以下の3種類が存在する。ここでの名称は分かりやすいよう便宜的に付けたものである。

左右両方の()に7.62mm DTを搭載したタイプ
PS-1
に37mm PS-1戦車を搭載したタイプ
PS-1のベースフランスオチキス社の37mm SA18戦車で、T-18にも使用されている。
PS-2
に37mm PS-2戦車を搭載したタイプ
PS-2のベースドイツラインメタル社の3.7cm PaK35/36対戦車で、BT-2にも使用されている。

1931年から1934年にかけて2000両前後が生産された。このうちPS-2は搭載するの生産時期の関係で他2つのタイプべて少数であった。なお、37mmを装備するタイプ1932年と称することもある。

T-26B(1933年型)

1931年で、これ以降45mmを装備する単となり、生産元も第174K.E.ヴォロシーロフ工場に移された。
の違いから以下の3種類が存在する。

前期
円筒の「KhPZ(ハリコフ機関車工場)製」を搭載したもの。
中期
の「OKMO(試作機械設計部)製」を搭載したもの。
後期
を中心に良を行ったタイプ1935年とも呼ばれる。
長用ハッチが対つきのものに変更され、後部にもボールマウント方式の機が1挺追加された。体も従来のリベット接合から溶接体とした構造となっている。

1933年から1936年にかけてシリーズ最多となる6065両が生産され、同盟への輸出や供与も行われた。

T-26S(1937年型/1939年型)

1933年で、避弾経路を考慮した新を搭載した。
体構造の違いによって以下の2種類が存在する。

1937年
に「T-26B 後期」のと同じ装備を搭載したタイプ
1939年
と同じように体にも傾斜装甲を取り入れたタイプ安定装置も搭載された。

1937年から1940年にかけてそれぞれ2000両から3000両ずつが生産された。
T-26の総生産数はを含めて12000両近くにのぼり1930年代で最も多く生産された戦車であった。

スペック一覧

T-26 T-26A
(1931年)
T-26B
(1933年)
T-26S
(1937年/1939年)
全長 4.62m
全幅 2.44m 2.445m
全高 2.19m 2.33m
重量 8.0t 9.4t 10.3t
乗員 3名(長、手、操縦手)
最高速 28km/h 30km/h
航続距離 整地:140km
不整地:70km
整地:230km
不整地:135km
武装 [機]
7.62mm DT×2
45mm 20-K戦車×1
7.62mm DT×1
45mm 20-K戦車×1
7.62mm DT×3
[PS-1及びPS-2]
37mm PS-1戦車
または
37mm PS-2戦車×1
7.62mm DT×1
携行弾数 [機]
6615発(63発入り弾倉×105)
20-K:124
DT:2961発(63発入り弾倉×47)
20-K:185
DT:3528発(63発入り弾倉×56)
[PS-1及びPS-2]
37mm:222発
DT:3528発(63発入り弾倉×56)
装甲圧 6~13mm 6~25mm 10~25mm

派生型

ベース車両は多数存在する。

自走砲仕様

SU-1(スーアジーン)
密閉固定式戦闘室に「76.2mm PS-3歩兵」1門と「7.62mm DT」2挺を搭載した自走榴弾
1931年に試作車両1両のみが製作された。
AT-1(アテー・アジーン)
密閉固定式戦闘室に「76.2mm PS-3歩兵」1門のみを搭載した砲兵戦車
SU-1との違いは高が低いことと、兵器としての的が遠距離撃ではなく近接火力支援であるということである。この構想は後にドイツ軍開発されるIII号突撃砲に近く、それに先駆けるものであった。
1935年に試作車両2両が作られた。
SU-5(スー・ピャーチ)
1932年開発された自走榴弾。搭載する火によって以下の3種類が存在する。
SU-5-1
76mm M1902/30師団を搭載したタイプ1935年に試作車両1両のみが製作された。
SU-5-2
122mm M1910/30榴弾を搭載したタイプ
1935年から1936年にかけて31両が生産され、このうち13両がノモンハン事変に投入された。
SU-5-3
152mm M1931(NM)臼砲を搭載したタイプ1935年に試作車両1両のみが製作された。
SU-6(スーシェースチ)
体上に開放式の台座を設置し、防を外した「76mm 3-K高射砲」1門を搭載した自走高射砲
1937年に試作車両4両が製作された。
SU-26(スードヴァーツァチシェースチ)
上部構造物を撤去して「76mm M1927歩兵」1門を搭載し、前面及び側面を装甲で保護した自走榴弾
1941年に14両がレニングラードの第185S.M.キーロフ工場で生産された。
T-26-4(テー・ドヴァーツァチシェースチ・チティーリ)
BT-7Aと同様に近接支援用の大を搭載する砲兵戦車
1937年から1938年にかけて23両が生産された。

火炎放射仕様

OTは「オグニェモットニィタンク(Огнемётный танк、「火炎放射戦車」の意)」の略だが、KhT「キーミィチスキータンク(химический танк、「化学戦車」の意)」とも表記される。ソ連軍内では専ら後者略称で表記される。

OT-26(オーテー・ドヴァーツァチシェースチ)
1931年の右M1933 KS-24火炎放射器を搭載した化学戦車(火炎放射戦車)。左は撤去され、その下に135lの容量を持つ燃料タンクが設置された。
1932年から1935年にかけて552両が生産された。ノモンハン事変に投入された記録が残っており、壕に潜む歩兵駆逐するのに役立ったという。
OT-130(オーテー・ストートゥリーツァチ)
1933年M1938 KS-25火炎放射器を搭載する化学戦車内には200lの容量を持つ燃料タンクが2個設置されたが、もとが軽戦車クラス体であったため居住性は良くなかった。
1936年から1939年にかけて401両が生産された。
OT-133(オーテー・ストートゥリーツァチトゥリー)
1937年M1938 KS-25火炎放射器を搭載する化学戦車。基本的な仕様はOT-130と変わらない。
1939年に試作4両、1940年量産型265両の合計269両が生産された。
OT-134(オーテー・ストートゥリーツァチチティーリ)
1937年に45mm 20-K戦車M1938 KS-25火炎放射器を搭載する化学戦車
冬戦争やノモンハン事変での戦訓を生かしてを残したまま火炎放射器を装備した。しかしただでさえ狭い内はさらに狭くなり、燃料や弾薬が十分に積めなかったためどっちつかずの性となってしまった。
1940年に試作車両2両が完成したのみで、火炎放射仕様一量産に至らなかった。

観測仕様

T-26TN(テー・ドヴァーツァチシェースチ・テーエヌ)
砲兵トラクターであるT-26T(後述)をベースにした観測戦車
71-TK-1線機と各種観測用学機器を搭載し、味方の撃の着弾位置を割り出して砲兵部隊に連絡する役割を持っている。
1934年9月に試作車両1両のみが第185S.M.キーロフ工場で生産された。
BSNP(ベーエスエヌペー)
T-26TNの
より高度な学機器を搭載する予定だったが、T-26との相性が悪かったようで計画のみに終わっている。
T-26FT(テー・ドヴァーツァチシェースチ・エフテー)
1933年ベースにした写真戦車
砲兵装を取り外して様々な撮機材を搭載し、写真動画による記録を行えるようにした。敵の防御地を撮することが的であったため、戦車と区別がつかないように身を木製のダミーで作り直した。
1939年に試作車両1両のみが生産された。

装甲輸送車仕様

いずれもデータが少ないため、生産時期や生産数が不明である。以下に名称と用途のみ列挙する。

TR-1(テーエルアジーン)
装甲兵員輸送車。TR-26とも表記する。
TR-4(テーエル・チティーリ)
装甲兵員輸送車
TR-4-1(テーエル・チティーリ・アジーン)
装甲弾薬輸送
TB-26(テーベー・ドヴァーツァチシェースチ)
装甲弾薬輸送
T-26Ts(テー・ドヴァーツァチシェースチ・テーエス)
装甲燃料輸送
TTs-26(テーテーエスドヴァーツァチシェースチ)
装甲燃料輸送

その他の仕様

T-26TU(テー・ドヴァーツァチシェースチ・テウー)
ハチマキまたは手摺アンテナと71-TK-1線機を搭載した戦車
1931年及び1933年のうち4000両程度がこの形式である。
TT-26(テーテー・ドヴァーツァチシェースチ)
遠隔操作により戦闘を行うテレタンク。装備はOT-26と同様である。
後述のTU-26とセットで運用された。
TU-26(テウー・ドヴァーツァチシェースチ)
TT-26の操作を行うための戦車で、TT-26と共に開発された。
1933年1936年1938年の3回に分けて両者合わせて162両が生産され、TTBT系列と共に冬戦争を戦った。
T-26T(テー・ドヴァーツァチシェースチ・テー)
各種野を牽引するための砲兵トラクター。元々は装甲兵員輸送車として開発されていたものである。
1933年を撤去して上部構造物のかさを増した形状をしている。
1933年1936年に分けて生産され、合計で197両が生産された。
ST-26(エステードヴァーツァチシェースチ)
1931年ベースとした工兵車両。以下3つの仕様にそれぞれ切り替えが可となっている。
仕様
体の1.5倍ほどの長さがある突撃を装備したタイプ
マインプラウ式地雷処理仕様
ドーザー地雷処理装置を装備したタイプ
ローラー式地雷処理仕様
回転地雷処理装置を装備したタイプ
ST-26は1932年から1939年にかけて70両ほどが生産されたが実戦投入の記録はない。

捕獲仕様

7.5 сm Pak 97/38(f) auf Pz.740(r)(75mm対戦車97/38(f)搭載740(r)戦車)
ドイツ軍捕獲仕様の一つで、同じくフランスでの捕獲品である75mm M1897野架を利用した7.5cm PaK 97/38を組み合わせた、しいタイプの対戦車自走砲
これ以外の捕獲T-26はに後方警備や輸送任務に用いられた。
T-26E(テー・ドヴァーツァチシェースチ・イェー)
フィンランド軍捕獲仕様。予め入手していたヴィッカース 6トン戦車に捕獲T-26のを組み合わせた。
元のT-26も100両以上が捕獲され、冬戦争初期においてはフィンランド軍機甲部隊となっていた。

関連作品

動画

ロシアの番組で紹介されたもの。実働するT-26S 1939年が見られる他、映像では前身のT-18や同時期に開発されていたBA装甲車も登場する。

スペイン内戦フラン営が使用した兵器動画。人民戦線営から鹵獲したT-26が登場。

静画

MMDモデル

模型紹介

価格は全て税抜である。

ズベズダ T-26 1933年 (1/35スケール)
ロシア模型メーカーで発売されたキットで、シリーズ番号はNo.3538。
旧キットを扱う模型店または模型専門店で入手できる可性があり、価格は2500円程度である。
他のメーカーの物とは異なり全てプラスチックでできており、組立は較的容易である。ただしキャタピラは一部連結組立式となっているため、接着時は注意が必要である。
マーキング東部戦線・極東戦線・フィンランド戦線の3つから選べ、アンテナの取り付けも選択式でT-26TUを製作することもできる。
同社からは1931年(シリーズ番号No.3542)も生産されている。
ホビーボス T-26軽戦車 1931年
マカオ模型メーカーから発売されたキットで、シリーズ番号はNo.82494。
模型専門店で入手可で、価格は5500円である。
2012年に新発売されたことだけあり、キットの精度は高い。プラスチックの部品は少ないが金属パーツがやや多く、特にキャタピラは本物よろしくピンを左右からはめて繋いでいくというものなので根気が必要となる。
はもちろん機も上下左右に可動する。また右を37mmに変更したタイプも作れる。マーキングは2種類から選択可
同社からは1933年1935年1937年も発売されている。
較的入手しやすいものの値段は高めで部品も少なくないため、多少海外モデルに慣れておいた方がいい。

関連コミュニティ

関連項目

第二次世界大戦時のソ連軍の戦車
戦車快速戦車 BT(戦車) / T-26
戦車 T-28中戦車 / T-34
戦車 T-35重戦車 / KV-1 / KV-2 / IS(戦車)

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1 ななしのよっしん
2015/09/16(水) 11:24:48 ID: YsMQKxnbOt
実は30年代中ごろだと世界戦車の半数はT-26だったという話もあったりする
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2 ななしのよっしん
2015/10/30(金) 19:14:15 ID: n5iYPsIbcd
多分、ヴィッカース6tとかマークIマークIIとかの積んでた47mm40口径3ポンドの方が、口径では大きい戦車だったんじゃないかな。
使用弾薬も47x351Rで45mmの45x310Rより強だし。
身長は10センチくらい45mmのほうが長いけど。
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3 ななしのよっしん
2015/10/30(金) 19:21:11 ID: VJPsLlgGyc
「G」をつけるろ「G」を
格好いいぞ
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4 ななしのよっしん
2016/02/15(月) 14:08:56 ID: Iwn/c7Jjx+
作りすぎてなかなか更新しきれなかったんだっけか
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5 ななしのよっしん
2016/03/06(日) 20:08:25 ID: fPYJ3BMLUG
よくわからないんだが、ソ連の作ったT-26増加装甲VerがT-26Eという名前らしいのだが、フィンランドのものと同じ名前なのか?
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6 ななしのよっしん
2016/06/01(水) 16:49:18 ID: mMj2wetUFF
>>5
T-26-1(1939年)に増加装甲(Ehkranami)を取り付けたタイプT-26-1Eと呼称しているようだから
フィンランド軍のごちゃまぜなT-26Eとは別物というか、偶然重なってしまったのだろう
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7 ななしのよっしん
2021/05/02(日) 22:20:45 ID: nIfCUCD7Dx
元気に動いているビッカーズ6t系戦車を見れるとは・・・。

まぁ、ガルパンなんだけど。
パンレットだとT-26になってたから
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