みんなの幸せが俺たちのジャスティスとは、東方Projectをこよなく愛する者同士が、不毛な争いを超えて互いの正義(ジャスティス)を讃えあうための言葉である。
正義の反対は、結局は別の正義にすぎない。
しかし、「みんなの幸せ」を犠牲にしてまで達成された正義に何の価値があるのだろうか?
うp主が、視聴者が、プレイヤーが、二次創作者が、そしてすべての幻想郷の住人が「しあわせ」でいられること。
これこそが、最初の正義(ジャスティス)であったはずである。
概要
この言葉は2009年06月、ユメスケ氏による投稿作品にタグとしてに用いられたことに由来する。
タグをつけたのが誰であるか現時点では不明だが、氏の琴線に触れたらしくタグロックされた。
東方界隈、特に東方二次創作におけるカップリング理論には、「マリアリ」「レミ咲」「ゆかれいむ」といったオーソドックスなカップリングを愛する保守派、「もこみす」「パチェさと」のような意外性のある組み合わせに可能性を見出すリベラル派、「秋姉妹」「スカーレット姉妹」という近親愛に情熱を注ぐ過激派、「こーりん×妖忌」に望みをつなぐ反逆派、全部俺の嫁一択派など様々の分派が存在し、時に自らの信ずるカップリングこそが正義だと主張することで不毛な抗争を招くことがニコニコ動画においてもしばしば散見される。
しかし、争うだけでいいのだろうか? 本当に争うことで自分のジャスティスを守れるのか?
争うことでしか守れないジャスティスとは何なのか?
そんな思いが、いつしか心にジャスティスを持つすべての人の心の中を去来していた。
そのとき、この言葉が天啓のように与えられたのである。
『みんなの幸せが俺たちのジャスティス』
単純な話である。しかし、単純ゆえに誰もが忘れていたことであった。
「自分のジャスティスを守るためには、相手のジャスティスを尊重しよう」
この単純な事実が、「正義とは何か?」という究極的問題に答えをもたらしたのだ。
「みんな」とはすべてである。「俺たち」とは俺たちである。俺たちがみんなを幸せにする。
その決意こそがこの世界に残された正義なのである。
結論
『みんなの幸せが俺たちのジャスティス』とは、言葉でしかない。力でも、未来でもない。
この世界においては、「幸せ」もまた衝突する。
「みんなが幸せでいられる世界」はまだ、大結界の向こう側にしかない。
しかし、俺たちが「みんなの幸せ」を望んだ時、そこには確かな「ジャスティス」が存在した。
それを忘れるわけにはいかない。
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関連項目
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