アニマル・レスリー単語

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アニマルレスリー
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アニマル・レスリー(Animal Lesley)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手タレントである。故人。

本名は「ブラッドリー・ジェイレスリー(Bradley Jay Lesley)」。

概要

1958年9月11日生まれ。アメリカ合衆国カリフォルニア州出身。

1978年MLBドラフトにて1巡(全体の9番)でシンシナティ・レッズ名され、契約マイナートレーニングを積み、1982年メジャーデビューデビュー戦ではファーストプレーしていた先輩内野手エラーした際に怒り狂ったことで、同僚たちから「まるで野獣のようなやつだ!」と言われ、以降「アニマル」というニックネームが付けられる。同年は28試合に登板し、2敗4セーブ防御率2.56という成績を残した。ただ、その後はなかなかメジャー舞台で活躍できず、1985年ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。メジャー勝利を挙げたが、5試合の登板防御率9.95とパッとしない成績に終わっている。

メジャー舞台きを放つことはできなかったが、ガッツ溢れるプレーハングリーを気に入った阪急ブレーブス上田利治監督が球団に獲得を打診。その後、上田監督自ら渡して交渉に当たり、獲得に乗り出した。1986年阪急ブレーブス契約。年俸はわずか3000万円という破格の安さであった。

1986年、開幕からピンチの場面で登板するリリーフエースとして活躍し、前半戦は26試合に登板して2勝15セーブ防御率1.42で完璧とも言える投球内容で相手チームを圧倒、オールスターゲームにも初出場を果たした。後半戦はやや失速したが、それでも42試合に登板し、5勝3敗19セーブ防御率2.63と好成績を残した。また、試合中に見せるパフォーマンスファンサービスの良さも評判となり、アニマル人気爆発同年阪急球団は創設50年にして初めて観客動員数100万人を突破している。

1987年、この年もリリーフを任されたが、球種の少なさを善しようと習得したスプリットにこだわりすぎ、直球の威が減少。開幕から精を欠き、8月には二軍行きを命じられるなど不調に陥ってしまう。その後も結局復調することく、18試合の登板で2勝2敗5セーブ防御率4.08という成績に終わり、同年限りで退団し、そのまま現役を引退した。

引退後は知名度を生かしタレントに転身。たけし軍団に入団し、「亜仁丸レスリー」という芸名で活動。風雲!たけし城レギュラー出演したり、映画ミスターベースボールに出演、カップヌードルCMで「HUNGRY?」とナレーションを務める等など、この他にも多数のテレビCMに出演。

その後は帰し、少年野球導者として活動していたようである。

2013年4月28日、腎不全により死去。享年54歳。

人物・エピソード

重くのある直球スライダー武器に強打者たちをねじせた阪急リリーフエース。一方で中軸打者相手には全で抑えるが、兵相手に痛打を浴びることもあるなど、ムラっけのある投手でもあった。

面がトレードマークであり、闘志を剥き出し、ときに雄叫びを上げるなど、全身を大きく使ったパフォーマンス人気を博した。女房役である藤田浩雅をどつく様子は当時の阪急名物であった。こういったパフォーマンスで繊細な自身の性格を隠し、自身を奮い立たせるために行っていたという。

歌唱が高く、ミュージシャンとしてもデビューしている。

大の親日でもあり、腎臓を悪くするまでは毎年のように来日していた。

通算成績

投手成績

通算:6年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 暴投 失点 自責点 防御率
MLB:4年 54 0 0 1 3 6 --- .250 72.1 29 46 1 33 31 3.86
NPB:2年 60 0 0 7 5 24 --- .583 69.0 33 58 2 29 23 3.00

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