オデッセイ(ゲーム機)単語

オデッセイ
3.9千文字の記事
  • 8
  • 0pt
掲示板へ

オデッセイ(Odyssey)とは、世界初の庭用据置テレビゲームである。

概要

ドイツ生まれのアメリカ人発明ラルフベア開発し、当時アメリカにおける大手家電メーカーだったマグナボックス社から1972年に発売された。

現代から見れば考えられない程の低性であったが、様々な工夫で性不足を補っていた。

価格は100ドルで、電は単2電池6本か別売りのACアダプタを使用する。

開発前史

1966年8月のとあるバス停で、ベアはふとこんなことをメモに書き留めた。

テレビで面くない番組を見ないためにはどうすれば良いか?

→そうだ、テレビゲームが出来るようにしよう

というテレビ局涙目アイデアを思いついたベアは、速「テレビに繋いでゲームが遊べる装置」の開発に取り掛かった。

それからベアとそのアシスタントによって数々の試作機が作られ、2年後の1968年、後のオデッセイプロトタイプである「ブラウンボックス」が完成した。ブラウンボックスはベアの作った7番の試作機にあたり、当初は「TV Game Unit #7(第7テレビゲーム装置)」と呼ばれていた。

ブラウンボックスはその名の通り色の木で、側面にゲームの数だけスイッチが配置されており、スイッチによってゲームが切り替わるシステムを有していた。ベア速この画期的な装置を持って電機メーカーに売り込みをかけた。

しかしメーカーの反応は冷たかった。それもそのはず、その当時「コンピュータゲーム」として知られていたものは「OXO」、「Tennis for Two」、「スペースウォー!」くらいしかなく、そのどれも大学研究所など限られた場所に置かれており、世間一般における「コンピュータゲーム」の知名度はまったくと言っていいほどい時代だったのだ。

困ったベアモデルガン改造したライトガン(光線銃)を使うゲームなどを追加。
それを持って再び売り込みをかけると、当時の大手電機メーカーであるマグナボックス社の副社長がこれにをつけた。
社長は会社に働きかけ、ブラウンボックスの商品化を決定。時は1971年、最初のアイデアから5年を経て、世界初のゲーム機オデッセイ」が誕生した間である。

余談だが、「オデッセイ」の名前の由来は映画2001年宇宙の旅(原題・・・2001: A Space Odyssey)」から。

詳細

現代の々から見ると、グラフィックからコントローラまで非常に独特なゲーム機となっている。

まずを引くのがまるで四UFOのような外観だが、これは前述の映画されたものであろう。

コントローラのような形状になっている。リセットボタンはある(本体にではなくコントローラに付いていた)が、十字キージョイスティックの類はなく、代わりにツマミが3つあり、これを使ってゲームを操作する。

コントローラの線は非常に太くて短いが、代わりにテレビの接続線が非常に長くなっており、基本的には本体を手元に近づけて遊ぶことになる。

遊ぶには同梱されている専用のカードが要る。一見するとROMカセットの類に見えるが、実はただの回路切り替えカードであり、ゲームプログラムは全て本体に入っている。当時はハードウェア内蔵の方が技術的に簡単だったのである。
カードは6枚同梱されており、A/B面合わせて12種類のゲームを遊ぶことが出来る。後に他ゲーム用の切り替えカードが別売で発売された。

そしてなんといっても特徴的なのが原始的すぎるグラフィック。何と2、3個のドットしか表示されない。

2、3個のドットしか表示されない大事なことなので二回言いました。現代ではまず考えられないグラフィックである。

もちろんこれだけのグラフィックでは「幾つものゲームが遊べる」ゲーム機としての体をなさない。そこでテレビ画面に「オーバーレイ」という、ゲーム内容に合わせた絵が描かれた静電気でくっつくフィルムシートを貼る。これをグラフィックの代わりとして用いるのである。

オーバーレイは各ゲームごとに用意されており、ご丁寧にテレビサイズに合わせて大小二つのシートが同梱されていた。
基本的にはテニスのようにボールラケットで遊ぶゲームであり、ゲームによって微妙に操作の仕様が異なる。
さらにカードチップも同梱されている。オデッセイスコア計算や時間の記録をすることが出来ないため、これらを用いてプレイヤー自身の手でスコア計算や時間の記録を行う。
現代におけるコンピュータゲームというより、「テレビを使って遊ぶボードゲーム」の方が正しいかもしれない。

他に特筆すべき事項として前述した光線銃が同梱されている。この開発にはまだテレビゲーム業界に参入する前の任天堂が関わっている。

発売とその売れ行き

オデッセイ発売にあたって、マグナボックスは発売の1年前から業界関係者に向けてアメリカ各地でプライベートショーを行い、往年の人気歌手であったフランク・シナトラまで起用して宣伝活動を行った。

その甲斐あってか発売後3年間で20万台を販売、とそれなりに成功したものの、家庭用ゲーム機を定着させるまでには至らなかった。

その理由としては、
(発売当時の)コンピュータゲームについての知名度の低さ
(当時からすれば)特殊な玩具であったので「マグナボックス社製のテレビじゃないと遊べない」という勘違いの流布
などが挙げられるが、やはり一番の理由は肝心のゲームがつまらなかったということであろう。

実際オデッセイプレイしたAVGNは下記の動画で「原始的どころじゃない。TVゲーム資格すらない」とまで述べている。しかしベアゲーム製作の才がなかったわけではないことはその後の歴史明しているように、当時の技術では表現がままならなかったというのが実情ではないだろうか。

ちなみに、オデッセイ日本では発売されていない。

ATARIとのいざこざ

オデッセイの発売が決定したのと同じ1971年、一人の男が失敗を経験していた。

彼の名はノーラン・ブッシュネル。彼はSyzygyという会社を作って「スペースウォー!」をモデルにした世界初のアーケードゲームコンピュータースペース」を開発したが、全く人気が振るわずゲームは失敗作の烙印を押されてしまった。

1972年ブッシュネルは「コンピュータースペース」販売元であるナッチング社の社長に呼ばれた。

オデッセイ」のプライベートショーがあるらしいからちょっと調べてこい

というを受けたブッシュネルオデッセイのプライベートショーに参加し、ナッチング社社長にこう報告した。

そんなに面ゲームじゃなかったッス

しかし他人の発明に心動かされるものがあったのだろう。オデッセイを契機にブッシュネルは新会社「ATARI」を設立。社員のアランアルコーンに「オデッセイテニスゲームみたいなゲームを作れ」とを下す。

しかしブッシュネルの説明がまずかったのか、アルコーン量か、それとも単なる偶然か、アルコーンが作ったゲームオデッセイテニスゲームとは似て非なる、それでいてゲームになっていた。

コンピュータゲーム歴史然とく最初のヒット作「PONG」の誕生である。

マグナボックス社が「PONG」のことを知ったのはオデッセイについての特許を申請した2週間後だった。
その時はベア自身が軽くリサーチをするに留まったものの、後に他社によるコピーゲーム製造問題が持ち上がり、1976年についにマグナボックス社がATARI含むコピーゲームメーカーを提訴した。

裁判は法定外和解という形で解決し、ATARIはマグナボックス社に特許料700,000ドルを支払うことになったが、ベアはこの特許料を「安い」とっている。しかし、なんだかんだでこの70万ドルが「オデッセイがマグナボックスに与えた最大の収益」であるとも言われている。
実は、オデッセイの売れ行きの裏には「PONG」も少なからず関係している。「PONG」が話題になった頃、オデッセイが「PONGの元になったゲーム」として取り上げられ、売り上げが増加。しかしそれでも爆発的なヒットには至らず、結局1974年を以って生産を終了している。

オデッセイ、マグナボックス、ラルフ・ベアのその後

マグナボックスはオデッセイの生産終了と時を同じくしてその民生機器部門をフィリップス社に売却、現在に至るもフィリップス社のブランド名の一つとして存続している。また、マグナボックスは他にも軍需企業としての一面を持っていたが、そちらは1995年にHughes Electronics社に買収され、現在はそのHughes社軍需部門と共にレイオンに買収された。

1978年フィリップス/マグナボックス社から次世代機「オデッセイ2」が発売される。キーボードを内蔵したホビーパソコンとして日本でも輸入販売され、その高価格から商業的には失敗したもののファミコン前の高級輸入ゲーム機の一を担った。

オデッセイは商業的成功を収めるまでには至らなかったものの、ラルフベアはこの経験をバネに一層ゲーム作りに励んだ。

そして1978年サイモンという記憶ゲーム開発し、爆発的なヒットを収めた。その後も積極的にゲーム玩具産業に携わり、2014年に死去するまで様々な賞を受賞。ゲーム開発の第一人者として歴史に名を刻むこととなった。

関連動画

関連商品

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 8
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

オデッセイ(ゲーム機)

9 ななしのよっしん
2014/12/09(火) 02:15:19 ID: gJqCjp3LaN
👍
高評価
0
👎
低評価
0
10 ななしのよっしん
2015/01/22(木) 18:36:44 ID: vpVN3umIGB
実際、TRPGオデッセイの後に生まれたからな(1974年ダンジョンズ&ドラゴンズ』)
コンピュータゲームより新しい発明なんだぜ
まあ、オデッセイ自身テレビを使って色々な種類が遊べるボードゲームという触れ込みで発売したのかもしれんし、今のゲーム機よりボードゲームの方に近いかもね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
11 ななしのよっしん
2015/02/23(月) 13:45:44 ID: 0EKHG1idkl
このテレビ局涙目な発想で各局は大打撃を受けて
現在必死ゲーム叩きをやって数字を取り戻そうとしてるよな
マスゴミ討論番組とかで
👍
高評価
0
👎
低評価
0
12 ななしのよっしん
2015/06/24(水) 04:30:32 ID: lfL8qNAcFm
この記事に出てくる名前がどれもこれもレジェンド級の偉人もとい偉ゲーばっかりですごい
👍
高評価
0
👎
低評価
0
13 ななしのよっしん
2018/01/21(日) 12:33:38 ID: 7rz6S7+Y8z
最初から内部に入ってるゲームを別売りのカードを買わないと遊べないのが、40年たってもアンロックDLCがあって変わってないように思える皮
👍
高評価
0
👎
低評価
0
14 ななしのよっしん
2019/04/07(日) 00:21:57 ID: cBn6QIyWUN
これマイクロプロセッサ内蔵してないんでしょ?「テレビゲーム機」ではあっても、「コンピュータゲーム機」ではない?
👍
高評価
0
👎
低評価
0
15 ななしのよっしん
2019/09/28(土) 13:01:18 ID: 2kGlLz8wsT
オデッセイ日本で発売されていないとありますが、レトロゲームサイトオデッセイによると発売されていたらしい(当時の新聞記事あり)たあります
どちらが本当なのでしょう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
16 ななしのよっしん
2020/11/18(水) 16:45:13 ID: Nha8uiRE02
アタリポンテニスじゃなくて「卓球」(英語テーブルテニス」)。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
17 ななしのよっしん
2021/06/11(金) 13:49:47 ID: Nha8uiRE02
>>15
フェイクストリートの一種の可性があるけど、事実だとしたら日本市場への導入は重要だよな。
追加検証かして欲しいよ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
18 ななしのよっしん
2023/01/29(日) 13:47:12 ID: F+VvbUH5tj
この時代にブラウン管で遊ぶって発想はなかなか凄いし、それを実現するのはもっと凄い。流石ゲームとしてはつまらないんだけど、ちゃんと後の開発者に与えてるからゲーム史の大事な1ページであることは変わらない。AVGNとかも今やったらリスペクトを織り交ぜた構成にするんじゃないかな...
👍
高評価
0
👎
低評価
0

ニコニコニューストピックス