コーチンとは、インドの地域。また、その地域に存在した王国である。
概要
中世にマラバール海岸に存在した王国である。別名、ペルンパダップ・スワルパム。
王国の登場は文書では現存せず、口頭での伝承の中に出てくるのみである。残存する中で最初に現れる文書では、伝説でチェラ朝のペルマルが彼の甥、もしくは息子へ王国を分配したことが始まりとされる。
欧州に確認される段階では、ポルトガルのインド来航時に、コーチン王国は中央ケララ地方の多くを支配していた。北はポンナニとプッカイタ、東はアナマラ、南はコーチンとポラッカドにまで伸長していた。エラナドのザモリンによってカルカタが征服されると、王国は宗主権を主張され始める。そのため、15世紀中は、中国の明朝によって介入され朝貢国となっていたようだ。
ポルトガルからペドロ・アルヴァレス・カブラルが来航すると、王国はポルトガルとの間に友好条約を結びこの条約に基づいて工場が建設された。ヴァスコ・ダ・ガマが来航するとエラナドのザモリンとは一悶着あったものの、ポルトガルの支援によって退けている。王国はポルトガルの支援を得て、玉座を維持し、ポルトガルもコーチ港を建設して、防衛のために周囲に要塞を建て、この地を香辛料輸出の拠点として利用した。
その後、同盟はオランダに引き継がれ、途中、マイソール王国の朝貢国となるも、後にイギリスのインド藩王国の一つとなって存続。イギリス統治時代にコーチ港は南アジアで最も安全な港にまで発展した。インドが独立すると、王国もインド連邦の一つに属し、行政地区の変遷を経てケーララ州となり現在に至る。
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