ゼニヤッタ(Zenyatta)とは、2004年生まれのアメリカの競走馬。牝馬として初のブリーダーズカップ・クラシック制覇などGI競走13勝を含むデビュー19連勝を飾った超名牝である。
馬名は別に金を配り歩いているわけではなく、馬主であるアメリカの音楽プロデューサーのジェリー・モス氏がプロデュースしたバンド「The Police」のアルバム「Zenyatta Mondatta」から。
概要
父Street Cry、母Vertigineux、母父Kris S.という血統。父ストリートクライは初年度からいきなりブリーダーズカップ・ジュヴェナイルの勝ち馬*ストリートセンスを出して2歳リーディングサイアーとなった大種牡馬、母ヴェルティジヌーは重賞未勝利だが既にGI3勝の半姉Balanceを産んでおり、母父クリスエスも世界各国で活躍馬を出した大種牡馬という結構な良血馬である。
しかしこう言えるのは今だからであり、ゼニヤッタがセリに出された時点では父の産駒も姉もまだデビューしていなかった。このため、6万ドル(約610万円)という結構お得な値段で馬主となるジェリー・モス氏に購買され、彼のレーシングマネージャーの夫であるジョン・シレフス調教師に預けられた。
3~4歳
ゼニヤッタは年度代表馬Alyshebaなどを手掛けたスティーヴ・ウィラード調教助手をしてデビュー前から「全てが優れた馬」「Ruffianの再来」と言わしめるほど素晴らしい肉体の持ち主だったが、見るからにデカい馬で(アメリカではレース前の検量がないため現役時の馬体重はわからないが推定540-550kgと言われており、もっと大きかったかもしれない)、食欲旺盛だったこともあって仕上がりが遅く、しかも軽度の故障を繰り返したために、デビューはなんと3歳の11月であった。3歳馬限定競走路線なんてとっくに終わっている(芝ならハリウッドダービーが12月にあるけど)。しかしこのデビュー戦では出遅れて最後方からになりながら外を捲って進出し、直線でドドドドドッと音が聞こえてきそうな迫力で抜け出して勝利する。ちなみに、彼女のレースはどれもこれも大体こんな感じである。
デビュー戦は12頭立ての5番人気と圧倒的な評価を受けていたわけではなかったが、2戦目の一般競走は1番人気に応えてレコード勝ちし、重賞を走ってすらいないにも関わらず実況から「スーパースターの登場」と称された。
その予感通り、ここから破竹の連勝が始まる。年明け初戦・キャリア3戦目のエルエンシノS(GII)で初重賞制覇。雨で調教が滞ったことにより予定のレースを使えないといったことはあったが、態勢を整えて4戦目のアップルブロッサムハンデキャップで初GI挑戦。生涯の主戦となるマイク・スミス騎手と初のコンビを組んで挑んだこのレースは前年の最優秀古馬牝馬*ジンジャーパンチらを相手に圧勝し、GI初制覇を挙げた。戦法はどれも判で押したように外から「ドドドドド」である。雄大すぎるほどの馬格を持て余したのか恐ろしく不器用かつスタートの悪い馬で、これ以外のレースが出来なかったようである。逆に言えばこんなに展開に左右されそうなレースをしておいて負けないのだから、他とはレベルが違ったのだろう。スミス騎手も「出遅れ癖? 他の馬なら別だけど、彼女にとっては問題じゃない。欠点なんてないんだよ」と評価するようになった。
続けて出走したミレイディハンデキャップ(GII)ではスタート直後に両側から体当たりされるという不利を受けながら2馬身半差で完勝。以降もヴァニティ招待ハンデキャップ(GI)を半馬身差、クレメント・L・ハーシュハンデキャップ(GII)を1馬身差でレコード勝ち、レディーズシークレットS(GI)を3馬身半差と連戦連勝を重ねた。
牝馬相手のレースを選んでいるとはいえ、接戦すら無い状態で無敗の8連勝。不動の大本命としてブリーダーズカップ・レディーズクラシックへと向かう。ここでは*ジンジャーパンチに加えてスピンスターS(GI)を7馬身3/4差で圧勝したCarriage Trail、チリから移籍して早速ベルデイムS(GI)を勝ったCocoa Beach、当年GI3勝のMusic Noteなど、かなり面子が揃っていたのだが、ここでもまったく同じ「ドドドドド」で4角先頭から1馬身半差押し切り、「クソ強ぇ」以外に表現のしようが無いレースで完勝。Personal Ensign以来20年ぶり史上2頭目となる無敗での同競走制覇を達成し、この年7戦全勝でシーズンを締めくくった。
シーズン終了後、大衆の人気をさらったゼニヤッタは地元となるハリウッドパーク競馬場の開催最終日にお披露目イベントが開催され、この年の活躍を称えるセレモニーが行われた。
オールウェザー
ところで、ゼニヤッタにとって幸いだったこととして、彼女が主戦場とする西海岸の競馬場が、彼女の現役時代にオールウェザー馬場を導入していたことが関係しているとも思われる。アメリカの競馬は主にダートトラックで行われるが、アメリカのダートは砂を敷いた日本のそれとは全く異なる粘土質の赤土のトラックで、芝コース並に速い時計が出る上に先行馬が止まらない。おまけにアメリカの競馬場はそのほとんどが1周1600メートルくらいの小回りで直線は300メートルあるかないか。こういう競馬場で強い馬を決めるとなると、有利になるのはもちろん快速に任せてガーッと前に行って最後まで止まらない馬。ゼニヤッタみたいにスタートをモソモソ出て直線勝負なんて馬は本来お呼びじゃないはずなのだ[1]。
しかしこのダート馬場、想像するだに馬の足に悪そうだし、アメリカは基本雨は少ない冬は暖かいと言っても、雨が降ったり霜が降りたりすればたちまちトラックはメチャクチャになって開催自体危なくなる。そんな問題を解決しなきゃと導入されたのが「馬の足にやさしい、どんな天気でも開催できてメンテナンスも簡単」という触れ込みのオールウェザートラックで、これが導入された競馬場ではこれまでと一転、先行馬が止まりやすくなり、差しや追い込みも決まりやすくなった。ゼニヤッタはダートトラックでも勝っているのでオールウェザーでなければ活躍できなかったということはないが、ダートだけで走っていれば無敗の連勝を続けられたかはわからないかもしれない。それでも負けることのほうが少なかっただろうが。
余談ながらこのオールウェザートラック、確かに骨折などの重篤な故障はダートに比べて統計的に有意に減ったものの、炎天下の西海岸でほったらかしにしておいてコンディションを維持できるほどタフではなく劣化してしまい、当初期待された雨や霜への効果としては思ったほどではなかった。また、競馬の質が変わってしまうことも保守的な競馬人にはあまり好評ではなかったようで、ゼニヤッタが引退した後にどんどんダートに回帰してしまっている。確かにダートの一流馬がオールウェザーで惨敗するのを見るのはショックだし、馬場がオールウェザーだからという理由で他の競馬場に所属する一流馬がレースを回避するようになっては興行的にもつまらないが、ゼニヤッタの時代とオールウェザーの時代が重なったことについては、後世の競馬史家の議論の対象になるかもしれない。まあ、いくら差し追い込みが決まると言っても小回りの競馬場で追い込み一辺倒で無敗の連勝を続けることは偉業だ、というのはそうそう動くものではないだろう。
5歳
閑話休題、ゼニヤッタは5歳になっても現役を続行し、5月のミレイディハンデキャップ(GII)、6月のヴァニティハンデキャップ(GI)を連勝。GIに昇格したクレメント・L・ハーシュSではいつもよりも輪をかけて行きっぷりが悪く、フランスからの移籍馬Anabaa's Creationに粘られるところだったが頭一つ差し切って何とか勝利し、レディーズシークレットS(GI)をノーステッキで勝利。出遅れに磨きを掛けて平然と出遅れて、ガーッと捲って、ドドドドドって追い込んで、ぶっこ抜いて勝利。こればっかり。デカい上に白いシャドーロール。シンボリみたいな緑の勝負服で大外にいるのだから一目で分かる。
なにしろ、こんなに強いのにゼニヤッタは牝馬ばかり相手にして牡馬との混合戦に出走しようとしないのだ。いじめられまくった牝馬たちはゼニヤッタが来ると「いい加減にしろ」とばかりにレースを回避してしまうようになり、GIが6~7頭立てで行われるようになってしまう。
ただ、だからといってレースが飽きられたりアンチが湧いて出てきたかといえばさにあらず、この頃には、競馬ファンを超えて知名度と人気を獲得するようになっていた。他の馬を圧倒するようなデカイ馬体と、豪快なレースぶりなどがアメリカ人の好みに強烈にマッチしたのだろう。競馬場にはプロレスラーにするかのように「GIRL'S POWER / GO ZENYATTA!」と大書されたボードを掲げる熱烈なファンが多数押し寄せるまでになっていた(なお、英語の「girl」は日本語の「少女」という意味「も」あるがそれに限らず、より幅広い女性の概念を含む)。
かねてからマスメディアからも「牡馬相手に戦え」などという圧があったというのも影響したのか、レディーズシークレットSで13連勝を挙げた後、本拠地サンタアニタ競馬場での開催となったブリーダーズカップ・クラシックに出走。遂に一線級の牡馬相手にレースをすることになる。メンバーにはGI連勝中の欧州馬Rip Van Winkle、ベルモントSなどGI3勝の3歳馬*サマーバードなどが揃い、ゼニヤッタは1番人気とは言っても1倍台が当たり前だった今までと比べてかなり高い単勝3.8倍となった。
スタートで後手を踏み、流石に苦しいレース展開となったゼニヤッタ。直線を向いても中団内に包囲されており、「ああ、これは駄目か」と思わせたが、そこから何が何でもという感じで大外に持ち出すと、いつも通りのド迫力なフットワークでドドドドドと追い込んで優勝。Personal Ensignの記録を上回るデビュー14連勝を達成するとともに同競走史上初となる「牝馬の制覇」「無敗制覇」、そしてこれまた史上初の「ブリーダーズカップ2種類制覇」という大記録を打ち立て、「連勝は牝馬相手だったから」と舐めていたファンに「いやいや、やっぱり桁違いに強いぞこの馬!」というところを見せ付けたのだった。
ゼニヤッタはここで引退。時のカリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーまで呼んで引退式をやって、後は牧場に出発するだけ……だったはずなのだが、「気晴らしのため」と言いながら調教が続行されるなど怪しい挙動が見られた。そして年明け早々、「引退すると言ったな、アレは嘘だ」とばかりに突如復帰が発表され、全米が唖然とした。理由についてはモス氏曰く「ゼニヤッタの引退発表で厩舎に暗い雰囲気が漂い、またシレフス師ももう1年なら現役を続行できると判断した」というのが大きいようである。
ところでこの年の3歳牝馬には、ケンタッキーオークスを勝ち、プリークネスSを牝馬として85年ぶりに優勝するなどGI5勝を挙げて年度代表馬の座を掻っ攫ったRachel Alexandraがいた。ゼニヤッタの現役続行により、この2頭の対決は当然アメリカ競馬ファン、ひいてはホースマンたちの期待をも集めることとなった。ただし、レイチェルのオーナーは「化学合成物質の上を走らせるなんて馬に良いわけないだろう」という考えの持ち主で(良い悪い、正しい間違いではなく、こうした考え自体は生き物を保有するオーナーとしてはあっておかしいものではない)、レイチェル自体の調子にはなんの問題もないのにこの年のブリーダーズカップの回避を早々に決めており、両者の直接対決はダートトラックでしか行われないだろうという見方が支配的であった、
6歳
ゼニヤッタの現役続行を受け、かつてゼニヤッタが制したアップルブロッサムハンデキャップを開催するオークローンパーク競馬場は、このレースを1年限りの「アップルブロッサム招待S」とし、
- 賞金総額10倍(ただしゼニヤッタかレイチェルどちらかが欠けたら例年通り)
- ハンデ戦から定量戦に変更(ただしゼニヤッタかレイチェルどちらかが欠けたら別定戦)
- 距離を0.5ハロン延長して9ハロンに、開催日も調整期間を設けるため平年より1週間遅れに変更
と、ゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラの直接対決のために色々条件を整えた。競馬場のロケーションはアーカンソー州と両陣営の中間にあり、トラックはレイチェル陣営が拒絶する理由のないダートで、ゼニヤッタも過去に唯一出走し勝利した経験のあるダートコースと、外的環境の面では限りなく中立に近い。競走距離についても、識者の見立てでは「8.5ハロンならレイチェルが上、10ハロンならゼニヤッタが上だろう」が大勢を占めており、9ハロンの距離設定はこの点でも絶妙と言えた。両陣営ともこれに出走意思を示し、いよいよ決戦が視野に入ってきた。そしてゼニヤッタは復帰初戦のサンタマルガリータ招待ハンデキャップ(GI)を1馬身1/4差で勝利した。
ところが、ここまでお膳立てが整っていたにも関わらず、なんとRachel Alexandraが前哨戦で敗れたことを理由にアップルブロッサム招待Sを回避。世界の競馬史に残るであろう一大決戦のチャンスをフイにした主催者の落胆は察するに余りある。ダート戦ではあってもRachel Alexandra不在のメンバーではゼニヤッタの敗北は想像し難く、結局単勝1.05倍に支持され、これを4馬身1/4差で圧勝して連勝を16に伸ばした。
あんまり強すぎる馬には斤量を積むのが競馬の習いである。ゼニヤッタもレースによっては他の馬より4kg以上重い129ポンド(約58.5kg)という酷量を積まれたが、それでも負けることはなかった。スローペースで展開が向かなくても根性で競り勝った。不器用なレースしか出来ない馬なのにとにかく負けないのである。競馬の常識的にあんな馬ありえないと思える強さである。
6歳3戦目のヴァニティハンデキャップ(GI)では129ポンドの斤量が祟って苦戦を強いられたが半馬身差で勝利して連勝を17に伸ばし、CitationやCigarの持っていた16連勝の北米記録を更新。クレメント・L・ハーシュS(GI)ではRintervalの超スロー逃げに手こずらされたが、なんとかこれをクビ差で下して3連覇を挙げ、GI8連続出走8連勝という世界新記録を樹立した。
続けて、一旦「ゼニヤッタS」に改名されることが決まったものの引退撤回で元の鞘に収まったレディーズシークレットS(GI)に出走し、単勝1.1倍の圧倒的人気に応えて半馬身差で勝利。GI13勝目・デビュー19連勝を挙げ、Bayakoaが持っていた北米における牝馬のGI勝利数記録を更新した。
そして、Tiznow以来2頭目の連覇がかかる2010年ブリーダーズカップ・クラシックに挑戦。前年から2年連続で出走した馬はゼニヤッタだけだったが、2歳時にブリーダーズカップ・ジュヴェナイルで2着となり、3歳時にプリークネスSを勝って最優秀2歳牡馬・最優秀3歳牡馬を連続で受賞したLookin at Luckyや、GI2勝を含む5連勝を挙げ、前走ジョッキークラブゴールドカップでも2着に入っていたBlameなど、いずれ劣らぬ好メンバーが揃った。他にはこの年GI3勝のQuality Roadや、日本から挑戦していたエスポワールシチーも出走していた。ゼニヤッタにとってダートトラックで牡馬と戦うのはこれが初めてである。
レースではパドックでフラッシュを焚かれまくったのが影響したのかゲートの出が悪く、いつも以上に離れた最後方を進行。3コーナーから徐々にポジションを上げると、いつも通り大外から安心と信頼の豪快な追い込みを掛けた。しかし、このレースは先に抜け出したBlameが強かった。ゼニヤッタの迫力にも怯まずに更に伸びる。勢いは完全にゼニヤッタの方にあったのだが、アタマ差を詰め切る前にゴールが来てしまった。
20連勝ならず。チャーチルダウンズ競馬場は騒然となり、マイク・スミス騎手は天を仰いだ。しかし、負けてなお強しという言葉が相応しい好レースだったと言えよう。オールウェザーよりもさらに先行馬に有利なダートトラックで、一流牡馬相手にいつもと同じ「ドドドドド」でこの大接戦なのだから。
ゼニヤッタは今度こそ引退した。19連勝の北米タイ記録は2011年にRapid Reduxに破られたが、それでも20世紀以降の大競走の勝ち馬としては今なお最多[2]である。牝馬相手のレースが多いが、ブリーダーズカップ・クラシックの勝ちが燦然と輝く限り、その価値が貶められる事は無いだろう。最後の1敗があまりに惜しいが、アメリカの名馬はMan o' War、Native Dancerなどのように一度だけ負けを記録するきらいがあるので何とも言えないところである。
ちなみに、ゼニヤッタは4~6歳時にかけて最優秀古馬牝馬を3年連続で受賞したが、年度代表馬に選ばれたのは意外にも引退した2010年だけである[3]。しかし、デイリー・レーシング・フォーム紙における「2010年の年度代表馬に相応しい馬」の大衆向けアンケートで87%という圧倒的な票を集めたように、2000年代末期にもっとも世界を沸かせた名馬であったと言っても過言ではないだろう。
全米サラブレッド競馬協会主催の「Moment of the Year」では4~6歳時の3年連続で本馬が出走したブリーダーズカップが選出され、ファンを最も沸かせた馬への賞として2010年から創設された「Secretariat Vox Populi Award」の初代受賞馬ともなっている。2011年3月には競馬界に多大な貢献を残した者を表彰するウィリアム・H・メイ賞を馬として初めて受賞し、2012年からはレディーズシークレットSが改めてゼニヤッタSに改名された。2016年にはRachel Alexandraともども米国競馬殿堂入りも果たしている。
ゼニヤッタはこのようにとにかく物凄い人気を得た馬だが、その評価は競馬界に留まらない。AP通信は2009・2010年の「今年を代表する女性アスリート」でゼニヤッタを2年続けて第2位に選出した。2009年の1位はテニスのセリーナ・ウィリアムズ、2010年の1位はアルペンスキーのリンゼイ・ボンである。日本で言うなら、1位浅田真央に続けて2位にウオッカが選ばれるようなものである。馬のくせにビールが大好きだというおばちゃんみたいな豪快なところからか、特に女性から人気があったそうである。
欲を言えば、もっと積極的に海外遠征をしてくれていればなぁと思わなくもない。まあ、馬主がアラブの王族級の大金持ちなわけじゃないから仕方が無いところもあろう。約束通りに外から追い込んでくるそのレースっぷりは日本のディープインパクトに似ているが、迫力で言えば図体の大きいゼニヤッタの方が勝るかもしれない。ドドドドドドッと地響きを立てていそうな追い込みを是非ナマで見たかったものである。
繁殖初年度は無事にBernardiniの牡馬を出産し、以後も大事なく繁殖牝馬として供用されていた。受胎も子出しも問題はなさそうでなにより。放牧中の事故や病により夭折する産駒も目立ち、健康に育っても母譲りの大きな馬体で全く仕上がらない産駒が多いのだが、いつの日か子供にもトラックを沸かせてもらいたいものである。
2023年にWar Frontの牝馬を出産し、繁殖を引退。以後は功労馬として余生を過ごす予定とのこと。
血統表
Street Cry 1998 黒鹿毛 |
Machiavellian 1987 黒鹿毛 |
Mr. Prospector | Raise a Native |
Gold Digger | |||
Coup de Folie | Halo | ||
Raise the Standard | |||
Helen Street 1982 鹿毛 |
Troy | Petingo | |
La Milo | |||
Waterway | Riverman | ||
Boulevard | |||
Vertigineux 1995 黒鹿毛 FNo.4-r |
Kris S. 1977 黒鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason |
Bramalea | |||
Sharp Queen | Princequillo | ||
Bridgework | |||
For the Flag 1978 鹿毛 |
Forli | Aristophanes | |
Trevisa | |||
In the Offing | Hoist the Flag | ||
Mrs. Peterkin |
クロス:Hail to Reason 4×5、Hoist the Flag 4×5、Nashua 5×5
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関連項目
脚注
- *芝競馬はどうなんだというと、この小回りのダートのさらに内側にコースがあるので、ほとんど日本の地方競馬場くらいの大きさである。アメリカの芝競馬は格も施行されているコースも日本のダート競馬と思って差し支えない。
- *19世紀以前では、第1回トラヴァーズSなどを制したKentuckyが20連勝した例がある。
- *4歳時(2008年)の年度代表馬はドバイワールドカップなど7戦5勝のCurlin、5歳時(2009年)は先述の通りRachel Alexandra。
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