ダリオ・アルジェント (Dario Argento) は、イタリアの映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。
概要
1940年9月7日、ローマに生を享ける。父サルヴァトーレ・アルジェントは映画プロデューサー、母エルダ・ルクサルドはカメラマンで、幼い頃から映画に親しみ、当然のようにその道に進んだ。
妻(正確にはパートナー)は女優のダリア・ニコロディ。娘のフィオーレ・アルジェント、アーシア・アルジェントも女優・監督として活動している。
「決して一人では見ないでください」のキャッチコピーで知られる『サスペリア』や『インフェルノ』、『フェノミナ』等、70~80年代の有名なオカルト・ホラー映画を手掛けた。
78年にはジョージ・A・ロメロが監督を務めた名作『ゾンビ (Dawn of the dead)』やランベルト・バーヴァ監督の『デモンズ(1&2)』の製作にも携わってきた業績で知られるが、同時にイタリアにおけるサスペンス映画「ジャーロ(Giallo)」と呼ばれるジャンルの作品を多く手がけている。
70年のデビュー作である『歓びの毒牙』をはじめとして『サスペリアPART2・紅い深淵』『シャドー』 『スタンダール・シンドローム』 、2009年にはタイトルそのままのサスペンス『ジャーロ』の監督を務めている。
オペラ愛好家でもあり、『オペラ座/血の喝采』ではヴェルディの「マクベス」を題材としたが、2013年にオペラ演出家として同作を上演。ダリオの真骨頂とも言うべき鮮血の美学を体現し、好評を博した。
2015年にはドニゼッティの「ランメルモールのルチア」を上演し、こちらも高く評価されている。
ジャーロ映画とは
いわゆる推理サスペンスの体裁をとってはいるが、どちらかと言えば映像美に重きを置いた作品の事。
凝ったカメラワークと音楽、主人公や被害者となる女性の(あんまり必要性がないが)美しい裸体、長く引き伸ばされた殺人シーン、鮮やかな血しぶき。犯人は黒皮の手袋を嵌め、凶器となる銀のナイフを握り締め、その表情は仮面やカメラワークで巧みに隠されているのだ。
ダリオはこういったヴィジュアル寄りの演出を得意とし、その中でも特に『恐怖や惨劇の最中にありながらも女性を美しく撮る』才能に長けた監督である。だがその反面で、緻密なトリックやストーリーの整合性に比重をあまり置かないフシがあるようだ。
熱心なファンの間でも良作とそうでない作品の評価に大きく差が出る監督である為、各作品の視聴は自己責任で。
TIPS
- ダリオ作品に欠かせないのが、イタリアのプログレッシヴ・ロック・バンドのGoblinの音楽。それまで無名の彼等だったが、ダリオ・アルジェントに見出されてサントラの世界に入り、注目を集めた。バンド内で作曲を手掛けるクラウディオ・シモネッティ(Key)は、Goblin脱退後に結成した新バンドDAEMONIAで、ダリオへの恩返しとも言えるトリビュート・アルバム『DARIO ARGENTO TRIBUTE』を発表している。
- “ゾンビ映画の父”ジョージ・A・ロメロの才能を見出したのもダリオである。上記の『ゾンビ』に続き、『死霊のえじき』も共同出資で製作する予定だったが、当時の米ドル高騰で資金提供が出来なくなってしまったというエピソードは有名。
その後も親交は続いており、ロメロが監督した『ランド・オブ・ザ・デッド (Land of the dead)』にはダリオの娘・アーシアがヒロインのスラック役で出演。2017年7月にロメロが亡くなった時は哀悼のコメントを発した。 - 同郷であり同じホラー映画監督でもあるルチオ・フルチとは、一時期険悪な関係に陥っていたようだ。ルチオの監督した『サンゲリア』に対して、ダリオが「サンゲリアは『ゾンビ』のパクリ」と痛烈に批判したのがきっかけ。ルチオも「闇雲にパクリ認定すんな信者乙」とばかりに対抗し、不毛な煽り合戦に突入。とは言っても、互いに顔を合わせたわけでもなく、もっぱらインタビューや手紙での応酬が主だった。
ふたりの関係がようやく修繕されたのは、ルチオの死の2年前。病で体調を崩し、それでも車椅子でローマの映画祭に参加したルチオに対し、ダリオは自ら初対面の彼に声をかけ、共同で映画を作る事を約束しあう。これが1997年の『肉の蝋人形』である…。
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