テセウスの船とは、以下のものを指す。
提起
ギリシア神話に登場するアテナイの英雄テセウス(テーセウス)は、クレタ島の怪物ミノタウロス(ミーノータウロス)を倒した後、クレタ島から船でアテナイに凱旋したという。
その船は記念として、その後長い間アテナイにて保存されていた。だんだん船の建材は朽ちていくため、朽ちた部分は少しずつ新しい建材に置き換えられていった。
そしてついに、元の建材は一つもなくなり、全て新しい建材に置き換えられた。
概要
歴史的には、哲学者プルタルコスによって紀元1世紀に書かれたとされる、テセウスに関する文書の中で既に登場している話である[1]。
「元の建材が全部ないのだから新しい建材で作ったのは違う船。同じ船と呼べるのは元の建材を組み直して建てた方。」とも言えるし、「テセウスの船として飾られてることには変わりないんだから同じ船」とも言えてしまう。どちらが正しいのか?というパラドックスなわけだが、他にも様々な解答は可能である。
たとえば単純な解答は「それは「同じ」の定義による」というもの。「入れ替わった建材に着目すれば違う船だけど、「テセウスの船として記念に保存されている船」という部分に着目すれば同じ船。つまり「同じ」をどう定義するかによってその船が「同じ」と言えるかは変化する」といったものなど。
ちなみに「少しずつ構成要素が変わっていって、遂にはそっくり入れ替わるもの」は割とありふれている。例えば「芸能グループ」「スポーツチーム」「老舗企業」「日本国民」の構成員。どれも長く続けば、徐々にメンバーが入れ替わり、ついには昔のメンバーは全員不在となるだろう。
ニコニコ動画も当初存在した機能がリニューアルによって入れ替わりつつある。flashがhtml5になったり、ニコニコムービーメーカーでアップロードできなくなったり、ニコるが良いねになったり、ログイン無しで見られる動画が出てきたり、使われてるのかどうか分からないニコニコ市場が終了してデッドリンクになっていたり、エコノミーモードが廃止になったりしている。
「同じ」の種類
- 目的が同じ:船として同じ目的(行き先、機能)が同じであれば同じ船と呼べる。
- 状態が同じ:材質(木材)が同じであれば同じ船と呼べる。
- 形状が同じ:デザインが同じであれば同じ船と呼べる。
- 所有が同じ:船の名義(法律などの制度面)が同じであれば同じ船と呼べる。
- 時系列が同じ:同じ場所に一定期間あるなど時間経過が追えれば同じ船と呼べる。
- 質が同じ:同じ船はただこの一つしかない[2]。
アレンジ版
あなたは長生きして、年老いて、脳細胞が徐々に衰え始めた。このままではだんだんと脳の機能が失われていってしまうらしい。
しかし進んだ医学により、衰えて死んでいく脳細胞を、完全に機能を代替する「新しい脳細胞」で少しずつ補充していく治療が可能になったという(注:この話はフィクションです)。
この治療を受け始めることにしたあなたは、そのおかげでその後も長い間元気に暮らしていた。
そんなある日、あなたが健康診断を受けたとき、医者からこんなことを言われた。
「あなたの脳は100%「新しい脳細胞」に置き換わっていますね。生まれつきの脳細胞はもう残っていません」
あなたの人格は何も変わっていないし、子供の頃の思い出もしっかり思い出せる。それは置き換えていった「新しい脳細胞」が、衰えて死んでいった元の脳細胞と全く同じように働いてくれているためだ。
しかし、脳を構成する材料は完全に置き換わってしまっているわけだ。
今のあなたは、昔のあなたと同じ人間だと言えるだろうか?
テセウスの船になりがちな身近な?物とか
当初は安い低スペックな構成で組むも「性能が足りないからパーツ交換するか~」となってメモリやHDD・SSDなどを増設・交換する。そのうちゲーム性能が足りないからグラボを変え、電源が足りないから大容量の物に変え、ケースが入らないから大きいサイズのケースに変え、最新のCPUを搭載したいから調べたら今のマザーボードでは対応できないのでマザーボードも変えた。そしたらメモリも新規格になっていたのでメモリも交換になってしまった・・・。こうして初めて組み立てた頃と全く違う「テセウスの船」な自作PCが出来上がるというのは割とよくあることである。但し初めて作った時と明らかに性能が変わって新バージョンの機能にも対応しているので「同じPC」と言い難いかもしれない。
ちなみにOSのプロダクトキーはマザーボードが変わったタイミングで「違うPC」と認識するようだが、最近のPCはマザーボードが変わっても普通に起動する。
みなさんが身近に利用している電車でもテセウスの船な車両は存在する。例えば京阪1000系の導入は1977年だがかつては足回り(走行装置)を流用し車体を新しく作った700系がルーツだと言われている。この700系の流用前の形式が1000型であり、戦時中の1937年まで遡ることが出来る。この車両は高速走行を行うため流線型を取り入れた車両だったが陳腐化が激しかったので1970年に引退しようとしていた。一方その頃高度経済成長期で増え続ける通勤通学需要に対応するため通勤車両を大量に導入する必要に迫られ、この車両の足回りを流用し車体を新設計した700系が1967年から4年間にわたり導入された。その後走るために電気を取り入れる架線の電圧を600Vから1500Vに昇圧する際、足回りが昇圧に耐えられなかったこと、また老朽化が激しかったこともあり今度は車体を流用し足回りだけを新製することになり2代目京阪1000系が誕生したと言われる。同様の車両は相模鉄道にも相鉄5000系という車両が2009年まで存在した。他にも事業用車などでこういった車両が幾つか存在する。但しこれらのケースも新製時と車両の内装外装も車両の走行性能も大幅に変わっているため同じ車両とは言い難いかもしれない。
参考文献
関連動画
関連静画
関連項目
脚注
- *「The ship wherein Theseus and the youth of Athens returned had thirty oars, and was preserved by the Athenians down even to the time of Demetrius Phalereus, for they took away the old planks as they decayed, putting in new and stronger timber in their place, insomuch that this ship became a standing example among the philosophers, for the logical question of things that grow; one side holding that the ship remained the same, and the other contending that it was not the same.」The Internet Classics Archive | Theseus by Plutarchより。
- *北村,2017,p70-71
- 26
- 0pt