デヴィ・スカルノとは、文化人(セレブ)であり、タレントである。日本ではデヴィ夫人と言ったら彼女のことを指す。
本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
概要
旧名からおわかりの通り、元々は日本人。ちょっとだけ女優活動をした後に東京都立三田高等学校定時制部を中退、家計のために高級クラブ「コパカバーナ」で働く。そして、「東日貿易の秘書」として、スカルノ大統領のもとに送り込まれたのが馴れ初めであった。当初は単なる愛人の一人だったが、勤勉な態度が認められて結婚、第三夫人となる。第三夫人としてインドネシアへの経済援助(ODA)や、日本への資源輸出などに積極的に関わった。
クーデター後は日本の病院で長女を出産、フランスへ亡命。このときに多くのロマンスを経験したが再婚はしなかった。そのロマンスのお相手の中には本郷功次郎や津川雅彦もいた。夫の死後は社交界で「東洋の真珠」と呼ばれ、外交的な立場が無かったものの、人々を魅了したという。1991年にニューヨークへ移住、そして日本へ帰国してからは現在に至る。NPO法人アースエイドソサエティ総裁や株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役も行いながら、日本で芸能活動、及びチャリティーパーティ開催などを行っている。
思想的にはやや右寄りだが夫を通じて親交があったこともあり、北朝鮮関係のコメントに関しては擁護側に回る。
エピソード
- 実は元・料理の天災。「愛のエプロン」で半年振りに包丁を握って作った鮭のムニエルは試食者にダメージを与え、自身が味見したら「マズイ」と本音を漏らす。この事が相当悔しかったのか、後に服部栄養専門学校に通い始め、人並みに料理が出来るようになるまでに成長した。もし、このときに自分の腕を妄信していたりしたらどうなっていただろうか・・・。今なら夫人の料理を食べたいという人もいるらしい。
- 「クイズ$ミリオネア」でミリオネアになった芸能人第一号は何を隠そう、この人だったりする。しかも、自身にとっては初の「クイズ番組優勝&1000万円獲得」だった。
- ミニー・オスメニャをワイングラスで殴った為に逮捕、実刑判決を喰らった。これは以下のやり取りで仲が悪くなったためである。どうやらこの時は日本人特有の包み隠すことを忘れたようである。
ミニー「私、フィリピンの副大統領になりたいんですの」
デヴィ「あ、あらそうなの・・・(プククッ)」
ミニー「(てめぇ、今笑ったろ)」 - 著書『デヴィのチョット一言よろしいかしら?』を酒井政利が批判したことをきっかけに、ワイドショーは彼らの舌戦をこれでもかというくらいに取り上げた。そして、「パラサイト」という言葉が流行語大賞に選ばれた。
- YouTubeにて遊戯王OCGのプレイ動画を披露し、デビュー戦で勝利。「カードはそれぞれ役目がある」と発言。
関連動画
関連項目
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