トキワ荘とは、東京都豊島区椎名町(現南長崎)に存在した木造アパート。
入居した若手が後に日本を代表する漫画家になったため、『漫画の聖地』と言われるようになった。
入居者
- 藤本弘(後の 藤子・F・不二雄)
- 安孫子素雄(後の藤子不二雄Ⓐ)
- 赤塚不二夫
- 石森章太郎(後の石ノ森章太郎)
- 手塚治虫
- 寺田ヒロオ・・・「スポーツマン金太郎」などのスポーツ漫画で有名で自身も社会人野球で活躍していた。野球漫画において試合のシーンで実況を入れたパイオニアである。トキワ荘での兄貴分でもあった。
- 鈴木伸一(アニメーター、アニメ監督。ラーメン大好き小池さんのモデル)
- 森安直哉(のちの森安なおや)・・・トキワ荘一の問題児。
- 水野英子・・・トキワ荘の漫画家の紅一点。かつて少女漫画で当たり前のように行われていた「瞳の中に星を描き入れて瞳をキラキラさせる」手法の開発者。赤塚不二夫、石ノ森章太郎と「U・マイア」のPNで共作している。
- よこたとくお・・・当初は「マーガレットちゃん」といったギャグ漫画を描いていたが、石ノ森章太郎の誘いを受けて学習漫画の世界に入り、学研ひみつシリーズなどで知られる。世間での知名度は高くはないものの、学習漫画の世界ではかなり有名で、巨匠内山安二に次ぐぐらい。トキワ荘の生き証人であった。香ばしい漫画も描いてたけど。
- 山内ジョージ
- つげ義春・・・「ねじ式」で知られる漫画家。はるき悦巳、ゆうきまさみ、安永航一郎など影響を受けた漫画家は少なくない。ギャグ漫画の非日常的なシュールな描写はほとんどつげのインスパイアといわれるほどだが、人情漫画もお手の物で、影響を受けた漫画家は数知れず。なお、温泉評論家としても名高かったりそしており、特に東北の秘湯をこよなく愛した。
出入りしていた漫画家
概要
1950年代、『漫画少年』等を発行していた学童社が、当時の若手漫画家達を入居させた。
入居者に超豪華なメンバーが揃ったのは、当時漫画界にアシスタント制度がまだ無かったため漫画家同士が同じアパートに住めば仕事が楽になると考えたのと、寺田ヒロオがトキワ荘を漫画界の梁山泊のようにしようとしたのと、手塚治虫のファンが続々と集まってきた理由などが奇跡的に組み合わさったためである。
家賃は1か月3千円、敷金3万円、礼金3千円。
漫画を描く事が不良的行為と見られた当時としては、周りが漫画家や出版社だけという環境は、
作品作りに打ち込める、最高の環境だったと言える。トキワ荘に集う漫画家達によってジャンルを越えて漫画について語る・研鑽する集団『新漫画党』が結成された事も有名。
藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画「まんが道」でトキワ荘が描かれたのを皮切りに、「トキワ荘」という存在が一般の読者にも広く知られるようになった。
同じ道を志した者が集い生活している・していた場所は時に〇〇のトキワ荘と例えられる事もある。トキワ荘の名称は寺田の理想であった梁山泊とほぼ同じ意味を持つ言葉になったのは間違いない。漫画界ならびに他の業界ではトキワ荘のような同様の場所がいくつか存在していたがここでは割愛する。
また、漫画などの作品(スケットダンス、トキワ来たれり!など)内の世界にもトキワ荘を連想させる名前の建物などが登場しており、今なお影響力が残っていることが伺える。
取り壊し・消滅、そして復元
太平洋戦争後の混乱期に建設されたトキワ荘も築30年が経ち老朽化が進んだため、1982年11月29日に解体された。
この際にかつて入居していた漫画家たちがほぼトキワ荘に集結して同窓会を行い、トキワ荘の襖に寄せ書きを残している。この模様は「NHK特集(現:NHKスペシャル)」の中で取り上げられており、 現在も見ることができる。
1984年に新築され、赤塚不二夫のイラストによる看板も設置された。しかし、1980年代後半に起こったバブル景気の地上げ騒動に巻き込まれ新トキワ荘も姿を消してしまう。トキワ荘があった付近には記念碑が後に建てられている。
2020年、実際にトキワ荘が建っていた場所からは少し離れた豊島区率南長崎花咲公園にトキワ荘を模した豊島区立トキワ荘マンガミュージアムが開館。漫画関連の企画展の他、2階には漫画家たちが入居していた当時の内装も再現され展示・体験コーナーも設けられている。
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関連項目
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