フェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso,1981-)とは、眉毛である。マクラーレン・ホンダに所属するスペイン人F1ドライバーである。愛称は眉毛、アロ、フェルナンドなど。
概要
1981年7月29日、スペイン・アストゥリアス州オビエド出身。2005年、2006年のF1ワールドチャンピオン。表彰台での変な踊りで有名である。現代のF1においてトップドライバーの一人と評され、現役F1ドライバーにもチームボスたちからもOBからも「現役で最高の能力を持つのはフェルナンドだ」と言わしめるほど。
乗るマシンがどんな駄作であろうと全力を尽くし、チームスタッフを激しく叱咤して開発を進め、自らのドライビングスキルと合わせて戦えるマシンに見せてしまう能力は群を抜く。後とにかく、眉毛で有名。
だが、スパイゲート、クラッシュゲート、フェラーリでのあからさまなチームオーダーなど、何かと事件を起こし気味(巻き込まれ気味)。なおパーソナルカラーはスカイブルーとイエローである。これはアロンソの地元であるアストゥリアス州の州旗に由来する。ヘルメットもこの二色にスペインのナショナルカラーである赤を配したものを使っている。フェラーリ時代でもこのカラーリングで走っていた。
日本での人気
昔はアンチも多かったが、2007年のハミルトンとの確執以降は同情票もあってか、ファン(というか応援する人)が増えている…気がする。かつての栄光に比べて、あの遅いR28やら、マクラーレン・ホンダの開発が遅れに遅れたMP4-30などで奮闘する姿には同情せざるを得ない。「GP2エンジン!! GP2!! AAAhh!!」
ちなみにスペインでは英雄的存在である。そのためパパラッチに追い回され続けており、ブチ切れたこともある。
ガチオタ・フェルナンド
東京がお気に入りらしく、日本GPの前後1週間は必ず東京で過ごすそうだ。上野の行きつけのお店で高級ロードバイクを購入したりもしてるらしい。
他にも秋葉原で買い物をしている姿が目撃されたり、テイルズオブグレイセスの主人公、アスベル・ラントのフィギュアを"Tomita(little Thomas)"と名付けて持ち歩き、Tomitaの写真をInstagramに多数投稿している。噂ではけいおん!のフィギュアや、ガンプラも所持しているとか。
若手時代にはヘルメットにラーメンマンのシールを貼り、2006年日本GPでの優勝時にギニュー特戦隊のポーズを行った。
また「サムライ」という存在や言葉が好きで、『葉隠』を読んだり、背中にサムライの入れ墨を入れている。
経歴
キャリア開始
1999年に、ワールドシリーズ・バイ・ニッサン(現:フォーミュラ・ルノー 3.5)でチャンピオンを獲得、翌年には国際F3000でランキング4位となった。
2001年、19歳でミナルディからデビュー(当時史上3番目の年少記録)。入賞こそできなかったものの、戦闘力の劣るマシンながらも中団グループに肉薄する走りを見せて注目を集めていた。翌年はルノーのテストドライバーに抜擢される。
ルノー移籍、ワールドチャンピオンに
2005年、当時史上最年少でチャンピオン獲得。ルノーにもコンストラクターズチャンピオンをもたらした。アロンソの地元であるアストゥリアス州の州旗の色でもあるスカイブルーとイエローのカラーリングを帯びたマシンを駆って走っていたことも相まって、スペインではアロンソフィーバーが巻き起こった。
2006年はミハエル・シューマッハとタイトル争い。二年連続でチャンピオン獲得。この頃はアンチが多かった。ちなみに、この頃のチームメイトはフィジケラ。
マクラーレン移籍(第1期)~ルノーへの復帰
2007年、マクラーレンに移籍。ルーキーのハミルトンとチームメイトになる。この年のマクラーレン「MP4-22」は速かったが、ハミルトンの想像以上の活躍もあり、色々といざこざが起きた。結局、マクラーレンのドライバーはともに2007年チャンピオン・ライコネンから1pt.差でチャンピオンを逃す。
このあたりから、アロンソの人気が上がってきた…気がする(マクラーレンのチーム代表・ロン・デニスが同じ英国人であるハミルトンを贔屓していると言われていたから)。
2008年 マクラーレンとの複数年契約を解除して古巣ルノーに復帰。ピケJr.とチームメイトになる。シーズン序盤、ルノーR28は戦闘力がなく、また不運も続いたことによりなかなか上位には食い込めなかった。が、シーズン中の開発が進み、シンガポールGPで予選15番手から疑惑の大逆転優勝(→ネルソン・ピケJr.参照)。さらに次戦・日本GPもスタート時の混乱をつき優勝を飾った。
2009年 ルノーに残留。R29もまた戦闘力がなかったが、ハンガリーGPでPP、シンガポールGPで3位表彰台を獲得。
フェラーリ時代
2010年、満を持して俺達のフェラーリへ移籍。開幕戦・バーレーンGP、ベッテルの不運もあり予選3位から2年ぶりの優勝を遂げた。しかしその後の前半戦は失速。チームオーダーで話題になったドイツGP以降調子を取り戻し、最終戦までチャンピオンを争うがベッテルに敗れる。
2011年、フェラーリの新車(フェラーリ・150° イタリア)の性能が思っていたほどではなく、(特に予選では)レッドブルやマクラーレンの後塵を拝したが、それでもイギリスGPでは予選3位から逆転。今シーズン初勝利を飾った。また、モナコGP以降は、リタイアに終わったカナダGP以外全てのGPにおいて、予選順位以上の順位でフィニッシュするなど、底力を見せ続けた。
この2011年シーズン中に、2016年までの長期契約を結んだ。あと5年は赤い眉毛が見られるはずだった。
2012年、フェラーリの新車であるF2012は…前年以上の明らかな駄馬であった。予選で苦戦することが多く(特に序盤戦)、第2戦・マレーシアGPで奇跡の優勝を果たすものの…途中でチームメイトのマッサんも「もうこのマシン開発は諦めよう」と音を上げるマシンだった。しかしアロンソはぶつくさ文句を言いながら決勝では安定した走りでポイントを獲得し続け、モナコGPでの入賞でランキングトップに。途中からマシン開発も軌道に乗ったが、その後はグロージャンのせいとかでベッテルに追いつかれ、惜しくも二位に終わった。
2013年も2勝を挙げたが、ベッテルの連覇を止めることができず、再びランキング二位となった。
2014年シーズンには「パワーユニット」が導入されるが、今度はそのルールを見据えて雌伏の時を過ごしていたメルセデスAMGが大ブレイク。その一方でフェラーリは低迷、アロンソ自身も2009年以来の未勝利でシーズンを終えた。
その中で、2016年までの契約をやめ、2015年より再びマクラーレンに移籍することとなった。
マクラーレン・ホンダ(第2期)→マクラーレン・ルノー時代
アイルトン・セナがマシンを駆り、伝説と謳われた「マクラーレン・ホンダ」が23年ぶりに復活するのに合わせて、現役最強と称されるようになったアロンソは3年契約でマクラーレンに復帰した。チームメイトはシュアな走りに定評があるチャンピオン経験者、ジェンソン・バトン。
伝説の「マクラーレン・ホンダ」に、チャンピオン経験者2人が乗る。誰もが彼らの華々しい戦いを、圧倒的な強さを期待した。しかし2015年、突きつけられた現実は…ほろ苦いを通り越した、苦渋に満ちたものだった。
開幕前のテストではトラブル続きでロクに走れず大クラッシュまで喫し、開幕戦も欠場。「現役最強」と評されるアロンソを持ってしても、エンジントラブル続きで開発がまともに進まないマシンでは戦えるはずもなく…ホームレースである鈴鹿でも、殆どのマシンに抵抗すら出来ずに抜かれていった。「GP2エンジン!!GP2!!アァァッ!!」と無線で口惜しげに叫ぶ姿や、インテルラゴスで日なたぼっこしてコラネタを提供するなど話題には事欠かなかったが、2015年はわずか2回の入賞に終わった。
2016年は捲土重来を期して挑み、Q1突破すら覚束なかったマシンはQ3進出をたびたび果たすなど、アロンソは最下位争いから中団グループに一気に浮上する。決勝でも混乱をすり抜けて訪れたチャンスを確実に掴み、表彰台こそ成らなかったものの、9回の入賞に1回のファステストラップを記録して個人ランキングを10位で終えた。
2017年にはバトンが休養し、ストフェル・バンドーンが新たにチームメイトとなった。いよいよアロンソをナンバーワンとして「3年目の正直」となるかと期待されたが、またしても開幕前からマシンは全く走らない。もはや限界までフラストレーションの溜まった彼は意外な行動に出た。なんとモナコGPへの参戦をキャンセルし、インディ500に出場したのである。これは元々マクラーレンCEOのザク・ブラウンが開幕戦前に冗談で「インディ500に出ないか」と持ちかけたことに端を発するのだが、「世界三大レース制覇が夢だ」と公言するアロンソはこれを真面目に考え、最終的にシートを譲ってもらうなどの幸運もあって話がまとまったのだった。
結果はリタイアに終わったものの、全く初めてのマシンとコースで予選5番手のタイムを出し、レースでは一時トップを快走するなど、改めてドライバーとしての凄さを世界に知らしめた。そしてアロンソ自身もこの初めての挑戦を大いに楽しんだのであった。レース後の会見では、小さい紙パックの牛乳を取り出して飲むユーモアを見せた。またチームメイトになった佐藤琢磨のスピーチでは、「キックボード禁止令をアロンソがあっさり破ってくれたから、自分もインディアナポリスをキックボードで移動ができる様になった」と冗談交じりに感謝された。
なお本業のF1の方はというと、やはりマシンの性能・信頼性は低く、ベルギーGPでは「PUトラブルを訴えてリタイアするも調べても何も出てこない」という職場放棄まがいの行動を起こした他、マシントラブルや雨のシンガポールではまさかの「ミサイル被弾」等出場19戦中7戦リタイア1戦DNSを喫する。しかし最後の3戦では意地を見せ3戦連続入賞で2017年限りで袂をわかつこととなってしまったマクラーレン・ホンダの最後を締めくくって見せた。
シーズン途中からトヨタからル・マンに出場するのではないかという噂は上がっていたが、シーズン後のルーキーテストにトヨタから参加し、また年明けのデイトナ24時間に出場することを明らかにし、今後の展開に含みを持たせた。
2018年、デイトナ24時間に出場(マシントラブルなどで正直振るわない成績ではあったが)後、「F1と日程が被らない範囲で」トヨタからのWEC全戦参戦が発表された。当初は富士ラウンド(言わずもがなトヨタのホームラウンド)がF1アメリカGPと被っていたが、WECが富士ラウンドの前倒しを発表し、これにより2018年は日程の被りがなくなり、F1の21戦とWECの5戦の計26戦(ル・マン前後で5連戦、富士前後で4連戦を含む)を戦うことになった。
F1シーズンスタート後、5戦連続で入賞を果たしたものの、マクラーレンのマシン自体のパフォーマンスは決して良くはなく、開発も滞った上に迷走し(最終的に「このシャシーはダメだ」と判断できたのが夏休み後だったとか)、第15戦シンガポールGPで7位に入ったのを最後に6戦連続ノーポイント(うちアメリカGPとメキシコGPでリタイア)に終わった。(チームとしてはチームメイトのストフェル・バンドーンがメキシコGPで8位に入ってる)しかし、随所に光る走りを見せつけ、やはりアロンソは速いと思ったファンが多かったとか多くなかったとか。
また、サマーブレイク中の8月14日に来季はF1には参戦しない事を表明したが、再来年以降のF1復帰の可能性を示唆している。またマクラーレン側はテストで乗せたいと思ってるらしく、「F1マシンに乗るアロンソ」を2019年も見られる可能性は消滅していない模様。
WECでは開幕戦スパを快勝し、モナコGPを経てのル・マン24時間レースでは初めてのサルト・サーキットながらもトヨタのエースセバスチャン・ブエミや中嶋一貴らチームメイトと互角以上の走りをみせ、彼の乗る8号車は見事優勝。初参戦での初優勝の快挙となった。
F1休養(2019年~2020年)
2019年にはいると、しばらくはスポーツカーイベントに絞っての活動が続く。デイトナ24時間では、小林可夢偉と組んで総合優勝を遂げる。そして、2度めのル・マン24時間レースでは、その小林可夢偉らの7号車にリードを許すも、彼らはパンクにより失速。結局アロンソらの8号車が優勝することになった。このレースがWECの2018~2019シーズンの最終戦となっており、ル・マン連覇を含めてアロンソはLMP1クラスでのドライバーチャンピオンとなった。
これをもってWECからは離脱。しかしすでにマクラーレンも体制を固めており、F1復帰の目はなかった。これで、彼の夢である三大レースのうち2つを制し、2019年のF1不参戦も相まってインディ500を擁するインディカーシリーズにフル参戦かという憶測もあったものの、結局はインディ500のみマクラーレンと共にシボレーエンジンを使用してスポット参戦という形になった。
しかし、プラクティスではトラブルやクラッシュ、マクラーレンの準備不足によるゴタゴタで中々走り込めず、迎えた予選初日でもスピードが伸びず31位と予選通過確定ラインである30位以内に入れなかった。その為、2日目に最後列の3台を決める"ラストロウ・シュートアウト"に挑むが、最後の最後でフンコス・レーシングのカイル・カイザーに僅差でバンプアウトされ、34位で予選落ちを喫してしまった。
今度は、トヨタとの縁でハイラックスでラリーレイドイベントに挑戦することになった。3戦目にして表彰台に登り、いよいよパリ・ダカールラリーへ照準を合わせることになる。
こうして、2020年初頭のパリ・ダカールラリーに挑戦した。結果は大きなクラッシュなどもあって上位争いには加われなかったが、場所によっては高順位のタイムを記録するなど、やはり場面を選ばない走りの才能を示した。総合では13位フィニッシュ。
2020年もF1への復帰はなく、インディカーシリーズへの参戦もなかった。ただ、インディ500にはマクラーレンがシュミット・ピーターソンレーシングと提携してフル参戦する関係で、シボレーエンジンのマシンにスポットで乗れる見通しが立ち、2年連続の参戦となった。決勝では26番手からスタートしたものの、一向にペースが上げられず、完走24台中21位という振るわない成績に終わった。ただ、アロンソにとって初めてのインディ500完走ではあった。
2021年に向けてのドライバー移籍の動きの中で、当初アロンソは新型コロナウィルスの流行の影響で、F1の大幅レギュレーション改定が2022年に伸びたことなどから復帰をためらう素振りも見せていた。しかし、ルノーが常勝チームに返り咲くための一環として、実力のあるドライバーを獲得しようとする動きがあり、これに乗る形でアロンソは復帰を決意。2020年7月に2年契約を発表し、2009年以来のルノーへの出戻りが決まった。
アルピーヌ(ルノー)へ復帰(2021年~2022年)
2021年、ルノーはチーム名を「アルピーヌF1チーム」と改め、それまでのルノーワークスカラーのイエローから鮮やかなフレンチブルーへと装いを変えた。アロンソの新たなチームメイトは昨年からの継続参戦となるエステバン・オコンである。
序盤数戦は苦戦を強いられ、「やはりもうアロンソはロートルだ」という陰口を叩かれもしたが、やがて調子を取り戻すとオコンを上回るレースも見せるようになった。そして第11戦のハンガリーGP、悪天候と序盤の多重クラッシュにより大荒れになったレースの中、アロンソは確実に上位を走りつづける。そして、後方から1周2秒以上速いペースで追いついてきたメルセデスのハミルトンを、実に10周にわたって抑え込み続けた。これはトップを走るオコンをアシストする結果となり、彼の初優勝に貢献した。レース後、勝利の歓喜を爆発させるオコンを迎え、我がことのように喜びを分かち合うアロンソの姿は印象的だった。この活躍で、彼はドライバーズ・オブ・デイに選出された。
2022年シーズンのハンガリーGP終了後、同年限りで引退するセバスチャン・ベッテルの後任として、2023年から複数年契約でアストンマーティンF1チームへ移籍することを発表した。
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関連項目
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