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ホーリックス
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89年、ジャパンカップ

躍り出ろ。

お前を知らない者達の、隙を突いて躍り出ろ。

世界を変えるのに3分もいらない。

ワールドレコード、2分222という事件。

そのの名は、ホーリックス。

世界がくる。

――2012年ジャパンカップCMより

ホーリックス(Horlicks)とは、1983年生まれのニュージーランド競走馬芦毛
東京競馬場2400mを2分222で駆け抜けた女傑であり、まず間違いなく日本で最も有名であろうニュージーランド調教
名はルト(麦芽)からの連想で、グラクソスミスクライン社が発売している同名の麦芽飲料から。

な勝ち
1987年:ダルシーステークス(L)
1988年:TVニュージーランドステークス(G1)、アワプニゴールドカップ(G2)、ティムロジャーステークス(G3)、ウォーレンサンドマンステークス(L)
1989年:DBドラフトクラシック(G1)、マッキノステークス(G1)、ジャパンカップ(GI)
1990年:DBドラフトクラシック(G1)、TVニュージーランドステークス(G1)

概要

血統

Three Legs(スリーレッグス)、Malt(モルト)、Moss Trooper(モストゥルパー)という血統。
……日本人からすると誰?としか言えない一族である。オセアニアでは輸送技術が発達してシャトル種牡馬が盛んになるまでは、欧とかけ離れた血統が独自に発展を遂げていたため、ホーリックスも4代血統表世界的に有名なはほとんどいないのだ(5代前までさかのぼれば流石にフェアウェイネアルコハイペリオンなど有名種牡馬が現れてくるが)。

英国で、ジュライカップ(英G1・6ハロン)2着など短距離で活躍した。ホーリックス以外の産駒にも優秀なが多く、88/89シーズン(南半球8月からシーズンが始まり、齢も8月で加算される)、89/90シーズンの2回に渡ってニュージーランドリーディングサイアーになっているが、自身はその名誉を待たずに1985年死亡している。

は不出走だが、その祖母Frothは71/72シーズンの最優秀繁殖牝馬となっており、そこから広がる牝系にはG1が多い。なおホーリックスの活躍と前後してきょうだいが日本に何頭か輸入されたが、ヒットマーク札幌記念2着に入った以外は競走でも繁殖でもほとんど活躍出来ず、それ以外の産駒にもホーリックスをえるは出ていない。

米国で、競走馬としてはケルゴルレイ賞(G2・3000m)を勝った程度。引退してすぐにニュージーランドに渡り、G1を複数輩出している。

デビュー~4歳

1983年オーナーブリーダーであるG.W.de Gulthy氏の義が経営する牧場で誕生。1歳の頃にGulthyオーナー銀行から融資を受ける際、所有馬を担保に入れる中でホーリックスは除外されたという逸話がある。

86年4月、マタマ競馬場デビット・<デイヴ>・オサリバン厩舎に入厩。オサリバン競馬一家で、デイヴ師の長男ポール調教助手、次男のランス騎手。ホーリックスの騎手を務めたのもランスである。余談だが、当時のオサリバン厩舎には日本競馬一家横山家出身の横山賀一(横山典弘)が騎手見習いとして留学に来ており、ホーリックスの調教にも関わっていた。

イヴ師の評価は低かったというホーリックスだが、実際走らせてみると3歳シーズン(86/87)を8戦4勝という上々の成績で終える。4歳(87/88)になると頭を現し始め、初の2000m戦、初のG1挑戦となったエアーニュージーランドSではG14勝Bonecrusherの2着に食い込むと、勝ちのうち本を含めた10頭が殿堂入りした出世レース・アワプニゴールドカップ(G2・2000m)では同世代のNZ2000ギニーSteely Danなどを相手に圧勝。返すで挑んだTVニュージーランドS(G12000m)ではBonecrusherとの再戦になったがこれを退け、見事G1ホース仲間入りを果たした。

5歳~6歳ジャパンカップまで

5歳(88/89)になると、ティムロジャースS(G31600m)勝利を含む4戦3勝とした後にG1コックスプレート(2040m)で豪州初遠征となったが、同じニュージーランド調教の前年2着Our Poetic Princeの2着に惜敗。帰後も3連敗を喫したが、年明け3月にはこの年から創設されたニュージーランド初の100万ドル競走・DBドラフトクラシック(G12100m)で後のG13勝Westminsterや英国調教Highland Chieftainを撃破するレコード勝ちでシーズンを終えた。

この頃からジャパンカップを意識したスタミナ調教や輸送中の隔離に慣れさせるための訓練が始まり、6歳シーズン(89/90)は3連敗でスタートしてしまったものの、二度豪州遠征となったマッキノンS(G12000m)は前年のヴィクトリアダービーKing's HighG15勝Vo Rogue、後にG18勝を挙げるSuper Imposeなどの好メンバー相手にレコードで快勝。これを評価されてオセアニア代表に選出されると、海外勢の中でいちく来日し、入念に気慣れをさせて、万全の状態でジャパンカップを迎えた。

89年・第9回ジャパンカップ

日本の「強い円」をめ、第一回開催から各小遣い稼ぎに来日し覇を競ったジャパンカップ。しかしオセアニア勢の成績は妙に悪く、これまでの最高順位は1985年シンボリルドルフの3着に入ったザフィルバー[1]G14勝マクギンティ(83年5着)、豪州G14勝に加えてドイツバーデン大賞でも勝っていたストベリーロード(84年7着)、オサリバン厩舎の先輩アワウェイリースター(86年5着、87年9着)、先に名前が出たボーンクラッシャー(88年8着)といったオセアニアの名たちは不振に終わっていた。

そのうえ、この年のJCは物凄いメンバーが集まっていた。日本だけでも前週のマイルチャンピオンシップを恐ろしい根性で勝ち取ったオグリキャップや彼とともに平成三強と並び称されたスーパークリークイナリワン宝塚記念2着で2年前の安田記念の勝ちフレッシュボイスオグリキャップと共に連闘のバンブーメモリー地方最強ロジータが出走。海外からは凱旋門賞*キャロルハウスに前年のJC勝ち*ペイザバトラー、前走オークツリー招待ハンデキャップ(G1)で芝12ハロン世界レコード2分228叩き出して4連勝の*ホークスター、同じく4連勝中の英国*イブンベイイタリアジョッキークラブカップ勝ち*アサティスなどがいた。

その中にあっては数え7歳、しかも聞き覚えのない血統の南半球芦毛など、ほぼほぼ無視されていた。競馬評論家大川次郎はあっさり「理ですね」と言いきったほどで、ホーリックスは海外勢の中ではブービーの9番人気に落ち着く(10番人気は実績がロワイヤルオーク賞(G13100m)など長距離に集中していたトップサンライズ())。だが、このレースでホーリックスの名は日本競馬ファン裏に強に焼き付けられることになる。

まず、ホーリックスが非常に良いスタートを切った。直後に外から*イブンベイが交わして前に行き、それを*ホークスターが物凄い勢いで追いかける。ホーリックスは3番手につけ、その後に離れてオグリキャップスーパークリーク日本ファンの期待を集めた二頭が絶好位を占め、ファン鼓動は高まる。

しかし、逃げた*イブンベイペース異常だった。なにせ1800m通過ラップが当時の日本レコードよりもかったのである。しかも3コーナーホークスターが一気に並びかけ、ホーリックスも仕掛けて更にペースが上がり、4つのコーナーを回ってラストスパートが始まった2000mの通過タイムはなんと1分580。見ていたファン日本で見慣れていたレースとのペースの違いに白黒させた。
コーナー3つの天皇賞(秋)の当時のレコードサクラユタカオーの1分583。その後も東京競馬場修されるまで、ついに一度も1分58を切ることはなかった」と書けば、いかにとてつもないペースだったかおわかりいただけるだろう。

ハイペースのまま*イブンベイと*ホークスターが並んで4コーナーを回ると、直後にホーリックスが続き、オグリキャップも仕掛けて歓は最高潮。坂の途中で一気に抜け出したホーリックスの上で、ランス騎手必死風車を飛ばす。

直線に入って残り4ハロンを切り、一旦はホーリックスが抜け出したものの、そこへ芦毛が一頭、外から猛追してくる。そう、オグリキャップであるランス騎手に負けずにを連打する南井克巳と、それに応えて物凄い脚で伸びてくるオグリキャップに、満員の東京競馬場は総立ち。フジ系の中継では中立であるべき実況大川アナウンサーまでが「オグリキャップ頑張れ!」と絶叫
ホーリックスはりにり、オグリキャップ上の励に応えてよく伸びる。しかし日本中の祈りも僅かに届かず、ホーリックスがクビ差いだところがゴール。ホーリックスは見事にオセアニア勢初のジャパンカップ優勝となった。

府中は溜息と感動で大きくどよめく。そして、大観衆が掲示板をやると、そこにはレコード文字。映されていた勝ち時計は……

2分222。

……文句なしの世界レコードである。この時計は、後のJRACMの言葉を借りるなら「事件」以外の何物でもなく、もが時計の故障を疑った。

当時はダービーレコードが2分26台、日本レコードおよびJCレースレコードルグロリューの2分249という時代であり、24台ですら「殺人タイム」と言われ、23台、まして22台など想像を絶する世界だったのだ。そこでいきなり27もレコードを縮めたというのだから、どれほど衝撃タイムだったかお分かりいただけるだろう。

更に言えばこの時の最下位はロジータタイムは2分269だが、このタイム自体はこの年の優駿牝馬(オークス)の勝ちライトカラータイム(2分29)よりも2以上速い上に当時のオークスレコードタイムである2分281(1977年リニアイン記録)よりも速かったりする。しかもウィナーズサークルダービータイム(2分288)にも1.9差。ロジータの中央挑戦がもう少しかったらウオッカとよりもずっと前に歴史が現れていた所であった。

この恐るべきタイムは結局、東京競馬場馬場修されるまで不滅のレコードとして残り続けた。世界レコードとしてもアルゼンチンAsideroが1999年カルロスペレグリーニ大賞で2分2198を叩き出すまで10年間残り続け、内では実に16年後の2005年アルカセットがコンマ1縮めるまで残り続けていた。

一大産地でありながら評価がいまいち低かったオセアニアが、凱旋門賞などを含む強勢をまとめて負かすという快挙に、ランス騎手は「この一戦にオセアニアの威信を賭けていた。これで負けたらオセアニア勢のレベルが下だと嫌でも認めるしかなかった」とり、デイヴ師は「ホーリックスはKindergarten[2]えた」とった。

こうして、芦毛同士の枠連2-2、勝ち時計は2が4つ並ぶという覚えやすくインパクトのある記録とともに、ホーリックスという名前日本競馬ファン記憶にも刻まれたのである。

彼女の後にJCを制するまでは、ちょうど20年後のウオッカを待たなければならない。そして30年後、平成最後の年にはこのJCで更に途轍もない記録叩き出されるのである。

ジャパンカップ後

一躍ニュージーランド英雄となったホーリックスは帰後しばらく休養を取り、前年の第1回でも勝利したDBドラフトクラシックで復帰。前年末にNZダービーを勝っていたCastle Townらを相手に自身のレコードをさらに縮めて快勝した。ちなみにDBドラフトクラシックはこの2回限りでとなったため、このレースの勝ちはホーリックスだけである。

その後は3度豪州遠征を敢行するが、初戦のセジェンホーS(G12000m)ではこの頃同G1を3連勝するなど大暴れしていたBetter Loosen Upの5着に敗れ、2戦のザBMW(G1・2400m)でもBetter Loosen Up(6着)には先着したものの前戦2着だったSydestonの3着に終わり、そのまま帰。2年前に制したTVニュージーランドSに出走すると、2着以下に4身差を付けて快勝し、空振りに終わった遠征の憤をらした。

7歳時(90/91)は3着・2着・2着と惜敗が続き、10月には再び豪州に遠征してコックスプレートに参戦したが、3度の対戦となったBetter Loosen Upの8着に敗れ、これを最後に引退。奇しくも1ヶ後、そのBetter Loosen Upも前年のホーリックスのようにマッキノンS経由でジャパンカップに遠征し、これを優勝している。

引退後・逸話

ニュージーランド内のケンブリッジスタッドで繁殖牝馬となったホーリックスは、第4Brewが2000年メルボルンカップに勝ったのを筆頭に優秀な産駒を多く送り出し、2006年に繁殖を引退。以降は功労として余生を送り、2010年にかつて対戦したBonecrusherらと共にニュージーランド競馬殿堂入りを果たした後、2011年8月24日に28歳で死亡。孫の代からダービーFiumicinoが出るなど、牝系の祖としても成功を収めている。

での名は当然非常に高く、同競走馬生産者協会本部の会議室にはオセアニアの大種牡馬Sir Tristramの絵やPhar Lapの絵と並んで本の絵が掛かっているという。またオグリキャップがもたらした競馬ブームの中で印的な走りを見せたこともあり、ケンブリッジスタッドを訪れる人の中には「競馬をよく知らなくてもホーリックスの名前は知っている」という日本人観光客も多かったそうである。

ジャパンカップで見せた根性あふれる走りからは信じられないほど心優しいだったが、その反面、臆病で寂しがり、しかもが苦手という性格だった。そこでポール調教助手の発案で、JCに向けての隔離訓練中、ホーリックスの房には人間が一人まるまる映る大きさのるされた。そこに映る自分の姿を仲間だと思って慰めにしながら、ホーリックスはを過ごしたという。

ホーリックスとオグリキャップ

さて、ホーリックスとジャパンカップ歴史に残る大戦を演じたオグリキャップだが、実はホーリックスにをしていたという噂がある。

というのは、餌を食べるために飼い葉に顔を突っ込んだら食べ終わるまで何があっても顔を上げないことを常としていたオグリキャップが一度だけ食事を中断したことがあり、その時に見ていたものこそが運動をしていたホーリックスだというのである。

この逸話が事実かはともかく関係者に思うところがあったのは事実のようで、オグリキャップ引退後にホーリックスとの交配話が持ち上がり、一部のファンからも「オグリとホーリックスのを作って最強芦毛を!」などと騒がれたようだが、当然実現することはなかった。

ちなみにオグリキャップを管理した瀬戸口勉調教師は、レース前にホーリックスを見て「見栄えのしない。このにだけは負けないな」と思ったそうだが、いざ蓋を開けたらそのホーリックスだけを捉えられずの2着に敗れたというのは皮にも感じられる。

血統表

Three Legs
1972 芦毛
Petingo
1965 鹿毛
Petition Fair Trial
Art Paper
Alcazar Alycidon
Quarterdeck
Teodora
1963 芦毛
Hard Sauce Ardan
Saucy Bella
Tellastory Tulyar
King's Story
Malt
1978 黒鹿毛
FNo.10-d
Moss Trooper
1972 鹿毛
Levmoss Le Levanstell
Feemoss
Forest Friend Linacre
Belle Sauvage
Frill
1969 鹿毛
Agricola Precipitation
Aurora
Froth Faux Tirage
Home Brew
競走馬の4代血統表

クロスAurora 4×5(9.38%)、Big Game 5×5(6.25%)

芦毛の由来はKing's StoryHis Highnessの更にThe Tetrarchから。またお前か

関連動画

 

関連静画

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *先述のティムロジャースSではホーリックスとも対戦している。
  2. *1937年生まれ、35戦25勝の戦績を残したニュージーランド伝説的名2006年に同競馬殿堂が創設された際にファーラップらと並んで最初に殿堂入りしている。
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52 ななしのよっしん
2023/03/30(木) 16:17:02 ID: xJdvpd8V73
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53 ななしのよっしん
2023/04/02(日) 22:57:12 ID: e2CWWidZlP
NZは温泉スパリゾートが多いからか
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54 ななしのよっしん
2023/04/13(木) 08:42:09 ID: YDfL/2gYi0
等身大エピソードをそう使うとは…(ゴクリ
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55 ななしのよっしん
2023/05/11(木) 04:23:37 ID: 4ZL74qA3WQ
急上昇ワードに「ドラゴンカーセックス」と並んでたからその手のことだと思った。ちくしょう
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56 ななしのよっしん
2023/05/11(木) 13:19:44 ID: C+AQCOTDuG
ホーリー〇ックスを解説してくれ
でもいい
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57 ななしのよっしん
2023/05/11(木) 13:30:14 ID: mGTeWa3doS
フフフ以下略
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58 ななしのよっしん
2023/05/11(木) 13:33:50 ID: bwzORySgju
おちょくられセクハラされるくらいならニコニコ大百科に記事立てて欲しくなかったなぁ
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59 ななしのよっしん
2023/05/13(土) 09:54:01 ID: CTQZOvHhlK
ようつべにあるカンテレの当該レース見ると当時の府中掲示板レコードの字はくなかったんだなあ、って。
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60 ななしのよっしん
2023/08/07(月) 15:06:27 ID: SMPWt6erRI
どなたか「フォークイン(ウマ娘)」へのリンクをお願いします。
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