ボブ・サップとは、アメリカの総合格闘家、プロレスラー、キックボクサー、催眠術師、元アメフトプレイヤーである。そのファイトスタイル、風貌から野獣、ビーストのニックネームを持つ一方で、大学時代は薬学を専行しており、獣医を目指していたインテリでもある。またその陽性のキャラクターからお茶の間の人気者となり、バラエティ番組には格闘技ブームが去った今でもよく出演している。
概要
NFLを負傷により引退後、拳獣サム・グレコに見出され格闘技の道へ
2002年にPRIDEで格闘技デビュー。山本宜久を圧倒的なパワーでKOし鮮烈デビューを飾った。
K-1デビュー戦では魔界の店長こと中迫強に肘打ち、投げ、踏みつけなどの反則を犯し、反則負けとなった。PRIDE.21では孤高の天才、田村潔司をわずか11秒でKO。Dynamite!では当時世界最強と謳われていたアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラとPRIDEルールで対戦。試合開始早々にパイルドライバーを決めると、ノゲイラの二度の三角絞めをパワーボムで次々と切り返し、最後は敗れるもあと一歩というところまで追い込んだ。なおこの試合中には照明が落ちるトラブルも発生したが、二人は周りが暗い状態でも、戦い続けていた。
K-1ルールの試合でマルセイユの悪童シリル・アビディを暴走ファイトで秒殺し、K-1WGP本戦の出場権を得たサップはミスターパーフェクト、アーネスト・ホーストと開幕戦で激突。ホーストのテクニックをパワーで粉砕し大番狂わせを起こした。準々決勝では当初、後のK-1最凶王者セーム・シュルトと対戦予定だったが、シュルトがきな臭い怪我、通称ボーリング事件で欠場。K-1はこれに限らず出場予定の人気選手が骨折したとして欠場、棄権することが多く、未発表の筈の代替カードが欠場の発表以前に発売された雑誌のテレビ欄に記載されるなど、やるやる詐欺として当時から批判されていた。最終的には2011年のニッカンスポーツバトルの川崎浩市のコラムにてボーリング事件(怪我したことにして欠場してもらう)の顛末が曝露されている。
こうしてシュルトの代役として再登板したホーストとの再戦となり、ホーストのボディブローに苦しみダウンを喫するも、2Rから盛り返しホーストの体が宙に浮くほどの強烈なパンチでダウンを奪い、ラウンド終了間際にパンチの連打でKO勝利しホーストにニ連勝することとなった。しかし次の準決勝のセフォー戦は、指を骨折したらしいとしてサップは棄権。(そしてリザーバーとしてサップの代役として試合に出るはずのホルムも何故かリザーブファイトで骨折したので試合に出られないと発表され、KO負けしたホーストが準決勝に出るという珍事になった)
(この「人気選手を顔見せ披露しておき、難敵に敗北する前に怪我で棄権させる」という展開は2004年の山本KIDが初参加したK-1MAX GPなど、K-1の興行において幾度となく繰り返される事となる)
大晦日のイノキボンバイエでは高山義廣とのPRIDEルールマッチでは腕拉ぎ十字固めで圧勝し2002年を締めくくった
翌2003年にはエメリヤーエンコ・ヒョードルに対戦要求をした後、K-1ルールで同じく勢いに乗りまくっていたミルコ・クロコップと激突するも、左ストレート一発で眼底骨折しKO負け。この試合を境にサップは打撃恐怖症となった結果、以前のイケイケの戦いができなくなり、劣勢になったりダメージを受けると露骨な試合放棄やギブアップをするようになる・・・とされているが、実際はそもそもそのミルコ・クロコップ戦自体が同様にギブアップした結果のようだ。(スポルトという深夜番組で試合直後セコンドに支えられてリングを降りる時に「骨が折れたのがわかったので立たなかった」と喋っている映像が放送されている)(とはいえ眼窩底骨折は相当な重傷なので例え選手が希望を続行したとしても、試合をストップすべきではあるのだが)
復帰戦では総合格闘家キモとK-1ルールで戦うもダウンを奪われる辛勝。凄まじくグダグダな試合内容と谷川貞治の解説の「ビーストコールですね」が格闘技ファンの失笑を買った。またTV中継ではサップ復活のドキュメンタリーに枠を取りすぎて、他の試合はダイジェストというトホホな構成にもなっていた。K-1開幕戦ではスリップ後にパンチを打ち込み、レミー・ボンヤスキーに反則負け。大晦日の曙とのK-1ルールでの一戦では視聴率で紅白越えを果たしKO勝利し、なんとか気持ちよく年を越すことが出来た
翌年、総合格闘技ROMANEXのリングで藤田和之と対戦したサップは、後頭部に数発のサッカーボールキックを叩き込まれ無残なギブアップ負け。総合ルールなら強いと言う幻想もこの試合で消えうせてしまった。その後、レイ・セフォーやジェロム・レ・バンナといったK-1トップファイターと戦うも、打撃に対する恐怖心を試合中に露骨に出し背中を向けてしまう場面もあった。
2005年はK-1 JAPAN GPで優勝、総合格闘技HERO'Sでも三連勝3KO勝ちと好調であったが、K-1WGP開幕戦でのチェ・ホンマンとのモンスター対決では敗れ、大晦日の武蔵戦も判定負けに終わった。
2006年はアーネスト・ホーストとの三度目の試合が決まっていたが、開会式後にボイコット。K-1と訴訟問題になった。
2007年には禊の一番として前年のK-1WGP準優勝者ピーター・アーツとK-1ルールで対戦するも膝蹴り一発で蹲り、情けなく敗れ、リングにはサップの不甲斐なさに怒る観客からオレンジが投げ込まれた。大晦日の総合ルールのボビー・オロゴン戦は勝利。翌年にはアメリカでかつての盟友ヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤと総合ルールで対戦するもノルキヤの強打に怯え、秒殺負け。大晦日にはDREAMルールでキン肉万太郎にKO勝ち。
2009年にDREAMのスーパーハルクトーナメントでミノワマンに敗れて以降は、もっぱらローカル団体で地元の選手に秒殺ギブアップ負けし、会場を盛り上げる日々を送っている。三試合に一回ぐらいはちょっと頑張って、レフリーストップ負けすることもある。サップ曰く引退後の生活の事も考え、ダメージ受ける前にギブアップするようにしているとの事。
サップの活躍と人気を受け、悲しみの肉弾魔人ズール、ステファン・ガムリン、赤さんことバタービーン、チャド・バノンジェームス・トンプソン、マーカス・ロイスター、キム・ギョンソック、モンターニャ・シウバ、ジャイアント・シルバ、チェ・ホンマン、アレクサンドル・ルング、アラン・カラエフ、ジミー・アンブリッツといった規格外の巨漢が次々とK-1やPRIDE、DREAMに参戦したがどの選手も全盛期のサップほどの活躍を見せることは出来なかった。サップと戦ったノゲイラは後に「彼は大きいだけでなく、技術もあった」と語っており、全盛期のサップは決してパワーだけのファイターではなかったことがわかる。
その最大の特徴のパワーについても、掴んだフライパンのパンの部分を両側からひん曲げたり(鉄板曲げ)、片手でリンゴを握りつぶすなど凄まじい握力をもっているので、本気の殺し合いなら人間の指や皮膚などを簡単にヘシ折ったりちぎったりできるので、格闘技の試合とはまた違った結果になるだろう、と指摘する声もある(ただしそういった攻撃手段は格闘技興行においてはルールで禁止されているが)
関連動画
全盛期のボブ・サップ
ダメになった後のボブ・サップ
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