マーキュリー計画とは、アメリカが1959年から1963年にかけて行った有人宇宙飛行計画である。
概要
1957年、ソ連による史上初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ以降、ソビエト連邦とアメリカの宇宙開発競争は過熱の一途をたどった。威信を傷つけられたアメリカはマーキュリー計画を立案、有人宇宙飛行を目指した。膨大な資金と人材を計画に投入したが、1961年4月12日、ソ連のユーリ・ガガーリンが有人宇宙飛行を成功させ、またしても後塵を拝することとなった。
マーキュリー計画による初の有人飛行は1961年5月5日、アラン・シェパードによる16分間の弾道飛行であり、ガガーリンと同様の軌道飛行はさらに遅れて1962年2月20日のジョン・グレンの飛行まで待たねばならなかった。しかもジョン・グレンの飛行が4時間56分、周回数3回に対して、ソ連はボストーク2号で25時間18分、周回数17回を達成していた。
マーキュリー計画は1961年の初飛行から1963年の計画終了までに6回の有人飛行(2回の弾道飛行、4回の周回飛行)を実施して終了した。
マーキュリー計画の後、カプセルを大型化し2名が搭乗可能なジェミニ計画へ移行した。またアラン・シェパードの飛行の直後、ケネディ大統領が演説を行い、1960年代のうちに月への有人飛行を達成すると宣言、これがアポロ計画へと繋がった。
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