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モンティ・パイソンとは、イギリスのお笑いユニット、あるいは彼らの手がけたお笑い番組『空飛ぶモンティ・パイソン(Monty Python's Flying Circus)』のことである。
「パイソンズ」とも呼ばれ、ファンはしばしば「パイソニアン」と称される。
概要
イギリスの公共放送BBCで、王室、障害者、共産主義者、ナチスとネタに出来るものは何でも笑いの種にして放映していた恐れ知らずのお笑いユニット。
メンバーの大半はオックスブリッジ(イギリスの最高学府)出身の超高学歴であり、スケッチ(コント)には宗教問題や、ヒトラーを代表とする戦争犯罪などのタブーをテーマにし、それらを上手く取り入れたものもある。
扱うネタのあまりの過激さに、しばしばBBCから検閲が入るほどであった。検閲入れてアレかよ。
「哲学者サッカー」「バカ歩き」「死んだオウム」「スペイン宗教裁判」「スパム」など、有名なスケッチを数え上げたらキリがない。
コメディというものの定義自体を大きく書き換えてしまった存在であり、コメディ史では「モンティ・パイソン以前」と「以後」という区切りを提唱する者もいる。
スパム・メールやプログラミング言語Pythonの名称は、モンティ・パイソンが由来である。
メンバーのグレアム・チャップマンの死後、ライブは行われていなかった。
しかし2014年7月、パイソンズ結成45周年記念として「モンティ・パイソン 復活ライブ!」と称して最後のライブショーを開催。初日のチケットが開始43.5秒で完売、追加を含めた全10公演も即日完売というすさまじさを見せた。
ライブには日替わりで多数のゲストが登場し、最後は「Always look on the bright side of life」の大合唱で締め、伝説は華々しく幕を閉じたのであった。
メンバー
- グレアム・チャップマン(吹き替え:山田康雄~安原義人)
- 1941年1月8日生まれ。ケンブリッジ大学卒。メンバーのなかで最も主役を演じることが多かった。ケンブリッジ大学では医学を学んだため、医師免許も保有していた。70年代にゲイであることを公表、その後はゲイの人権を守る活動家としても活躍した。
1989年10月4日、癌のため48歳の若さで死去。追悼式では大学時代からの友人のジョン・クリーズから、モンティ・パイソンの代表的スケッチ「死んだオウム」をもじった弔辞が読み上げられた。後年、遺灰の姿で亡くなった当時の恋人に運搬されてコントに出演、骨壷をギリアムに蹴り飛ばされた挙句メンバーから箒や掃除機で集められた(勿論本物ではない。本物は既に散骨済)。 - ジョン・クリーズ(吹き替え:近石真介~納谷悟朗~納谷六朗)
- 1939年10月27日生まれ。ケンブリッジ大学卒。大学では法学を学び、卒業後は法律事務所で弁護士として勤務。その後グレアム・チャップマンと共にコメディ番組に出演した後に、『空飛ぶモンティ・パイソン』に出演(第4シリーズは飽きたので出ていない)。
脚の長さを生かした「バカ歩き/Silly Walk」などのスケッチで有名。90年代以降はハリウッド映画にも多く出演。『ハリーポッター』シリーズの“ほとんど首無し”ニック、『009 ダイ・アナザー・デイ』のQなどを演じている。 - テリー・ジョーンズ(吹き替え:飯塚昭三)
- 1942年2月1日生まれ。オックスフォード大学卒。イギリスの典型的なオバさんの役柄が非常に上手く、スケッチでは女装率が高い。バカバカしさを全面に出したスケッチが特徴。
中世時代の研究家であり、ジェフリー・チョーサーや十字軍の研究論文で高い評価を受けている。彼が監督した「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」は、アーサー王伝説を取り扱った映画の中で、最も時代考証が正確だとされている。
2016年に前頭側頭型認知症(FTD)と診断され、2014年の復活ライブでは既に発症の兆候があったという。2020年1月21日、ロンドンの自宅において77歳で死去。死去に際し家族は声明を発表、パイソンズのメンバーを始めとした多くの人々から哀悼の言葉が寄せられた。 - マイケル・ペイリン(吹き替え:青野武)
- 1943年5月5日生まれ。オックスフォード大学卒。温和な顔が特徴であり、見た目通りの好人物。モンティ・パイソンのバイプレイヤーとして活躍した。「It'マン」や「自転車修理マン」としても有名。
クリーズと同様にアナウンサー役を務めることが多く、クリーズが実況や事件現場レポーター等の過熱する系のアナウンサーだったのに対して、ペイリンの場合は落ち着いた口調で黒いことを口走ったりすっとぼけたりといった系統の安定した演技が多かった。
メンバーが関係した映画にも多く出演しており、近年はBBCの旅行番組で活躍。 - エリック・アイドル(吹き替え:広川太一郎)
- 1943年3月29日生まれ。ケンブリッジ大学卒。大学で言語学を学んだことにより、彼が手がけたスケッチは言葉遊びを利用したものが多かった。歌も上手かったため、ミュージカル的なスケッチも多い。
1979年のモンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』のラストで流れる「Always look on the bright side of life」はエリックが手がけた曲の中で最も有名な曲で、現在ではパイソニアンのみならず、サッカーファンなどにも有名。『~ホーリー・グレイル』を原案としたミュージカル『スパマロット』は2005年トニー賞ミュージカル作品賞を受賞している。 - テリー・ギリアム(吹き替え:古川登志夫~飛田展男)
- 1940年11月22日生まれ。メンバー唯一の元アメリカ人。直接的にスケッチには携わっていなかったが、スケッチとスケッチを繋ぐ「ギリアニメーション」と呼ばれるシュールなアニメを手掛けていた。
本編には端役で顔を出す程度だったが、「スペイン宗教裁判」のスコティッシュ訛りの枢機卿など、台詞のある役もこなした。モンティ・パイソンの活動後、映画監督としての才能を発揮。「未来世紀ブラジル」「12モンキーズ」など、モンティ・パイソンとはまた違う毒を放つ作品を多く手掛けている。
7人目のパイソン(Seventh Python)
- ニール・イネス
- 1944年12月9日生まれ。ジョン・クリーズの代理として、最終シリーズにおいて参加。
ロックバンド「ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド」のリーダーであり、後にエリック・アイドルと共にビートルズのパロディバンド「ラトルズ」に参加。ビートルズのテレビ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』にも出演している。
晩年まで精力的に音楽活動を続け、2019年12月29日、75歳で心不全により死去。 - キャロル・クリーヴランド
- 1942年1月13日生まれ。ニールと共に「7人目のパイソン」と称される。当初はモブだったが、演技力をパイソンズに認められた結果、全シリーズを通じて出演。
パイソンズは女性役も演じる事がほとんどだったが、彼女が最初に出演したスケッチで「お色気たっぷりの、ブロンドでぴちぴちの娘」と表現されているように、女性としてのキャラクターが必要な時には欠かせない存在だった。
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関連項目
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