ヴォイニッチ手稿(Voynich manuscript; MS 408)とは、20世紀前半に古物商ウィルフリッド・ヴォイニッチ(Wilfrid Voynich; Michał Habdank-Wojnicz 1865-1930)により公開された古文書で、未解読の文字とともに多くの不可解な挿絵が描かれていることで有名。
概要
ヴォイニッチの主張によると彼は1912年にイタリアで同書を発見し購入、自身の手で解読を試みるも失敗し、以来各方面に解読を依頼するも成功しなかった。彼の死後、手稿は1969年にイェール大学付属バイネッキー稀書・写本ライブラリーに寄贈され、現在ではインターネット上で閲覧が可能となっている。
手稿の内容は全部で5つの章からなると推察され(目次、索引に当たるページは存在しない)、先頭から順に
植物…頁の大半が(実在のものかは定かではない)植物の挿絵と謎の文字列による組合せで構成されている。
天文…黄道十二宮と思しき図や、中心に人の顔が描かれた天体図らしき挿絵が描かれている。
生物…浴槽らしき場所に集団で浸かる人間の絵が描かれている。
薬草…植物に加えて、筒状の物体などが描かれている。
終章…文章のみ。補遺、或いは用語集か。
となっている。文章全体にわたって未解明の文字による何らかの記述が為されている模様だが、天文の章に描かれた図中のみ例外的にラテン・アルファベットとして識別可能な文字による記述が何箇所か見られる。
◆手稿のほぼ全ページにわたって書かれた独特の文字が一体何であるのかは未だ定かではない。専門家の間では暗号文の一種であるという説が主勢を占めているが、元の文章は何語であるか、どのような暗号化プロセスが用いられているのかといった疑問の手掛かりは殆ど得られていない。
欠損ページ
ヴォイニッチ手稿には明らかに欠けていると思われる箇所が存在しており、その部分は鋏の様に鋭利な刃物で切取られたような切れ痕をしている。恐らくは手稿を作成した本人か、手にした人々の内の誰かが意図的に行ったものであろうと推測されている。
具体的な箇所はそれぞれ12、59、60、61、62、63、64、74、91、92、97、98、109、110枚目で、現存する頁数は230ページからこれら28ページ相当を差し引いた200ページ余となる。
研究結果
放射性炭素年代測定により手稿に使われている羊皮紙が制作されたのは1404年~1438年頃という結果が出ている。
文字については旧来全く意味を為さないでたらめな記号の羅列であるとも言われて来たが、コンピュータ解析により一定の言語学的規則を有している事が明らかになっている。※
◆ヴォイニッチ手稿を解読したと主張する人々及びその発表内容については後述。
※『文書クラスタリングによる未解読文書の解読可能性の判定-ヴォイニッチ写本の事例』等参照
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挿絵
本書の挿絵は全て彩色が施されている。使われている色は緑・黄・青・赤・茶で、やや粗雑ではあるがこれらの色を用いて塗り潰されている。画材については不明な所が多く、絵具については美術史家などによる分析でルネサンス当時に入手可能だった色と一致しているという結果も出ているが、未知の材料が用いられている可能性もある。筆材についても定かになっていないが、筆触は所々に掠れが見受けられる為、毛筆のようなものにインクを継足しながら書いていったものと思われる。
挿絵に描かれている対象は植物が中心で、人間はそれに比べると比較的小さく描かれている。動物も描かれてはいるが僅か数ページに現れるのみで、全体的には影を潜めている。
挿絵には美術絵画の手法であるパラレル・ハッチング(一定の面を平行線で埋める技法)が用いられており、これは15世紀中葉(1440頃に登場したとされる)にフィレンツェで始まり、その後ベニスなどに広まっていった方法であるため、羊皮紙の推定製造年代よりもやや時代が遅れている。
天文の章に描かれている、円の中心部から四葉の放射状に拡がる星団の図(f68r右)や襞状の胞体とそこに向かって渦巻を描くように文字列が書かれている図(f68v左)、七葉の放射上に拡がる星団の図(f86v下中央)などについてはLJS 443(15世紀前半のものと見られる古代アルメニア語で書かれた手稿で、暦についての専門的知識やその註釈を含んでいる)との類似性が指摘されている。
謎の文字
挿絵と並び本書を巡る議論の的になっているのが謎の文字である。ヴォイニッチ文字、ヴォイニッチ・アルファベットなどと称されるこれらの文字は先述の通り未だ解読に至っていないが、西洋諸言語と同様左から右、上から下に読むであろうと推定されている。
基本的な文字の種類はラテン文字とほぼ同数で、形状などから対応付けした専用フォントも既に制作されている。記号や句読点、数字に当る物が含まれているかは定かではない。大文字・小文字の別は無いものと予想されるが、文頭・行頭の字に上部が大きく右側に突き出た書体のものが屡々見受けられるなど変則的な字形もある。これが単なる修飾なのか何らかの意味・役割が込められているのかも不明で、解読者達を悩ませる箇所の一つとなっている。
手稿に書かれた文字列に共通する特徴として以下のような事項が挙げられる。
- 語尾[文字列の右端]に使用される文字の種類が極めて少ない。
→"୨"や"१"、"Ɔ"に似た形の文字で終わる語が大半を占めており、特に"୨"の出現頻度は群を抜いて大きい。ここまで極端な偏りはアルファベット圏の諸言語では珍しい。或いは日本語のように語末が母音で終わる単語が大半を占める言葉である可能性もありうる。 - 1文字、或いは2文字からなる語[空白で区切られた文字列]が非常に少ない。
→1文字で構成されている語は皆無といえる状況で、これは英語やロマンス諸語がa,e,iのような1文字からなる語を多用するのとは対照的であり、寧ろヘブライ語やアラビア語に近い雰囲気がある。 - ダイアクリティックに相当するものが見受けられない。
→省略されたか、そうした記号を用いない言語(ラテン語、英語など)か。
文字についてはラテン語速記体との類似性も指摘されており、例えば"୨"についてはcon,cum,comと言った語や尾辞の-is,-us,-osに対する略記によく似た字形が用いられている。他にも&に似た文字など、幾つかの略記体の形が手稿に使われている文字に極めて近い形状をしていることが確認出来る。こうした略記法が多用されている場合、文字量に比してその記述内容はかなりのボリュームになる可能性が高い。
しかしこれら既知の速記体がそのまま用いられていれば疾うに解読が成功を収めているに違いなく、仮にそうした略体が本書に用いられているとしても更にアレンジを加えたり、暗号術などと組合せて利用しているものと予想される。
また、挿絵の合間にも文字が記されているという点も重要なポイントになる。
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諸説
ヴォイニッチ手稿の中身やそれが書かれた目的については公開以来様々な説が唱えられて来ており、言語学・暗号学の専門家による分析・推察の他インターネット上でも数多く解読の試みが為されて来ている。上項では専門家が研究結果として明らかにしてきた内容や手稿を一読して容易に読み取れる事実を記載したが、ここではその様々な説を纒めて紹介する。
スケッチブック説
本書に登場する挿絵を巡ってはそれが果して実在のものか、架空のものなのかで意見が割れているが、その内容の一部または全てが実際にある事物を写生したものであるという考えに立つ説。つまり文字列の記述内容はさておき描かれている挿絵はスケッチの一種であるとする。
前半に描かれている植物らしき絵はそのまま植物の絵として理解出来るが、後半の章に記されている図は直感的にそれが何を指しているのか把握が難しい。中でも薬草の章に何十と様々なバリエーションで現れる筒状の物体は一見して何物かを窺い知ることは困難だが、これが当時の顕微鏡を描き写したものではないかという考察がある。また、それに従って天文や生物の章にある図絵を読解いた結果、これらは顕微鏡を用いて観察した植物の細胞や微生物ではないかという見解に至った説もある。
他にも天文の章に円と、それを取巻くように描かれている★型のマークと渦は今日渦巻銀河として知られる、望遠鏡を用いる事で観測可能な天体を描いたものであるという説や、曼荼羅状に配置されている大型図は城塞都市の見取り図であると言った説が流れている。
写本説
ヴォイニッチ手稿は写本(codex)という呼び方もされており、内容はさておき手稿が原本ではなく別の本の内容を写し取ったものであると推察する者もいる。根拠としてその筆致が一定で、かつ書損じと見られる部分が極めて少ない事が挙げられている。
本説が正しかった場合手稿に記載されている内容は羊皮紙の作られた年代より更に遡る可能性が出て来る。
異端派教義書説
当時のキリスト教世界から異端と見做されていた少数派がその教義を暗号文または独自の記法体系を用いて書き留めたものであるという説。本書の内容はその挿絵から窺う限りキリスト教と直接関係するように思われないが、「生物」の章で十字架らしきものを左手に掲げる人の姿が描かれているページ(79v)が存在する事などから、何らかの関連を持っている可能性がある。
代表的なものでは1987年に出版されたレオ・レビトフ氏の著作※があり、同書で手稿はカタリ派信徒によって書かれた典礼であるとの持論を発表している。またその内容はグノーシス主義と関わりが深いと考えている研究家もいる。
※Solution of the Voynich Manuscript: A Liturgical Manual for the Endura Rite of the Cathari Heresy, the Cult of Isis
錬金術書説
手稿の内容が錬金術に関係しているとする説。錬金術と天文学との関係は密接であり、例えば9-10世紀に活躍したペルシアの錬金術師アル・ラーズィーは工程を本書にも描かれている黄道十二宮に対応させる形で凝固・溶解・蒸留などの12種類に区分し、それぞれの星座の記号を用いて表している。
またヴォイニッチ手稿を購入したという記録が残るルドルフ2世は錬金術に対する興味が深かった事で知られ、手稿の他にも多くの曰くつきの書物を収集していた。そのため彼が購入した動機も錬金術絡みであったと想像されており、本書をそんな皇帝の趣味に乗じ金目当てで高く売り付けるため適当に拵えた紛い物ではないかと推測している人々も多くいる。
各ページに描かれている植物らしき絵は錬金術の奥儀を、弾圧する人々の眼を逃れる為植物に見立てて描いた物だという説も唱えられており、メソポタミア神話やカバラーに登場する「生命の樹」などをモチーフにしているという。
薬草学書説
手稿に描かれている植物を薬草であるとし、謎の文字で併記されている内容はそれらから作る薬の調合法ではないかとする説。かなり早期から出ている説で、知られているものでは1931年に医師のレオネル・C・ストロングがアンソニー・アスカムの著書であるとする研究を発表、同時に解読結果に基づいたとされる処方箋も公開しその効能が認められたが、手稿の解読に至った過程が本人から明かされなかった為確かな所は判っていない。
古代文明文献説
手稿の内容は古代文明の知識を書き伝えたものであるという論説で、近年錬金術書説に並び盛んに論じられている。
キリスト教化以前の欧州文化に関係するものだとする主張は西洋では多くの人々が投げかけており、特にルーン文字を用いた諸文化に関係するものであるという考えがある。ハヴァマールなどのルーン歌謡集や、ヨイクのような伝統歌唱はキリスト教の賛美歌が主流となる以前は盛んに歌われており、これらを密かに伝える目的で書かれたものではないかという説などがある。
メソアメリカ文明圏、とりわけアステカ文明との係わりを指摘する声としてはアメリカ国防総省の元情報技術者と米国デラウェア州立大学名誉教授が2013年に発表した論文※がある。彼らはヴォイニッチ手稿の中に出てくる 37種類の植物および 6種類の動物の特定に成功したと主張しており、また手稿中に書かれている言語についてはクルス・バディアヌス写本にも使われている古代ナワトル語との関連性が高いと推測している。
※"A Preliminary Analysis of the Botany, Zoology, and Mineralogy of the Voynich Manuscript"
日記説
手稿が日記として書かれたとする説。日記とは一日を振り返って主な出来事や感想、作業の進捗状況などを独白形式で書いたもので、通常日付やその日の天候などを明記するため、少なくとも同書が普通の日記帳の流儀に則って書かれているとは考えにくい。夢日記やそれに類するものであるという可能性を入れても、本が章立てと思われるページ構成をとっている事や、前もってそこに大図版を描く事を想定して挟んだと考えられる折り畳み式頁(2*3の6㌻分の長さ)の存在など、ヴォイニッチ手稿が日記として書かれたと考えるには幾つかの難点が存在する。
オーパーツ説
オーパーツとは"out-of-place artifacts"の略で発見された場所や時代にそぐわない工芸品の事であるが、先史文明の遺産や飛来した宇宙人の遺留品といった超文明的産物を想定し、それらを指す言葉として用いられる。
本書をオーパーツと看做す場合、手稿そのものからしてそういった超常的所産であるか、或いは記述内容にそのような高度な内容が記されている事を前提していると考えられるが、材料である羊皮紙に関しては15世紀当時には既に製法が確立されていたため、やはり記述内容如何である。
本書を地球外生命体からの接触によるものだとする主張はJames E. Finn氏などが行っており、著書Pandora's Hope(2004)や2001年にWeb上に書かれた論考(The Voynich Manuscript: Extraterrestrial Contact During the Middle Ages?)に詳しい。
楽譜説
ヴォイニッチ手稿に記された文字列が楽譜(文字譜)を構成しているとする説。なお本説及び手稿との関係は不明だがヴォイニッチ手稿という曲名のクラリネット四重奏も発表されている。
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ヴォイニッチ手稿を手にした歴史上の人物
◆ヴォイニッチ手稿には書簡が挟まっており、その内容から当時どのような人物が本書を手にしていたかが明らかになっている。
著者に目されている人物
◆著者については公開以来様々な説が立てられてきているが、未だに確定されてはいない。歴史上に名を残す人物としては以下の人々が挙げられている。
- アンソニー・アスカムAnthony Ascham…イングランドの天文学者。天文学と薬草学などに関する著作※を多数残している。
- エドワード・ケリーEsward Kelley…霊媒師。ジョン・ディーの助手を務めている。
- コルネリウス・ヤコプスゾーン・ドレベル…オランダの発明家。人類史上初の潜水艇を建造した事で有名。
- ジョン・ディーJohn Dee…イギリスの宮廷占星術師。魔術、錬金術、降霊術にも傾倒し『ロガエスの書』と呼ばれる未解読文書を残している。ルドルフ二世とも交流があった。大陸ではエドワード・ケリーと共にポーランド、ボヘミア等を巡業。
- フランシス・ベーコンFranchis Bacon…17世紀前半に活躍したイギリスの哲学者、神学者。『ノヴム・オルガヌム』『ニュー・アトランティス』などの著書で知られ、特に『ニュー・アトランティス』とヴォイニッチ手稿の関係を指摘する声がある。また本件とは別に、同時代人であるウィリアム・シェイクスピアの作品とされる戯曲の真の作者が彼であるとする説が立てられており(こちらを参照)、そこでも同じく本文に隠された「暗号」についての話題が取り上げられている。「ベーコンの暗号」Bacon's cipherと呼ばれるステガノグラフィ技法の発案者としても知られる。
- ラファエル・ソビールト・ムニショフスキ…ボヘミアの法律家。詩文や暗号制作でも知られる。ヴォイニッチ手稿に添付していた1666年8月の手紙に名が記されており、ルドルフ二世が同書を600ダカットで購入した事をマルチに教えている。手紙によればムニショフスキが手稿の著者だと考えていたのはロジャー・ベーコンであった。
- レオナルド・ダ・ヴィンチLeonard Da Vinch…ルネサンスを代表する画家、発明家。絵画に多くの隠しメッセージを込めていた事が解析で明らかになって来ている。また自身の手で多くの手稿を残したことで知られ、その6-7割が逸失するも尚5000ページ余りが現存している。
- ロジャー・ベーコンRoger Bacon…13世紀に活躍したイギリスの哲学者、カトリック司祭。周囲からは「驚嘆的博士」(Doctor Mirabilis)の称号で呼ばれる。近代科学の先駆けと言われ、当時にして顕微鏡や望遠鏡の発明を予測している。東西の諸言語に通じており、著書『スンマ・グラマティカ』で普遍文法の概念を示していた。著者と挙げられている名では唯一羊皮紙の推定製造年代よりも先に生没した人物。フランシス・ベーコンとは遠縁に当たる。
※Anthonie Ascham his Treatise of Astronomie, declaring what Herbs and all Kinde of Medicines are appropriate, and also under the influence of the Planets, Signs, & Constellationsなど8冊余が知られる。
またウィルフリド・ヴォイニッチ本人による創作であるという説も立てられている。ヴォイニッチ自身がどの程度暗号学や言語学に通じていたかは不明だが、彼の妻は記号論理学の研究で知られるイギリスの数学者ジョージ・ブールの末娘であり、彼女を通じて論理学や数学の知識を得たり、共同で手稿解読(もしくは作成)に当たっていた事も考えられる。ただヴォイニッチによる創作であった場合、手稿に挟まっていた17世紀のものとされるラテン語書簡などについてもヴォイニッチ本人が捏造したという事にもなるため、そうした偽造を行う技術が彼またはその協力者達にあったのかについては疑問が残る所である。
手稿の製造年代から考えられる作者
上に挙げられている人々はいずれも歴史上の人物としてその名を残しているが、最大の問題は彼らの内でその生没年が手稿の推定製造年代とされる1404年~1438年頃と被複している人物は一人も居ないという点である。最も近いのはダ・ヴィンチ(1452-1519)だがそれでもやや時期がずれている。
ヴォイニッチ手稿は曼荼羅状の図が描かれているページからも窺えるように特殊なページ構成をしており、こうした造りがどういった絵図をどこに記すか予め計画した上で発注(または自製)した事によるものであれば手稿が著された時期は羊皮紙が製造された時期と極めて近いものと考えられる。測定結果がどの程度正確かという問題もあるが、この推定年代に活躍した人物の中でヴォイニッチ手稿を手掛けた可能性を見出だせる人物を参考までに列挙する。
15世紀前半のヨーロッパで起きた主な歴史上の出来事としてはフス戦争(1419-36)が挙げられる。これはボヘミアの神学者ヤン・フスを支持する宗派とカトリック側との間に起きた戦乱で、手稿の推定製造年代の最中に勃発、終結を迎えている。またカタリ派の残徒と見られる集団の痕跡が途絶えるのも15世紀前半である。
英仏間では百年戦争の第三期がこの時期に当たり、ジャンヌ・ダルクの伝説で知られるオルレアン包囲もこの時起きている。
手稿の発見地であるイタリアではメディチ家によるフィレンツェ支配が進み、国父と呼ばれたコジモ・デ・メディチ(1389-1464)が1435年から最高執政官として市政を握ることになる。彼は優れた芸術家を保護しそのパトロンとして君臨した。またフィレンツェ市内に図書館を開設するなど同市をルネサンスの中心地へと導いている。
東ローマ帝国ではパレオロゴス朝ルネサンスの末期がこの時代に当たり、ゲオルギオス・ゲミストス・プレトンらに代表されるような復古主義者が名を揚げていた。プレトンの著作は焚書処分を受けるなどしており、彼が暗号技術に長けていたかはともかくその動機は見出せる。
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ヴォイニッチ手稿の解読に挑んだ研究者
ヴォイニッチ手稿を解読しようという試みを行っている人物はアマチュア研究家による調査や超常的アプローチによるものまで含めると枚挙に暇がないが、本項ではいずれかの学術分野に属する専門家のみを列挙する。それ以外のものについては「諸説」の項参照。
往年の研究家
- ウィルフリド・ヴォイニッチ(Wilfrid Voynich)
先述の通り手稿を公開した人物で、本人も解読を試みているが失敗に終わる。手稿の起源を突き止めるべく動く傍ら、同書に書かれた内容を解読できる学者を探し回ったという。著者についてはロジャー・ベーコン説に対して確信に近いものを持っていたらしく、本人はこの手稿を「ロジャー・ベーコン手稿」と呼んでいた※。 - ウィリアム・ロメイン・ニューボルド(William Romaine Newbold)
哲学者で、米ペンシルヴァニア大学教授。初期の研究者で、1919年にヴォイニッチから依頼を受け調査を開始、ロジャー・ベーコンが著者であるとの説を支持し、手稿は複雑な暗号システムからなると主張。論考を纏めたThe Cipher of Roger Baconが死後に出版されている。また手稿の文字は古代ギリシャで用いられていた速記法に関係があると考えていた。
手稿に描かれた絵の一部が顕微鏡で見た細胞の図であるという説や、渦状に描かれた字に取り巻かれた円の図が銀河を表したものだという説を最初に唱えたのも彼である。 - ウィリアム・フレデリック・フリードマン(William Frederick Friedman)
米軍の暗号研究者。暗号文解読作業の傍ら40年余りにわたってヴォイニッチ手稿の解明に挑むが不成功に終ったと述懐している。手稿に記されている文字列は暗号ではなく人工言語の一種ではないかという見解に至っていた。 - ジョン・ヘッセル・ティルトマン(John Hessell Tiltman)
英軍准将。政府暗号学校にて勤務、並外れた業績を示した。1951年にフリードマンと面会、ヴォイニッチ手稿の研究を彼から引継いだ。フリードマン同様、手稿に書かれている言葉は人工言語であると推定するに至っている。 - ジョン・マシューズ・マンリー(John Matthews Manly)
米シカゴ大学教授。シェークスピア、チョーサーの文学作品を専門としていた。ニューボルドの解読結果を否定する論文を1931年に『スペキュラム』誌に寄稿。また手稿の連番付けに使用されているアラビア数字は15世紀の書体である事を指摘している。 - メアリー・ディンペリオ(Mary D'Imperio)
NSAの暗号学者。ティルトマンの紹介で1975年に研究に参加、研究結果を纏めた著作"The Voynich Manuscript: An Elegant Enigma"を残している。同書はヴォイニッチ手稿に関する標準的な参考書となっている。
※A Preliminary Sketch of the History of the Roger Bacon Cipher Manuscript(1921)
近年の研究家
◆コンピュータを用いた統計学的調査など以前は不可能だったアプローチからの研究報告が相次いでいる。
- マルセロ・モンテムッロ(Marcelo Montemurro)
マンチェスター大学の理論物理学者。ヴォイニッチ手稿の研究チームを結成し、複数のコンテンツ・ベアリング・ワード(content-bearing words / 内容関連語)を抽出し、その単語がどのようにアレンジされているかに焦点をあてた研究などを行っている。 - ゴードン・ラッグ(Gordon Rugg)
英国キール大学の数学者。ヴォイニッチ手稿に記されている文字列に似た独自の複雑なコードを作成し、手稿のそれに類するものを制作する事は容易である事を主張している。なお同氏は以前より手稿がエドワード・ケリーによる偽書であるとの説を展開しており、その論旨で2004年に暗号学の専門誌に論文を投稿している。 - ステファン・バックス(Stephan Bax)
ベッドフォードシャー大学教授、言語学者。2014年に複数の単語を解読したと発表、そこにはコリアンダー、クミンなど現代でも香辛料として使われている植物の仲間を表す言葉などが含まれているという。
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外国の作品への影響
コリン・ウィルソン、ダン・シモンズといった著名作家によって題材に使われている。ヴォイニッチ手稿そのものもその写本が出版されており、また手稿を巡る歴史などについての解説本などが発売されている。
クトゥルフ神話との関係
クトゥルフ神話の創作者であるアメリカの小説家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890 - 1937)はヴォイニッチと同時代の人物である。彼は1916年に処女作『ジ・アルケミスト』The Alchemistを発表している。またその前後から文通を始めており、その相手はクラーク・アシュトン・スミスやロバート・E・ハワードなどが含まれる。
ヴォイニッチとラヴクラフトの間に直接の面識、もしくはそうした手紙を通じた情報交換が行われていたかは定かではなく、また相互に言及等は無い為影響の有無を明確にする事は難しいが、ヴォイニッチが手稿を公開したのは1915年で、時系列的には手稿の存在がラヴクラフトのその後の作家活動において何らかの影響を齎した可能性は否定できない。
ヴォイニッチ手稿とクトゥルー神話を初めて結びつけたのはコリン・ウィルソンで、彼は1969年に発表した小説『賢者の石』The Philosopher's Stoneの作中において、ヴォイニッチ手稿はラブクラフトの創作に登場する魔導書《ネクロノミコン》※の写本であるという設定をしている。また内容は暗号文で、使われた文字はアラビア文字であるが実際の言語はラテン語であったとしている。
クトゥルー神話については一方でアレイスター・クロウリーの魔術体系との類似性が指摘されており、彼の率いる魔術結社〈黄金の夜明け団〉とラヴクラフトには密接な関わりが有ったと論じている魔術師もいる†。尤もラヴクラフト本人は友人宛の手紙のなかでクロウリーを「神秘的な力を持っている風を装っている男」と手厳しく評しており、また自身は魔術に関しては門外漢であり、アーサー・エドワード・ウェイトの「黒魔術と契約の書」を読んで得た程度の知識しか無いと語っていたという。
クロウリーはと言うと自らの業績を「シュメールの伝統の再発見」であると主張し、またそうであるからこそ歴史的に正統なものだと訴えていた。彼がラヴクラフトやクトゥルー神話、ヴォイニッチ手稿について何か言及したと見られる形跡は伺えないが、クロウリーの術式はヴォイニッチ手稿の作者と目される一人であるジョン・ディーおよび彼のエノク魔術に多くを依拠しており、それ故ヴォイニッチ手稿もまた〈黄金の夜明け団〉と何らかの関わりがあるという説は巷で頻りに唱えられている。
※同書名の初出は1922年の短編『妖犬』The Houndで、アブドル・アルハズラットという人物によって著されたという風聞付きの設定が為されていた。
†『クロウリーと甦る秘神』監修者のケネス・グラントなど
いずれにしても問題はクトゥルー神話に登場する事物に為されている面妖怪異な描写との共通性を、ヴォイニッチ手稿に描かれているそれの、少なくとも絵図の方からは一見何ら読み取ることが出来ないという点に尽きている。ヴォイニッチ手稿がある種の人々の想像力を大いに掻き立てる代物である事は疑いないが、あの植物や天文図といった内容が見せ掛けやダミーではなく直接的な意味を持っているのであれば、それらがどのようにクトゥルー神話で描かれているような事物と対応しているのか、合理的な説明が必要とされる。
日本の作品への影響
- 『斬魔大聖デモンベイン』
クトゥルフ神話をベースにした作品。ヴォイニッチ手稿の写本説に立ち、内容は『ネクロノミコン』が暗号化されたものという位置付けで作中に登場する。 - 『沙耶の唄』
『斬魔大聖デモンベイン』と多くのコンセプトを共有しており、ヴォイニッチ手稿も登場する。 - 『ヴォイニッチホテル』
タイトルはヴォイニッチ手稿から取っているが、手稿に描かれているような植物や各種シンボルが登場する事はない。各話が日数に対応しているのは、手稿が日記であるという説を踏まえたものか。 - 『ニィーニの森』
カバーイラストに手稿の文字が使われている。 - 『ギルティ・アームズ 2 禁忌の手稿』
ヴォイニッチ手稿という名の付いたオーパーツが登場する。 - 『ユビキタス』
デジタル小説誌『文芸カドカワ』にて連載中のエンタテイメント小説。ヴォイニッチ手稿がテーマ。 - 『ヴォイニッチの科学書』
podcastで定期配信中のサイエンス系ラジオ番組。
他の未解読文書との比較
ヴォイニッチ手稿は未解読文書としては最も有名な物の一つだが、未解読文書として名を今日に伝える作品は他にも数多く存在する。ヴォイニッチ手稿と並び世に知られるのがロガエスの書で、同じくその内容は解明されていない一方、著者はジョン・ディーとエドワード・ケリーである事やエノク語と呼ばれる魔術的な非自然言語で記述されている事が判明している。またヴォイニッチ手稿は大方のページに謎の挿絵が含まれているのに対し、ロガエスの書はそのような絵は一切描かれていない。
20世紀に公開された未解読文書としては他にコデックス・セラフィニアヌスがある。こちらはイタリアの建築家ルイジ・セラフィーニが製作したもので、30ヶ月に及ぶ執筆作業の末1981年に刊行された。以来解読の試みが多く為されてきたが成功せず、2009年にはセラフィーニ本人がコデックスの背後に何か意味のある内容を隠してはいない、只のアセミックであると言明している。
◆未解読文書ではないが、ヴォイニッチ手稿の推定年代より遡ること200年ほど、13世紀に製作されたと見られるギガス写本という謎の写本が存在する。これは写本としては中世最大のサイズを誇る巨大な書物で、新旧聖書に加えて幾つかの古文書を収録する。装飾写本でもあり、豪華な挿絵が幾つも挿入されている。筆跡鑑定から一人の手によるものと推定されるが、これだけの分量の写経を独りの手で行えば、20年は下らない歳月を要すると測られている。このギガス写本は、製作者についてのみならずその完成度・独自性・製造過程などについてヴォイニッチ手稿とはまた異なる謎を抱えている。
関連動画
関連項目
リンク
- The Voynich Manuscript
手稿のスキャン画像や、各ページについての詳細な解説が載っている。 - The Most Mysterious Manuscript in the World
手稿を取り扱ったサイトとしたは国内最大級。解析ツールなどを公開している。
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