前田武彦とは、テレビ黎明期から活躍した放送作家、司会者、タレントである。「マエタケ」の愛称で親しまれた。
概要
太平洋戦争中に海軍飛行予科練習生として1年半在隊した後、鎌倉アカデミアや立教大学を経て、様々な職業を経験。1953年にテレビ放送の開局間もないNHKの放送作家として台本を書くようになる。
その後、青島幸男や大橋巨泉といった同じ放送作家出身のタレントとともに司会者として活躍。
フリートークの名手であり、毒舌を効かせた司会術で人気タレントとなる。最盛期には「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」(日本テレビ)、「ゴールデン洋画劇場」(フジテレビ)などに出演した。
そんな彼の活動に大異変が起こる。
1973年、共産党候補者の選挙応援演説で「もし当選したら『夜のヒットスタジオ』の中でバンザイします」とアドリブで発言。実際に当選したため、生放送であった「夜ヒット」の中で実際に共産党を讃えて万歳を行った。
この行為が当時のフジテレビ社長であった鹿内信隆(反共主義者)の逆鱗に触れ、彼は「夜ヒット」や「ゴールデン洋画劇場」の司会者・解説者を強制的に降板させられるハメになる。
この一件のあと他局も前田を起用しなかったため、テレビ業界から一時姿を消すこととなった。
1981年に彼がテレビに復帰するきっかけとなる「朝のホットライン」(TBSテレビ)が放送開始。元々ボートが趣味であったために天気に詳しく、それを買われて「お天気マン」という天気キャスターとして登場し、好評を得た。
以降はタレントや俳優などの活動を行い、「釣りバカ日誌」などに出演。「TVブックメーカー」(フジテレビ)のディーラー役として出演するなど、テレビ番組にも出演した。
補足
- 初代司会者として人気番組に仕立てあげた「夜のヒットスタジオ」を当時個人的に録画していた。しかし、「共産党バンザイ事件」による降板騒動を期に同録テープを処分してしまう。当時は家庭用・業務用共に録画機材が非常に高価な時代であり、フジテレビ側もマスターテープを重ね録りして使いまわしていたため、この時期の映像はほとんど現存していない。この損失は日本のテレビ番組史的にも非常に惜しまれる。
関連動画
放送作家時代に作詞した「エイトマン」のテーマ曲が有名。この曲の一節を後にNTTのテレビCMでSMAPが歌った。
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