宮城道雄(1894~1956)とは、日本の純邦楽の作曲家・演奏家である。
正月のBGMで有名な「春の海」をはじめとして、数多くの純邦楽の曲を作曲しただけでなく、古典曲の演奏・録音、新しい和楽器の開発、西洋音楽の紹介などを行った。
目次
生涯
1894(明治)年4月7日に兵庫県神戸市に生まれた。生後まもなく目の病気を患い、8歳のときには失明してしまった。
生田流の二代目中島検校に入門し、11歳のとき免許皆伝を受けた。
13歳のとき、家庭の事情から朝鮮の仁川に移住。この朝鮮時代に作曲活動を始め、明治41(1908)年、14歳で(後述する)処女作「水の変態」を作曲する。
その後、京城(現ソウル)に移住した頃に結婚し、宮城姓を名乗り始める。
大正5(1916)年、22歳で「大検校」となるが、その地位に満足せず、1917年に東京へ渡る。
大正8(1919)年、第一回作品発表会にて、作曲家としてデビュー。
昭和4(1929)年に「春の海」を作曲、世界的に評価される。
昭和31(1956)年6月25日未明、東海道線刈谷駅付近で列車から転落、事故死した。享年62。
代表作
代表的な作品と、作曲年度を記す。なお、全曲の情報は宮城道雄先生・作品リストより参照できる。
西暦 | 曲名 |
1909 | 水の変態 |
1914 | 唐砧 |
1915 | 都踊 |
1921 | 落葉の踊り |
1923 | さくら変奏曲・瀬音・比良 |
1928 | 越天楽変奏曲 |
1929 | 春の海 |
1940 | 祝典箏協奏曲 |
1946 | 手事 |
1952 | さらし風手事 |
1953 | ロンドンの夜の雨 |
1954 | 泉 |
功績
多くの日本人にとっては、宮城道雄は「春の海」の作曲者というイメージが強いであろう。確かに、彼は春の海によって世界的な評価を受けたわけであるから、それは誤ったイメージではない。
しかし、彼の功績は「春の海」作曲にはとどまらぬ大きなものである。以下、それを簡単に紹介してゆこう。
和声的音楽の導入
宮城道雄は、それまで「かけあい」が主であった純邦楽において、和声的性格を持った音楽を生み出したとされる(初期の作品「唐砧」などがその代表例である)。
新しい和楽器の開発
宮城道雄は、新しい楽器の開発にも着手した。そこで生み出されたのが、十七絃・八十絃などの一連の楽器である。
従来、箏といえば弦の数は13本であり、ヴァイオリンのような高音で調弦して演奏されることが多かった。
そこで宮城道雄は、ヴァイオリン属のチェロに該当するような低音パートの箏を作ろうと考えた。これが十七絃である(弦ではなく絃と表記されることが多い)。名前の通り、17本の弦を持つ箏で、通常の箏よりも一回り大きいため、音も低い。
八十絃などは、演奏のしにくさから現在では使用されなくなったが、十七絃は現代の邦楽曲においても盛んに使用されている。
演奏家としての活躍
宮城道雄氏は演奏家としても活躍し、有名な古典曲の音源をいくつか残している。以下に紹介するのはその一部である(右に「音源」とあるのは、いずれもYouTubeにある音源である)。
随筆家としての活躍
宮城道雄は随筆家としても知られる。随筆集『春の海』においては、彼の音楽観や日々の生活、人々との関わりなどが記されている。
作品
宮城道雄は数多くの曲を遺している。ここでは、その一部を紹介しよう。
春の海
元々箏・尺八の二重奏曲として作曲され、1929年に箏・宮城道雄、尺八・吉田晴風で初演が披露された。
後に箏・ヴァイオリンにより演奏され(箏は作曲家の宮城道雄、ヴァイオリンはフランス人ヴァイオリニストのルネ・シュメー)、世界的に評価された。
箏: 宮城道雄 ヴァイオリン: ルネ・シュメー
水の変態
宮城道雄の処女作。1908年に作曲された。当時・朝鮮総督府の総監であった伊藤博文に評価された。
なお、独奏版と二重奏版とがあるが、これは当初は独奏曲として作曲され、後に替手が作られたという事情によるものである。
箏本手: 宮城道雄、替手: 宮城喜代子
瀬音
YouTubeで箏: 宮城道雄の演奏を聴くことができる。
ロンドンの夜の雨
1953年(昭和28年)に作曲された。ロンドン滞在中に即興的に作曲されたもので、ロンドンのBBCで初演が放送された。
YouTubeで箏: 宮城道雄の演奏を聴くことができる。
手事
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関連項目
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