概要
1939年生まれ。ジャズベーシストとしてジョージ大塚トリオ(ドラムス:ジョージ大塚、ピアノ:市川秀男)でプレイする。その後、ドラマーの石川晶率いる「カウント・バッファローズ」のほか、1970年ごろからスタジオミュージシャンとして数多くのレコーディングに参加。60年代後期から70年代にかけて活躍した代表的なスタジオミュージシャンの一人である。
スタジオミュージシャンとなってからはエレキベースを使用することがほとんどである。16ビートを刻みながら音域のアップダウンを高速で行うその特徴的な演奏スタイルは「エレベーター奏法」と呼ばれ、寺川の代名詞となっている。寺川と同時期に活躍したベーシストの江藤勲が、ピッキングによる硬い音を出していたのと対照的である。なお、エレキベースを使い始めたのは江藤の方が早く、江藤は寺川にエレキベースの奏法を指導したという。また、江藤によると寺川はエレキベースをウッドベースのように垂直に立て、フィンガーピックをはめて演奏していたという。
寺川の特徴的なベースラインは、「カウント・バッファローズ」のアルバムのほか、70年代の歌謡曲、アニメ・特撮ソングなどで耳にすることができる。しかし、当時は歌謡曲などで演奏者をクレジットするのは一般的ではなかったため、寺川の演奏であると実証的に断定できる楽曲は多くない。数少ない例外が、尾崎紀世彦の大ヒット曲「また逢う日まで」である。作曲者の筒美京平が、ベースの演奏者が寺川であることを証言している。
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