歌仙兼定とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。
この概要、実用一辺倒で雅に欠けるね
僕は歌仙兼定。歴代兼定でも随一と呼ばれる二代目、通称之定の作さ。
名前の由来は三十六歌仙から。風流だろう?
……まあ、元主が手打ちにした人数が36人だったから、と言うと、
みんなどういう顔をしていいかわからなくなるようだけれど。(刀帳)
「之定」の異名を持つ、二代目兼定作の打刀。
持ち主だった細川忠興が三十六人の家臣を手討ちにしたことから、
三十六歌仙にちなんで歌仙兼定と呼ばれる。
文化人ではあるが体格はしっかりしており、力づくでどうにかする悪癖がある。
刀種は打刀。刀派は兼定。
最初に選択可能な「初期刀」のうちの一振。
薄紫色のゆるふわな髪に青みがかった緑色の目の美青年。目尻に淡く紅を掃いており、柔らかな態度で審神者に相対する。
戦装束は着物に行燈袴の和装。外套の裏地や胸の飾りには牡丹があしらわれて華やかな仕立てとなっており、同刀派の和泉守兼定(刀剣乱舞)とは全体的にデザインが共通している。
内番では白襦袢に行燈袴、白足袋に草履姿。紅白を縒り合わせた襷をかけ、前髪を上げて桃色のリボンで留めている様は、誰が呼んだか「マルチーズ」と言われることしばしば。
紋は右三つ巴をベースに、波を意匠したもの。これは元主・細川忠興が徳川秀忠に語った人評、「明石の浦の蠣殻」の逸話に由来すると思われる。
元主が当時トップレベルの文化人だった事もあり、歌仙自身も「文系」と称して風流や雅を解し、和歌や茶道や料理、品物の目利き等が得意であるなど、キャラクターに色濃く反映されている。その一方で、元主の家が長らく財政難であったことからか「計算ごとは苦手でね」と語る。
また歌枕を求めてか、遠征が好きという一面もある。「ああ、旅先の景色を楽しんで来るよ」と嬉しそうに出かけ、帰ってくると「あっははは……楽しい旅だったよ」と感想を口にする。遠征帰りの仲間を出迎える時にも「おやおや、あんなに急いで帰ってこなくてもいいのに。せわしないなあ」と発言する。
ただし戦闘となるとおっとりした物腰が一変。声の温度が下がって物騒な一面が露わになる。
手討ちに由来する名を体現するかのように「首を差し出せ」と嘯き、傷を負えば「貴様……万死に値するぞ!」と怒りを露わにする。更に真剣必殺では片脱ぎとなって「貴様の罪は重いぞ!」と吠えるなど、「天下一気の短い男」と呼ばれた元主の影響が見受けられる。文系とは何だったのか
しかし、血生臭い謂れをを持つ刀にしては、ネガティブな方向にこじらせてはいない。日々の暮らしの中で風流を愛し、優しい声で語りかけてくるのに心奪われた審神者も少なくない。
ただし畑当番・馬当番では手や着物が汚れるのを嫌ってか、露骨なまでに不機嫌な様子を隠さない。特に馬当番を終えた時の「このことは、絶対に忘れないぞ……!」は必聴。
花の意匠も手伝って一見優男に見えるが、公式Twitterでは「肉付きの良い体、きっと腕も立つのでしょう」と紹介されている。実際、図録で確認できる戦装束の下には非常に破廉恥なボディスーツめいたインナーを着用しており、程良く鍛えられた体が確認できる。
このことから、風流人としての一面を持ちながらも、刀として武働きするに十分な資質・能力も備えている……のだが、ゲーム内のステータスは至って平均的。
ただし攻略研究が進み、条件によっては高速槍の機先を制して攻撃できる事が判明しており、「どのようなステータスであろうとも育成を極めれば終盤でも運用できる」という証明になっている。
また「武具の拵えは得意でね」という台詞からか、
「歌仙を近侍にして刀装を作ると特上装備(金色)が出やすい」
というオカルトが一部でささやかれている。※効果には個人差があります
公式絵師のツイートによると「ふと笑うと、とろけるような顔をする」という設定が存在するほか、初期案では髪の色が赤かったとのこと。
2016年5月17日に実装された7面「延享の記憶」において、小夜左文字(刀剣乱舞)との回想・特殊会話が追加された。
共に細川家にいた小夜のことを「お小夜」と呼んでおり、暗い顔を見せるのは良くない事など、気にかけている様子を見せた。一方で小夜によって「ああは言っても物凄い人見知り」という新たな属性が発覚し、多くの審神者を驚かせた。
その後、案の定小夜の心配は的中。江戸の調査に同道した大倶利伽羅(刀剣乱舞)との間で一悶着生じてしまう。人見知りなりにわざわざ一匹竜王に気を使った結果がこれだよ!
しかし裏で仲直りを画策した小夜と燭台切光忠(刀剣乱舞)に加えて鶴丸国永(刀剣乱舞)・太鼓鐘貞宗(刀剣乱舞)らの助力もあり、和解とまではいかないものの、「不愛想な奴」と酒を酌み交わせる程にはなった。よかったね。
また同日、手合せにおいて和泉守兼定(刀剣乱舞)との特殊会話も実装された。
いいところを見せようと張り切る和泉守を「雅さに欠けるな」と評しつつ、実力は認めている模様。
2016年11月24日~12月15日の期間限定イベント「秘宝の里~楽器集めの段~」において、他の初期刀と共に「近侍曲」が実装。
作曲を担当したのは「アルトネリコ」などで知られる志方あきこ氏である旨が発表され、話題となった。
2017年8月15日に実装された篭手切江(刀剣乱舞)との間に回想「歌のかたち今昔」が発生。
細川家に伝来したもの同士、気安い関係が伺える。
2020年4月28日、イベント「特命調査 慶長熊本」が開催。
歴史改変され放棄された世界を舞台に、旧知である古今伝授の太刀(刀剣乱舞)、細川家・明智家に所縁ある地蔵行平(刀剣乱舞)が実装され、歌仙を連れて行くと追加で回想が発生。(極前・極後で違いあり)
史実と異なり「キリシタンが勝利した世界」にて、「細川家に咲く一輪の花」を巡る物語が展開された。
同時に実装された回想「本丸という歌集」では古今伝授との間で、風雅を愛でる者同士、歌になぞらえて本丸を語る姿が見られる。
極実装
2018年7月17日、初期刀としては4番目に極実装。
レベル70以降、修行道具一式を消費して四日間(96時間)の修行を経ることで極の姿になれる。
レアリティが一段階上がり、ステータスが大幅にアップした。極となった打刀男士の特性で、戦闘で両隣どちらかの刀剣男士をかばうことがある。かばった際のダメージは軽減される。
ちなみに極としては36番目の実装であり、また実装日は陰暦で細川ガラシャの命日に当たる。
修行先は大方の予想通り、肥後国(現在の熊本県)熊本藩・八代城に隠居する細川三斎(忠興の隠居後の号)だった。その三斎に客人として招かれ、「強さとは違うかもしれないけれど、文化的な審美眼を鍛えてくるつもりだよ」と審神者に告げている。
また一通目の手紙には「見聞きしたものをあまり詳細に書いてはならないと言われている」と書かれており、時の政府によって情報伝達が制限されている事が伺える。
当時の状況について解説すると、寛永9年(1632年)に加藤忠広(加藤清正の嫡子)が改易後、細川忠利(忠興の嫡子)が熊本藩へ移封。当時既に隠居していた三斎は幕命により八代城に入り、本丸に四男・立孝を住まわせ、自身は北の丸に隠居した。これは一国一城令の例外で、隠居料9万5千石という大名級の待遇だった。
その後は忠利と入れ替わりで国元と江戸を往復し、将軍への謁見の他、大名・商人・公家らと共に茶会・歌会・蹴鞠を楽しんだ記録が多く残っている。その一方で、交友関係から得た情報を息子と共有し、幕府や他家への対応に抜かりなく当たっていた。
二通目の手紙では、「修行の方は充実しているのだけれど、その成果を歌にできないのはもどかしいね」と彼らしい悩みを伝えてくる。一方で「学ぶべきことは多い」と評する三斎の人となりについては「後世では乱行をおもしろおかしく取り沙汰されることがあるけれど、芸術家とはそういうものではないかな?」と、肯定も否定もせずに鷹揚に受け入れている。
そして三通目の手紙では、三斎が亡くなった為にこれ以上学ぶ事が出来なくなったと知らせてくる。ちなみに三斎が八代城で亡くなったのは正保2年(1646年)で、具体的な年数は不明だが短くない時間を共に過ごした可能性がある。
その三斎について歌仙は「非常に穏やかな方だった」と語り、純粋さゆえに許せない事が多くあったが、それも年を重ねて飲み下せるようになっていったのだろうと綴った。そして「僕がその境地に達せているかはわからないが、目標はできた」と結論づけると、後は審神者の所で実践すると締めくくり、本丸に帰還を果たした。
戦装束には大きく変化が生じ、胸の牡丹が桔梗に変わった。桔梗は細川ガラシャの実家・明智家の家紋でもあり、花言葉は『永遠の愛』『気品』となっている。
更に着物は青紺から赤紫へ変わり、袖には袖括りが追加。たもとには歌仙拵を思わせる無数の白点がちりばめられている。更に黒い外套の裏地が鮮やかな青い蝶の羽様に変わり、外套を留める鎖にも小さな蝶があしらわれている。これは拵の「影蝶透かし」に由来したものと推測され、その他にも多くの審神者による考察が捗る事となった。
内番衣装に変化はない。しかし何と馬当番・畑当番ともに嫌がるそぶりを見せなくなった。寂しい。
修行を経て「文化の守り人」として「文系」を強く自負するようになったらしく、現在の所蔵元と合わせて考えると感慨深いと評する審神者もいる。一方で「僕の言う文系は文系じゃないって? 誰が言ってるんだい、お仕置きが必要だな」と発言し、「計算するくらいなら、力押しで何とかするさ」と、苦手な事はばっさり切り捨てた。更に演練では「軍師とかいう理系には絶対に負けられないな、文系として」と宣言する。やっぱりつよい。
戦場でもより殺意が高まっており、声の温度はやはり低い。
「作戦は簡単だ。攻め口より押し入り誅伐する。文句はなかろう?」と嘯き、傷を負うと「ああ……貴様が生きていていい理由は、微塵もなくなったぞ!」と激昂。真剣必殺では外套が大きく開き、青く輝く蝶の姿を露わにする。
誉を取れば「はは、僕で良かったに決まっているだろう?」と、極前の「おや、僕で良かったのかい?」と比べると、己の在り方に自信を抱いている事が伝わる。
また極全般に言える事だが、審神者に対する態度も、極前と比較するとだいぶ距離が詰められている。ひょっとすると『恥じらい』『人見知り』の花言葉を持つ牡丹の意匠を手放したのも関係していたりして……
「他の刀に目移りしてもいいけれどね、最後は僕のところに戻ってくるんだろう?」と告げ、不在の間には審神者に贈る歌を考えている様子。戦績では元主を想起するような発言もあるが、他の台詞と合わせると保護者目線なのかも知れず、解釈はプレイヤーに一任されている。
極前のステータスは平均的だったが、極後は統率が下がった一方で打撃・衝力がアップ。同レアの打刀極の上位に躍り出た。
我こそは之定が一振り、歌仙兼定なり!
二代関兼定こと和泉守兼定の作。
刀の銘「兼定」の「定」の字の下を「之」と切ったことから「之定(のさだ)」と呼ばれた。
生没年こそ不詳であるが、「関孫六」こと孫六兼元と人気を二分し、多くの武将・大名がこぞって刀を手に入れた。著名な所では「人間無骨」「鳴神兼定」「九字兼定」「立袈裟籠釣瓶」などが知られる。
江戸時代には「千両兼定」と呼ばれて高値で取引され、新選組副長・土方歳三が之定作の刀を欲しがっていたとも伝えられている。
また伊勢で仕事をした際に「千子村正」こと村正とも交流を持ち、秘伝を教わったという。これを裏付けるように、二人の銘が裏表に刻まれた合作の短刀が現存している。
戦国大名・細川忠興の佩刀と伝わる。銘は「濃州関住兼定作」。
打刀にしてはやや短く、実は大脇差であるにっかり青江とほとんど寸が変わらない。これについては細川家が修めた居合術「伯耆流(ほうきりゅう)」が片手での抜き打ちを得意とした為、という説が存在する。
その拵(外装)は忠興により制作されたと伝えられ、彼が修めた武家茶道の侘び・寂びの精神を反映していると評価される。美的に優れている事から歌仙拵(かせんごしらえ)と呼ばれ、現代に伝わる肥後拵(ひごごしらえ)の原型の一つとなっている。
言い伝えによると、熊本・八代城に隠居した三斎(忠興)が、息子・忠利におもねる佞臣を呼び寄せ、この刀を用いて三十六人(または六人)を手討ちにした。その後、和歌の名人の総称である三十六歌仙(または六歌仙)にちなんで名付けられたという。
ただし細川家伝来の文献には、上記の謂れについては伝わっていない。いくら忠興が苛烈な性格だったと言われていても、息子に仕える家臣をそれだけ斬ったとあれば「乱心あり」と公儀からの追及は免れ得ず、御家の文書に残すとなると大変に危険である。
その為、この謂れはあくまでも「伝説」として伝えられている。また手討ちの人数は、生涯に手を下した総数という説もある。
肥後熊本藩三代藩主・細川綱利の頃に家老・柏原家に下賜され、明治以降は持ち主を転々とする。
昭和初期に16代当主・細川護立(国宝保存会初代会長、日本美術刀剣保存会設立者)により買い戻され、細川家に戻った。
昭和4(1929)年に東京で開催された「日本名宝展覧会」に、細川侯爵家から生駒光忠(国宝)と共に出展。表記は「和泉守兼光」となっている。→日本名宝展覧会目録並解説
現在は細川家累代の名物・収集品を所蔵する、東京・目白台の「永青文庫」に収蔵。常設展示ではないので注意。
2016年7月9日~10月2日にかけて、夏期展示「歌仙兼定登場」が開催。
細川忠興が関ヶ原の戦いで着用した『御吉例の甲冑』こと「黒糸威二枚胴具足」、『ガラシャの鐘』と呼ばれる「九曜紋付南蛮鐘」の他、生駒光忠、古今伝授の太刀など、細川家に伝来する多くの名物と共に公開された。
これに合わせて文京区とのコラボレーションが実現。ホームラン・拳氏による描き下ろしイラスト、立ち絵のパネル展示の他、ホテル椿山荘とのコラボスイーツ、文京区の名所を巡るスタンプラリー、記念グッズ販売が行われ、盛況の内に終了した。
期間中の来場者は最終的に27,000人を突破。ちなみに永青文庫の年間来場者は約30,000人という事から、大きな反響を得た展示であった事が伺える。
ちなみにこのタイトルを決めたのは永青文庫理事長にして細川家現当主・細川護熙氏であった。
展示に関する打ち合わせの様子が某テレビ番組で放映されたが、「刀剣乱舞」の公式スタートブックを手にしての発言であり、視聴していた審神者達の度肝を抜いた。永青文庫公式Twitterによると「ガチです。」とのこと。これだから細川家は
2018年8月4日~9月24日、熊本県立美術館の特別展「永青文庫展示室開設10周年記念特別展 細川ガラシャ」展にて展示。ゲームとのコラボが実現し、立ち絵パネル展示・関連グッズ販売のほか、刀身の撮影が許可され、多くの来訪者で賑わった。
2018年9月29日~ 11月25日、京都国立博物館の「京のかたな 匠のわざと雅のこころ」に全期展示。ゲームとのコラボが実現し、立ち絵パネルの展示や関連グッズが販売された。
2020年4月25日~6月21日、永青文庫の春季展「新・明智光秀論-細川と明智 信長を支えた武将たち-」に展示されると発表。大河ドラマ「麒麟がくる」に合わせる形となったが、新型コロナウィルス流行に伴う緊急事態宣言を受け、開催は延期となっている。
動画を差し出せ
目利きなら任せてくれ。刀剣、甲冑、茶器、食材、何でもござれだ。
関連項目はここか。雅さの欠片も見当たらないね
- 刀剣乱舞
- 刀剣男士
- 初期刀
- 細川忠興 - 元主
- 三十六歌仙 - 名の由来
- 和泉守兼定(刀剣乱舞) - 同じ刀派・特殊会話が発生
- 小夜左文字(刀剣乱舞) - 細川家伝来・回想が発生
- 篭手切江(刀剣乱舞) - 細川家伝来・回想が発生
- 松井江(刀剣乱舞) - 細川家家老・松井興長佩刀
- 古今伝授の太刀(刀剣乱舞) - 細川家伝来・回想が発生
- 地蔵行平(刀剣乱舞) - 細川家/明智家伝来
- 和泉守兼定 - 刀工
- 九曜と竹雀組
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