比嘉祐介(ひが ゆうすけ、1989年5月15日 - )は、沖縄県出身のサッカー選手。ポジションは左サンドバック左サイドバック。横浜F・マリノス所属。
概要
名護市立大宮中学校を卒業後、流通経済大学付属柏高等学校へ進学した。
流通経済大学付属柏高等学校3年時に、左サイドバックとして、高円宮杯全日本ユース選手権、全国高校選手権の2冠達成に貢献した。高校の同級生には、大前元紀と中里崇宏が、一学年後輩には、田口泰士、久場光がいる。
高校卒業後は、流通経済大学へ進学。3年次には2010年アジア競技大会のメンバーに選ばれ、金メダル獲得に貢献した。
2012年に横浜F・マリノスに入団することが公式サイトにより発表された。名護市出身者としては初のJリーガーとなる。同年に開かれたロンドンオリンピックでは最終予選まで代表メンバーに名前を連ねていたが、最終メンバーからは落選した。
横浜F・マリノスでは出場機会を掴めず、2014年に京都サンガF.C.へ期限付き移籍。
ネット上での扱い(プレー)
U-23日本代表の山村や関塚監督などと同じく叩かれる対象になっていて、毎度サポーターからの怒りを買うことが多い。
特に守備に難があり、あの守備をしない事で有名な宇佐美貴史に守備をさせた程である。
しかし、敵にすぐ弱点だと見抜かれ集中攻撃を受け続けても、最後まで一生懸命走ってどんなときでもへこたれないその根性が好かれヒガニスタなるものまで出来るなどその実力は計り知れない。
3年後、そこにはACミランの左SBになっている比嘉の姿が・・・
ネット上での扱い(人間性)
プレーに関しては決して評価の高くない比嘉であるが、ピッチを離れた比嘉はスベり芸の気質も持ち合わせていることもあってか、一周回って愛されキャラとして扱われている。いつしか呼称は比嘉「さん」に。
横浜F・マリノスのチームメイトであった中村俊輔はことのほか比嘉さんをイジり倒してかわいがっており、Jリーグが開幕した記念日でもある5月15日にゴールを決めてコメントを求められた時は「(今日は)Jの記念日?比嘉の誕生日の方じゃなくて?」と答え(当記事の冒頭にもあるように比嘉さんの誕生日も5月15日である)、七夕の短冊には「ひがさんがスタメン出場できますように」と願い事を書き、小学校にサッカー教室に赴けば比嘉さんの股間を狙ってボールを蹴り込み(関連動画参照)、2014年の元日に天皇杯で優勝した後の記念撮影では出場しなかった(ベンチにも入らなかった)比嘉さんに最前列センターポジションに収まるよう指示を出し、比嘉さんのレンタル移籍が決まった後に行われた2014年の新体制発表会では「比嘉くらい最悪自腹で買い戻す、レンタルバックですよ」とまで発言。チームとしても比嘉さんを推していきたいのか、携帯電話のゲームアプリには栗原勇蔵、齋藤学といった日本代表クラスのレギュラーに交じって比嘉さんがプレイヤーキャラに抜擢。トリッキーな性能で妙に難易度が高かった。
元々ムードメーカーとしての素養はあったようで、U-23の代表合宿では初召集された選手はチームに溶け込んでもらうために比嘉さんと同部屋になることが恒例だったようだ。オリンピックの最終メンバーに落選した際にはチームメイトの齋藤学に自作のDVDを託し、代表メンバーを活気づけたという。
プレーでイジられていたことからある程度知名度を得ていた比嘉さんには、こうしたいい人エピソード・イジられエピソードや試合に出なくなってしまったためプレーでイジりようがなくなったこと、沖縄出身者らしい濃いめの顔のつくりも相まって、いつしかネット上でも愛されキャラへと変貌し(「師匠」扱いをされる鈴木隆行や、サンフレッチェ広島時代の森脇良太あたりが似たような立ち位置)、ついにはAAまで作られてしまった。
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このとおり、いい人ではあるんです。あとはサッカーの実力が伴ってくれば……
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