長曽祢虎徹(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム『刀剣乱舞』の登場キャラクターである。
概要、推して参ろう。
江戸時代に活躍した刀工、虎徹の贋作といわれている打刀。
元持ち主の近藤勇が、池田屋事件の激しい戦いを経ても折れも曲がりもしなかったと伝えていることから、剛刀であることは間違いない。
体格に恵まれ、のびやかな性格。だが、自身の刀としての在り方に対しては厳しい一面も。
(公式Twitter)
刀種は打刀。刀派は「虎徹…?」と疑問形で表示されている。
これを裏付けるように、主要任務「「虎徹」部隊の結成」において実績解除の対象ではない。
また、長曽根とよく名前を間違えられる。
正しくは長曽祢なので、辞書に登録しておくと幸せになれる、かもしれない。
2015年3月17日、浦島虎徹(刀剣乱舞)と共に実装。
当初は通常戦闘、およびイベント「戦力拡充計画」における検非違使からの稀ドロップだったが、2016年3月15日からは鍛刀での入手(敵からのドロップなし)に変更されている。
鍛刀時間は3時間で、打刀狙い撃ちレシピもあるので入手難易度は実装当時からするとぐんと下がっている。
2018年7月3日以降、6-4「池田屋一階」ボスマスの稀ドロップ、および鍛刀での入手が可能となった。鍛刀時間が1時間30分になっていたが、後に設定ミスであった事が発表。3時間に戻った。
筋骨たくましく、アダルトな雰囲気を漂わせる男。髪はトップが黒髪、襟足が金髪のツートンカラー。また日本号(刀剣乱舞)と揃って無精ヒゲがあるなど、多分に野生み溢れるキャラクターである。
戦装束は白と黒を基調にしており、新選組のだんだら模様を継承。設定資料集によると、デザインのモチーフとして「黒い四ツ足の獣」がイメージされている。
内番の意匠は赤いジャージで、ポケットにゴム手袋を突っ込み、足元はビーチサンダルとこちらもワイルド。
プロレスラー・棚橋弘至氏と似ているというSNS上での審神者の発言がご本人の目に入り、後日早速似た写真をアップして話題になった。
蜂須賀虎徹(刀剣乱舞)・浦島虎徹(刀剣乱舞)の兄という立ち位置。しかし蜂須賀からは「贋作」として徹底的に辛辣に当たられる一方、浦島は特にこだわりなく二人を「にいちゃん」と呼んで慕っている。とは言え、実は蜂須賀も本心では長曽祢の有りようや働きぶりを認めてはいるのだが……
同じ新撰組に所属した加州清光(刀剣乱舞)、大和守安定(刀剣乱舞)、和泉守兼定(刀剣乱舞)、堀川国広(刀剣乱舞)とは回想や内番で特殊会話が発生。彼らの中ではとりまとめ役になっている。
また同時代を生きた陸奥守吉行(刀剣乱舞)とも回想・特殊会話が発生。佐幕と勤皇、いわば敵同士という事もあって互いにぶつかる部分も見受けられるが、特に不仲という訳ではなさそうだ。
性格は実直にして謙虚。「言葉より行動」をモットーとし、虎徹の贋作である事に引け目を覚えず、己の働きによって価値を証明しようとする。
蜂須賀に対しては「仕方ないよなぁ。贋作が兄であるように振舞っているのだからな」と、複雑な兄弟事情を鷹揚に受け入れている。
戦働きにおいては、「油断するな。敵がどこに潜んでいるかわからんぞ」と慎重に構えつつ、刀を振るえば「推し通す!」「おれに斬れぬ敵ではない!」と勇ましく敵を屠る。
真剣必殺の「今宵のおれは血に飢えている…ってな!」は、講談などにおける近藤勇の「今宵の虎徹は血に飢えている」という名台詞を踏まえたもの。合わせて脅威の脱ぎっぷりを披露するが、これは虎徹兄弟に共通である。
ステータスは総じて高く、太刀に近い打刀と言える。手に入れば強力な戦力になる。そう、手に入ればね。
「打刀の皮をかぶった太刀」「お前のような打刀がいるか」と形容する審神者もいるとかいないとか。
極実装
2017年10月10日、大和守安定(刀剣乱舞)・和泉守兼定(刀剣乱舞)と共に、打刀として初となる極が実装された。
ステータスが大幅にアップし「遠戦の時、稀に上下に隣接した刀剣男士をかばう」という新たな特性が付与。かばった際に受けるダメージは軽減されており、敵の攻撃を稀に弾く脇差極と共に運用が想定される。
衣装の布面積が大幅にアップし、全体的に豪奢かつ重厚な印象が増した。露出が少なくなった為、かえって寂しがる審神者もいるとか何とか。
真剣必殺での脱ぎっぷりは健在で、背後に虎のような炎のオーラを背負っている。弟の浦島と異なり、明確に虎という訳ではないが、これが真作と贋作の違いなのかも知れない。
修行先は、大方の予想通り幕末の京都だった。
とは言え前の主とどのような顔をして接すればいいのか悩み続け、どうすれば強くなれるのかが解らず「情けない限りだ」と自嘲する。
その後、近藤勇との接触に成功。呑み屋で相席したのをきっかけに、彼の持つ虎徹についていろいろと聞かされる事になる。
贋作である虎徹をそれとは知らずに自慢する近藤に「その虎徹は本物なのか」と尋ねた長曽祢。しかしそれに対し、近藤は「このような業物が贋作であるわけがない」と返す。
その後間を置き、池田屋事件の後に再び彼らは言葉を交わす事になる。長曽祢の事を覚えていた近藤は「やはりこの虎徹は本物だった、お陰で窮地を切り抜けた」と語り、「贋作と疑ったお前の目利きはまだまだだ、機会があれば教授して進ぜよう」と長々と自慢話をされそうになる。
そんな近藤に閉口しながらも「贋作であろうとも、主が必要としているだけの質を持ち、満足しているのならば、それは真作に劣るものではない」と気づかされる長曽祢。
それを答えとし、自分を使ってくれる今代の主の元へ帰還を果たした。
「本物に追いついたなんて言う気はない」と謙虚さは変わらず、しかし自信をもって審神者に相対する。
二人の弟については「おれは、弟達にとっては他人かもしれない。だが、おれにとってはそうではない。それだけのことだ」と語り、虎徹クラスタの審神者達を感涙に咽ばせた。
また攻撃時の台詞が「虎徹に斬れぬ敵ではない!」に変化しており、誉を取った時の「これぞ虎徹! と言われたいものだな」という台詞と合わせて、贋作でありながら背負った虎徹の名を大事にしている事が伝わる。
おれの逸話を見せよう
江戸時代初期の甲冑師にして刀工・長曽祢興里(ながそねおきさと)こと長曽祢興里入道虎徹の作。
長らく甲冑師として活躍していたが、太平の世となり甲冑の需要が減った事もあり、50歳を超えてから商売を替えたという。
約20年に及ぶ活動の中で打たれた刀は第一級の評価を受けており、美術工芸品としてもきわめて優れていた。その為、大名や豪商によって大いにもてはやされるが、これが虎徹の贋作が世に横行する事態に繋がってしまう。
「虎徹を見たら偽物だと思え」というのは刀剣界の常識であり、ゲーム内で弟の蜂須賀が事あるごとに贋作を嫌うのはこの為である。
新撰組局長・近藤勇の佩刀として知られている。
しかし虎徹は幕末においても極めて高価であり、一介の浪士の手に渡るのは到底不可能だった。その為、江戸時代後期の刀工・源清麿(みなもとのきよまろ)が打った刀に虎徹の銘を切った偽物だったという説が、現在では一般的である。
近藤自身は自分の刀を虎徹と信じており、池田屋事件の後、養父宛てにしたためた手紙において「下拙刀は虎徹故に哉、無事に御座候」とある。
源清麿は23歳で江戸に上り、軍学者・窪田清音に師事。作刀・剣術の腕前を認められ、屋敷の一角に専用の鍛冶場を設ける程だった。
その後天保13年(1842年)、長州藩家老・村田清風に誘われ、長州藩に移住した。この期間に打たれた刀は「長州打」と呼ばれており、その後2年ほどして江戸に戻る事となる。
ところが若い頃からの飲酒がたたり、清麿は病に倒れてしまう。自らの手が自在に動かなくなった事を悲観し、嘉永7年(1854年)、42歳で自害してしまった。
作風は相州伝で「四谷正宗」の異名を取り、水心子正秀・大慶直胤と並び「江戸三作」として屈指の人気を誇っていた。またその数奇な生涯も手伝い、新々刀の刀工の中でも高い評価を受けている。
虎徹と信じた愛刀と共に幕末の京都を駆け抜けた近藤は、鳥羽・伏見の戦いの後、名を「甲陽鎮撫隊」と改めた新選組を率いて幕府軍の下で戦う事となる。
その後近藤は甲州勝沼の戦いにおいて敗北。捕縛され、板橋刑場(現在の東京都板橋区)にて斬首。その首級は京都の三条河原に晒された。
彼の愛刀がその後どうなったのかは、誰も知らない。
ニコニコ動画へ討ち入りか。任せて貰おう
動画と静画では勝手が違うからなぁ。御教授願おう
今宵の俺は関連項目に飢えている・・・ってな
- 刀剣乱舞
- 蜂須賀虎徹(刀剣乱舞)
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- 陸奥守吉行(刀剣乱舞) - 回想・特殊台詞が発生
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