『電波少年』とは、1992年~2003年まで日本テレビ系列で放送されたバラエティー番組である。
本項では『電波少年シリーズ』とまとめ、『進め!電波少年』『進ぬ!電波少年』『雷波少年』など全てをここで扱う。
概要
当初は番組タイトルを『進め!電波少年』、司会は松村邦洋と松本明子でスタートした。ナレーターは木村匡也、メインプロデューサー兼総合演出は土屋敏男(Tプロデューサー)。
1990年代の日本テレビ黄金時代を支えたバラエティー番組のひとつである。
なお、『電波少年』及び『進め!電波少年』という名称は、日本テレビ放送網株式会社が所有する商標となっている。
番組開始の経緯
そもそもはウッチャンナンチャン出演のバラエティ番組「ウッチャンナンチャン with SHA.LA.LA(ウッチャンナンチャンのシャララ」の番組休止中のつなぎ番組として急遽始まった番組である。
ウッチャンナンチャンが主演映画「七人のおたく」の撮影を終えた時点でこの番組も終わる予定で、世間はもちろん日テレ局内でも誰も期待されずに始まった。
一応番組開始時に製作発表記者会見も行ったのだが取材に来た記者はわずか1名。会見のために抑えた大広間ではあまりにもったいないということで急遽会場を応接間に変更し、松本明子・松村邦洋・土屋敏男(番組プロデューサー)とその記者の4人だけで細々と会見を行ったという。
土屋プロデューサーは編成部側から半ば強引にキャスティングされた番組司会の松本と松村のことすらよく知らず、最初の3ヶ月ほどは手探りで番組を作っていた。低視聴率のため常に打ち切りの危機を彷徨っていたが、当時の日テレ制作局長の息子が「電波少年」を気に入っていたためになんとか首の皮がつながる。
そうしていたところ、その過激な企画が徐々にコアな視聴者に注目されるようになり番組人気が上がり始めていく。
この結果、「電波少年」が予想以上の人気を博したためこちらを続行。ウンナンには深夜帯に「ウンナン世界征服宣言」という別番組が与えられた。この「世界征服宣言」も後にゴールデンタイムに移動して「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」となり、「電波少年」同様1990年代の日本テレビを支えた代表的バラエティー番組として君臨することとなる。
放送時間帯は初回から日曜夜10時半スタートであったが、プライムタイムの番組に似つかわしくないチープかつ過激な企画が多かったためか深夜に放送されていたと勘違いして記憶している者も多く、2009年度版のgooランキング「もう一度見てみたい懐かしの深夜番組ランキング」で深夜番組に該当しない当番組が第3位にランクインしてしまう珍事が起きた。
(ただし、日本テレビ系における日曜夜10時半~11時半はネット局による差し替え可能なローカル枠のため、関西、中京、福岡など一部地域では自社制作番組を放送し、「電波少年」は深夜枠で遅れネットされた地域も存在した)
番組内容の変遷
第一次絶頂期
番組初期は、アポイントメントを取らず何かをしでかす「アポなし企画」で番組への関心を集めた。「ユンピョウは本当に強いのか」では松村が唐突に襲い掛かるもボディーガードにボコボコにされる結末になったり(たいがい松村の危機にスタッフはトンズラというある種本番組のお約束まで構築)、「アラファト議長と一緒にデュエットしたい」では松本が実際に議長に会って一緒に歌ったり、松村がアラブの富豪の豪邸のトイレを借りてウンコをする・・・つもりが砂漠の真ん中でガチ遭難してしまい救出されるという謎の感動まで、全ての企画を語るとキリがないためここでやめておく。それだけ視聴者の印象に残る企画も多かった事を証明している。
彼ら以外で特に辛い目にあったと思われるのが、出川哲朗。エイズストップキャンペーンなどの性的企画に借り出されては「たくさんの筋肉マンが・・!」「NO!オチンチン!」と叫んで多くのガチホモから逃げるハメにあったり、マフィアらしき人物に殺されそうになる放送ギリギリの展開にまでもつれ込んだ事がある。
この「アポなし企画」を放送していた頃が第一次絶頂期だったと言える。
この頃、松村と松本は永田町や霞が関の官庁などで「要注意人物」としてブラックリストに載っていたと言われている。
「アポなし企画」は1997年頃まで続いた。
第二次絶頂期
1996年頃から大幅に内容が変わっていく。
無名のお笑い芸人をブレイクさせる企画が主流(帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)が流れると決まって土屋敏男が登場する演出も顕著)となり、猿岩石の「ヒッチハイクの旅」に代表される「感動を呼び込む企画」を毎週日曜日に放送(時々SPとして拡大編成も)していた。
ヒッチハイクでは、内戦が行われていた所を飛行機で移動した事が判明し企画中には一切説明がなかった事で批判を受けた。「これはドキュメンタリーではなくバラエティー番組。道義的責任なんてない」と当時の社長や関係者は発言。その後、ヒッチハイクシリーズ第3弾であるパンヤオ(伊藤&チューヤン)でも内戦激化地を通る事が出来ず、番組内でテレゴングを行い飛行機による移動を行った。第2弾のドロンズだけは、自力で船のヒッチハイクに成功し危険地帯を回避し通過している。
電波少年の代名詞ともいえるヒッチハイク企画だが、社会現象にまでなったのは事実上最初の猿岩石によるユーラシア大陸横断だけで、その直後出発したドロンズに対しては当初「二番煎じ」との批判もあった。しかし現地語によるコント、現地の人との長期滞在や積極交流など独自性を打ち出していくことになる。第3弾のパンヤオも、のちに香港人DJのチューヤンが番組レギュラーになるなどの影響を残した。
その後、『懸賞生活』『無人島脱出』『地球防衛軍』などヒットした。
この頃が第二次絶頂期と言える。
2002年秋に番組が日曜夜10時30分(一部地域を除く)から土曜夜10時に移動するまでこの傾向は続いた。
衰退期
出演者の演技力低下、やらせ疑惑、マンネリなどから視聴率が少しずつ下がっていき、フライデーや民主党を怒らせる事件も発生。この頃にはかつての勢いを完全に失っていった。
そして、2003年1月に『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』を終了し、シリーズの幕を下ろした。
2010年
しかし、2010年1月25日に電波少年2010の企画としてtwitterにて「人はツブヤキだけでいきていけるか?」を開始。チーム有吉とチームTプロデューサーと別れて展開中。詳細は外部サイトの電波少年2010で。
電波少年W~あなたのテレビの記憶を集めた~い!~
2021年1月16日から12月20日まで、WOWOWプライムおよびYoutubeで放送。実に23年ぶりとなる松村邦洋と松本明子の二人を司会に、演出と司会兼任として土屋敏夫、ナレーターは木村匡也、オープニングテーマはBEYONDの「The Wall~長城~」と原型を復活させた。
放送リスト
日曜 22:30 - 22:54 | 日曜 10:55 - 11:25 | その他 | |
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1992年7月5日 | 進め!電波少年 (~1998年1月1日) |
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1998年1月11日 | 進ぬ!電波少年 (~2002年9月29日) |
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1998年4月5日 | 雷波少年 (~2002年3月31日) |
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1999年7月3日 | 雷電為右衛門 (『電波少年』『雷波少年』の特別番組) |
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1999年12月31日 | 行け年!来い年! (『電波少年』『雷波少年』『ウリナリ!!』の特別番組) |
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2000年4月8日 | 二代目雷電為右衛門 | ||
2000年10月7日 | 三代目雷電為右衛門 | ||
2002年3月31日 | 雷電為右衛門千秋楽 | ||
2002年4月1日 | 電波少年的放送局 (CS放送局、~2003年6月30日) |
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2002年10月12日 | 電波少年に毛が生えた 最後の聖戦 (~2003年1月11日) |
その他
- ハドソンのゲーム『桃太郎電鉄7』では猿顔石やドロンコズのヒッチハイク企画と思しきネタを盛り込んでおり、彼らを手伝って臨時収入が入るイベントがある。
- 本番組のオープニングテーマは、香港のロックバンド・BEYONDの「The Wall 〜長城〜」の一節が使用されている。BEYONDはこの曲で日本にも進出し活動を始めたが、1993年にリーダーの黄家駒(ウォン・カークイ)が「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!」(フジテレビ)の番組収録中の転落事故で不慮の死を遂げたため、日本での活動を撤退を余儀なくされる。残念ながら、日本ではこの曲が「電波少年のテーマ」としてのみ認知されるに留まった。
- 番組の立ち上げ人のTプロデューサーはのちに番組編成部長に昇進、T部長と呼ばれるようになった。番組終了後は露出の機会も減ったが、たとえば「中居正広のブラックバラエティ」でしょうもない企画(ワールドカップの裏、出演者が変顔対決で瞬間最高視聴率を競う)を放送したときに、お叱りの文書を作成したりしている。
- Rまにあが無人島生活をしていた愛媛県由利島は後にザ!鉄腕!DASH!!にて放映される「DASH島」として使用されるようになった。
- 尚、Rまにあが由利島脱出後に行ったスワンボートの旅は当初港などの近海のみスワンで移動する映像使い、残りの道程は曳航してしまいさも人力で太平洋横断をしたかのように見せる(つまり完全なヤラセにあたる)という企画だったが、スワンの強度が想定以上に脆く、曳航作戦は企画倒れに終わり、常に撮影スタッフや海上のプロを携えた随伴艇を脇に構えての「本物の」大冒険となったことが関わった人物により明かされている。
関連動画
公式生放送
2013年12月より、ニコニコ生放送で、T部長や当時の出演者による公式生放送番組が時々放送されている。
もちろん番組放送時の映像も見られるので要チェック。
関連項目
外部リンク
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