主に第一期(1945~60)前期(45~53)・後期(54~60)、第二期(1961~86)前期(61~79)・後期(80~86)
第三期(1987~現在)前期(87~96)・後期(97~現在)に分けられる。
第一期
前期:詳しくは韓国史に譲るが、日本敗戦により現在の北朝鮮、韓国に相当する部分に分断された。これにより、当時朝鮮半島で一体化(北の重工業・南の農業及び軽工業)していた経済体制が壊滅的ダメージを受けた。当時日本人資産が大量に残されたがそれらは民間払い下げ、現在の韓火グループである韓国火薬や東洋麦酒現在の斗山といった財閥の形成に寄与した。だが経済の発展にこれら多くの資産が運用される事は無かった。同時に土地改革も50年代に行われ、自作農化は進んだが土地資本の工業化は進まなかった。また時を同じくする朝鮮戦争は経済的にも大きな損失となった。
後期:この時期は韓国経済=米国援助経済と言える時期だった。米国は韓国を反共産主義の橋頭保と位置付け、45~60年の間に31億1000万ドル(62年時点のGNPは23億ドル)もの巨額な経済・軍事的支援を行った。その内無償援助された物は韓国内で販売され、いわゆる「対充資金」(見返り資金)は国防費や経済建設費に充当された。援助総額が韓国財政・輸入に占める割合はそれぞれ通算44%、77.7%であった。これらの具体的効果は何より食物価格の安定、食糧不足の緩和である。また韓国全体の低賃金化も推進された。
援助物資を原料とした消費財産業の興隆、つまり紡績・製粉・製糖等の活性化は「三白経済」をもたらした。反面これらの事は農村荒廃、経済のいびつな構造をもたらした。特に農産物の低価格化による農民の生産意欲の減衰、50年代の韓国農村荒廃は「春窮」「絶糧農家」「ポリコゲ」という言葉で言い表されている。また離農者増大、都市の失業者急増、都市のインフォーマル部分が拡大した。当時の李承晩政権も末期、朝鮮戦争の復興需要も一巡し景気後退局面となり、政局混乱。朴正煕の登場を待つ事になる。
・三白経済=米国から無償供与された小麦・原綿・原糖を原料に製粉・紡績・製糖が賑わった。
これら3つが「白い」ので三白経済という。消費財産業の成長は53~60年で製造業全体の年平均成長率12.2%(GNP成長率4.7%)をもたらした。
1960年代以前の経済指標 (単位:%、100万ドル) 1954 1955 1960 1961 1954~61平均、合計 経済成長率 5.5 5.4 1.9 4.8 4.4 人口増加率 2.88 2.88 2.88 3.25 2.93 1人当GNP(ドル) 70 66 81 83 ― 国民貯蓄率 6.4 4.9 1.4 3.9 3.7 投資率 11.6 11.9 10.9 13.1 12 産業構造 農林漁業 40.3 44.8 36.8 40.2 41.3 鉱工業 12.4 12.2 15.7 15.2 13.8 その他(サービス業) 47.3 43 47.5 44.6 44.9 卸売物価上昇率 28 81.9 10.7 13.2 22.2 輸出 24 18 33 41 200 輸入 243 341 344 316 2754 外国援助 154 237 245 199 2088
- 60年代一人当たりGNPが80ドル台と圧倒的に低かった(GDP購買力換算日本:約4700ドル、米国約13000ドル、旧西ドイツ約9800ドル、韓国1420ドル)。
- 貯蓄と投資にギャップがあった(援助によりそれは補填)。
- 農林漁業が多く占めていた。
- その他=第三次産業が肥大化していた。
- 物価上昇率が高かった。
これらのことより韓国経済は農業、援助により成り立っていた事が伺われる。
第二期
朴正煕政権誕生に伴ない経済五カ年計画が実施され、経済建設が爆発的に進んだ。このことから「開発年代」とも称される。当初は農村再建、国内資本動員による「自立経済の達成」が執られていたが、64年以降は輸出振興政策にはっきり傾いた。この政策の内容は
①政府主導の経済建設を進める。
②外資導入を含めて政策金融を梃子に産業振興を図る。
③輸出主導型工業化を邁進する。
というものだった。
また、72年より本格化したセマウル運動(新しい村づくり運動)と73年からの重化学工業化政策も重要な位置を占めた。前者は急激な工業化により取り残された農業やそれに携わる農村部を活性化させ、米の自給化を達成すると共に都市農村間格差を短期間で解消させた。後者は軽工業主体の輸出品目を付加価値の高い重化学製品に代え、輸出の更なる増加につながった。また重化学工業化は自主国防体制の構築にも寄与した。簡単にまとめると、
第一に国民が飢えから救われた。
第二に63年から79年の間で年平均3.1%の就業者増加率で就業機会の多様化がもたらされた。第三に工業化の進展で技術、ノウハウが蓄積された。
といったことが上げられる。
・セマウル運動=この運動を通じて高収量種米の普及、副業の推奨により農民の収入は飛躍的に向上。
67年都市勤労所得の60%台だったのが、73年にはこれを上回った。
第一次~第四次五カ年計画とその実績(単位:%、100万ドル) 第一次(62~66)
計画/実績第二次(67~71)
計画/実績第三次(72~76)
計画/実績第四次(77~81)
計画/実績経済成長率 7.1/8.5 7/9.7 8.6/10.1 9.2/5.5 1人当GNP(75年価格
、ドル)―/307 ―/437 ―/650 ―/1607 投資率 22.6/15.1 -19.0/26.4 24.9/27.8 26.2/35.3 国内貯蓄率 9.2/6.1 11.6/13.1 19.5/18.2 24.2/23.9 海外貯蓄率 13.4/8.8 7.5/12.9 5.4/9.8 2.0/11.2 農林水産業比率 34.0/31.7 34.0/28.8 22.4/24.0 18.5/19.6 鉱工業比率 27.2/25.7 26.8/20.9 27.9/29.3 40.9/31.3 社会間接資本その他サービス業比率 38.8/42.6 39.2/50.3 49.7/46.5 40.6/49.1 経常収支 -246.6/-250.6
-95.8/-847.5 -359/-314 -1172/-4436 輸出 138/254 550/1132 3510/7815 20242/20881 輸入 492/673 894/2178 3993/8405 18872/24229 人口増加率 2.81/2.75 2.20/2.24 1.50/1.70 1.59/1.55 失業率 14.8/7.1 5.0/4.5 4.0/3.9 3.8/4.5
『韓国経済開発外観』
これによれば、韓国経済は朴正煕政権の下で、量的にも質的にも激変した様子が分かる。輸出は特に61年5481万ドルから150億5550万ドル、年平均増加率は36.6%に達した。結果62年に73%を占めた一次産品のシェアが79年には9.9%に低下し、商品輸出構造が大きく変化した。また輸出を主力とする経済成長政策は産業構造をも大転換させた。但し、成長一辺倒の開発政策は階層間の格差拡大、財閥への経済力集中、インフレの亢進等の副作用が生じた。その影響で社会・政治不安が高まり、朴正煕大統領の暗殺に繋がった。
後期:この時期は前期の「開発」から「安定」(三低現象)へ移行していく時期である。
朴正煕政権に代わった金斗煥政権は「安定」を第一に掲げ、インフレ抑制を最優先課題にした。82年開始の第五次五カ年計画の正式名称も「第五次経済社会発展五カ年計画」とし、「開発」から「発展」、社会を重視する向きをアピールした。「民間主導経済への転換」が打ち出され、憲法には中小企業の振興が銘記された。但し「外向き開発政策」のつけはインフレの高進に留まらず、80年代前半には債務償還問題を深刻化させた。対外債務残高が85年には468億ドルに達し、同年のGNPの5.7%に相当した。債務償還負担率も18%に達し、資金繰りに不安が生じた。この時の危機は米国系銀行の緊急融資とプラザ合意のもたらした
円高=ドル高=ウォン安 による輸出急増で回避された。
プラザ合意後のドル安=ウォン安に原油安、国債金利安が加わり、「三低現象」がもたらされた。これにより韓国経済はかつてない好況を得、86年からの「魔の三角形」から開放、高成長、物価の安定、経常収支黒字といわゆる「三低景気」を満喫した。ウォンはこの時初めて切り上げを始めた。これはこれまでの重化学工業化と外部環境が見事に符合した結果だといえる。
・魔の三角形=成長を優先する結果慢性的インフレのこと。経常収支の赤字に悩まされた結果、成長、物価、国際収支の3つのトレードオフ関係をこう呼んだ。
第三期
前期:この時期は高度経済成長の結果、大量の中産層創出・民主化運動高まり・経済体制の転換が模索された。
87年の民主化宣言は燎原の火の如く広まる労働争議をもたらし、賃金の大幅引き上げが行われた。これはウォン切り上げと相まって韓国製品の国際競争力を急速に低下させた。88年からの盧泰愚政権は「民主化宣言」後の「総体的危機」と直面する。90年代に入ると韓国でも「3D」(日本の3K)という言葉が使われ、外国人労働者が増加、また高賃金高金利、高地価、高物流費、多規制を表す「4高1多」という言葉が90年代半ばに定着した。この言葉は、経営環境の更なる悪化を象徴した。このため9年の国交正常化を機に韓国の対中投資は年毎に増加した。
93年の金泳三政権は混乱の根底に権威主義的開発体制が限界に来たという事実があるとして92年に始まった「第七次五カ年計画」を打ち止め、新たに「新経済五カ年計画」を打ち出した。「文民政権」を標榜する同政権としては「新しい革袋に新しいワインを」という事であった。これは「過去のような政府の指示と統制ではなく、国民の自発的参与と能動的創意が新しい経済発展の原動力にならなければならない」というものであった。その実現の為に、財政改革、金融改革、行政規制改革、経済意識改革等、一連の改革が必要であるとされた。これにより政府機関統廃合(財政経済院の発足)や金融実名制(グリーンカード制)を進めた。また、金融ビッグバン・経済力集中の排除・規制緩和等も構想された。
しかし結果は惨惨たるもので、97年には韓宝グループの倒産が発覚した。この事件は「権力型非理(権力を巻き込んだ不正腐敗)」に変りなかった事、権威主義的政策運営が相変わらず続いた事だった。これは後のIMF危機に至る混乱の出発点となった。
・金融実名制=税金逃れのための膨大な仮名・偽名・借名資金の炙り出しの政策。
後期:この時期は経済改革と何よりもIMF危機の襲来である。
IMF危機当時の大統領は金大中であったが、野党出身であった事、改革志向が強かった事、財閥・金融機関との癒着が少なかった事等々がプラスに働きIMFとの意向とも大部分で一致した。権力基盤は脆弱であったが、国民の危機意識とIMFを「葵の御紋」に企業構造改革や金融改革にメスを振るった。この経済改革で中堅財閥は没落、失業者は急増、所得格差は拡大した。中産層の没落は衆論の一致するところである。
金大中政権の後に登場した盧武鉉政権の経済政策は、財閥や富める者優先の経済成長政策、さらにIMF危機がもたらした混乱に対する反発を反映し「成長より分配」をスローガンに、財閥叩きや不動産投機の抑制・弱者救済・労働組合保護といった社会主義的色彩の濃いものだった。結果投資や消費等内需は振るわず、対中輸出の急増による外需の好調で、03年~08年の経済成長は5%を維持した。
アジア通貨危機と韓国~IMF危機~
当時新興工業経済地域(NIES)の先頭をひた走っていた韓国経済は97年12月3日の巨額資金支援と引換に国際通貨基金(IMF)の管理下に置かれた。韓国内でのいわゆる「IMF危機」である。前年の経済協力開発会議、OPECを果たしたばかりの未曾有の危機は経済政策の主権喪失、「第二の国恥」あるいは「第三の国恥」と騒がれた。
表面的には国際収支の管理失敗と大企業の流動性危機であったが、本質的には借金バブルの崩壊つまりは「官治金融」の失敗、政府主導の高度成長政策の破綻であった。その為その面目躍如には企業構造改革と金融改革を通じ、企業経営の市場経済化への方針転換である。これは財閥の解体であり、開発体制から市場経済への転換であった。
・「第二の国恥」あるいは「第三の国恥」=「第二の国恥」という場合、「第一の国恥」は1910年の日韓併合。「第三の国恥」という場合、「第二の国恥」には朝鮮戦争が入る。
・官治金融=韓国は朴正煕政権以来政策金融を梃子に経済開発計画を推進してきた、その為政府は株式保有等を通じて銀行を影響下に置いた。その結果韓国の銀行は政策金融の執行機関であった。それを揶揄したのがこの言葉である。
主要経済指標(単位:%、億ドル) 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 GDP成長率 8.9 6.8 5.0 -6.7 10.9 9.3 3.0 経常収支 -85.1 -230.0 -81.7 403.6 244.8 110.4 86.2 輸出(FOB) 1250.6 1297.2 1361.6 1323.1 1436.9 1722.7 1504.3 対前年増加率 (30.3) (3.7) (5.0) (-2.8) (8.6) (19.9) (-12.7) 輸入(CIF) 1351.2 1503.4 1446.2 932.8 1197.5 1604.8 1298.0 対前年増加率 (32.3) (11.3) (-3.8) (-35.5) (28.4) (34.0) (-19.1) 外貨準備高 327.1 332.4 204.1 520.4 740.5 962.0 1028.2 消費者物価上昇率 4.5 4.9 4.5 7.5 0.8 2.3 4.1 失業率 2.0 2.0 2.6 6.8 6.3 4.1 3.7
韓国銀行『経済統計年報』
危機直前の韓国経済は第一に景気の急速な悪化が見られる、95年の8.9%から96年6.8%、97年5.0%に経済成長率は低下した。輸出の伸びも同様に振るわなくなる中二人の前職大統領逮捕等政局不安が経済にも波及し、96年後半には名誉退職者(肩叩き)が急増、失業問題が30年ぶりに社会問題化した。
第二に輸出不振により経常収支赤字の急増、96年輸出増加率は前年の30.3%から3.7%と急落。円安による日本製品との競合激化があった。輸入増加率も32.3%から11.3%へと急減したが、輸出増加率程には低下せず結果経常収支赤字は前年の85億1000万ドルから230億ドルへの急増、経常収支赤字の対GDP比は2.0%から4.9%へと高まった。
外貨債務残高と対前年増加率(単位・億ドル、%) 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 残高 317 391 428 439 978 1275 1635 1592 1487 1371 対前年増加率 7.9 23.3 9.5 2.6 121.9 30.9 28.2 -2.6 -6.6 -7.8
統計庁『韓国主要経済指標』
第三に対外債務の急増、短期債務比率の高さが際立つ事、対外債務は金泳三政権政権の在任期間、93年~98年の間に4倍近く急増、対外債務中償還が一年未満の短期債務の比率が97年6月末には67%、外貨準備高に対する短期債務比率は300%にも達していた。短期比率が高いのは、短期外貨建て資金を借りて借り換えし、長期資金として国内で運用、長短の金利差を利用し利ざやを稼いでいたからであった。
問題は97年に入ってなぜ急にロールオーバーしづらくなったか、つまり借り手である韓国になぜ信用不安が生じたかであるが、これの発端は97年1月に発生した韓宝グループ倒産事件である。
財閥14位のこの財閥倒産事件はムノバル経営と呼ばれる大企業の飽くなき事業拡張意欲、杜撰な資金管理、特恵的政策金融の実態を明らかにした。
・ムノバル(蛸足)経営=韓国の企業はM&Aを繰り返し事業拡大、グループ規模を拡張していった。代表的ケースが大宇グループ。
資金繰りの悪化した企業を多数抱える金融機関は、政府に支援を求めたが同年一月末政府高官の「銀行が倒れても政府は支援しない」の一言により、対韓融資の多い日本の銀行に波及し、東京市場の韓国系金融機関に対する貸し渋り現象とコリアプレミアムの発生をという思わぬ結果をもたらした。さらにこれは拡散し、3月にはニューヨーク市場の一角でも「韓国金融機関お断り」とコール資金借入の中断が起こった。
韓宝グループ倒産事件を契機にした国内外金融機関の貸し渋り現象は財務構造の脆弱な大企業を直撃、「大馬不死」(大企業は倒産しない)と言われてきた大企業グループの連鎖倒産を招く結果になった。7月までに三美、真露、大農、ニューコア、起亜グループが相次いで倒産、第一銀行、ソウル銀行についてはLIBORに1.0%内外のコリアプレミアムがつくようになった。この信用不安のエスカレートは多額の借金を抱える韓国企業の流動性不安を深刻化させ、8月以降ウォンの対米レートを急降下させた。
11月21日韓国政府はIMFに緊急資金支援を要請したのであった。総合すると、短期債務に過度な依存をする国際収支管理の杜撰が、韓宝グループ倒産事件を契機とする国内の金融危機で通貨不安に転化、ウォンの急激な切り下げ、IMFへの緊急資金支援要請へと繋がった。
・コリアプレミアム=一般的に国際金融市場で資金を調達する場合にロンドン銀行間取引金利、LIBORが標準金利になるが、借り手の信用に問題がある場合に金利が上乗せされる。この韓国系金融機関に加されるものがコリアプレミアム
その後韓国政府はIMF当局とコンディショナリティ(融資条件)で合意。融資額は550億ドル、内訳は国際機関から350億ドル(IMF210億ドル、世界銀行100億ドル、アジア開発銀行40億ドル)、日本等から200億ドルが約束された。
韓国政府とIMF間での合意・覚書主要内容 項目 内容 マクロ経済 成長率3% 物価上昇率5% 経済収支赤字をGDP1%以内(約50億ドル)以内に
財政収支は均衡または若干の赤字に金融政策 総合金融会社9社の業務停止 伸縮的為替政策の維持(実質ウォン下落容認)
金融改革法の年内処理 外国人の株式投資限度、銘柄当55%に拡大
銀行経営への政府干渉排除 負債比率縮小の為の資本市場整備産業・財閥 国際基準合致の財務諸表作成政策
輸入先他辺化(事実上の対日輸入制限)廃止等の貿易自由化
外国人直接投資への制限緩和 個別企業救済のための政府支援禁止その他 労働市場の柔軟性向上 金融実名制の骨格維持
財閥内系列社間での相互債務保証慣行の変更努力
IMFのコンディショナリティの狙いは主に財閥の解体にあったと見られている。
政府の信用割当と、企業と銀行間の癒着からその相当部分が発生した。企業と銀行の癒着は企業が大企業投資を余りにも簡単に決定出来るようにした。危機打開の為には金融・財政改革の推進が不可欠である。広範囲な金融改革により①銀行の商業的見地からの貸出決定②政府の干渉排除
③銀行経営者の株主への責任強化が可能になり、その結果民間企業の銀行借入依存が改善され、
より効率的な投資決定が可能になる。また企業の海外借入に対する規制廃止は、企業の銀行借入
への依存を減らし、外国人投資者に国内社債市場を解法する契機になるだろう。効果的な企業支配構造と資本市場の規制緩和は、今後効率的な資源配分を保証するための必須の条件である。上場会社は独立した外部監査人の監視を受けなくてはならず連結財務諸表の作成、企業の情報開示を徹底しなければならない。金融負債を増加させてきた財閥系列社間の相互支払保証は、連結財務諸表を導入することにより透明性を強化しなければならない。政府は特定の個別企業を救済する為に、各種支援と税制上の恩恵を与えた此迄の政策を破棄し、健全な企業と不健全な企業を強制的に合併させてはならない。
IMF危機直前に韓国で発行され話題を呼んだ米国人コンサルタントによる韓国経済への提言書
ブーズ・アレン&ハミルトン(2000)財閥は政府主導システムの産物である。一旦このシステムが市場システムに転換すれば、財閥は欧米の大企業に良く似たものへと変貌し、現在財閥について指摘されている不満の多くは解消出来るだろう。こうした転換が起こる為の主要条件は、競争的な金融市場を導入する事であるが、これだけでは不十分でありさらに合併買収が国際的に開放される事、並びに労働市場の真の柔軟性が必要である。また金融システムを超えた財閥問題の解決には、各部門で競争条件を導入し政府指導を中止する必要がある。
97年12月、IMF危機に対応する事になった金大中大統領は早く、五大財閥のトップが翌98年1月には会談し、2月には企業構造改革の柱「五大原則」、①企業透明性の増大、②相互支払保証の解消、③財務構造の改善④業種の専門化、⑤経営陣の責任強化、が打ち出された。1月15日には労使政委員会が発足、2月25日の就任式前に整理解雇法案が国会を通過した。
・五大財閥=現代、大宇、サムスン、LG、SKの5つ。同族経営が特色、グループ参加企業を創業者一族で
支配。朴正煕政権以来の歴代政権は、企業の株式公開などに拠る経営の近代化、系列企業の縮小等に
よる経済力集中の抑制を主な財閥政策としてきた。
・整理解雇法案=87年6月の民主化宣言以降、労働組合が経営者を圧倒するようになり人的整理を進め
にくくなっていた。その為金泳三政権はそれを可能にすべく96年12月この法案を強行採決、しかし労組
野党の強い反対の為これの実施延長2年を決定せざるを得なかった。
99年より企業透明性の確保の為の、30大企業グループについて連結財務諸表より厳しい結合財務諸表
の実施が義務付けられた。韓国財閥の特徴「ムノバル(蛸足)経営」が企業の無限増殖の元凶と見られて
いたため、その原動力、相互支払保証額は98年3月までに自己資本の100%以内に限定され、4月以降
新規のものは禁止される等段階的縮小、2000年3月までには完全に解消された。
・連結財務諸表=企業集団をひとつの経営単位として見做し、集団を構成する各企業の財務諸表を連結、全体の経営成績と財政状態を把握するようにしたもの。
・結合財務諸表=持株比率が50%以下の関連会社でも、役員を派遣する等取引の上で深い関係のある
会社は子会社と見做され、連結決算の対照にする「実質支配力基準」が適用されるもの。
韓国財閥伝統ともいえる借金経営を解消すべく、負債比率の縮小が図られた。97年末で平均518%あった
30大企業グループの負債比率は99年末までに各グループとも200%以下に縮小する事が義務付けられた。
業種の専門化については五企業グループに対し主力業種を3~5に絞らせ、政府はそれを督促した。99年8月15日の演説で金大中大統領はさらに三原則を追加した。つまり①産業資本と金融資本の分離(産金分離)、②循環出資(株式の持ち合い)と不当内部取引の抑制、③変則的な相続の遮断である。特に②は「負債比率200%以内抑制」の抜け穴として活用されたので対抗すべく打ち出された。
金融政策については急進的な変化が生じている。「銀行の1/3が無くなり、銀行員の40%が失職。痛みはあったが銀行の改革は進んだ。政府は150兆ウォンの公的資金を投入した際に、銀行の経営陣を全面的に刷新した」(日本経済新聞)大きく進展したのは金大中政権と金融機関の癒着が無かった事、IMF危機の最中に誕生した野党出身の金大中政権は金融機関と癒着する暇も無かった為、「官治金融」というように元々政府の金融機関に対する支配力が極めて強く、金融機関は政府の命令に従わざるを得ないという事「4%上限」という出資規制のため財閥と銀行との間に元々強烈な結びつきが無かったという背景がある。
韓国は01年8月、IMFから借りていた195億ドル中、未返済分の60億ドルを返済、借金を完済した。実体経済面では98年に-6.7%であったGDP成長率は99年には10.9%とV字型回復を実現した。韓国経済は政府主導の開発体制から先進国型市場経済へと転換、「財閥解体」と相成った。IMF危機当時30大企業グループと呼ばれた内、01年末現在、14グループが解体・脱落した。
また金融界も大編成が起こった。数もさる事ながら外資の進出が「官治金融」を打破、韓国シティ銀行は外国人持ち株比率が100%、国民銀行は85.7%、外換銀行は74.2%(05年)となっている。また企業の資金調達に置いて株式市場が銀行を凌駕した。企業にとっては増資や社債による資金調達が容易になった事、銀行がBIS規制等に縛られ積極的に融資する状況に無かった事が関係している。
現在韓国経済では外貨の存在が大きくなっている、外貨導入において日本を除く東アジア諸国が直接投資対象であったのに対し借款が中心であった以前の状況から、危機克服の為にはと直接投資の導入が図られた。その結果、韓国企業の株が外国人によって購入されている。01年11月2日現在30大グループ上場企業外国人持ち株比率は42.0%で、年初34.6%より上昇。韓国代表企業、浦項総合製鉄が60.9%、サムスン電子が58.4%、現代自動車が50.4%、SKテレコムが48.0%である。(日本経済新聞 01年11月6日付)
これら改革は所得格差の拡大を生んだ。大量の失業者を生み出す事により、所得分配構造は変化、ジニ係数は80年代後半からは0.31以上から0.28近くにまで改善していたが98年には0.32を上回る水準にまで悪化。06年にも0.31付近という高水準で推移している。これは「成長より分配」を掲げる盧武鉉政権を誕生させる事になった。
第二のIMF危機?
現在韓国経済は米国サブプライムローン問題に端を発した世界金融危機に直撃され、大きな困難に直面、
「第二のIMF危機」になるのではないかとの懸念を生んでおり、ウォン、株価共に大きく低迷したままである。
先進国経済の悪化は輸出依存型経済の韓国を直撃し、08年11月以来、韓国輸出増加率は5ヶ月連続二桁のマイナスを続け、輸入増加率も同様である。実体経済の冷え込みが急である現況は08年第4四半期GDP成長率が前期比マイナス5.6%、年率換算で20.8%という数字に現れている。
特にウォン安の進行は深刻で、08年1月始めに1ドル=936.9ウォンだった為替レートは、11月24日には1514.0ウォン、61.6%のウォン安である。09年1月始めには1321.0ウォン」に戻したが、3月2日にはまた1570.3に下げている。ウォン安の理由としては、外国人投資家の株式市場からの資金引き揚げ、外資系銀行支店の資金引き揚げ、円キャリートレードの解消、11年ぶりの経常収支赤字等があげられるがそれ以外、「外貨準備は十分にあるので、10年前のような危機は無い」との政府当局者の説明には見向きもせず、「短期外債比率は外貨準備の75%なので短期債務の償還には問題が無い」という説明には「年内には償還期限が来る長期外債を含めると、102%になる」(英 『エコノミスト』09年2月26日号)との反論が示されるので明らかであるように、今回も前回のIMF危機同様「外貨建て短期債務の国内通貨建て長期運用」が問題になっていると見られている。
株価も大きく低下、韓国総合株価指数、KOSPIは08年1月始めの1853.45ポイントから5月16日には1888.88ポイントと最高値をつけた後に下落、10月24日には1000ポイントを割り込み、938.75ポイントにまで下がった。09年1月初めに1157.40ポイントに戻しているが漸増である。しかし前回と類似性が見られる一方圧倒的に違うのは米国や日本、ここに中国が救いの手を差し延べている状況で有る。通貨スワップの取り決めによる米国とは08年10月30日、日本と中国とは同年12月13日、それぞれ300億ドルの協定が合意され、実際に米国の分はすぐさま活用されている。通貨スワップというセーフティーネットは97年アジア経済危機後に合意されたチェンマイ・イニシアチブが先鞭をつけたものである。
・チェンマイ・イニシアチブ=2000年5月、ASEANプラス日中韓財務省会議はアジア通貨危機再発防止の
為二国間通貨スワップ協定に合意した。
現在の韓国経済
経済大統領と言われる李明博大統領は選挙期間中、「七四七ビジョン」を打ち出した。今後「七%成長」を持続すれば、10年以内に一人当たりGDPは「四万ドル」になり、韓国は「世界七大強国」に浮上する、という構想である。当選後は競争力強化委員会を立ち上げ、冷え切った不動産景気活性化の為に規制緩和や税の減免措置を打ち出し、産金分離の緩和等「親企業的施策」を推進、08年12月内需振興の為四大河川開発等の「韓国型ニューディールプロジェクト」を打ち出した。政府はこのプロジェクトで09年から4年間に約50兆ウォンを投じ、96万人の雇用を創出する計画である。
問題点…李健煕サムスングループ会長を始め韓国で憂慮されているいわゆる「サンドウィッチ論」である。特に2000年代から韓国は対外経済関係、つまり対中経済関係が急激に変化している。対中貿易の急増により、対外貿易における中国への傾斜と日米の相対的後退がはっきりとしている。輸出は特に中国のシェアは日米の合計より大きくなっていて、輸入においても増加率の大きさから同様になる見込みである。韓国にとって対中貿易は“ドル箱”であったが、中国の工業化の進展により対中貿易黒字は急速に減少、早晩消え失せる可能性がある。また依然として対日貿易赤字が増え続けている。これまでは対日貿易赤字を対中貿易黒字と対米貿易黒字でカバーしていたが、対中黒字の減少で08年から作用しなくなっている。
2000 | 2002 | 2004 | 2006 | 2008 | シェア 00/08 |
平均増加率 00~08 |
|
世界輸出 | 172,268 | 162,471 | 253,845 | 325,465 | 422,007 | 100.0/100.0 | ― |
増加率 | 19.9 | 8.0 | 31.0 | 14.4 | 13.6 | ― | 11.9 |
輸入 | 160,481 | 152,126 | 224,463 | 309,383 | 435,275 | 100.0/100.0 | ― |
増加率 | 34.0 | 7.8 | 25.5 | 18.4 | 22.0 | ― | 13.3 |
収支(x) | 11,787 | 10,345 | 29,382 | 16,082 | -13,267 | ― | ― |
米国輸出 | 37,611 | 32,780 | 42,849 | 43,184 | 46,377 | 21.8/11.0 | ― |
増加率 | 27.6 | 5.0 | 25.2 | 4.5 | 1.3 | ― | 2.7 |
輸入 | 29,242 | 23,009 | 28,783 | 33,654 | 38,365 | 18.2/8.8 | ― |
増加率 | 17.3 | 2.8 | 16.0 | 10.3 | 3.1 | ― | ― |
収支(a) | 8,369 | 9,771 | 14,066 | 9,530 | 8,012 | ― | ― |
日本輸出 | 20,466 | 15,143 | 21,701 | 26,534 | 28,252 | 11.9 | 6.7 |
増加率 | 29.0 | -8.3 | 25.6 | 10.4 | 7.1 | ― | 4.1 |
輸入 | 31,828 | 29,856 | 46,145 | 51,926 | 60,956 | 19.8/14.0 | ― |
増加率 | 31.8 | 12.1 | 27.1 | 7.3 | 8.4 | ― | 8.5 |
収支(b) | -11,362 | -14,713 | -24,444 | -25,392 | -32,704 | ― | ― |
中国輸出 | 18,455 | 23,754 | 49,763 | 69,459 | 91,389 | 10.7/21.7 | ― |
増加率 | 34.9 | 30.6 | 41.7 | 12.2 | 11.5 | ― | 22.1 |
輸入 | 12,799 | 17,400 | 29,585 | 48,557 | 76,930 | 8.0/17.7 | ― |
増加率 | 44.3 | 30.8 | 35.0 | 25.6 | 22.1 | ― | 25.1 |
収支(c) | 5,656 | 6,354 | 20,178 | 20,902 | 14,459 | ― | ― |
a+b+c | 2,663 | 1,412 | 9,800 | 5,040 | -10,230 | ― | ― |
(a+b+c)/x | 22.6 | 13.6 | 33.4 | 31.3 | 77.1 | ― | ― |
韓国銀行『調査統計月報』2009.2
直面するものとしてはリーディング産業の構築、成熟した労使関係の形成、雇用機会の創出である。韓国では、半導体、通信機器、造船、自動車産業等が生産輸出の牽引役だがそれが持続するかどうかは未知数である。少数の品目への集中も好ましくない。現在ソウルの南、大徳研究開発特区では60余りの研究所と600余りの企業が稼働し、期待も大きいが、コスダックに上場する19社中、6社が脱落する等活況とは言えない。
韓国の労働運動が過激なのは衆人の知る所で、韓国企業のイメージ悪化だけでなく、外国人投資家の対韓投資を躊躇わせている。政府は企業主の専横を厳しく監視すると同時に労働者の不法労働行為についても法律を適時的確に適用する必要がある。08年は3.2%と低水準であった失業率。今回の経済危機で失業者は増加しているが、韓国統計庁発表ところは09年2月失業者は92万4000人、失業率は3.9%となった。だが前回のIMF危機と比べると178万人、失業率8.6%と今回はダメージが低いと見える。これだけ少ないのは大企業が前回のように大々的なリストラをする必要が少ない、ワークシェアリング等の動きも関わっているが、失業者の定義に求職活動を放棄した人、無職の人が含まれてない事が大きい。「事実上の失業者」を含めると09年2月は失業者346万人、失業率14.6%になる。プラス「非正規職法」施行。これは盧武鉉政権時代制定されたもので、好況時は身分の不安定な非正規職を正規職にする事により雇用の安定化が図られるが、現在のような不況時には重荷となり、逆に非正規職の解雇となる。解雇の危険にさらされている非正規労働者数は09年7月以降年末まで100万人に達すると見られている。
また、近年日本に流通している家電製品や電子部品には韓国製が多い。その理由として、日本よりも製造費が安いこと、それなりの技術力があることなどが上げられる。だが、近年は中国製に取って代わられている事態が多く、特に白物(洗濯機などの家電)韓国製電化製品はホームセンターなどで一部が見られるに過ぎなくなりつつある。最近はウォンの為替が大きく動いているため、安い大型液晶テレビやPCパーツなどが日本国内で出回りつつある…最近は韓国企業製品も中国製が多くなってきている。どこの国も人件費は悩みの種である。
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