<哲学>
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331
ななしのよっしん
2018/05/26(土) 12:54:37 ID: 0yFWEZAgY8
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332
ななしのよっしん
2018/06/26(火) 19:55:53 ID: 8eZH+dEQsy
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なんであのチョイスだったのか知らんけど、科学・言語学・社会科学は西洋哲学から出てきたもんやろ。
現代でいう哲学は、数学と数学史の関係みたいなもんで、昔の偉い人らの思想の潮流を学んで今自分たちが立っているところの確認をするという役割に移っているんやと思うとるけど違うのかな。
もちろん現代にも哲学者は居るけども、その辺は不勉強でよう知らん。
あとは、過去の過ちをあげつらうことで総体が無意味と断じるのは詭弁に片足突っ込んでると思うけどなぁ。
理論と実証セットでどうにか一人前ちゅう考え方も、出来てからまだ数世紀しか経ってない人類の歴史から見れば最近のことやし。
もっと言えば、実証いうても、人間の因果観なんかの観念を考察抜きに所与のものとしてしまって個々の経験をただ寄り集めただけのものをもし実証と呼んでいるなら、近代合理主義的に言うてもそら科学と違うんちゃうか。
もうひとつ言えば、思弁を徹底的に疑い始めると倫理も自由意志の余地も無い冷たい決定論に陥ってしまう問題もある。科学は意味を与えないちゅうことやな。
宗教と哲学の関係については、アブラハムの神さんは(というより信仰してる人らを)、下手にないがしろにすると命を失うレベルで絶大な影響力を持ってたのも差し引いてやらんとフェアやないやろ。
あの辺は苦しければ苦しいほど信仰が強くなるとこあるから怒らすと怖いで~ってのはもう言及されてるな。
コペルニクスみたいに悶々と悩み続けて、亡くなる直前まで踏ん切りの付かなかった人も居る。
一方で、アホか!神の存在証明なんぞ出来るかボケ!って言ってのけた哲学者もちゃーんと居た訳やし、それだけで価値が落ちるかなぁ。でも居て欲しいな!って本音も覗かしてるけどなw
あんまりまとめられんけど、経験主義も科学も別に間違えないことを保証する訳やのうて、過ちを過ちのままにせず軌道修正する仕組みがあるちゅうんが大切なとこなのと違うか? -
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333
ななしのよっしん
2018/07/03(火) 13:27:34 ID: oMHhhf5vbO
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334
ななしのよっしん
2018/07/03(火) 13:39:03 ID: 5KEWCFW0ez
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335
ななしのよっしん
2018/07/04(水) 23:22:24 ID: 7cKFG+sgGZ
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>>333
あえて論理的というのを哲学の文脈で捉えると、論理実証主義や分析哲学の類かもな。
確かに、カントのいう「論理」がカント以外からは全く自明じゃなかったり、ニーチェが古代ギリシアの演劇・詩文の世界を再演したのを考えれば、全くその文脈を共有しない日本では分析哲学の方がまだ信頼を寄せられるのかもしれない。
実際本屋ですら今は分析哲学系の本が並んでいるし、その書き手である永井均や野矢茂樹は老いて盛んですらある。また分析哲学はSFの世界と相性がいいのも、現代的であると言える。
ただその分析哲学というものも、よくよく見れば道具的な面を強調しただけであり、中身自体は生と死だったり自我だったりと捉える対象は過去2000年とそうそう変わらないと思う。思索の時間をたっぷり持っている故の贅沢な悩みなのかもしれないが、逆に言うと人間はそうなるよう運命づけられていると言える。
俺もハッキリと哲学を分かったとは言わないが、考える自由を行使出来てる人間は良いなと感じられる程度には近い距離にいるって感じ。 -
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336
ななしのよっしん
2018/07/05(木) 14:25:24 ID: oMHhhf5vbO
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337
ななしのよっしん
2018/07/05(木) 14:29:01 ID: oMHhhf5vbO
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338
ななしのよっしん
2018/07/05(木) 14:37:50 ID: dyaPflkbij
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>>336って保守の記事にいるやつ?なんか凄い口調似てる。
人の褌で相撲を取るのやめたほうが良いぞ。自分の考えがあるなら先に述べてからにしたほうがいい。後出しジャンケンで「俺の意見のが正しい」とか議論のルールとして正しくない。
議論はまず提案する人それぞれの前提を探り合ってから始めるべき。前提を共有しないうちからマウンティングするやつは単なる嫌われ者。
>>334は普通に尋ねただけだし。それへの返しなら「俺が言う論理的はこれこれこういうこと」と説明すべき。
各々が考える論理があるのは事実だろうけど、それを外部の人間がどうやって論理的思考と呼ぶかを疑問に思うのこそ各人が自身の哲学を考えるきっかけでは?
これは「哲学」という現象を考えるメタ哲学だから、確かに別ジャンルかもしれないが。 -
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339
ななしのよっしん
2018/07/05(木) 16:33:46 ID: 5KEWCFW0ez
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340
ななしのよっしん
2018/07/05(木) 17:10:03 ID: 7cKFG+sgGZ
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341
ななしのよっしん
2018/07/09(月) 21:23:58 ID: 5GhoKCOTvC
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辞書はたいてい言語学者が執筆編纂するものだから、辞書に不足や問題があるなら言語学を批判するべきじゃないの
>ろんりてき【論理的】 論理にかなっているさま。論理を追って考えるさま。
https://kotobank .jp/word /%E8%AB% 96%E7%90 %86%E7%9 A%84
現代の言語学が、哲学からの批判を「批判」と見なすかは疑問だが。哲学だけプラス2000年考え続けていても不思議じゃない。
>>332
>科学・言語学・社会科学は西洋哲学から出てきたもんやろ。現代でいう哲学は、数学と数学史の関係みたいなもんで、昔の偉い人らの思想の潮流を学んで今自分たちが立っているところの確認をするという役割に移っているんやと思うとるけど違うのかな。
それは>>322の「起源を問い直して分かるのは起源、現状は分からない」ということなのでは。「例えばAmericaを産み出したのはAmerigoだけど、後者を見て分かるのは前者の起源であって、前者の現状ではない」(>>317)。守株じゃね。 -
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342
ななしのよっしん
2018/07/12(木) 02:36:08 ID: 7cKFG+sgGZ
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辞書を作るのは言語学者と言われると必ずしも納得いかない。例えば広辞苑を作るのは岩波という企業だけど、言語学者を代表していると言えるだろうか。
勿論理想を追求すれば、全言語学者を代表できるだけの辞書を作れるのかもしれないが、言葉というのは意味が伴う。ざっくり言えば自然言語は使用される共同体内部という制約から逃れる事はできない。
俺が思い浮かんだ辞書編纂及び言語学への批判。
後半の批判は哲学自身へと跳ね返るから、哲学がだから卓見なのだとは言わないが。
でも俺も無意識に使い分けてるけど「哲学」って「哲学する」のと「哲学という共同体的実体」の2つの意味混在しやすいよね。
この掲示板でも実際調べていけばどっちの意味で使っているかでだいぶ分けられるかも。 -
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343
ななしのよっしん
2018/07/15(日) 16:53:47 ID: VcQPhS8bFi
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>>341
ワイはなにも、古い哲学や神学のあり方を学ぶことで哲学的な真理に到達できるみたいなこと思うとる訳やないで。そうした一切合切を捨てて、徒手空拳で苦闘するのも大切なことや。いうて流石にデカルトなんかも、キリスト教やプラトン的な善なる神みたいなとこから完全に自由には見えんかったけどな。
ただ、世界をよりよく記述し予測するという一大関心については科学にお株を奪われた感がある一方で、じゃあ哲学はもうその役割を終えたのかと言えばまだ早くて、昔の人の言うこと勉強してみると時代が変わっても何べんも何べんも同じような問いを立ててるなぁというのを俯瞰するのには依然必要で、目立つようになったんやないかな?ということでな。
批判するにせよ助けを借りるにせよ、或いは先入観を捨てる為に全て疑ってかかるにせよ、正しく距離を置いて俯瞰する為にはまずは詳しく知ることから始めなあかんと思う。そういった文脈で、現状を知るということには常に過去の営みを振り返ることが付きまとうんちゃうかな?
あと揚げ足取りと思わんで欲しいんやけど、アメリゴさんは名前の由来になっただけでアメリカの体現者やないやろうからそら分からんやろ。でもじゃあ、言語と文化の厚い壁はあるにせよ、例えば勇気とか節制といった徳について考える時、古代人と現代人が考えるのとでそんなに違うとこあるかな?
そういう普遍性があるとワイが信じてるから、過去を絶えず参照することに意味があるという見解になるんやな。韓非子のキツイ皮肉も、(真面目に働いて得られる確実な利益に比して)不確実な利益を当てにするなんて馬鹿げてるってのかミソで別に振り返ることそのものが悪い言うてる訳やないと思う。 -
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344
ななしのよっしん
2018/07/15(日) 20:44:28 ID: 5GhoKCOTvC
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>>342
学術的資料(論文・書籍・辞事典とか)を作るのは法人(大学・企業とか)だけど、法人の作ったものだからといって、学者を代表していないだろうか? 代表してるんじゃね。
(もし企業の出版する辞書に言語学的不備があったとしたら、企業が関与してない辞書を言語学界が出版していたのではないか)
理想的辞書は、現代ではまだ存在可能とは思えんし、既存の辞書同士で食い違いもある。ただ学問・科学として言語学は、哲学よりは理想に近いと思う。少なくとも辞書(学界の共通了解かつ、一般的な参考情報)を発表・改定し続けてきたし、自然言語処理・認知科学・人工知能といった数量的・社会的成果も出しているので。
>言葉というのは意味が伴う。ざっくり言えば自然言語は使用される共同体内部という制約から逃れる事はできない。
意味は言語学の意味論が扱い、共同体と言語については社会言語学が扱っている。言い換えると、自然言語から意味や共同体だけが切り出され研究されてもいるので、「逃れる事はできない」は言い過ぎでは?と思う。
計算言語学や自然言語処理ともなると、言語を意味(社会的意味)じゃなく、モデルや機械語的データとして研究・応用してるし。
「哲学」という語の用法を調べることは、文法や数量に基づいてやらないと「哲学」的な話になるだろうね。文法や数量でやったら言語学になる。
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345
ななしのよっしん
2018/07/15(日) 21:17:58 ID: 5GhoKCOTvC
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>>343
>批判するにせよ(ry)現状を知るということには常に過去の営みを振り返ることが付きまとうんちゃうかな?
思うに「◯◯の歴史の現状」を知るには、◯◯の過去の営みを振り返る必要は一定度あるだろうけど、「◯◯の現状」とは直接的関係が無いのでは? 例えば、精神的健康の現状。
>【どこまで分かる その検査】鬱病の血液検査 2000人の測定で精度は88%以上
https://bit.ly/2 zBVMts
>「血液で鬱病を測る」臨床研究が進められている。「PEA検査」と呼ばれ、5ccほど採血をするだけ。開発した「川村総合診療院」(東京都港区)の川村則行院長が説明する。
>「この検査は、血液の血漿(けっしょう)中に含まれる『リン酸エタノールアミン(PEA)』という非常に小さい化合物の濃度を測定します。その数値によって本当に鬱病なのか、鬱病であれば治療でどの程度よくなったかの改善度も分かります」
>「当院の鬱病の患者さんは生活改善も含めた治療で、ほとんどが1年半あれば治っています。だから他院で2年経過しても治らなければ薬が適切でなかったり、診断が間違っていたりする可能性があります」
>例えば勇気とか節制といった徳について考える時、古代人と現代人が考えるのとでそんなに違うとこあるかな?
古代人が思想や文献等から哲学的に考えるのと、現代人が血中物質等から生化学的に考えるのとでは、大分違うと思う。今の医学上、「徳」について客観的定義は無いが、「うつ病」にはある。
https://bit.ly/2 LcQgC8
>「例えば、うつ病と不安障害の診断基準には、類似点が多く見られます。うつ病がほかの精神疾患と混同され、適切な治療を受けられていないケースは多いのではないか…」
>川村医師が注目したのは、「うつ病の本質」だ。専門家たちから意見を集め、うつ病の本質を「億劫さ」と定義した。血液中の物質や細胞を徹底的に調べれば、生物学的な指標があるのではないかと考えた。
https://bit.ly/2 NiS0ax
>最初うつ病が重いときこのPEAが少なかった方が、一年以上の治療ののち、うつ病が完全に治ったとき、PEAは健康な方と同じレベルまで回復していました。
精神的な健康(≒節制)とは、PEAが正常値、ということでは? 色々思ったことはあるが、部分的にレスしてみた。 -
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346
ななしのよっしん
2018/07/15(日) 21:39:29 ID: 5GhoKCOTvC
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>>343
あと、入力した言葉やツイートから筆者の特徴を推定する人工知能があって、Personality Insightsで使える
https://personal ity-insi ghts-dem o.ng.blu emix.net /
言葉で語られるものは、「徳」や哲学に限らず日常会話とか、無数にあるけど。言葉について考える時、古代人の考えとAIの考えとでは全然違う。
そして、医学やAI(情報工学)が考えて出した分析結果について、現代の人間は考えることができるが、故人や過去の人間にはできない。そういう新技術が証明した言葉やデータについて考えることができるのは、新技術登場以降の人間に限られる。
その点から見ても、哲学や過去の中における「普遍性」が、果たして哲学や過去の外に存在するのか疑問。 -
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347
ななしのよっしん
2018/07/16(月) 00:48:15 ID: VcQPhS8bFi
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この人こわい・・・
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348
ななしのよっしん
2018/07/16(月) 15:07:16 ID: qADh/TiLE3
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最近はどこに行っても人工知能の話が出てるな
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349
ななしのよっしん
2018/07/16(月) 15:16:58 ID: IgVz0p4Ypm
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350
ななしのよっしん
2018/07/21(土) 17:41:27 ID: 7cKFG+sgGZ
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>>346
多宇宙論や人間原理など科学的な新発見を元にした理論、環境問題や生命倫理など現在もなお論争的でなおかつ実現性が拡大している最中のものは確かに、過去に求めるにしても限界があるが、哲学ってあくまでも普遍性を問う学問領域であるから、現在とは時間的隔絶があるから直ちに過去の学問の成果が現在に還元されないと考えるのは少し疑問。
例えば倫理については、人間や自己、自然といった定義を用いる事があるが、これらは積み重ねがあってこそ現在に応用できる。
無論過去の議論無視して一からやり直しても良いけど、過去の議論を知ることは議論の節約や温故知新的効果もあるんじゃないか。
あなたの考える人工知能が将来解決を出すとしてもそれにはインプットがなきゃいけないわけだし、積み重ねを一顧だにしないのはなんか変な気がする。
いや、人工知能はこれまでの人類とは隔絶した存在であって、過去の議論全てが意味を持たない、例えば比喩として「コウモリであるとはどのようなことか」というのがあるが、独我論さえ通用しないような意識の主観性について問いかける存在が現れた時の事を言うなら面白いとは思うけど。 -
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351
ななしのよっしん
2018/07/21(土) 17:50:18 ID: 7cKFG+sgGZ
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まあどうせだから人工知能と哲学についてもっと深めても良いとは思うが、そもそも話の通じる相手なのかな。つまり人間が人工知能について考えても実際人工知能を語ったことになるのかな。
例えば、人間に近い存在として犬や猫、馬など愛玩動物、家畜が挙げられたり、人間の意識を反映したものとして古くから詩や音楽、演劇、スポーツなど身体表現、近年は映像などが取り上げられるけど、それで意識自体に達するわけではないし、未だに物理的な脳と意識の関係性は隔絶したものとして捉えられてるよね。
無論社会性や感情といった面で動物を観察したり、社会性などを呼び起こす表現形式というのは無視出来ないけど、意識の原初状態とは関係があるともないとも言い切れないというか。
多分同じことは人工知能が発達しても解決するか分からないんだよね。そもそも人間の脳が全体を把握するにも限界を抱えてたりして。
あと俺が知ってるのは、人間がバージョンアップしてポスト・ヒューマンとして「人工知能化」することだけど、それってもう人類じゃないよね。なる前の事は最早分からないと思う。
俺もなんとなくのイメージだから明確な反論あればよろ。 -
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352
ななしのよっしん
2018/07/21(土) 18:02:06 ID: 7cKFG+sgGZ
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>>344
言語学者って哲学者とそんなに違うの?例えば「事典・哲学の木」って講談社から出ているけど、確かに広辞苑よりは踏み込んだ内容だが、それが優劣関係にあるかは分からないと思う。
それに広辞苑は少なくとも学会とかは関係ないよね。大学で広辞苑を参考図書に挙げたらまず殆ど意味あるものとしては受け取ってもらえないよ。普通に論文を参考にして書いた方が評価上がる。
別に広辞苑が全て役に立たないわけじゃないしむしろ新聞記事や小説での表現を扱うのには有用だけど、それだとしても小説を知るには辞書だけじゃ限界があるし、辞書が求める一般性と辞書が扱う言葉や領域それ自体とはまた隔絶があるというか。
あと広辞苑といった一般的な辞書と数理言語学はまた違う問題のような。なんか、あなたからは人工言語学派を理想的に抽出しすぎてる感じがする。ベタに言うなら数学こそ真理みたいな?
いや、それならそうと言ったほうが問題が分かりやすいんだが、辞書と数学を一緒にしてると何がしたいの分からないので、もう少し説明求む。 -
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353
ななしのよっしん
2018/07/21(土) 18:13:48 ID: 7cKFG+sgGZ
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あと哲学者が言語学者と違うって発想がどこから来ているのか分からないが、言語って殆ど全ての人類が扱っているから、専門領域としては違うかもしれないけど、例えばカント研究者は言葉を用いるのは当然として言語学内部の議論とは直接は関係ない、全ての哲学者が言語学の議論を利用したり参照関係にないわけじゃないよね。
例えば、日本だと永井均や三浦俊彦が論理学、分析哲学の研究を用いて哲学的な思考を披露してるけど、あの人達がやっている事を「ここからは哲学、ここからは言語学」と切り分け出来るのだろうか。
他の領域でも多分そうだけど、物理学者であり哲学者でもあったりするようなのってそこまで禁欲的に分けなきゃいけないの?
そもそも哲学って特に名指ししづらい幅広い領域だから「〇〇哲学」って呼ばれてると思う。
言語学者も言語哲学というものとして扱えばいいだけでは?あなたが言語学者を代表してるなら良いけど、「自分が考える言語学者」を少し強調しすぎてる感じ受ける。
無論似たことは論理実証主義と呼ばれた領域で言語ゲームを取り上げる事である程度有用な課題抽出出来たけど、それも万能じゃなかったし。 -
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354
ななしのよっしん
2018/07/21(土) 18:28:48 ID: 7cKFG+sgGZ
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あと小さな事かもしれないけど、「徳」って結構実社会だと大事じゃね?倫理という領域の中心的概念でしょ。「徳」と精神医学が直接比較出来るかは分からないけど、同じこと考えるなら「気」とか五行説かな。俺も詳しくないから受け売りだけど、悪い部分を抽出して排除すれば病気が治ると思われていたらしい。
割と現代医学も患部を摘出するから全部間違いとも言わないが、血を無理やり出すとかあまり関係ない事もやられてたから確かにもはや無効な事のが多い。直接役立てるとしてもヒポクラテスの誓いとかくらいかもな。
あと言わずもがなだと思うが、精神や意識は統計とか科学じゃまだ達成可能かどうかすら分からないと思うぞ。無論病気など器質的疾患、環境による問題については現代医学は驚くべき進歩を精神についてももたらしたけど、じゃあ意識という存在が分かったって言ってる人寡聞にして知らない。
もし言ってる人いたら俺が間違ってただけだからいいけど。 -
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355
ななしのよっしん
2018/07/23(月) 20:49:33 ID: 5GhoKCOTvC
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>>350
その、哲学で言う「普遍性」が、哲学の外でも普遍性と見なされるかどうか? 俺にはそうは思いにくい。理由はおおよそ>>345-346の通り。
付け加えるなら、哲学の「普遍性」は現代科学の普遍性と関係ないのでは? 例えば普遍定数(universal constant)。
かといって「積み重ねを一顧だにしない」訳ではないよ、辞書だって積み重ねだし。AIを開発した情報科学やその他の科学も、先行研究の積み重ねな訳だから。
ただ哲学の場合は、非科学的な積み重ねを顧み過ぎてはないか?という気がする。顧みることで「議論の節約や温故知新的効果もある」かもしれないが、仮にそれがあると、どうなるんだろう。
学問として言語的に効果があるなら、それは言語学だよね。精神的になら精神医学、社会的になら社会学で。では、専攻や学会の分化が進んだ現代で哲学とは何か? 諸学問のどれかに当てはまるか、またはどれにも当てはまらない漠然とした文学的・思想的な何かということでは。
>>351
>例えば、人間に近い存在(ry)などが取り上げられるけど、それで意識自体に達するわけではないし、未だに物理的な脳と意識の関係性は隔絶したものとして捉えられてるよね。
それは「意識」「意識自体」という語の定義次第じゃないかな。哲学や「意識の哲学」では、意識は定義が難しいだろうけど、医学会(https://bit.ly/2 NCp6C6)では「意識とは,外界からの刺激を受け入れ,自己を外界に表出することのできる機能を意味する」として、意識自体を定義している。
脳と意識の繋がりについては、例えば意識障害の定義がある。「意識障害は大脳皮質または皮質下の広範な障害,視床下部の病変,または脳幹の上行性網様体賦活系の障害によりおこる」。
https://bit.ly/2 NDtEZ0
>意識は脳の一部の神経活動が担っている? - 東大と理研が実験結果を公表
>東京大学と理化学研究所(理研)は、ヒトの「第一次視覚野」が意識内容の変化に応じないことが判明したと発表した。これは意識に関する定説を覆す結果で、「意識の脳内局在説」(意識が脳の一部の神経活動によって担われているとする仮説)を支持する結果であったことを報告した。 -
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356
ななしのよっしん
2018/07/23(月) 20:52:54 ID: 5GhoKCOTvC
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>>351
https://bit.ly/2 NDtEZ0
>「意識はどのような形で、身体のどこに宿るか」という疑問に対し、人類は数千年にわたって哲学や近年の脳科学によって研究を重ねてきた。なお、近年は脳科学が発展してきたことによって、脳の神経活動自体が意識を担うとする一元論のもと、「脳のどこで、いかなる神経活動によって意識は実現されているのか」という問いへと論点は移ってきている。
こういう科学の語の定義に比べて哲学では、科学ほどの統一的定義が無い。だから「意識」「意識の原初状態」「社会性」等も、定義次第で明確になったり不明確になったりすると思うよ。 ポスト・ヒューマンや「人工知能化」は、何というか、哲学かと。
>>352
>言語学者って哲学者とそんなに違うの?
言語哲学者は哲学者に近い方だけど、たいていの言語学者は違うと思う。例えば音声学者は、口腔や咽喉や医療について研究・参加することもある。
https://bit.ly/2 uENk7I
>音声学・音韻論の介入が強化するセラピーの成果:音声学と音韻論の役割 聴覚医学・音声科学院教授
https://bit.ly/2 uXh3Im
>再発見された千葉勉のX線口腔図
あとは自然言語処理(=「われわれが日常使う自然言語で表現された情報をコンピュータで解析,変換,生成して活用するための技術」)も、言語学の一分野。統計数理研究所の資料によると、計算言語学と自然言語処理は「ほとんど重なっている」。
https://bit.ly/2 NCI9fX
>「計算言語学」の研究の例
>p(V) α det Lv
>Lv = (φ(υ1), ... , φ(υM))
かなり古いが、この本は端的。
>>az4166604066
計量言語学、計量文献学、コーパス言語学あたりの人はコンピュータにテクストを分析させるので、「テクストを研究するのに何故自分でテクストを読むの?」と言ってることも割とある。源氏物語を読んだことが無い、源氏物語専門のコーパス言語学者とかいる。 -
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357
ななしのよっしん
2018/07/23(月) 21:32:44 ID: 5GhoKCOTvC
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>>352
>広辞苑は少なくとも学会とかは関係ないよね。大学で広辞苑を参考図書に挙げたらまず殆ど意味あるものとしては受け取ってもらえないよ。普通に論文を参考にして書いた方が評価上がる。
確かに引用するなら論文が基本だけど、辞書(広辞苑)を引用することが「殆ど意味」無いとは言い過ぎだと思う。論文で辞書が引用されることは珍しくない。
https://bit.ly/2 uGWssP https:// bit.ly/2 JKPO9x https:// bit.ly/2 my3dIO
言語学会でも、辞書が引用されたり辞書そのものが研究対象とされている。
https://bit.ly/2 O8nmBP https:// bit.ly/2 JIwjOU
>広辞苑といった一般的な辞書と数理言語学はまた違う問題のような。
その辺りについては、辞書と数理言語学の比較じゃなくて、哲学と言語学の比較をした。「学問・科学として言語学は、哲学よりは理想に近いと思う」(>>344)。そんな言語学の例として、一般的・専門的には辞書があり、専門的・科学的には数理言語学がある、ということ。
>なんか、あなたからは人工言語学派を理想的に抽出しすぎてる感じがする。ベタに言うなら数学こそ真理みたいな?
「人工言語学派」・・・? まず>>344は人工言語学ではなく、自然言語処理や計算言語学の話だったよね。そこから続いて、自然言語処理(およびそれと重複する理科系言語学)の話をしてきたつもりだけど。
何にせよ、「数学こそ真理」的なことは思ってないです。「先行研究→新研究」という流れが続く以上は、より真理らしい方向へと更新され続けるだろうから。一言で言えば、反証可能性的な。
>>353
>哲学者が言語学者と違うって発想がどこから来ているのか分からない
だいたいは>>356の通りかな。単純に言うと、事実として
◯言語学の学会や専攻分野のほとんどが哲学とは違う
◯言語学は生態・医療・理数等の現代的研究とも重なっている
◯特に自然言語処理(≒計算言語学)では、コンピュータ上での数式によって自然言語を処理する
といったことがある。それを俺の「発想」で言うなら、哲学と言語学は相当違う。 -
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358
ななしのよっしん
2018/07/23(月) 21:37:13 ID: 5GhoKCOTvC
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>>353
>「ここからは哲学、ここからは言語学」と切り分け出来るのだろうか。
学会や専攻分野の切り分けが既に存在していて、それで実際に研究成果が出ているから、切り分け出来るんじゃないかな。
あと永井均や三浦俊彦は、言語学会会員ではない(https://bit.ly/2 JMCd1r https:// bit.ly/2 A1ytJF)。言語学会で研究成果が掲載されてもいない(https:// bit.ly/2 LFc5qS https:// bit.ly/2 mAmqtx)。
だから、少なくとも言語学会という基準では、この二人は言語学者ではなく、哲学者として切り分け出来る。
>あなたが言語学者を代表してるなら良いけど、「自分が考える言語学者」を少し強調しすぎてる感じ受ける。
俺は全然代表してないです、マジで。ただ、俺の言ってることは基本的に言語学や計算言語学関係からの引用&大雑把なまとめなので、「言語学(者)ってどんな存在?」「本当にこいつの言う通りか?」等少しでも疑問があったら、俺が引用した言語学会や発表資料や書籍等を直接読んでほしい。ついでに引用してないものも。
>>354
確かに「徳」は大事だろうね。ただし、「古代人が思想や文献等から哲学的に考えるのと、現代人が血中物質等から生化学的に考えるのとでは、大分違うと思う」(>>345)。現代人が言語学的に考えるのとでも、やはり違うと思う。
「精神や意識」については>>355の通り。 -
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359
ななしのよっしん
2018/07/26(木) 16:27:45 ID: 7cKFG+sgGZ
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>>355
うん、いわゆる哲学の言う普遍性と科学の目指す普遍性は明らかに違うね。一応哲学の一ジャンルとして宇宙論や科学哲学を扱う場合は、科学の言う普遍性を考える事あるけど、全部じゃないと思う。
ただそれは科学もそうでは?あなたも色々科学の例を挙げるけど、まさか精神医学と宇宙物理学が同じ地平線にあるとは考えないでしょ?
大統一理論はあくまでも5つの力の根源が同じでは?という仮説であって、生物学や工学まで革命的に統一できるかは別だと思う。いや、絶対できないとは言わないが、その場合は確かに人間の精神も数式で説明できるかもね。
あと社会学って社会科学の一分野だけど、そこは反証可能性としての科学的範疇ってこと?社会学もある程度非連続性抱えてるけど、どういう判断で哲学と社会学分けてるかが気になる。それぞれで例があるとイメージしやすい。
ただ俺の認識だと哲学は科学じゃなくていいって立場だから、そもそもこの論争自体何が目的か分からないが。哲学の対象はあくまでも人間の精神自体。じゃあ精神医学は?って疑問には、精神医学は病気を主題とする分野であって、全てではない感じ。 -
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ななしのよっしん
2018/07/26(木) 16:32:22 ID: 7cKFG+sgGZ
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