ロンメル
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ななしのよっしん
2011/05/29(日) 21:44:44 ID: jjTLdXj6rv
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ななしのよっしん
2011/06/01(水) 21:44:12 ID: AlzfpRlqOi
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ななしのよっしん
2011/07/12(火) 22:12:21 ID: jjTLdXj6rv
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ななしのよっしん
2011/08/11(木) 12:39:00 ID: vhg4I5hHSi
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ななしのよっしん
2011/10/25(火) 06:39:34 ID: cV9CVKfUID
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ななしのよっしん
2011/10/25(火) 07:01:35 ID: 8C1zWviLNp
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有名だから。
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ななしのよっしん
2011/10/29(土) 13:40:06 ID: 5dLjAeSJKl
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ななしのよっしん
2011/11/01(火) 14:13:50 ID: vKkb5ZPC4J
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ななしのよっしん
2011/12/04(日) 22:57:33 ID: yFRYbVDSBr
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ななしのよっしん
2011/12/14(水) 22:49:49 ID: vhg4I5hHSi
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ロンメルはマンシュタインほどではないにしろ名将だと思うよ。
エジプト侵攻が正しいかどうかについては絶対的な回答はないだろうな。
メレンティンもそう言ってる。
個人的には間違ってるとは言えないと思うが。
時間は連合国に味方するからな。
あと上層部はやはり北アフリカについて関心が薄すぎたと思う。
トブルク陥落後にマルタとエジプトどちらを優先するかって話になったがそもそもこの時期にマルタが存在すること自体が問題。
1941年の間にマルタを占領するべきだった。
レーダー元帥は1941年にヒトラーにマルタを占領するべきと言っている。
しかし実行はされなかった。
ちなみにこのときロンメルは賛成であったはずだ。
1942年5月までは「なぜマルタ攻略に取り掛からないのか不思議だ」と言っていたらしいし。
それとトブルクを奪取したあたりで1個ぐらいは装甲師団を派遣するべきだった。(南方軍集団はブラウ作戦の関係で無理だろうから北方軍集団か中央軍集団から1個師団を引き抜く)
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ななしのよっしん
2011/12/15(木) 01:41:23 ID: OSGMRlrYLZ
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ななしのよっしん
2011/12/15(木) 07:34:52 ID: yFRYbVDSBr
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ななしのよっしん
2011/12/15(木) 07:47:35 ID: nwTzzkRXok
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ななしのよっしん
2012/01/29(日) 01:53:40 ID: GqZ4f1A4VX
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ななしのよっしん
2012/04/11(水) 00:54:12 ID: jL4h+SphtX
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国のやる気が無いとか冗談だろ?ww
マーチン・ヴァン・クレヴェルトの「補給戦」って本読めば詳しく分かるが。
よくロンメルの敗北はイタリアから燃料が来なかったからであるとか、
極めて重要なタンカーが思いもかけず大量に沈められたからであるとたびたび主張されてきたけれども、
実際のところ根拠はない。1942年9月2日から10月23日までに沈められた船のリストを詳細に調べると、合計23隻のうちタンカーはたったの2隻だった。実際にロンメルが7月~10月に受け取った燃料の月平均は、2月~6月の平穏な時に受領していたものより若干多い・・・
港には補給物資が十分にあった。
しかも事前に受領していた補給トラックの台数2000台(東部戦線の約10倍)
こんだけ持ってるのにさらに6000台寄越せと要求。合計8000台だが、中央軍集団(30師団以上)で7000台を考えるとたった3個師団になんでそんなトラック必要になるのかとww
何処へ物資とトラック消えたんだ?(笑) -
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ななしのよっしん
2012/04/11(水) 01:00:48 ID: nwTzzkRXok
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ななしのよっしん
2012/05/13(日) 02:14:33 ID: xbz6AHrS0n
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:10:48 ID: gansNXkXTk
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>>46
ドイツ側から要請があったのは確かですが、イタリア政府は、元来、北アフリカへの関心が強かったのです。
イタリアが、40年6月10日に連合国に宣戦布告したのは周知の事実ですが、対仏戦終了時、ドイツに、フランスの海外領土及び仏海軍艦艇の伊海軍への譲渡を求めています。
しかし、「瀕死の状態にある国に一撃を加えた」(バドリオの言葉)程度の功績をヒトラーは認めず、この要求を却下しています。
で、ムッソリーニとしては、ドイツ側で参戦した以上、その勝利に貢献して分け前を増やす、という選択肢しかありえませんので、同年7月に陸空軍を対英上陸作戦に参加させる意向をドイツに伝えるとともに、北アフリカ方面での呼応も約束します。(40年7月14日のムッソリーニからヒトラーへの書簡)
で、ヒトラーは、対仏戦でのイタリア軍の不甲斐なさに不信感を抱いておりましたから、対英上陸作戦への伊軍の参加を断るとともに、地中海方面での伊軍の活躍を期待する旨を返信します。
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:20:04 ID: gansNXkXTk
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で、このとき、ヒトラーはムッソリーニに対して、伊軍のエジプト攻撃の期日までは指定しませんでした。さらにバトルオブブリテンにドイツ空軍が敗北し、対英上陸作戦が画餅と化すと、伊軍によるエジプト攻撃開始のタイミングをムッソリーニに委ねることになりました。
さらに、エチオピア駐留のイタリア軍部隊が英領ソマリランドへの侵攻を成功させます。英軍は戦略的重要性の低さから撤退しただけだったのですが、ムッソリーニはこの「勝利」に気を良くし、40年9月9日にグラツィアーニに攻撃開始の命令を伝えます。実際のエジプト侵攻はその4日後に行われました。
このように、ドイツから要請があったのは事実ですが、伊軍によるエジプト侵攻はムッソリーニの強い意向で行われたもので、ドイツ側にその責任の全てを問うかのごとき言説は史実と異なると言わざるを得ません。
尚、伊軍首脳部はエジプト侵攻に消極的でした。グラツィアーニは「攻撃命令を下すのであれば、何故、我々が要求する物資を送らないのか」と攻撃開始命令に抗議していますし、それ以前から物資の欠乏を理由に反対しています。この主張にはバドリオも同意しています。 -
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:42:23 ID: gansNXkXTk
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>>45
>しかも事前に受領していた補給トラックの台数2000台(東部戦線の約10倍)
>こんだけ持ってるのにさらに6000台寄越せと要求。合計8000台だが、中央軍集団(30師団以上)で7000台を考えるとたった3個師団になんでそんなトラック必要になるのかとww
戦場の性質を考えましょう。
ドイツ軍は通常、一個装甲師団につき軽輸送段列九個と重輸送段列四個を定数としています。(後者が燃料輸送担当)
これが、北アフリカの場合、重輸送段列が多く必要になります。
通常、ドイツ軍は鉄道に輸送、補給を依存しており集積所までは鉄道、そこからは車両という具合になります。
しかし、北アフリカの場合、鉄道はなく、舗装道路も海岸沿いに一本だけ。こうなると車両の重要性は欧州でのそれよりも遥かに高くなります。(東部戦線では、鉄道の利用に軌間の違いなどから苦労したのは有名ですね) -
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:56:42 ID: gansNXkXTk
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例えば、第5軽師団の場合、重輸送段列が十個にまで増強されています。このなかには、水輸送のものまで含みました。
さらに通常の師団にはない輸送大隊本部が二個も配属されています。
>何処へ物資とトラック消えたんだ?(笑)
上記したように、鉄道がなく、輸送のほとんどを車両に頼らざるを得ない北アフリカでは、輸送車両そのものにかかる負担も増大します。輸送部隊自体も貴重な水と燃料を消費しますし、メンテナンスの必要性も増えます。(このあたりの事情はクレフェルドの補給戦にも書かれています。P316のあたりをご覧ください)
ですので、北アフリカでは一見過大とも思える車両数が必要とされたのです。
ロンメルもこのあたりのことを全く考慮していなかったわけではありませんが、OKHやなどの警告を無視して攻撃を続行したのはロンメルその人でもあります。このあたり、評価が分かれるところでしょう。
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:58:30 ID: gansNXkXTk
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ななしのよっしん
2012/05/17(木) 04:36:40 ID: D5rva3xo17
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ななしのよっしん
2012/05/19(土) 02:00:05 ID: huRFNcXRYy
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55
ななしのよっしん
2012/05/20(日) 23:37:26 ID: jL4h+SphtX
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鉄道主導なのは分かってるが、幾らなんでもいきなり数倍盛るか?普通。
しかもその考えで行くなら何で戦闘に踏み切ったのか?って事になる。
政治的要因か?ソレは無いだろう。むしろ参謀本部から動くなとヒトラー直筆の命令が下ってたんだから。
動かない事で不都合なことが有っても、参謀本部に責任押し付ける大義名分も有ったのに。
それで、動いて負けたら責任は全部ロンメルの責任だろ。
貴方は結局北アフリカという特殊な戦場を考慮しろというが、相手のイギリスは難なく制覇したわけで、しかもドイツ軍より数倍の戦力を擁してだ。戦場の所為にするには無理がありすぎる。
港湾に物資が有るのはお互い様、補給トラック運用、港湾輸送能力の条件も同じ。
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56
ななしのよっしん
2012/05/22(火) 16:50:38 ID: gansNXkXTk
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>>55
>鉄道主導なのは分かってるが、幾らなんでもいきなり数倍盛るか?普通。
要求数に関しては、論外だったのは言うまでもありません。東部戦線でも莫大な車両数を必要としている以上、ロンメルの要求に答えられるはずもなかったからです。
ただ、北アフリカにおいては、常に35%の車両が修理を必要としている、という状態だったためにロンメルは過大な要求を行った、というのはあります。
>しかもその考えで行くなら何で戦闘に踏み切ったのか?って事になる。
私の書き込みをよく読んでください。OKHなどの警告を無視したのロンメルその人、と先述しています。私の意見の主旨はロンメルの免責でもなければ擁護でもなく、単に、北アフリカにおける事情を説明したものに過ぎません。 -
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57
ななしのよっしん
2012/05/22(火) 17:13:46 ID: gansNXkXTk
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>貴方は結局北アフリカという特殊な戦場を考慮しろというが、相手のイギリスは難なく制覇したわけで、しかもドイツ軍より数倍の戦力を擁してだ。戦場の所為にするには無理がありすぎる。
難なく、ではありませんよ。イギリスも相応に苦労しています。
例えば、1942年1月に、エル・アゲイラまでロンメルは撤退していますが、これを追撃した英第八軍は補給線が伸びきり、戦車こそ980輌を数えましたが、額面どおりの実力を発揮できない状況に陥っています。故にロンメルの反撃を許していますよ。
また、英独の差異も考慮しなければなりません。イギリスが海運力に優れるのは今更説明する必要もないことですが、そもそも、イギリス陸軍はその軍の性質上(海洋国家の外征型陸軍)、鉄道への依存度が独軍に比べて低く、また、カナダ製(カナダの車両生産力は米に次ぐ規模)の四輪駆動車を大量に使用することが出来ました。
つまり、英軍には貴方も指摘する「数倍の戦力」を支えるに相応しい兵站、補給のシステムと能力があったのです。(それでも北アフリカでは苦労していますが)
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ななしのよっしん
2012/05/22(火) 17:24:07 ID: gansNXkXTk
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ななしのよっしん
2012/05/24(木) 18:29:13 ID: gppXCaMeHk
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ななしのよっしん
2012/05/24(木) 21:40:52 ID: gansNXkXTk
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