31 ななしのよっしん
2011/05/29(日) 21:44:44 ID: jjTLdXj6rv
モンティが独側からあんま評価されなかったのは
モンティ作戦はつまらないからじゃないかな。
事前準備や安全策に念を入れ、ともすれば無気力なくらいに堅実性重視で、
電撃的機動戦にプライドを持つドイツ側にとっちゃ
にはまった」面みのない、という印なんだろうな。
逆に何をしでかすかわからないパットンはドイツ側からも高評価だが、
パットンの戦法は、敵の弱点を見つけて機動するという
ドイツ電撃戦の香りがするからなんだろう。

だけど、そういう面みのないモンティに、DAKは膚なきまでに叩きのめされ、
アフリカから追い出されたんだよなあ。
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32 ななしのよっしん
2011/06/01(水) 21:44:12 ID: AlzfpRlqOi
ロンメル戦記と言う今では絶版かも知れない本を読めば、この掲示板に書かれている補給の認識の甘さはだいぶ認識が変わると思う。

なぜならイタリア戦線の項で枢軸と連合導権の転換期の辺りからずっと補給について悩んでいる手紙が残っている。

この本はロンメルが実際に夫人に当てた手紙息子達が集めなおして編纂した生のロンメルの考えや苦悩が分かる良い本なので是非探して読んでみて欲しい。
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33 ななしのよっしん
2011/07/12(火) 22:12:21 ID: jjTLdXj6rv
「補給がない」と言うだけならでもできる。
「じゃあどうする?」という事を考えられるのが、参謀なり総合的なある指揮官というものだ。
ロンメル残念ながら「じゃあどうする?」という事をちっとも考えてなかった節がある。
「そんなのはお前ら仕事だろw」とハルダーに向かって啖呵を切って、
ハルダーを(日記の中で)マジギレさせたくらいなんだから。
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34 ななしのよっしん
2011/08/11(木) 12:39:00 ID: vhg4I5hHSi
ロンメルはいくらかの戦略的欠点を打ち消すほどの優秀な官だったと思う。
バイエルラインもそんな感じの発言をしているし。
バイエルラインは「ロンメルは優秀な戦略ではなかったかもしれない。しかし彼ほど砂漠戦に最適の人物はいない」といったコメントを残している。
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35 ななしのよっしん
2011/10/25(火) 06:39:34 ID: cV9CVKfUID
hoiで何故兵站スキルつけたし
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36 ななしのよっしん
2011/10/25(火) 07:01:35 ID: 8C1zWviLNp
有名だから。
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37 ななしのよっしん
2011/10/29(土) 13:40:06 ID: 5dLjAeSJKl
?
時間は連合軍に味方するから数う前にいとこうという判断は間違ってないと思うけど?
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38 ななしのよっしん
2011/11/01(火) 14:13:50 ID: vKkb5ZPC4J
もともと北アフリカが重要ではいというのであれば上が引き返させれば良かったってだけだな。
ロンメル一人じゃどうにもならなかったし、割り食った指揮官という点で同情せざるをえない。
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39 ななしのよっしん
2011/12/04(日) 22:57:33 ID: yFRYbVDSBr
>>37
判断自体は間違っていないが、それに失敗して兵を損耗してるからねぇ

>>38
イタリアを同盟として繋ぎとめる為にはリビアの保持は意味がある
それだけにリビアえてエジプトまで突っ走って補給線を伸ばしたのはやはり失策じゃない?
ただ割りを食ったという点は同意、ロンメルであろうとなかろうといずれ北アフリカは枢軸が負けて終わるから
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40 ななしのよっしん
2011/12/14(水) 22:49:49 ID: vhg4I5hHSi
ロンメルマンシュタインほどではないにしろ名将だと思うよ。

エジプト侵攻が正しいかどうかについては絶対的な回答はないだろうな。
レンティンもそう言ってる。
個人的には間違ってるとは言えないと思うが。
時間は連合に味方するからな。

あと上層部はやはり北アフリカについて関心が薄すぎたと思う。
ブルク陥落後にマルタエジプトどちらを優先するかって話になったがそもそもこの時期にマルタが存在すること自体が問題。
1941年の間にマルタを占領するべきだった。
レーダー元帥1941年ヒトラーマルタを占領するべきと言っている。
しかし実行はされなかった。
ちなみにこのときロンメルは賛成であったはずだ。
1942年5月までは「なぜマルタ攻略に取り掛からないのか不思議だ」と言っていたらしいし。

それとトブルクを奪取したあたりで1個ぐらいは装甲師団を派遣するべきだった。(南方軍集団はブラ作戦の関係で理だろうから北方軍集団か中央軍集団から1個師団を引き抜く)

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41 ななしのよっしん
2011/12/15(木) 01:41:23 ID: OSGMRlrYLZ
人種差別論を意気揚々と唱えた息子に対して
「私の前で二度とそういう馬鹿げた事を口にするな!」
って言い切ったエピソードも記事に入れて欲しいな
日本人からすればただのKYかも知れんが、ロンメルのこういうところに一番惚れている
国際法も遵守し続けたし、人間として本当に尊敬できる人物だと思う
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42 ななしのよっしん
2011/12/15(木) 07:34:52 ID: yFRYbVDSBr
>>40
関心が薄いも何もドイツにとっては北アフリカより東部戦線が大事だろうよ
マルタに関しては挺でさっさと始末すべきではあったが、装甲師団を送ってもあまり意味いと思うね
エルアラメインを抜いても英軍には後退するに十分な縦深があるし、喜望峰回りで続々と戦が増える
その上11月になったらトーチ作戦が発動されて西からも英軍が迫って来るから結果は変わらんだろう
それにキュヒラーもクルーゲも重な装甲師団を手放すとは思えない
ただでさえ南方部隊に補充が優先されて充足率が低下しているのに更に頭数減らされたら抗命騒ぎが起きかねない
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43 ななしのよっしん
2011/12/15(木) 07:47:35 ID: nwTzzkRXok
>>40
ドイツにとっては北アフリカイギリス本土攻撃の補助。
のつもりだったんだが、バトルオブブリテンが々に失敗したんで……
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44 ななしのよっしん
2012/01/29(日) 01:53:40 ID: GqZ4f1A4VX
>>42
そもそも、北アフリカ戦線ドイツが快進撃を乗り出している最中にイタリアアフリカにあるイギリスの領土を奪おうとして起った戦争だろ

けれど、イギリス敗北したヘタリアドイツに助けをめてやってきたのがロンメルだったってだけの話

それが思った以上に功績をあげたから、騒がれたんだろう。
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45 ななしのよっしん
2012/04/11(水) 00:54:12 ID: jL4h+SphtX
やる気が無いとか冗談だろ?ww
マーチンヴァン・クレヴェルトの「補給戦」って本読めば詳しく分かるが。

よくロンメル敗北イタリアから燃料が来なかったからであるとか、
極めて重要なタンカーが思いもかけず大量に沈められたからであるとたびたびされてきたけれども、
実際のところ根拠はない。1942年9月2日から10月23日までに沈められたリストを詳細に調べると、合計23隻のうちタンカーはたったの2隻だった。実際にロンメル7月10月に受け取った燃料の均は、2月6月穏な時に受領していたものより若干多い・・・
港には補給物資が十分にあった。

しかも事前に受領していた補給トラックの台数2000台(東部戦線の約10倍)
こんだけ持ってるのにさらに6000台寄越せと要。合計8000台だが、中央軍集団(30師団以上)で7000台を考えるとたった3個師団になんでそんなトラック必要になるのかとww

何処へ物資とトラック消えたんだ?(笑)
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46 ななしのよっしん
2012/04/11(水) 01:00:48 ID: nwTzzkRXok
>>44
は?
ドイツイギリス攻撃するから北アフリカイギリス領を攻撃しろって言ってきたんじゃん。
そうやってドイツ化してなんでもイタリア責任押し付けんなよナチ野郎。
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47 ななしのよっしん
2012/05/13(日) 02:14:33 ID: xbz6AHrS0n
ロンメルと対になるのはマンシュタインじゃなくてモントゴメリーの方だろう。
マンシュタインはむしろ機動戦志向で、
伍長の要らない介入がなければ機動戦でソ連にもっと大ダメージを与えられると
戦後になってもしてたからな。
(負け戦の責任を全部伍長に押しつけた負け惜しみかもしれないが)
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48 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:10:48 ID: gansNXkXTk
>>46
ドイツ側から要請があったのは確かですが、イタリア政府は、元来、北アフリカへの関心が強かったのです。

イタリアが、40年6月10日連合宣戦布告したのは周知の事実ですが、対戦終了時、ドイツに、フランス海外領土及び海軍艦艇の海軍への譲渡をめています。
しかし、「瀕死の状態にあるに一撃を加えた」(バドリオの言葉)程度の功績をヒトラーは認めず、この要を却下しています。

で、ムッソリーニとしては、ドイツ側で参戦した以上、その勝利に貢献して分け前を増やす、という選択肢しかありえませんので、同年7月に陸空軍を対英上陸作戦に参加させる意向をドイツに伝えるとともに、北アフリカ方面での呼応も約束します。(40年7月14日ムッソリーニからヒトラーへの書簡)

で、ヒトラーは、対戦でのイタリア軍の不甲斐なさに不信感を抱いておりましたから、対英上陸作戦への軍の参加を断るとともに、地中海方面での軍の活躍を期待する旨を返信します。

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49 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:20:04 ID: gansNXkXTk
続き

で、このとき、ヒトラームッソリーニに対して、軍のエジプト攻撃の期日までは定しませんでした。さらにバトルオブブリテンにドイツ空軍敗北し、対英上陸作戦画餅と化すと、軍によるエジプト攻撃開始のタイミングムッソリーニに委ねることになりました。

さらに、エチオピア駐留のイタリア軍部隊が英領ソマリランドへの侵攻を成功させます。英軍は戦略的重要性の低さから撤退しただけだったのですが、ムッソリーニはこの「勝利」に気を良くし、40年9月9日にグラツィアーニに攻撃開始の命を伝えます。実際のエジプト侵攻はその4日後に行われました。

このように、ドイツから要請があったのは事実ですが、軍によるエジプト侵攻はムッソリーニの強い意向で行われたもので、ドイツ側にその責任の全てを問うかのごとき言説は史実と異なると言わざるを得ません。

尚、軍首部はエジプト侵攻に消極的でした。グラツィアーニは「攻撃命を下すのであれば、何故、々が要する物資を送らないのか」と攻撃開始命抗議していますし、それ以前から物資の欠乏を理由に反対しています。このにはバドリオも同意しています。
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50 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:42:23 ID: gansNXkXTk
>>45
>しかも事前に受領していた補給トラックの台数2000台(東部戦線の約10倍)
>こんだけ持ってるのにさらに6000台寄越せと要。合計8000台だが、中央軍集団(30師団以上)で7000台を考えるとたった3個師団になんでそんなトラック必要になるのかとww

戦場の性質を考えましょう。
ドイツ軍は通常、一個装甲師団につき軽輸送段列九個と重輸送段列四個を定数としています。(後者が燃料輸送担当)
これが、北アフリカの場合、重輸送段列が多く必要になります。

通常、ドイツ軍鉄道に輸送、補給を依存しており集積所までは鉄道、そこからは車両という具合になります。
しかし、北アフリカの場合、鉄道はなく、舗装道路海岸沿いに一本だけ。こうなると車両の重要性は欧州でのそれよりもかに高くなります。(東部戦線では、鉄道の利用に軌間の違いなどから苦労したのは有名ですね)
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51 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:56:42 ID: gansNXkXTk
続き

例えば、第5軽師団の場合、重輸送段列が十個にまで増強されています。このなかには、輸送のものまで含みました。
さらに通常の師団にはない輸送大隊本部が二個も配属されています。

>何処へ物資とトラック消えたんだ?(笑)

上記したように、鉄道がなく、輸送のほとんどを車両に頼らざるを得ない北アフリカでは、輸送車両そのものにかかる負担も増大します。輸送部隊自体も重なと燃料を消費しますし、メンテナンスの必要性も増えます。(このあたりの事情はクレフェルドの補給戦にも書かれています。P316のあたりをご覧ください)
ですので、北アフリカでは一見過大とも思える車両数が必要とされたのです。
ロンメルもこのあたりのことを全く考慮していなかったわけではありませんが、OKHやなどの警告を無視して攻撃を続行したのはロンメルその人でもあります。このあたり、評価が分かれるところでしょう。
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52 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 01:58:30 ID: gansNXkXTk
誤記訂正

×クレフェルド ○クレフルト
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53 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 04:36:40 ID: D5rva3xo17
Wikipedia該当項目で多言での秀逸な記事を書いてるが多くて凄いよなぁ。
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54 ななしのよっしん
2012/05/19(土) 02:00:05 ID: huRFNcXRYy
冷戦時代の東側やアラブでも人気が高かったそうだし、
日本でもロンメルを元にしたキャラとか多いし、
洋の東西や多少の文化の違いをえて人を引きつける物があったんだよなぁ。
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55 ななしのよっしん
2012/05/20(日) 23:37:26 ID: jL4h+SphtX
鉄道導なのは分かってるが、幾らなんでもいきなり数倍盛るか?普通
しかもその考えで行くなら何で戦闘に踏み切ったのか?って事になる。
政治的要因か?ソレいだろう。むしろ参謀本部から動くなとヒトラー直筆の命が下ってたんだから。
動かない事で不都合なことが有っても、参謀本部に責任押し付ける大義名分も有ったのに。
それで、動いて負けたら責任は全部ロンメル責任だろ。

方は結局北アフリカという特殊な戦場を考慮しろというが、相手のイギリスは難なく制覇したわけで、しかもドイツ軍より数倍の戦を擁してだ。戦場の所為にするには理がありすぎる。
港湾に物資が有るのはお互い様、補給トラック運用、港湾輸送の条件も同じ。


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56 ななしのよっしん
2012/05/22(火) 16:50:38 ID: gansNXkXTk
>>55

鉄道導なのは分かってるが、幾らなんでもいきなり数倍盛るか?普通

数に関しては、論外だったのは言うまでもありません。東部戦線でも大な車両数を必要としている以上、ロンメルの要に答えられるはずもなかったからです。
ただ、北アフリカにおいては、常に35車両修理を必要としている、という状態だったためにロンメルは過大な要を行った、というのはあります。

>しかもその考えで行くなら何で戦闘に踏み切ったのか?って事になる。

私の書き込みをよく読んでください。OKHなどの警告を無視したのロンメルその人、と先述しています。私の意見の旨はロンメルの免責でもなければ擁護でもなく、単に、北アフリカにおける事情を説明したものに過ぎません。
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57 ななしのよっしん
2012/05/22(火) 17:13:46 ID: gansNXkXTk
続き

方は結局北アフリカという特殊な戦場を考慮しろというが、相手のイギリスは難なく制覇したわけで、しかもドイツ軍より数倍の戦を擁してだ。戦場の所為にするには理がありすぎる。

難なく、ではありませんよ。イギリスも相応に苦労しています。
例えば、1942年1月に、エル・アゲイラまでロンメルは撤退していますが、これを追撃した英第八軍は補給線が伸びきり、戦車こそ980輌を数えましたが、額面どおりの実を発揮できない状況に陥っています。故にロンメルの反撃を許していますよ。

また、英独の差異も考慮しなければなりません。イギリスに優れるのは今更説明する必要もないことですが、そもそも、イギリス陸軍はその軍の性質上(海洋国家の外征陸軍)、鉄道への依存度が独軍にべて低く、また、カナダ製(カナダ車両生産に次ぐ規模)の四輪駆動を大量に使用することが出来ました。

つまり、英軍には方も摘する「数倍の戦」を支えるに相応しい兵站、補給のシステムがあったのです。(それでも北アフリカでは苦労していますが)
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58 ななしのよっしん
2012/05/22(火) 17:24:07 ID: gansNXkXTk
続き

>港湾に物資が有るのはお互い様、補給トラック運用、港湾輸送の条件も同じ。

上記したように、前提となる地域の特性は同じでも、そこで戦う両軍の性質は異なっていました。補給に使うトラックも、砂漠に適した四輪駆動をより多く集められたのはイギリスでしたし、タンクトランスポーターの利用でも英は独に優越していました。

また、運用システム面でも差異があります。英機甲師団は4~6個中隊の輸送部隊を保有していただけで、大多数の車両軍団、軍の部を経由して、補給、集積地から前線まで整備された補給ネットワークによって管理されていました。

要するに、両軍は「同じ」などではなかったのです。
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59 ななしのよっしん
2012/05/24(木) 18:29:13 ID: gppXCaMeHk
言いたいことはわかるがそれ、あんたが参考にしてる本の言ってることそのまんまでお前の意見じゃないよな。
あと長い。
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60 ななしのよっしん
2012/05/24(木) 21:40:52 ID: gansNXkXTk
複数の資料から得た知見を書き込むのが悪い、ということでしょうか?資料、書籍に基づかないより、余程マシでしょう。
ちなみに参考にしたのは、補給戦、北アフリカ戦線ロンメル戦記などですが。

>あと長い。

これでも手短にめたつもりなんですがね。で、方の御意見は?
他人にそのように仰るからには方独自の見解があるのでしょう?是非、伺いたいのですが。
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