781 ななしのよっしん
2017/06/25(日) 23:23:51 ID: Gi5CdMJLjR
黄権とのエピソード劉備諸葛亮への遺言を聞くに、君としての度量は本当に広かったように思える。曹操のが軍略やらその他色々は勝っていたけど、器量については勝っていたと思う。

個人的には曹操の死に際し、弔問の使者を送ってしまう所が好き。不倶戴天の敵に対して、然とそういうことしちゃう辺り劉備はただ者でないと思う。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
782 ななしのよっしん
2017/06/28(水) 23:33:51 ID: aOC9HTBFVX
>>779
それらについて色々と摘すべき所があると思うのですけどねえ。
1.まあ、事実だとしたら若気の至りというやつでは。
面会断られた事で色々と察して自暴自棄にでもなってしまったのか。
曹操孫権も若いころの放蕩や暴力的なエピはあるわけですしねえ。
2.敵に対して自分達の強さを明言して士気を高めるのは、
この時代ではよくあった事では。
曹操「のこのこ出てきた州軍など一網打尽にしてくれるわ!
→実際には州軍の猛攻で死にかけます。というような感じで。
3.肝心な部分が書かれてないような。
劉備しかった陳登悪口を言い始めた事から、
劉備は「君は名は高かったのに、ろくな進言とかをせず、
ただ自身のや土地をめるばかりだった。
それを陳登が嫌ったのですよ。」と言い、
その後で「私だったら君を~」と続くわけで。
4.これに関しては、全にお門違いなような。
元々劉表一門が劉備を対曹操の先鋒として
前線に配置していたわけで。それでいよいよ曹操軍が
迫ってきた時に、その劉表息子が勝手に曹操に降してしまい
しかもそれを劉備に後で知らせる、などという事になった為に
劉備達は絶対絶命の窮地に陥ったわけで。
普通人間だったら、というか聖人君子でも普通に怒ると
思うんですけどねえ。
忠に対しては「君達のする事はこんなものか!
最初は一緒に戦おうと言っておきながら、勝手に降して
こちらに危険が迫った時にそれを教えるなんて!」と激怒しながらも
大丈夫たるものが、この期に及んで君達のようなものり倒した
ところでしょうがない。」と言って帰してあげたんですから、
普通劉備の度量を示すエピだと思うのですけどねえ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
783 ななしのよっしん
2017/06/29(木) 02:17:01 ID: aOC9HTBFVX
>>779宛続き
劉備位問題に関しましても、あの時劉備位につくことで
人々の心をにひきつけ、士気を高める必用があった事、
とかを後世の学者さん達にも摘されたりしてるわけですしねえ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
784 ななしのよっしん
2017/07/01(土) 11:35:54 ID: I6E0xjvOMq
>>782

劉備の度量のことなんて話題にしてないんだが
「おおらかな心をもって礼儀正しく人に接した」という三演義の劉備像みたいな総評を陳寿から受けてはいるけど、一部のエピソードをつまみ食いするとしやすく悪口も上手いっていう劉備の一面が見えるってことが言いたかったんだが伝わらなかったのなら申し訳ないわ

自分は許への罵倒が一番好きだね
例え方が落語に出てくる江戸っ子みたいだし、そりゃ劉表も笑うわ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
785 ななしのよっしん
2017/07/01(土) 12:18:28 ID: 2Zg05Jt+RZ
陳寿が書いた劉備への人物評ではエリート紳士、同じく陳寿が書いた劉備の具体的なエピソード群からは活漲るヤクザ分という感じでイメージが違うんだよね
劉備に与えられた美徳のテンプレ=寛容・礼節・謙譲(悪く言えば名士へのおべっか)・寡黙というのは劉備の一面に過ぎなかったのかもしれない
逆の性質を示したエピソードも多いし

善良な紳士の話でも悪人のような話でも大抵の結果が劉備一党の利益に繋がっていて、善意悪意とは別に計算高い・演技抜群かつ演技を苦痛に感じないというも劉備の性質だったのかもしれん
傭兵部隊を何十年も食わせ続けて粛清されることもなかった優秀な頭だしね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
786 ななしのよっしん
2017/07/06(木) 22:55:00 ID: jwY1K/Od++
劉備全国統一するために人材がどうこうよりも荊州全土をどうしたら支配できるかを考えるべきなんだよな
劉表に荊州を譲られる時大人しく従うか(これは演義の創作の可性が高いが)
めに乗っ取り工作を仕掛けてソウの後見人として事実上荊州を乗っ取るとか
(当時劉備の地位が不安定だからそこまで頭が回らなかったかも知れないけど)
益州(四川省)に関しては山岳地帯にあるから防衛上の視点を考えると大規模な兵を駐屯させなくても対して問題にならないはず

現実には赤壁の戦いの時点で荊州の一部は曹操孫権の支配下におかれていたけど
荊州全域を支配下にしていれば劉備が荊州を本拠地に出来たはずだから
(之は荊州ではなく益州を本拠地にせざる終えなかった最大の理由)
史実よりはまともな戦いになったはずなんだよな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
787 ななしのよっしん
2017/07/09(日) 18:12:04 ID: 3dQi/Fkgu2
幾らなんでも劉備琮の後見者なんて諸葛亮たちがどんなにロビー活動しようと理だろ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
788 ななしのよっしん
2017/07/09(日) 18:41:14 ID: OPLvLlhlx1
「どうせ劉備琮様の下につくなんてないですよ。劉備に降するか曹操に降するか二択です。で、どーせ劉備についても負けます」
琮「うん。曹操にしよう」

こうだから、劉備がもうちょい強ければ違ったかもな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
789 ななしのよっしん
2017/07/10(月) 14:45:02 ID: 3aAUyZNFQ1
較的落ち着いていた荊州内で蔡瑁一族のを排除して琮の後見になるとか無理ゲーすぎる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
790 ななしのよっしん
2017/07/11(火) 10:19:30 ID: I6E0xjvOMq
むしろ黄承彦が本当に荊州における劉備名士の領袖格・諸葛亮の義なら、諸葛亮劉表蔡瑁と義甥ってことになるし、劉備はどうやっても琮の第一後見人になんてなれるわきゃない
劉備もそれを自覚してたから敢えて分の悪い琦と結んだんだろう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
791 ななしのよっしん
2017/07/20(木) 06:41:09 ID: OPLvLlhlx1
正史じゃ劉表討伐軍の侵攻中に狙ったかのように劉表が死んでるから、演義のように謀略渦巻く静かな状態じゃなく緊急事態
劉備が強ければ、つけこむ隙はあったはずだと思うよ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
792 ななしのよっしん
2017/07/20(木) 09:50:05 ID: I6E0xjvOMq
>>791
諸葛亮混乱に乗じて荊州乗っ取るように進言しても外ならぬ劉備本人が拒否してるじゃん
東の孫権とは連携ができてないし西には曹操と友好関係にあった劉璋、北には華北統一した曹操、荊州には曹操への帰順をめる族たち、こんな状況じゃ勝ち薄いわ。曹操袁術に狙われてた徐州を手に入れた状況と同じかそれ以上に厳しい状況だもん
劉備中華統一ではなく自分が生き残るために曹操と対立するを歩んでるんだから博打で身を亡ぼすより逃げるが勝ちと踏んだんだろうよ。琦は結果的にその保険になった
👍
高評価
0
👎
低評価
0
793 ななしのよっしん
2017/07/22(土) 13:22:12 ID: 3aAUyZNFQ1
琮の後見になるっていうのは事前から根回ししまくって有者たちの支持を取り付けて
劉表の死後にスマートに実権を握してこそ意味があるものだから短期間で強引にやっても絶対失敗する

そもそも武背景に実権を取れるだけの実があるなら事前にどこかで危険視されて追い出されてそう
👍
高評価
0
👎
低評価
0
794 ななしのよっしん
2017/07/23(日) 11:52:05 ID: oOggj5aPo2
良くも悪くも、義侠。
義侠を重んじて建まで至ったけど、
義侠を重んじて傾の戦に走って敗れた。
まあ、関羽復讐戦に挑まないような男だったら、
そもそももついてこなかっただろう。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
795 ななしのよっしん
2017/07/23(日) 12:15:20 ID: 2Zg05Jt+RZ
それでも夷陵の戦いイイ所まで持ち込めたんだけどね
荊州の劉備支持者が起して潘濬たち孫呉別働隊を釘付け、山越はいつも通り孫呉南方軍と対峙してたから、孫呉の戦は分散してた
に篭った孫桓の攻略は手間取ってたけど、それはそれで救援出さない陸遜への諸将の不信を煽れたし
陸遜隊の一度の突撃(多分火攻め部隊)も阻止してるからホント抜かりなかった
陸遜ビビッて火攻めを再度敢行しなかったら、あるいは決断が二日遅れてたら、黄権軍が孫呉軍の北から背後を脅かしたはず
劉備の運が悪かった……というよりは陸遜たちの人的な活躍は流石に予測できなかったというところかな
👍
高評価
0
👎
低評価
0
796 ななしのよっしん
2017/07/28(金) 11:56:30 ID: v91qWsvdbg
関羽の敵討ちという気持ちも実際あったんだろうが、やはり一番の狙いは荊州奪還だろう
劉備を滅ぼすつもりはかったと思うね、が折れて荊州の返還を申し出てくるのを
待ってたんじゃないかな、だがに降してでも(ただのポーズだったけど)徹底抗戦を選んだ

ひとつが攻めれば残りのふたつが合わさって抗いも攻め切ることができない
立というのはお互いが動けなくなる文字通りの三すくみの状態だ、劉備はこれまで複雑な
状況を鋭く見抜いて数多の群雄たちの間をしたたかに泳ぎながら生き抜いてきた
がそのまま戦となる三時代の戦争は彼の知らない戦いだった、創業の人は新しい時代に負けたんだ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
797 ななしのよっしん
2017/08/01(火) 22:15:31 ID: aOC9HTBFVX
>>796
>がそのまま戦となる三時代の戦争は彼の知らない戦いだった、>創業の人は新しい時代に負けたんだ
別にそんな事はないんじゃ?陸遜ですら、
当初は劉備側の堅の破り方を気が付いておらず、
一度諸将の反対を押し切って攻めて敗北して、
それみた事か、的に言われている状況で
「これで勝ち方がわかった」と言い出してる感じなわけですし、
普通にそのままなら劉備が優位だったように思われますけどねえ。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
798 ななしのよっしん
2017/08/01(火) 23:50:57 ID: Gi5CdMJLjR
曹操というレジェンドがいるから過小評価喰らうけど、殿上手で夏侯惇于禁といった将にも勝ってる辺り、劉備単独でもに居たら五将軍クラスになれそう。

夷陵で燃え尽きずに、北伐まで劉備が生きてたらどうなったかな?荊州失陥してるから、大勢は動かないにしても、馬謖の起用やら李厳虚偽報告、魏延楊儀の確執は低減ないしくなるから、多少は好転しそうな気がするが。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
799 ななしのよっしん
2017/08/02(水) 22:33:04 ID: rT8GsrWEoM
三国志ファン中二病の症状として分かりやすいのが、演義への反発から生じる武将の過小評価
被害に遭いやすいのが関羽諸葛亮、そして劉備
劉備は演義において部下に戦功を奪われてる形なので、実は演義の被害者だったりする
コーエーの統率的には80後半から90前半は有ってもおかしくないのが実態
👍
高評価
0
👎
低評価
0
800 ななしのよっしん
2017/08/06(日) 00:13:12 ID: Gi5CdMJLjR
>>799
コーエー定も正史考えると、統率は80後半位で良い気がしますね。個人的には知も80代にしても良いと思う。まあ、撤退上手で人物眼有り、人脈のと数値にしにくい部分が凄いのが劉備なんでしょうが。

劉備厄介な所って、曹操配下の将には普通に勝てる所だと思う。
曹操からしたら部下任せに出来ないから自分が出る→曹操来たら勝てないから、すぐ逃げるを繰り返すもんだから、曹操は動いても劉備を討ち取れないが部下に任せたら返討ちされるという絶妙な強さ。弱小勢なのに部下に委任出来ないのが、異常だし面倒臭過ぎる
👍
高評価
0
👎
低評価
0
801 ななしのよっしん
2017/08/15(火) 14:14:39 ID: jwY1K/Od++
実際曹操劉備の事、相当警していたみたいだからな

某所で言われている通り
曹操劉備南北朝時代が見たかったって言われているけど
仮にこんな状況になったら史実より対抗出来たかも
👍
高評価
0
👎
低評価
0
802 ななしのよっしん
2017/08/16(水) 14:32:04 ID: I6E0xjvOMq
どうだろうか
諸葛亮と出会う前…と言うか入までの劉備本質って中華統一ではなくあくまで曹操のいない世界で安全に暮らすことな気がする
どんなにい段階で劉備江南に渡ったとしても、マスタープラン劉備南北朝の形に持ち込むこと自体ができないし、そもそもしようともしないんじゃないかね
👍
高評価
0
👎
低評価
0
803 ななしのよっしん
2017/08/16(水) 16:20:55 ID: rT8GsrWEoM
曹操のいない世界で安全にという事なら々に南に逃げてるでしょ
むしろ劉備の上昇志向の高さが中原でのりとなって裏に出てた形
を得て一時的にでも割拠した徐州時代に、戦略デザインするブレーンを得られなかった事が痛かった
👍
高評価
0
👎
低評価
0
804 ななしのよっしん
2017/08/16(水) 16:27:44 ID: rT8GsrWEoM
最大のIFは、やっぱり関羽のところでが裏切らなければというもの
上手くいくと南北朝ではなくと東西で対峙する形になるのかな
ただ、これだと河上と関中を押さえるが圧倒的に有利になるので、まさにその未来予想図がを裏切らせた一番の要因とも言えます
👍
高評価
0
👎
低評価
0
805 ななしのよっしん
2017/08/16(水) 21:23:41 ID: NzECsx9IO5
劉備が袁譚を茂才に推挙したってのが気になって調べてるんだけど、
この時代って族(名士)のコネが強くなってるから推挙に政治色が濃くなってるって推測されるし、当然劉備推薦もそういう意味合いがはらんでると思われるんだけど、劉備ってあっちこっち移動しまくってしっかりとした基盤がないように見えるんだけど、それなのに推挙出来るってことはかなり強い名士ネットワーク持ってたってことだよね?
wikiだと有者の合議によって選ばれる。って書いてあるから劉備1人の一存で推挙じゃなくて、劉備の名士ネットワークで推挙したって思われるんだけど、それがあったから各勢であんな上客扱いされたのかなと。
この時代の郷挙里選を詳しく書いてある本かサイトあったら教えてほしいです。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
806 ななしのよっしん
2017/08/17(木) 13:55:34 ID: rT8GsrWEoM
劉備は若くして中央の名儒慮植に学んだ秀才な上、各地で活躍して左将軍にまでなってる英雄だからね。一般的な推挙、郷挙里選とは違意味合いが全く違うんじゃないのかな。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
807 ななしのよっしん
2017/08/18(金) 01:08:08 ID: iL44B7d+N5
>>805
郷挙里選制による中央への推挙は、その権利(義務)はあくまで太守などの官僚自身に帰するものであって、政治制度的な「合議」と呼べるようなものは必要としない。

名士や族と言った地方の有者が推挙に絡む場合は、「この地方にはこういう優秀な人がいるんですよ」という形で地元の評価(郷評)を役人にアドバイスするという形しかない。
つまり彼らはアドバイザーでしかなく、なんら権限を持っているわけではないので、これでは「合議が必要」とは言えない。

つまり劉備はその職権において一存で人材を推挙できるので、その件に関して特に名士や族たちの支援は必要としないってこと。

論彼らのご機嫌は統治上重要だが、そもそも推挙に関してはノルマこそあっても定員はないので、何なら彼らの間で評判の人材を1名、自分の判断で1名、という形で推挙することもできる。

まして袁譚の場合(孔融同様に)劉備自身の支配地ではなくてよその土地の人材を推挙する、という形なんだから、なおさら土着のネットワークとは関係がないと思われる。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
808 ななしのよっしん
2017/08/26(土) 17:09:00 ID: eaQhtEi6Mw
劉備陶謙推薦州刺史になった時、別駕従事(州の政治ナンバー2)に陳羣を起用している。
またこの頃、劉備陳紀(陳羣)や鄭玄(慮植の兄弟子)といった在野の学者に教えを請うていたらしい。(三国志書後伝が引く志を参照)
劉備がどうやって彼らと知り合ったのか?確はないけど多分、彼らとしく付き合っていた孔融からの紹介なんじゃないかと思う。
👍
高評価
0
👎
低評価
0
809 ななしのよっしん
2017/09/17(日) 12:00:33 ID: I6E0xjvOMq
劉備盧植に師事していたのが本当だとするなら盧植同様に融門下だった鄭玄に師事するのも大して不思議じゃなかろ
👍
高評価
0
👎
低評価
0
810 ななしのよっしん
2017/09/23(土) 21:43:47 ID: 1wZcPyWiEN
そういえば甘寧主人公漫画なんだけど。
甘寧劉表に話しかけたんだが、劉表は彼を無視して劉備に話しかけたシーンがあったな。
あれって、劉備自身が有な名士でもある拠だな
👍
高評価
0
👎
低評価
0