同性愛
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4351
ななしのよっしん
2016/08/31(水) 12:17:23 ID: Oh0V23tDLI
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4352
ななしのよっしん
2016/08/31(水) 19:49:21 ID: Oh0V23tDLI
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要は、「現在矯正可能な術は見つかっておらず、その方法を開発することは倫理上許されない」を「矯正不能である」と言っている人がいたとして、その人を僕は
>単純に、啓蒙活動において、何らかの意図で断片的な情報しか与えないような活動家
(恣意的に悪意あって情報を捻じ曲げている人、の意か?)
と解釈することはないので、「啓蒙活動において、何らかの意図で断片的な情報しか与えないような活動家には、問題がある」というあなたの主張には同意していても、あなたの「現在の活動家は問題がある姿勢をとっている」という姿勢には同意できないのです。
これが「許されない」などとは思わないことの理由になります。
何らかの表現の短縮に「誠実さを感じない」と指摘するためには、その短縮によって何らかの弊害が生じている「から」誠実ではない、というふうに、具体的根拠をつけてやらなければ意味がないですよ。
どちらも真であるなら、簡易に済ませようが長い表現を取ろうが、それは発信者の自由なんですから。
であるなら、そうやって批判を加えることができるほどの問題点が、後者の表現にはあって前者の表現にはないという事情が無ければその批判には意味がありません。
具体的に、この2つの表現の間でどんな問題、人権侵害が生じるのでしょうか?
もし何か明確にそういうものがあれば、僕としてもあなたに同意できますが。 -
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4353
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 04:52:32 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4350
>「現在矯正可能な術は見つかっておらず、その方法を開発することは倫理上許されない」を「矯正不能である」と言い換えても嘘ついてるわけでも何でもない
いえ、先ほどから私が指摘しているのはそういうことではないのですよ
啓蒙活動上の一言一句を切り取って、この言い換えは正確性に欠ける云々を問題視しているわけではなく、ある一つの啓蒙活動が終了した段階で、活動家が相手にどういう情報や知識を与えたのか、という話なんですね
>>4344の私の書き込みにおいて既に補足していますが、
>わたしが指摘したいのは、一言一句毎に正確な発言をすべき、ということではなく、今その場において、とりあえず一つの啓蒙活動が終わった段階で、最終的に相手に理解してもらう・受け取ってもらう知識に対し、極力齟齬が生まれないよう努めるのは活動家として当然なのではないかな
――ということです
で、この観点から考えれば、>>4340のあなたの要約文章でいうところの
>ここまでの話全てを一覧にして注釈しなければ、いつ誤解が生じるかわかりません
という認識があるにもかかわらず、その数行の要約文章を相手に伝える手間を惜しみ、「性的指向は矯正はできない」というような断片的な説明だけで、LGBに関する知識に乏しい相手への啓蒙活動を済ませてしまうような人がいたとしたら、啓蒙活動上この人は問題ありなんじゃないかなと、私ならそう思う、と、こういう指摘なわけなんですが、いかがでしょう -
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4354
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 11:36:11 ID: Oh0V23tDLI
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推測するに、多分あなたは「短い表現をとろうが長い表現をとろうが自由なのはわかるけれども、そもそも自分たちに対する正しい理解を広めたい、という気持ちがあるなら、なるべく言葉を尽くして説明するもんなんじゃないのか? あえてそれをしないという場合があるとしたら、それはその人に『自分のことをわかってもらおう』という気持ちが欠けているのではないか?」
と思ってらっしゃるのかな、と思いますが、これで合ってますかね?
なぜそれに同意できないかというと、一言で言うと「言葉を尽くさないのは、発言者に理解してもらおうという気持ちが欠けているからではなく、そうせざるを得ない状況があるから」だと思っているからです。
これは前にも話題に出たことですが、僕が思うに、言葉を尽くしては説明せずに「矯正は不可能だ」と話を切り上げるような場合というのは、人権概念を理解しない差別主義者が同性愛者の尊厳を踏みにじっているのに反論しているようなときだと思うんです。
で、なぜそういう場では言葉を尽くさないのかというと、そういう場では「とりあえず速やかに黙らせる」ことが必要になるからだと思うんです。
というのも、他人を傷つける言動は早くやめてもらわなくてはなりませんし、間違った知識を広めることで差別を拡大することも一刻も早く止めなくてはならないからです。
そういうときには、言葉を尽くす時間を惜しんででも、まず相手を黙らせることのできる一言というのが必要なんだと思います。
だからそういうときには彼らは一言で相手を黙らせ、そしてそこで話を切り上げ、つけいる隙を与えないようにする戦術を取るのだと思っています。
それゆえ、僕は彼らが一言で話を切り上げているのだとしたら、それは差別主義者に速やかに対応する必要性からやむを得ない妥協をしているのだな、と解釈しています。
このような理由から「そもそも正確に理解してもらう気がないから、言葉を尽くさないんだ」とは考えないんです。よって、その行動に問題があるとも思っていません。
これであなたの意図へ正確にレスポンスを返せていることになりますかね? -
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4355
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 11:38:30 ID: Oh0V23tDLI
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4356
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 19:07:00 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4354
>これで合ってますかね?
言いたかったことのすべてではありませんが、合っていますよ
>他人を傷つける言動は早くやめてもらわなくてはなりませんし、間違った知識を広めることで差別を拡大することも一刻も早く止めなくてはならない
このあたりがどうも腑に落ちないんですよね
間違った知識に基づく差別をやめさせたいのなら、まずは正しい知識を与えることが重要だと私は思うんですよ
新しい知識や情報を与えることが、その人の今までの認識を改めることにつながるわけですから
で、その本人の認識の変化が、今までしていた差別をやめる、という行動になって現れるのだと、私はそう思うんですね
>一言で相手を黙らせ、そしてそこで話を切り上げ、つけいる隙を与えないようにする戦術を取るのだと思っています。
というふうにあなたは指摘していますが、今その場でその差別発言をとめたとしても、結局のところ根本的な解決にはなってないと思うんですよ
なぜなら、いくらその場で相手を黙らせたところで、その相手が持っている“間違った知識”やそれに基づく“間違った認識”を是正することはできていないわけですから、時と場所が変われば、その人はまた差別的な行動を繰り返すかもしれないという懸念は非常に大きいんじゃないかといえるわけですよね -
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4357
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 19:12:55 ID: 13Kx36ZkCS
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それを考えると、差別行為是正のための啓蒙活動はいくら急を要する場合であったとしても、
①正しい知識をあたえる
②その正しい知識に基づき間違った認識を改めさせる
③その正しい認識に基づき今までの行動を変えさせ恒久的に差別をやめさせる
という手順をおろそかにしてはいけないように思うんですよ
だからこそ私は、あなたがいうような、今現在そこにある差別がとりあえず目下なくなれば、たとえ間違ったままの認識が一般大衆に広まろうとも仕方のないことだよ、というような考えは、啓蒙活動上本末転倒ではないかと感じてしまうんですね
>相手を黙らせることのできる一言というのが必要
あなたの考えに沿うのなら、>>4340におけるあなたの要約文章こそがその一言にあたるんじゃないのかな、と思うんですよ
急を要するからといってこの数行の説明を端折り、「矯正は不可能だ」というふうな少々断片的すぎる一言のみで話を切り上げるような行為は、上に示したような理由から啓蒙活動上間違いなんじゃないのかな、と感じてしまいますね
これについてあなたはどう考えますか -
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4358
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 23:36:09 ID: tEQkSamWe5
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4359
ななしのよっしん
2016/09/01(木) 23:48:36 ID: tEQkSamWe5
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4360
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 01:35:39 ID: Oh0V23tDLI
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>>4357 >>4358
>間違った知識に基づく差別をやめさせたいのなら、まずは正しい知識を与えることが重要
仰る通りだと思います。しかし、先にも書きましたが、事実の一面的な側面を強調した表現というのは、「無知から知らず知らずのうちに差別を行ってしまう人」に対してではなく、わざわざ同性愛者に暴言を吐きに来るような「あえて攻撃を行う差別主義者」に対するカウンターとして用いられるものであることがほとんどです。
すなわち、その言説が用いられる対象は、そもそも「間違った知識に基づいて(無知によって)差別をしてしまっている人」ではなく「もともと持っている強い嫌悪や差別感情から攻撃をしている人」に限られていると思っています。
そしてそういう人に対しては、「あなたの理屈は間違っていますよ」と正しい情報をただ伝えても何の効果もないと思っています。なぜなら、彼らの差別の出発点は知識の誤りではなく感情の方にあるんですから。
では、そういう人に対して最も効果的な方法は何かというと、実は行動を変えさせることなのではないか、と考えられるんです。
>新しい知識や情報を与えることが、その人の今までの認識を改めることにつながる
と、あなたはある種素朴な常識的人間観を信じられています。
これは、認識や感情の結果、行動が決定されるという人間観です。
しかし、実験心理学的な知見からすれば、実はこの因果関係は逆で、行動を解釈した結果、感情が決定されるというモデルがしばしば提案されています。
詳細については>>4278 >>4279を見ていただければわかると思います。
だからこそ、「無知」ではなく「悪感情」から差別をしている人には、まずそれをやめさせることこそが肝要で、必ずしも正確な情報をただ伝えることが善であるとは考えられないと私は結論しているのです。 -
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4361
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 01:42:44 ID: Oh0V23tDLI
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なお
>あなたがいうような、今現在そこにある差別がとりあえず目下なくなれば、たとえ間違ったままの認識が一般大衆に広まろうとも仕方のないことだよ、というような考え
は、僕はいっさい持っていないということを明確にしておきます。
まず行動をやめさせることを優先視した言動をすべき対象は「無知から差別をしている人」ではなく「悪感情ゆえに差別をしていて、ただ情報を伝えられても態度を変える気が無い人」に限られると思っています。
ただ単に無知であるだけの人には、もちろん1から10まで説明を尽くすべきです。彼らはただそうするだけで問題が解決できる対象なのですから。
>相手を黙らせることのできる一言というのが必要
あなたの考えに沿うのなら、>>4340におけるあなたの要約文章こそがその一言にあたるんじゃないのかな、と思うんですよ
また、何が最も相手への反論に効果的な文言であるか、というのはその相手の言う言葉によって変動するので、具体的な条件について考えることなしにそれについて語ることは無意味だと思います。 -
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4362
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 05:02:38 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4359
>「可能か否かに関係なく、性的指向は『変える』ことを要求されるようなものではない」という結論じゃダメなの?
>少なくとも現時点で「変える」方法が存在しないし、いずれにせよ「変える」ことは正当化されないんだから、
>「『性的指向は変えられるか否か』という発想自体がおかしい」ということになるんじゃないかなぁ……。
個人的には同意できるかもですね
ただ、相手の間違った知識を是正し、正しい知識を当人に伝える際には、たとえどういうふうな要約をするにせよ、より恒久的な啓蒙活動のあり方を考えるならば、
今その場において、とりあえず一つの啓蒙活動が終わった段階で、最終的に相手に理解してもらう・受け取ってもらう知識に対し、極力齟齬が生まれないよう努めようとする姿勢は活動家としておろそかにしてはいけないのではないかな、と私は考えていまして、
相手の知識や認識を何度も確認しながら、間違った情報を与えてないか、ですとか、お互いの認識に齟齬がないかを入念にチェックする必要があるのでは、と結論付けているわけですね
たぶんこのあたりの認識でいうとあなたと私でほぼほぼ同意を得られるのじゃないかと思うのですが、これに対し Oh0V23tDLIさんは、
相手が差別主義者なら「矯正は不可能だ」というふうな少々断片的すぎる一言のみで話を切り上げて、相手が持っているかもしれない間違った知識や間違った認識を是正する必要はない、
というふうな捉え方しているようなので、このへんの差異が現在の論点になっているっぽいですね -
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4363
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 05:05:33 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4360
>その言説が用いられる対象は、そもそも「間違った知識に基づいて(無知によって)差別をしてしまっている人」ではなく「もともと持っている強い嫌悪や差別感情から攻撃をしている人」に限られていると思っています。
しかしながら、相手が「間違った知識に基づいて(無知によって)差別をしてしまっている人」なのか、「もともと持っている強い嫌悪や差別感情から攻撃をしている人」なのかは、相手がどういう知識を持っているかを確認しそれを是正しようと試みる、というプロセスがなければわからないことですよね
相手のその発言だけを切り取っても、なぜその人がその発言に至ったのかということは本人以外にはわかりようのないことなんですから
だとしたら、その相手を優しく諭すにせよ、強い口調で批判するにせよ、一旦、相手が持っている間違った情報や知識を修正しようとこころみなければならないのではないと思うのですが、どうでしょうか -
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4364
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 10:00:05 ID: Oh0V23tDLI
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>相手が差別主義者なら「矯正は不可能だ」というふうな少々断片的すぎる一言のみで話を切り上げて、相手が持っているかもしれない間違った知識や間違った認識を是正する必要はない
先にも言いましたがそんなことは思っていません、としか。
悪意を持って差別をしている人は、言ってしまえば差別がだめなことくらいすでに「知っている」あるいは「薄々感づいてはいる」んですよね。
それでもやめないのなら、その理由は知識の欠如ではなく、感情的部分にあるとしか言いようがないでしょう。
そして、そんな人にただ知識を垂れ流しても効果はないでしょう。
>しかしながら、相手が「間違った知識に基づいて(無知によって)差別をしてしまっている人」なのか、「もともと持っている強い嫌悪や差別感情から攻撃をしている人」なのかは、相手がどういう知識を持っているかを確認しそれを是正しようと試みる、というプロセスがなければわからないことですよね
それはそうでしょう。相手と会話を始めずにピシャリと黙らせておしまいが理想だなんてこと、僕言いましたかね?
ちょっと突っ込んでみて「ああ知らないだけだな」と思ったら丁寧に説明すればいいし、それに明らかに曲解や揚げ足取りで応じてくるようなら「ああ、知っててそれでも感情的にやめられないんだな」と判断できることでしょう。
後者の場合、丁寧に説明すればするほどむしろ相手は躍起になって揚げ足取りや詭弁による反論を試み、ますます敵対感情を募らせるでしょうから、「それは詭弁です」で話を切り上げるなり「それは科学的に間違いです」と話を切り上げるなりして、行動から是正するほうがまだマシな対応であり得るのではないか、ということです。
それ以前に単純な話、いくら活動家でもただの人なんですから、そんな人を延々相手にして傷つくのが義務で、そうしなければ不適切だ、などとは言いたくないですね。 -
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4365
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 10:29:46 ID: Oh0V23tDLI
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4366
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 20:35:15 ID: uddfiEW4dX
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この辺の意見の食い違いはアクティビストのイメージの差によるものなのかもしれんね
すなわち、無知に基づく「差別」的言説を採用する者とその反駁を試みるアクティビストが
具体的にどういう状況で対峙し対話をしているか・という舞台設定に違いがあるような気がする
一方は、両者どっしりと腰を据え互いの主張を比較検討し折り合うことを通じて
「差別」が正しい知識で上書き保存されていく性善説的/対面座位的な状況を想定しているように思える
ゼミやシンポジウム、国会や審議会等での質疑答弁など、一定の素養や責任を前提とした硬質なイメージ
対してもう一方は、当該状況を原則としながらも、同性愛者の尊厳を踏みにじり社会から排除すること
それ自体にエクスタシーを感じるような反社会的な者が存在することをも考衡したもの、
いわば修正性善説的/対通り魔的な状況を想定しているように思える
SNS上での「ねこぱんち」合戦や反同性愛デモへのカウンターなど、より日常的で泥臭い場面を含むイメージ -
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4367
ななしのよっしん
2016/09/02(金) 21:23:47 ID: Oh0V23tDLI
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4368
ななしのよっしん
2016/09/03(土) 01:50:36 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4364
>悪意を持って差別をしている人は、言ってしまえば差別がだめなことくらいすでに「知っている」あるいは「薄々感づいてはいる」んですよね。
>それでもやめないのなら、その理由は知識の欠如ではなく、感情的部分にあるとしか言いようがないでしょう。
>そして、そんな人にただ知識を垂れ流しても効果はないでしょう。
“差別がだめなことを知っているかどうか”というのと“差別対象について正しい知識を持っているかどうか”というのは別問題ですよね
それを踏まえたうえであなたは、
差別がだめだと知っていて、それでもなお曲解や揚げ足取りをしてくるような人が相手なら、その人が揚げ足取りをし始めた時点で、相手が差別対象について正しい知識を持っているかどうかを活動家としてはっきりと確認する必要性は感じられないし、
また、正しい知識を持っていないと明確に見て取れたとしても、揚げ足取りを始めるような人にはどうせ何の効果も見込めないだろうから、その人に正しい知識を与える必要はない、
――というようなことおっしゃりたいのでしょうか -
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4369
ななしのよっしん
2016/09/03(土) 09:22:23 ID: Oh0V23tDLI
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具体的状況にもよりますが、そういう場合に正しい知識を伝えても無駄な可能性は結構なところありえると思っていますね。
ただ、下記状況については別です。
>正しい知識を持っていないと明確に見て取れたとしても
なぜなら、明確に見て取れるということは、明確に相手が間違っていることを表明しているということだからてす。そのような場合には、当然正しい知識をもって反論するのが一番効果的でしょう。
ですから、より条件を絞って言うなら「差別がだめだとわかっていても、悪意をぶつけるのを感情面からやめられないタイプの人が、明確な形で知識不足を露呈していない場合には(誤った知識でもって差別を正当化する言説を行っていない場合には)、正しい知識をただ伝えても状況を改善する効果は薄いだろう」と思っているということです。
また、効果や可能性の議論以前に、さっきも言いましたがそんな悪感情に必ず1から10まで対応しなければならん、という結論に陥ってしまっては、アクティビスト個々人に対して問題のある発言になりうるとも思っています。 -
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4370
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 04:30:06 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4369
>そういう場合に正しい知識を伝えても無駄な可能性は結構なところありえると思っていますね
>明確に見て取れるということは、明確に相手が間違っていることを表明しているということだからてす。そのような場合には、当然正しい知識をもって反論するのが一番効果的でしょう。
“正しい知識を伝えても無駄な可能性”とはどういった場合の状況を指すのでしょうか
“相手がこちらの話に耳を傾けてくれない”ような状況なのか、“こちらの話を理解できない”ような状況なのか、はたまた“正しい知識を身に付けてもらったところで、今度はその知識について揚げ足取りを始めるであろう状況”なのか、それとも全く別のシチュエーションを考えていらっしゃるのか
や、というのも、“正しい知識をもって反論するのが一番効果的“というあなたの言い回しをみるに、“正しい知識を伝えてもそれが直接、相手を言い負かす決定打になりえないだろうと思えるような状況”を想定してらっしゃるのかな、とも読み取れたもので、一応確認しておきたかったのですが、いかがでしょう -
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4371
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 05:35:42 ID: Oh0V23tDLI
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そもそも「差別したい」という感情、結論が決まっていて、その結論を強化するために知識、言説の一部だけを切り取り、恣意的に繋げ、根拠付けを行おうとする人が取りうるすべての認知・行動パターンが挙げられるのではないでしょうか?
あなたが挙げた例はすべてそれに該当しそうです。
ちなみに、仮に相手がそういう人で、かつ決定的に「間違った知識」を表明しているパターンの場合、それに対して「正しい知識」を提示して相手に何も言えなくさせることによってその場で何か最も良いことなのかというと、「言い負かすこと」ではなく、単にその人の広めるデマの拡散を止められることにあるでしょう。
それとは別に、そういう人自身の態度を変えるという目的を達成するという観点から考えると、それは並大抵のことではないでしょうが、一番態度の変わる可能性がある方法は、それ以上揚げ足取りや恣意的な知識の援用をするための材料がなくなり、
「ここではもう何も言えないか」と諦めることをいろんな場所で繰り返すうちに、悪意自体がどうでもよく感じられるようになって弱まる、という場合が一番あり得ると思っています。
そう考えると、そういう人に対しては、必ずしも言い負かす必要はなくて、それよりは次の悪意の言葉を出せないような一言・結論でもって話を切り上げること(最低限デマが広まらないようにしたら、あとは悪意の根拠づけをする材料を与えず話を積極的に終わらせること)のほうが意味があると考えていると言えそうです。 -
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4372
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 05:59:45 ID: Oh0V23tDLI
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また、相手にしないことそれ自体が強いメッセージになる場合もあります。
もちろん野放図にさせていてはならないのですが、いちいち全てに反論すると、はたから見ると「議論が成立」しているように見えてしまう弊害が生じるときがあります。
どういうことかというと、ときどき思慮の足らないマスコミがやることですが「差別はいけないことだ」という意見があった、一方「○○は日本にはいらない」という意見もあった、みたいに、正しい意見とタダのデマ・悪意を両論併記すると、普遍的な前者の意見がただのヘイトと同価値なものであるかのように見えてしまうことがあるということです。
こんなふうになると、正しいこととタダの嘘や悪意が「議論でぶつかる2つの価値観」であるかのように相対化されうると思うのです。
単なる悪意にまともな言葉で1から10まで応戦するというのは、これと似た効果を持つと個人的には考えています。だから、デマや悪意は否定しつつも、話を長引かせて「まともな議論が成り立っているような見た目」にさせるのは得策ではないとも考えられるのです。 -
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4373
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 08:32:16 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4371
>「差別したい」という感情、結論が決まっていて、その結論を強化するために知識、言説の一部だけを切り取り、恣意的に繋げ、根拠付けを行おうとする人が取りうるすべての認知・行動パターンが挙げられるのではないでしょうか?
>ちなみに、仮に相手がそういう人で、かつ決定的に「間違った知識」を表明しているパターンの場合、それに対して「正しい知識」を提示して相手に何も言えなくさせることによってその場で何か最も良いことなのかというと、「言い負かすこと」ではなく、単にその人の広めるデマの拡散を止められることにあるでしょう。
なにか微妙に矛盾を感じてしまいますね
これってつまり、
「差別したい」という感情、結論が決まっていて、その結論を強化するために知識、言説の一部だけを切り取り、恣意的に繋げ、根拠付けを行おうとする人が、決定的に「間違った知識」を表明している場合は、その人の広めるデマの拡散を阻止するため、間違った知識を是正しようとこころみるけれども、
「間違った知識」を持っているかどうか、こちらで判然としない場合は、その相手が差別対象について正しい知識を持っているかどうかを、こちらから積極的に確認する必要性は感じられないし、その人がデマを広めるかもしれないということも懸念しない、
というふうにも受け取れるのですが、このあたりどうお考えですか -
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4374
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 09:36:26 ID: Oh0V23tDLI
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差別者が正しい知識を持っているかどうかを確認する「必要性」は、ある場合もない場合もあると思います。
明らかに問題がありそうな知識を思い込んでいる素振りを見せたときなどには、その知識の不正を指摘することで、その場での悪意の発露を素早く止めることができる可能性があるので、確認する必要が生じるかもしれません。
一方、たとえばなんの間違った知識の援用もなく(なんの根拠もなく)罵倒をしているような場合、「あなたは正しい知識を持っているのですか」などと聞く必要があるとはあまり思えません。
尋ねたところで「知ったことかよ」と相手にされないとは思われませんか?
この二者の間で対応に差があってもよい、ということを認めているのは確かです。その理由は「そもそもこういうタイプと活動家(結構な割合で当事者自身)との間で生じるコミュニケーションは少ない方がいい」と考えているからです。
その上で、前者に対しては、知識確認が一番早くコミュニケーションを切り上げられる手段である可能性がある上、その場での明確なデマを止める必要があるので、知識確認の必要があると考えています。
一方、後者のような人にわざわざ1から10まで知識を提示しようとすれば、それによってむしろさらに苛烈で無意味なレスポンスの応酬への繋がりそうです。
もちろん、いまそれをしないことで相手が別の場所でデマを広める可能性はありますが、そもそも感情から動く人については、正しい知識を知っていればデマを広めないなどと言えるでしょうか。かなり怪しいものだと思います。
そのように効果が怪しい行為を必ず行わなければならないとすると、言い換えれば、相手への知識確認(相手とのコミュニケーション)が「義務」だとすると、大して効果があると思えない行為のために、活動家でありながら当事者であるような人々が差別に曝されることを是とすることになると思います。
しかし、僕はそれを正しいとは思いません。
そのようなリスクのある活動は、一定の効果があるときにのみ行えば良いと思います。 -
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4375
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 11:55:16 ID: 13Kx36ZkCS
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>>4374
>もちろん、いまそれをしないことで相手が別の場所でデマを広める可能性はありますが、そもそも感情から動く人については、正しい知識を知っていればデマを広めないなどと言えるでしょうか。かなり怪しいものだと思います。
“感情から動く人”を相手として想定しているのはどちらの場合も同じですよね
>>4371において、
>ちなみに、仮に相手がそういう人で、かつ決定的に「間違った知識」を表明しているパターンの場合
――と、あなたが記述しているとおり、相手が、『「差別したい」という感情、結論が決まっていて、その結論を強化するために知識、言説の一部だけを切り取り、恣意的に繋げ、根拠付けを行おうとするような人』であるのはどちらのパターンでも共通であって、
異なる部分といえば、「間違った知識」を持っているかどうかがこちらで判然としているかしていないか、という、この一点のみですよね
ですから、あなたのこの捉え方を受けて私は、
その活動家の前で、差別対象に対する知識不足や間違いが露呈したかどうかによって、その人がデマを広めるかもしれないということに対する懸念の大きさが左右されるなんて、どうも理解しがたい部分があるかな、と、疑問に感じたわけですよ
これについてあなたは、なにか矛盾みたいなものを感じないでしょうか? -
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4376
ななしのよっしん
2016/09/04(日) 12:58:28 ID: Oh0V23tDLI
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>その活動家の前で、差別対象に対する知識不足や間違いが露呈したかどうかによって、その人がデマを広めるかもしれないということに対する懸念の大きさが左右される
ええと、単純な話ですよ。
露呈しているということは、まさにその場で間違った知識を表明しているということです。それはすなわち、現にその場でデマを広めているということです。
それには反論しなければ、そのデマを野放しにすることになりますよね?
だから、反論せざるを得ないでしょう、ということです。
ただ、間違った知識の喧伝もせずにただ罵倒しているような人は、いつかそういうことをするかもしれませんが、今はしていないわけです。
それなら、少なくとも今のところほっといてもデマは広まりませんよね?
そこにリスクの大きさの差があるのは当たり前です。 -
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4377
ななしのよっしん
2016/09/11(日) 16:02:40 ID: I2BYdmQm5k
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4378
ななしのよっしん
2016/09/12(月) 03:30:18 ID: aMWDAumHd1
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4379
ななしのよっしん
2016/09/14(水) 07:19:34 ID: 6p/SDLgwhe
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4380
ななしのよっしん
2016/09/19(月) 01:23:21 ID: 4jU3aN5ic3
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