121 ななしのよっしん
2016/04/10(日) 20:55:42 ID: siPwFXRABO
ヒックは、すべての偉大な世界宗教が捉唱する真理一の究極的な「実在者」(The Real)を様々に表したものである、とする。
すなわち彼によれば、世界には〈実在者〉を人格的なぺルソナとして捉える伝統と非人格的なインペルソナとして捉える伝統があり、前者の例ではキリスト教の「なる」、ユダヤ教の「アドナイ」、イスラム教の「アッラー」、インド宗教伝統における「シヴァ」「ヴィシュヌ」「パラマトン(最高の)」などが、
また後者の例では東洋の諸伝統における「ブラマン」()「ダルマ」(法)「タオ」()「ニルヴァーナ」(涅槃)シューニター」()などが挙げられると言う。
ならば、究極的な〈実在者〉はなぜ、キリスト教徒、仏教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒等によってかくも様々に表されたのだろうか。
それは、的覚知に関して「かれらはそれぞれ異なる宗教概念群を操作しており、したがってその異なる概念群によって、かれらはそれぞれ性格的に異なるしかたで経験しているからだ」とヒックは言う。
つまり各々の宗教が属する文化背景によって操作される宗教概念群が異なり、そこから宗教経験の違いが生ずるとみるわけである。そしてこのことを説明するために、ヒックは、ウィトゲンシュタインアスペクト論を宗教経験の領域に持ち込もうとする。
ウィトゲンシュタインは〈うさぎあひる〉の頭の絵を用いてわれわれが「何かを何かとして見る」(seeing-as)ことをらかにしたが、ヒックの考えでは、この視覚に関する知見は「何かを何かとして経験する」(experiencing-as)という包括的な考えにまで拡大することができる。
したがってわれわれの宗教経験も常に「何かを何かとして経験する」所為に他ならず、その形態には多元性が生ずることになる。あたかもカントが物自体を不可知としたように、われわれは宗教上の究極的な〈実在者〉を本体的には経験できないのである。
このようにヒック理論では、ウィトゲンシュタインアスぺクト論やカントの認識論を拡大解釈して宗教経験の問題に適用しつつ、世界だった諸宗教を究極的実在に対する人間側からの様々な応答として理解することを根拠づけている。
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122 ななしのよっしん
2016/04/10(日) 20:57:33 ID: siPwFXRABO
ヒックは、宗教的な救いや解放としての〈自心か実在中心ヘの人間存在の変革〉をすべての偉大な世界宗教の伝統のうちに等しく認め、それによって一絶対の宗教があるという想定から解放された、純な「真理の探」のための対話が宗教間において可になると説くのである。…
ヒックによれば、すべての偉大な宗教的伝統の中では、究極的実在は決してり得ないものとされており、ヒンドゥー教の「ブラマン」、道教の「」、大乗仏教の「性」、ユダヤ教イスラム教の「エーン・ソーフ」「アル・ハック」、そしてキリスト教の「」などは、いずれもわれわれの理解を全にえ出た究極者を規定する表現であるという。“
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123 ななしのよっしん
2016/04/10(日) 20:59:47 ID: siPwFXRABO
宗教未来予想は①近代化(非宗教化・脱宗教化)、②反近代化(原始化・復古化・東洋化)に大別される。
日本大百科全書』
宗教未来像”
宗教未来については、現代社会をいかにとらえるかによって見解が大きく二つに分かれる。
一つは、近代以降のいわゆる先進社会が歩んできたように、工業化へのがいよいよ全世界的な規模で進められるとすれば、農業とする伝統社会が崩れ、人口が都市に集中することになろうという予想のうえにたつ。人間の考え方は、個人義と合理義のほうに向かい、宗教、ことに既成宗教はそのを失い、非宗教化、脱宗教化現が強くなるであろう、という見通しである。
こうした「神は死んだ」という時代に直面して、宗教は一部の人々にとっての必要物としては残るが、全面的に後退する。宗教の「近代化」を唱える立場は、こうした認識のうえにたって、教団組織の再編成を図り、また、科学義、実存義、人間義などへの適応、調和を図っていかねばならないとする。
もう一方の立場は、経済中心の工業化社会は、資の浪費、環境の破壊、精の荒、先進社会と後進社会の格差を生んだので、大きな転換を迫られ、近代化の傾向がそのまま続くことはないだろうという推測のうえにたつ。
宗教は個人の生活倫理中心であることをやめて、もっと原始的なエネルギーをもった、ある意味では復古的な形になるであろうと、この立場からは予想する。呪術に対する関心の復活などは、一時的ブームにせよ、その現れである。
もっと著しい流れとしては、義への関心であり、心の内面を探して宇宙とか自然と一体化する体験を重要視する。消極的、逃避的とみられていた東洋の宗教に対する関心が高まっているのも、近代宗教のもつ「世俗に対する関心と批判」という特徴に対する疑いから出ているところもあろう。
宗教がより近代化した形で続くか、反近代的な様相を示すかは軽々しく断定することはできないが、いずれのほうからも、従来の宗教のあり方が大きく転換を迫られていることは事実である。[柳川啓一]
『W・R・コムストック著、柳川啓一監訳『宗教――原始形態と理論』(1976・東京大学出版会) 阿部美哉・柳川啓一著『宗教理論宗教史』(1985・日本放送出版協会)』“
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124 ななしのよっしん
2016/04/12(火) 11:16:46 ID: xP11A4thtt
宗教学の文献では「生まず生まれず」が問題というのはあまり見ないし、旧約由来というのはなおさら覚えがない。
そうみたいですね、現に検索しても全然出て来ない。でー方も全く問題視してる気配ない。つまり宗教学関係者は基本ここにタッチする気はないって事だね。そりゃそうだね、天使とか精霊とか何とかの話の方が楽しいですもんね
重要項と言ったのはこの言葉がコーランによって「言え」と命じられている、つまり全ムスリムがこの概念を肯定しているという点からですね。だからどうあっても「神の子」という概念とは相容れないし、また旧約の中身自体をコーランが「欠」と評した上でこの結論に至っているからなんですね。
まあ聖書として世に出回ってるのは「原聖書」とでも言うべき元の記述をユダヤ教徒が竄したものというなんでそこに何が書いてあるかという話にもなるんでしょうけど。
だからこういう話なんじゃないですか。ユダヤ人はそもそも新約認めてない、キリスト教徒は新約に依拠して神の子リストという存在を訴えている、ムスリムは新旧聖書の内容吟味した上では「生まず、生まれず」という結論に達しキリストは(奇跡ではあるが)アダムと同様の被造物であり神の子、況してやではないとしている。
大体こんな感じなんで当然アブラム教の積年の論争を扱う宗教学もこの「生まず、生まれず」という言葉に対してどのように向き合ってきたかという疑問を抱いていた訳ですよ。

なんで私にしてみればそこは不自然な程の関心、冷淡さですね。単に研究費降りないから?
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125 ななしのよっしん
2016/06/06(月) 21:44:20 ID: /XOIYTHjM5
研究者が研究費降りる分野に集中すれば、飽和状態になって研究費降りない未開拓分野に行くだろうし
未開拓が開拓されるなら研究費降りて、同じことが繰り返されるだろう
もしくはどの分野の研究費も均質に近づいていくか

もちろん非営利組織やボランティア的団体の研究者もいるし、貰えないから研究しないってのは、研究者全体に当てはまりはしない
もちろん現実的には唯一神宗教研究と「巨大科学」との研究費をべれば、天文学的な差が付いてるだろうが
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126 ななしのよっしん
2016/06/12(日) 08:22:51 ID: xP11A4thtt
>>125
で、「生まず生まれず」とかその辺を巡る問題はこれまで研究してきてるの?
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127 ななしのよっしん
2016/07/05(火) 22:47:32 ID: /XOIYTHjM5
厳密に数字で知りたいなら統計研究所へ
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128 ななしのよっしん
2016/07/22(金) 15:08:10 ID: Z5vwMWWpcP
も彼もが、自分を傷つけないですむための逃げと、寄りかかるための支柱を必死に探している

しかし哀しいかな、妄想というのはいくら大きく膨らませても、現実という針の一突きで簡単に崩壊してしまうのだ

そしてそれほど簡単に崩壊してしまうものであるが故に、人は考えることを止め、過剰防衛に溺れて争い合う

ネット上で言われている本来の意味から逸脱した「唯一神」もまた、惨めな自分の弱さを押し付けられる存在になっているということは、人間心理の観点から興味深い()
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129 ななしのよっしん
2016/07/22(金) 21:13:58 ID: xP11A4thtt
>>128
も彼もが、自分を傷つけないですむための逃げと、寄りかかるための支柱を必死に探している
御宅の支柱は見つかった?

>人は考えることを止め、過剰防衛に溺れて争い合う
適度な防衛ってなんだ。

ネット上で言われている本来の意味から逸脱した「唯一神
本来からして惨めな自分の弱さを押し付けられてきた存在なんですがそれは…
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130 ななしのよっしん
2016/08/03(水) 12:54:12 ID: tmyZtKf9Ot
唯一神一とは限らない)
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131 ななしのよっしん
2016/08/04(木) 17:59:05 ID: siPwFXRABO
>>124
唯一神=全者の「生まず生まれず」やタウヒードを問題視してる視点の中にあるけど、それをメインにしたことはないな。
なにせ論理学宗教学を踏まえる限り、まず「全者(唯一神)」という前提が「全の逆説」という論理学矛盾であって、そこからの論は展開し難い。じゃあ古典的な学でってなると、学的意味はあるんだけど、はたから見れば過去に戻るだけだし。

ところで宗教学で「生まず生まれず」を旧約由来とする説がい理由ってに、旧約で「生まず生まれず」と書かれてないからだと思うべ。結局、書いてないことを読み取ろうとすると「○○という教典に量子力学が書いてある」「え?どこにも量子力学方程式は書かれてないだろ」「字面を読むな、本質を掴め」とかなって、直観主義や精神主義(心霊義)に収まるだけだから。
別の理由としては、ユダヤ教的現イスラム教的現とに類似も差異もあるから。

>つまり宗教学関係者は基本ここにタッチする気はないって事だね。そりゃそうだね、天使とか精霊とか何とかの話の方が楽しい
20世紀までなら「Aが楽しいからAを研究する」もなんとか通用したが、現代じゃまず理。日本学術振会(Japan Society for the Promotion of Science)はその名が示すように人文・社会自然科学を振してる。
科学」は“世界特定領域に関する法則的認識をす合理的知識の体系または探究の営み”(『大辞 第三版』)・“本来は感情や信仰から区別された,理性的あるいは知的な全学問”(『ブリタニカ大百科事典 小項事典』)。

何なら振会に応募してみる? 科学的に見てイスラム教(特にタウヒード的「生まず生まれず」)の研究が未開拓であると明できれば「特別研究員」(優れた人文学者または社会学者)として認可されるし、
科学研究費補助」をはじめ様々な支援を受けられるよ。募集要項は→http://prt.nu/1z/sexit
さらに日本学術会議Science Council of Japan)の一員にでもなった日にゃ、日本世界会議・講演する際的なのある学者になったということ。会議サミット)はさすがに自然科学が中心だが、アジア学術会議アカデミープレジデント会議なら人文・社会科学にも出番はある→http://prt.nu/q/cexit
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132 ななしのよっしん
2016/08/04(木) 18:09:06 ID: siPwFXRABO
>>124
>アブラム教の積年の論争を扱う宗教学も
それは「宗教学」の範囲が狭すぎだな。宗教学は“人類に一般的な宗教客観的,科学的,歴史的立場と方法によって帰納的に考究する学問”(『ブリタニカ大百科事典 小項事典』)・“宗教客観的、批判的に研究し、特定宗教でなく、宗教一般の本質明らかにすることを究極の的とする学問の総称”(『日本大百科全書』)。

>私にしてみればそこは不自然な程の関心、冷淡さ
君のレスに思想宗教家ソースいから、君のレスは個人的なイスラム教的私見だろうね(>>107でも言ったけど)、で。宗教学基準は君基準とは別物なんだから、そりゃ君基準で自然な程の配慮、熱さは宗教学にはいっしょw 特定宗教だけ扱ったり称賛/非難したり、良い/嫌な気持ちにさせるのは非宗教学的で。

科学やそれを振する人々・組織に何か欠けている点があると思うなら、学者となって未開拓分野を切り拓くのは一つの手だと思うがな。極論を言えば「イスラム教を非難する馬鹿」という発言も、発言者が匿名ななしのよっしん)か人文科学者かで知的重みが全く違う(人文科学でそんな発言見た覚えはいに等しいが)。
ちなみに募集要項にも書いてあっけど、申請書には出典(ソース)となる先行研究も書く必要がある。宗教学的な諸宗教較論じゃなくて、アッラーの「生まず生まれず」単体を論じるなら、日本語だけじゃなく英語事実上の世界)の文献、そしてアラビア語文献もある方が特別研究員に採用される可性も高くなるだろ。
日本学術会議級の説得で論じたいなら、たぶんアラビア語ネイティブよりアラビア語に詳しいくらいがいいだろ。
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133 ななしのよっしん
2016/08/05(金) 12:40:44 ID: xP11A4thtt
>>132
「個人的なイスラム教的私見」とかおよそ人文学プロパーが使いそうにない表現でとにかくこっちをムスリムに仕立てたい気持ち全面に押し出してくるのも結構なんだけど、それこそ私個人が知りたいのは書いた様に宗教学が「生まず、生まれず」という言葉に対してどのように向き合ってきたかという点だから。
旧約由来ってのも変な言葉だな。旧約の記述内容から唯一神が生まず生まれずとなる以外の結論が出せるのかどうかという話を聞いてるのであって。別にそういう結論が出せるような旧約の読み解き方みたいのがあってそれを筋立てて説明して貰えるなら是非聞きたいですよ、いやホント。
それなのに個人的なイスラム教的私見の持だとかそちらに都合のいい想定でるというのは偏狭ですね。
だから別に旧約フリークでもないような立場にいる事が期待できる宗教学関係者にそこら辺を聞き質したかったんだけど御宅の場合「の中にはそれもある」だもんなあ。
結局御宅も自分が特定の宗や見解に肩入れしてるからあいてもそうに違いないと決めつけて掛れるって事なんだろうかね。先手必勝みたいなノリ。詰まらんだな
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134 ななしのよっしん
2016/08/06(土) 19:14:07 ID: siPwFXRABO
突然どうした?「ほんわか」からかけ離れたレスして?
いや、まず何というか、お互いの言葉が字面は同じでもすれ違ってる感じがするな。端から見ていくか。

そりゃニコニコで思い切り「プロパー」な言を書いても仕方ないだろ。「~的私見」は多種多様の論文によくある表現(http://prt.nu/i/gexit)なので、それを「およそ人文学プロパーが使いそうにない表現」と思った理由は知りたいが。あとその「人文学プロパー」が(もしくは何)かも知りたい。

宗教学での「生まず生まれず」を君が気にしてるというのは大体分かってるつもりだし、だから返信もそれに関連されてレスしてきたよ。
宗教学が「生まず生まれず」という言葉に対してどのように向き合ってきたか」について言えば、>>107-123で示したように向き合ってきた。そして旧約の記述内容から唯一神が「生まず生まれず」だという結論が出るといった宗教学の説は、君が>>124で言ったように「検索しても全然出て来ない」。

「旧約由来」って言葉が変って、じゃあ何がいい?「変」というだけじゃなんとも。

>旧約の記述内容から唯一神が生まず生まれずとなる以外の結論が出せるのかどうかという話を聞いてる
宗教学上は>>107-123のような色々の結論が出てるよ。君がそれを「結論」と認めてるのかは、書いてくれないと分からないが。

>そういう結論が出せるような旧約の読み解き方みたいのがあってそれを筋立てて説明して貰えるなら是非聞きたい
「筋立てて説明」することがや人文科学に出来るかは知らんな。論文や研究発表のような研究成果が、君にとって「筋立てて説明」となるのかどうか? そりゃ、研究成果の引用をここに貼ることはできるが。

「旧約の記述内容から唯一神が生まず生まれずとなる以外の結論」かぁ。>>107-123よりもさらに旧約に焦点を絞るなら、『ブリタニカ大百科事典 小項事典』では”契約,つまりと人類との約束の意””正式の名は『法,預言書と諸書』 tôrāh nebi^'i^m ketûbi^m”と定義がある。
デジタル大辞』では”法(モーセ五書)・預言書・諸書(篇・箴言など)から成る”。旧約の定義において、「生まず生まれず」は一切言及されていない。
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135 ななしのよっしん
2016/08/06(土) 19:15:48 ID: siPwFXRABO
日本大百科全書』はもっと詳しいが、やっぱり「生まず生まれず」への言及はない。”『旧約聖書』各書の成立過程とその構成を知るには、歴史背景の理解が必要である。…
五書は「モーセ五書」または「モーセ法」といわれ、前400年ごろユダヤ教最初の経典(カノン)となった。…「創世記」「出エジプト記」の伝承は、おもに名を、「ヤーウェ」とよぶ「ヤーウィスト」Jahwist(略号J)、「エロヒム」とよぶ「エロヒスト」Elohist(略号E)と名づけられる資料からなり、
前者は前10世紀なかば、後者は前8世紀なかばに成立した。Jは民族信仰に貫かれ、Eはこれに倫理宗教観が加味されている。”
”前預言書のうち「ヨシュア記」は、モーセの後継者ヨシュア古代英雄物語をあわせたもの…預言書といわれるもののなかにも「ヨエル書」「オバデヤ書」「ヨナ書」「ゼカリヤ書」などは文学的性格が強い。「ルツ記」は文学的な物語である。”
”「ヨブ記」は、「(まった)く正しい」ヨブが受ける苦悩をテーマとする対話劇である。このスケプティシズム(懐疑義)は、「(くう)の、いっさいはである」ということばに始まる「伝の書」で極端に達する。ユダヤ教キリスト教聖書には異質とも思えるペシミズム、ニヒリズムが、民衆の心をくもうとした1人の「知恵の教師」の手でこの文書をものしたのである。”
”「篇(しへん)」は、「歌(がか)」「哀歌」とともに文学に数えられる、捕囚以後の多様な文学形式の一つ”
”「ダニエル書」は典的な黙示文学…「ダニエル書」は『旧約聖書』の最後の書物…旧約以後新約に至るまでの「旧約外典」「偽典」には多くの黙示文学がある。[赤司雄]”

つまり文学性が高いという締め括りになってるわけだ。宗教学的・文学研究的に聖書研究した著作と言えば、ノースロップ・フライの『批評の解剖』(法政大学出版局 2013年)がある。
聖書は単なる文学「以上」のものだといわれているけれども、それは文学以外としての扱い方も可であることを意味しているにすぎない。もし聖書それ自体に文学的な性格がなかったならば、あのように大きい文学に及ぼすことはできなかったであろう。文芸批評家考察するかぎり、聖書は一個の文学作品である”。(448
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136 ななしのよっしん
2016/08/06(土) 19:18:42 ID: siPwFXRABO
フライいわく聖書とは、分析的批評から見れば”誤伝、註釈、校訂、挿入、合成、混同、誤解など”で、文学的批評から見れば”予表論的統一体”。(448
聖書には全体としての円環的物語(ミュトス)―不幸の次に回復がつづき、屈辱には繁栄がつづく―が行き渡っている。この物語(ミュトス)の縮図を、われわれはヨブや放蕩息子の話に見ることができる”(450

ちなみに『批評の解剖』にはコーランへの言及もある、が「生まず生まれず」はやっぱりし。
”多くの典は、掛け言葉やくり返しに富んだ文体で書かれていることにわれわれは気づくが、このような文体では、散文と韻文の区別がしばしば感じられないことがある。…
コーラン』の奇妙な歌うような抑揚は憑依的文体の非常に純な例であり、また古代託における的曖昧さも同じに属している。これらの性質のなごり宗教の中に生きのびていて、英国文学ではアングロクソン時代からT・S・エリオットの『水曜日』の冒頭まで続いているのである。”(418

>イスラム教的私見の持だとかそちらに都合のいい想定
じゃあどう呼んでほしい?「イスラム教的私見」が嫌なら「君のレス」とか?

>結局御宅も自分が特定の宗や見解に肩入れしてるからあいてもそうに違いないと決めつけて掛れるって事なんだろうかね。先手必勝みたいなノリ。詰まらんだな
この部分さっぱり分からん。いや、一応一つ言うなら、「詰まらん」にわざわざ関わるのは駄じゃないかい。
宗教学(人文科学)の研究成果をここに貼るのがにこのスレがやってきたことだが、君にとって詰まらなくないという保障はいわけで。
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137 ななしのよっしん
2016/08/16(火) 19:02:37 ID: xP11A4thtt
>一応一つ言うなら、「詰まらん」にわざわざ関わるのは駄じゃないかい
本当にそう思う。長々と限界構築ご苦労さんでした。それにしても詰まらんは本当に詰まらん資料ばかり当たるもんなんですね。
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138 nの3乗
2016/10/19(水) 13:26:04 ID: tmyZtKf9Ot
唯一神 e^iπ+1
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139 ななしのよっしん
2016/10/30(日) 23:56:07 ID: wQhgoZZaxq
「人文学プロパー」って誰?
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140 ななしのよっしん
2017/01/02(月) 04:21:37 ID: 9qkbhV7KmS
一神教多神教から生したものと聞いたことがあるんだが、
どういう過程で創造という概念が生まれたのか気になる

単純にたくさんいるより、一つの神様のほうが分かりやすいから?
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141 ななしのよっしん
2017/01/02(月) 08:10:41 ID: xP11A4thtt
多神教でもどのかが「じゃあが一番偉いの?」的な質問を投げ掛ける事になるからね。
それにある人が他に対して幅を利かせたいと欲したなら自分が属するコミュニティ格が一番で有って欲しいと思うのは人間心理だしまたその方が集団内のまりも付け易いってもんでしょう。

何より古来多神教々に付物の「逸話」(特に性的なそれ)、人が一旦これらを恥ずべき行為と認識し始めると最こういったエピソードが付きう存在を等とは崇めたくなくなるというもので、その点姿形はどうなのか、若いのか年寄りなのか、といった問いから離して考えることが出来る越的存在はそうした人々のニーズにバッチリ合っていた、という事
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142 ななしのよっしん
2017/01/02(月) 08:14:54 ID: hNc5rDcB9J
まあ逆にすべての権唯一神に集約されちゃうと、布教時に使いやすい「逸話」が消えちゃうんで、〇〇を天使とか✖✖の伝説を持つ聖人とか、唯一神の序列化で多神教に戻っていくんだが
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143 ななしのよっしん
2017/01/02(月) 09:48:11 ID: 9qkbhV7KmS
なるほど
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144 ななしのよっしん
2017/02/09(木) 17:16:54 ID: bXuG2gw9A6
>>142
そこまで単純なもんでもない
天使やら聖人はせいぜい「褒めたたえられる」レベル
キリスト教徒は原則、神と神の子(イエス様)以外は「崇拝」せんよ

「原則」と言うのは、例外の数が宗で変わってくるということ
例えばマリアを崇拝対に含める宗があったりとか
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145 ななしのよっしん
2017/02/14(火) 02:05:10 ID: tmyZtKf9Ot
アルミニウムの原価率高すぎじゃない?
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146 ななしのよっしん
2017/02/14(火) 08:24:05 ID: xP11A4thtt
>>144
寧ろ聖人崇拝が耶教徒の間では一般化してるんだけど…
---
聖人信仰(Saint)は、キリスト教において、偉大な信仰の験を示した人物をの恩寵を受けた人物として崇拝する信仰。表向き、一神教を標榜するキリスト教歴史的展開の軸となった、
もう一つの多神教的信仰の系譜である。約4500人が認められているという。迫にあたって殉教したり、病気癒などの奇跡を起こしたりした人物が認められる。

そもそも現在キリスト教堂は、殉教者の地下墓から始まっている。カトリック東方正教会ギリシア正教)などでは、現在堂の祭壇に聖人の遺や遺品などの「聖遺物」(不朽体)の存在は不可欠とされており、
これがなければ体拝領(餐)などの儀礼が行えず、聖人信仰はキリスト教の信仰の根幹を担っているとすら言える。中世ヨーロッパでは聖遺物崇拝が熱狂的な注を集め、各地の教会で売買や略奪が盛んに行われた。

ジョントムなど欧系人名の多くが聖人に由来するなど、人々の間に信仰は浸透し、サンチャゴ・デ・コンポステーラなど、キリスト教聖地の多くも聖人ゆかりの地である。
それぞれの聖人に祭日が定められているが、名を知られない多くの聖人のための記念日万節があり、その前夜祭ハロウィンとして著名である。

聖人に対しては日常生活穏を祈るなど、現世利益的な祈願が多く、多神教的な性格を示すその実態は、崇拝と崇敬は異なるという理屈付けがなされるが、
キリスト教内部の護教学的な説明であり、他宗教較して同様の習慣に区別する理由はなく、客観的には採用できない。
的な思考を優先する職者の間では、学的な難問となり、プロテスタントの多くの教では聖人信仰を否定するが、
一般の信者においては、生活を守護する身近な霊的存在として重要な信仰となっている。ヨーロッパなどでのキリスト教以前の々への信仰が形を変えて伝わったものであるという見解もある。
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147 ななしのよっしん
2017/02/26(日) 17:07:01 ID: siPwFXRABO
>>137
「詰まらん」レスにもレスしてるからレスを返すと、>>139の人が尋ねているように、まず君の考える「人文学プロパー」(>>133)がなのか、または何なのかを答えてくれんと、こっちも君が興味ありそうなことはレスできないな。
著名な辞事典の執筆担当はそれなりに実績のある学者だけど、それをも「詰まらん」と言うなら、君にとって辞事典はもちろん「詰まらん」だろうし、ましてや論文や研究書を書いて学会流に位置しているような学者の説だって「詰まらん」だろ?
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148 ななしのよっしん
2017/03/03(金) 14:12:24 ID: xP11A4thtt
>>147
する気ないし出来ないならしなくていいよ。こちらは固より「個人的なイスラム教的私見」など述べていませんのでそういう意図的な履違え、決め付けで議論を妨げたり煙に巻こうとする不実な手合を詰まらんと言ってるの、解らなかったかな。
御宅にとってななしのよっしん君とやらの発言に知的重みなどいこともよく判ったんで(一々こういう匿名掲示板がどうのとか大上段に構えるのも庸で実に詰まらない)精々研究か何か知らないけど頑ってここで理にレスする事ないよ学会か何かのほうが御宅にとっては実りある話出来ることでしょう
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149 ななしのよっしん
2017/03/16(木) 21:51:50 ID: siPwFXRABO
>>148
じゃあ、まずとにかく君にとっての「人文学プロパー」が(何)なのかを言ってくれないかな。それがはっきり分かれば「意図的な履違え」や「不実な手合」をする確率も減るし、他の人にとっても君の論がより補強されることになるだろうし。
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150 ななしのよっしん
2017/03/22(水) 20:57:43 ID: xP11A4thtt
いや御宅「「詰まらん」レスにもレスしてる」とか詰まらんレスって御宅のそれだって言ってるんだけど… 「まず」とかこっちは唯一神を巡る一神教同士の論争の話してたのにそうやって論旨の摩り替えやる辺りがね…
「人文学プロパー」がかって?こっちの話を読んでそれを「個人的なイスラム教的私見」などと曲解しない程度には相手の子を掴み取れる人物のことだよ。レスが「個人的なイスラム教的私見」に見えたのならそれは御宅自身が特定の(恐らくイスラム批判的な)宗に肩入れしてるかその信徒だとしか考えようがない。
こちらが「イスラム々抜きで」「旧約から出て来た概念として」と述べているのに「イスラム教的」「イスラム教的私見」といった言辞で相手のスタンスを自分の想定したい方に持って行こうとする、こういう悪辣な議論スタイルを好む手合ではない事が第一条件だね。
うその嗜好は御宅の性根なんでどうこうしようって話とかしないから、ホント学会とかの御宅にとって「知的重み」のある場所で心ゆくまで議論して下さい。御宅のそのスタイルで適切な議論が出来る場があるのか知らんけど
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