忠臣蔵
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ななしのよっしん
2013/12/20(金) 22:58:05 ID: It0BAswbSr
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ななしのよっしん
2013/12/22(日) 12:54:57 ID: SeSZx+esjK
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ななしのよっしん
2013/12/28(土) 00:49:34 ID: 84CzQkFrsm
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ななしのよっしん
2014/01/01(水) 19:03:44 ID: A60Y82+hWB
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ななしのよっしん
2014/01/05(日) 18:16:14 ID: It0BAswbSr
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ななしのよっしん
2014/01/22(水) 06:45:48 ID: 25pI4juJno
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これ関係はアンチがうっとうしくてしょうがない
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ななしのよっしん
2014/01/22(水) 23:48:19 ID: 1L4MnfLoqn
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ななしのよっしん
2014/01/23(木) 00:10:25 ID: y14aTMFPvL
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ななしのよっしん
2014/01/31(金) 01:19:04 ID: OSJcWw/1vt
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ななしのよっしん
2014/02/04(火) 15:45:35 ID: Rw4O2wFSZs
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>>4
当時の武家社会自体特殊すぎるんで、現代の価値観で筋通ってないことも、当時では筋が通ってることになっちゃうこともあるんだよ。(まあそれ含めても刀傷沙汰やら仇討の是非は賛否両論だが)。
例えば武士道とか忠義・士道>>命という素敵価値観なので、例え主君に非があろうと仇は討つべき、例え法に背いて切腹になるようなことになっても士道不覚悟よりマシという考えも普通にあったみたいだし。
喧嘩両成敗とかも、武力(刀を抜いて)問題を起こした奴は理由も事情も聞くこともなく(例え襲ってくる相手が筋違いの逆恨みで、自分に非がなくても関係なく)問答無用で処罰するってもので、自衛目的でも刀は抜けず、でもだからといって逃げ出したら士道不覚悟で罰せられる可能性もあるという理不尽っぷり。
まあそんな価値観が存在する時代なので、現代の考えをそのまま当てはめてもズレるだけだ。 -
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ななしのよっしん
2014/02/04(火) 17:56:42 ID: It0BAswbSr
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ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:08:57 ID: 8HCulcbNq7
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ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:20:25 ID: E47XzIuL4j
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ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:53:58 ID: m7LA77YFJ2
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ななしのよっしん
2014/03/11(火) 20:12:19 ID: E47XzIuL4j
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ななしのよっしん
2014/03/30(日) 19:14:31 ID: GLF8nxFEFe
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軍学者の山鹿素行って人がいて、軍学者であると同時に(幕府から見ると)過激な勤皇家だった
幕府から睨まれた山鹿が諸国を巡る内に、大勢の大名が山鹿の門弟になっている。
浅野内匠頭と大石内蔵助も山鹿の学問の弟子。それも熱心な弟子だった。
徳川家でも御三家の内、尾張と水戸は初代から勤皇家で、素行と繋がりはなかったが幕府と朝廷の関係を巡って将軍と揉めることもあった
一方徳川幕府は、家康から四代家綱の頃までは朝廷と度々衝突してた
天皇や朝廷を軽視していたわけではなく、統治を安定させるために幕府の権限を拡大しようとしたのだけど、これが当時は猛反発を受けていた
吉良上野介は自身は勤皇家だけど幕府の方針に忠実だったので、在野の勤皇家からはお上を恫喝する逆賊と見られたこともあった
吉良を討った赤穂浪士が江戸市中を練り歩いて誇示を行った理由は、主君の無念を晴らすと同時に、逆賊吉良を討ったという図式をアピールしたのでは
という見方が昔はあったそうな
忠臣蔵関係の資料や伝承は戦後の混乱とGHQの検閲時代にかなり処分されたり廃れちゃったりで、もったいないんだよねえ -
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ななしのよっしん
2014/07/19(土) 22:44:07 ID: 5pYLAAaq0M
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ななしのよっしん
2014/07/21(月) 04:39:34 ID: 2HRnS4qfEp
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ななしのよっしん
2014/08/03(日) 19:14:35 ID: KpHPwOrPOR
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20
ななしのよっしん
2014/09/03(水) 12:50:20 ID: 3Y7Co6FzJY
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昔はそういう価値観だったってだけだね
今やっても美談にはなるまい -
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ななしのよっしん
2014/09/08(月) 03:45:00 ID: CBg+ZS11jc
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ななしのよっしん
2014/09/25(木) 02:12:48 ID: Rw4O2wFSZs
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ななしのよっしん
2014/09/25(木) 02:37:14 ID: seFitSWVx6
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ななしのよっしん
2014/09/25(木) 03:06:06 ID: uvys01fL4K
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http://t
ogetter. com/li/4 76344
ちょっと前(江戸時代中期より以前くらい)までは↑こういう世の中だったからなあ・・・
幕府の権力が本格的に確立し始めた頃の事件だからか当時も処断をめぐって揉めたよな。 -
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ななしのよっしん
2014/09/25(木) 23:28:46 ID: seFitSWVx6
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>>24のの関連にあった「江戸時代の武士の面目について」を読んでみると
http://togetter. com/li/4 78402
>赤穂浪士たちは「殿(浅野内匠頭)と吉良のどっちが正しいかはどうでもいい。仮にもウチの殿様が殺そうとしたのに、まだ吉良が生きてること自体、家臣として面目が立たん。これはもうなんとしてもぶっ殺さねば」と考えたグループ
>ただ、同時に「公儀の裁きは尤もであり、これで吉良様を仇とするのは道理が通らぬのではないか」という意見も、それなりに妥当と認識されていたのでアリマス。そういう意味では、浪士達の方が少数派であるというのは、武士にとって面目の立つ/立たないの基準が変遷してきてる証左と言えるかと。
今の価値観からすると赤穂浪士の理屈は無茶苦茶に見えるけど当時はそれなりに正当性があったんだな -
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ななしのよっしん
2014/09/26(金) 07:21:39 ID: Rw4O2wFSZs
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周りの武士や民衆にも仇討ちしないとか情けないとせっつかれるぐらいだったらしいからな。
浅野の最大の失態は切りつけたより、吉良を殺しそこねたことって意見もあって、吉良も自ら浅野を取り抑えた訳でもなく背中を切りつけられてるから、下手したら士道不覚悟になる可能性もあったかもしれんし。
現代の価値観で考えてもズレるだけだろうし、当時の掟を見て判断しようにも、色々な掟と見方があるし、当時の世間の価値観や影響、幕府の考えで実状は掟通りじゃない可能性もある。
幕府の掟と士道が相容れなかった例は結構残ってたりするが、それらはあまり話題にならなかったのに対し、赤穂事件は世間で有名になっちゃったから、幕府も揉めに揉めたし、色々な問題が露呈した凄くナイーブな問題だったんだろう。 -
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ななしのよっしん
2014/11/05(水) 12:50:57 ID: YmFlcpSm6p
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ななしのよっしん
2014/11/15(土) 14:11:32 ID: Exe2IvsCGB
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ななしのよっしん
2014/11/19(水) 20:14:03 ID: tG0C+bOnVS
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ななしのよっしん
2014/12/20(土) 22:42:26 ID: BlvohTyFOb
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