61 ななしのよっしん
2012/08/11(土) 11:39:57 ID: UTyjBOe1ZF
昨日、職場で昼休みに何気なくここを開いたら、全部読み終わると同時に昼休みが終わってしまったw
久々読み応えのある記事を読ませてもらったよ、ありがとう
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62 ななしのよっしん
2012/08/15(水) 01:51:56 ID: vc9G8bOriT
すげえなんという教科書
スクロールバーがちいさいよ…
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63 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 10:38:50 ID: 8i1PlKXtaj
ローマはBC753~AD1453(AD1204で一旦破壊されているようではあるが)で丁度2100年日本はBC660~で2672年か?伝説は信用しないにしても、天皇1000年以上続いているわけだし、難しいな。
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64 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 12:29:19 ID: B3P2V0cZy+
>>63
東ローマ帝国は、四方が常に敵となりうる位置+宗教の維持+皇帝が統治する政体 を1000年続けたからな
途中で将軍の時代となったり、天然の壁たる日本海がある日本較するのはよくないと思う
ギリシア体とはいえ多民族の「帝国」として1000年続いたのはすごいことだよ
何気に東欧の文明圏の体であり続けたのもすごい
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65 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 14:32:20 ID: 8i1PlKXtaj
しかし本文中では「帝国1000年間続く」という例は他になく・・・とある。
日本1000年続いたが、帝国とはいえない(いえるのはよくて1895年あたりから)という意味か?
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66 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 17:10:45 ID: B3P2V0cZy+
>>65
>>(いえるのはよくて1895年あたりから)という意味か?
多分そう
そもそもこの記事に出てくる「帝国」とは、喩表現としての帝国ではなく、「複数の民族を支配化におく、皇帝が治める広大な領域国家」をしているのでは?
当然ながら日本)という意味ではないだろう

天皇皇帝と見なす意見もあるけど、天皇外交Emperorでも、個人として人としてEmperorと称されたのは明治昭和陛下だけだからね
それに天皇皇帝(あるいは日本帝国)と見なされたのは、西洋人が天皇と大名の関係を、理やり「神聖ローマ帝国と諸侯」のような関係に結び付けて解釈し、天皇Emperorと訳したことや、
日英同盟の際に天皇英国の君を同格に表現するため、天皇Emperorと訳したことに起因するはず

つまり天皇皇帝という構図そのものに理があり、大日本帝国とは違う時代の日本帝国と称するのは、西洋を中心とした海外からの間違った解釈でしかない

だから明治以前の日本帝国としていうことはできないよ
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67 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 18:08:18 ID: 7SBLgfxsKZ
ここのレス見てようやくわかった。
今までなんで明治に入って急に日本大日本帝国とか言い出したのかイミフだったんだが、そういうことだったのか。>>64>>65>>66記事主さんに感謝
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68 ななしのよっしん
2012/08/27(月) 19:09:23 ID: 8i1PlKXtaj
なるほどな、よく分かったぜ。
しかし、こうした疑問の余地のないより優れた記述があるといいんだが
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69 ななしのよっしん
2012/09/04(火) 21:06:15 ID: Tb9su6DLZq
そいやあ使者が唐に来ていたのは有名だけどそこで日本人と会ったりしなかっただろうか?
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70 ななしのよっしん
2012/09/23(日) 21:37:57 ID: Ttl7IFZwYB
大百科でこんな濃い歴史記事に出会えるなんて…
しかしウンやめろwww
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71 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 12:51:09 ID: yIQfJrGjlh
フォカスに殺された皇帝はマウリキスじゃなくてマウリキウスじゃないの?
脱字っぽいけど
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72 ななしのよっしん
2012/12/13(木) 23:19:19 ID: 7SBLgfxsKZ
どっちも正しいと思う。なんかの本でマウリキスって言われてたし。
外国語の発音を理矢理日本語に直したのなんて大概そんなもんだよ。
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73 ななしのよっしん
2012/12/14(金) 01:28:56 ID: YIkVJ7pzUY
何とあつく、素晴らしい記事なんだ。編集者GJ

引用かもしれないが、「ホメロス物語ローマ建築の中を生き続け、イエスの教えが緋色の衣とともに然と世界、それが東ローマ帝国であった。」の一文には感動を覚えた。

個人的には、「正義」のユスティニアヌス大帝、「英雄」のヘラクレイオス、「皇帝」のバシレイオスなどなど、歴代皇帝だけでも十二分に特筆ものだと思う。
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74 ななしのよっしん
2013/01/24(木) 20:52:30 ID: emHrWBM21A
モンゴル帝国と直接ぶつからなかったのか?
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75 ななしのよっしん
2013/02/13(水) 00:47:23 ID: Z35f8qTIpW
>>74
結論から言えば、運と知略で回避している。
モンゴル帝国ビザンツ帝国と本格的に関わるのは、
フラグイルハンが成立して以降の事。
しかも、当時の皇帝ミカエル8世はイスラムへの対抗策として、
イルハン婚姻外交を結んでいたくらいだから大したものである。
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76 ななしのよっしん
2013/04/14(日) 21:11:24 ID: uDUFKK3yZl
>>45
使徒やキリストイコンを見たらどう思うんだろうな
むしろ使徒なんかギリシャ細工師と揉めてたような気がするんだが
どんな理屈をつけようが絵や像に祈るのは間違いなく異教の習慣だよ
偶像崇拝とその否定運動があったのは別に正教会に限ったことではないけどさ
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77 ななしのよっしん
2013/05/14(火) 05:27:01 ID: 8i1PlKXtaj
どなたかヨハネス8世の狡猾な手腕について加筆いただければ幸甚
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78 ななしのよっしん
2013/05/14(火) 22:42:06 ID: kayJhmS5xd
ビザンツはユスティアヌス、バシレイオスのようなビッグネーム皇帝もいる。
もちょ地味だが、まずまずな皇帝たちの地な活躍が長命の一因として大きいよなあ。
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79 ななしのよっしん
2013/05/26(日) 02:02:44 ID: p/oFkLOZD3
コピペジョジョっぽいと思って二度見したら本当にジョジョだったwww
しかしすごいだな
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80 ななしのよっしん
2013/06/19(水) 04:07:46 ID: Z35f8qTIpW
>>77
ミカエル8世の間違いと解釈して回答すれば良い?

ヨハンネス四世からの位簒奪(摂政謀殺とか皇帝潰して位とか)
チリアでの反乱扇動(いわゆる『シチリアの晩鐘』の原因)
手な遠交近攻外交イルハンで成果、ローマ教会で失敗、等)
コンスタンティノポリス奪還の経緯(全に巣戦術)

狡猾エピソードといえばこのあたりかな。
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81 ななしのよっしん
2013/07/21(日) 13:45:40 ID: 8i1PlKXtaj
>>80
おっと書き間違い、確かにミカエル8世の方だった。彼のそうしたエピソードを本文中にも反映していただければこれに勝る喜びはない。
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82 ななしのよっしん
2013/08/16(金) 21:36:30 ID: +YJAIpr3zg
一つの1000年以上も続くのも稀有だが、滅亡の最後の間もまた壮絶だな。
皇帝自ら玉砕するとは
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83 ななしのよっしん
2013/08/19(月) 19:47:11 ID: Xt5yavAJP1
と聞いて、ベリサリウスの物語フラッシュで見れるよ!
かっこいいので是非。
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84 ななしのよっしん
2013/08/27(火) 08:21:32 ID: 8i1PlKXtaj
ミカエル8世周辺を追加してくれた人へ。最高だ!ありがとう
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85 ななしのよっしん
2013/08/31(土) 07:16:47 ID: vxQFBsiVVa
暗黒時代に栄えていただけでも凄いのに、ここの記事読んで感動した
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86 ななしのよっしん
2013/09/10(火) 03:42:39 ID: 2p/EpVL6P9
大学ビザンツ史研究してるけど記事読みやす過ぎワロタwwww執筆・編集したのひょっとして井上先生とか根先生じゃねwwww
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87 ななしのよっしん
2013/10/05(土) 13:59:52 ID: o6/nyr46rr
>女が政権握った時点で東ローマ皇帝は絶えた
二次元のところでこんな記述が有るが、この言葉
千年ぐらいたってからブーメラン神聖ローマに帰ってきてるよな。
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88 ななしのよっしん
2013/10/06(日) 18:50:38 ID: VwLIP2w+OP
メフメト2世オスマン軍の話になるんですが
連中のウルバンの巨って包囲戦の時に何門使われたのでしょうか?
またウルバンの巨以外のとかも使われたのでしょうか?
これらの正確な門数を知りたいです。
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89 ななしのよっしん
2013/10/14(月) 12:15:53 ID: rJXzcIDdRy
>>82
稀有というのも何だが、イングランド1066年(ノルマ)から千年近く続いてるし、日本1500年以上続いてるんだけどな。

両国とも政治形態がころころ変わったが、ここもそれに似た筋をたどったといえるんだろうか。
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90 ななしのよっしん
2013/10/14(月) 13:01:40 ID: Q2TIC9qotI
>>88
ある程度最近の資料によれば、大砲が全体で70門、そのうち巨大とされているのが16門で残り54門は小さいとされている。15世紀の、ウルバンが出現する前の大砲ヨーロッパのものにべて大きく、現在は中程度とされているので54門はこの程度だったのでは。
一番大きく、有名なのが400人の男が60頭の雄によって航されたBasilicaで、それに準じる大きさの大砲は多くても15門だったと思うが。
あとは詳しい人補足よろしく。
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