121 eleven
2012/03/01(木) 22:11:22 ID: AXH/6lwsIn
>>120

昭和16年の敗戦』p161の記述についてのご質問ですが、本書中にこの文章がどの資料を元に記述されているかは書かれておらず、一次資料にあたって確認することはできませんでした。また、同様の記述を他の著作で見たこともありません。

しかし、「一滴の石油も入手できなくなっていた」はともかくとして、石油製品輸出許可制自体は、8月1日の対日禁輸措置以前から存在していたと考えられます。

例えば、三井物産のタンカー「音羽山丸」は昭和11年4月から日間で石油を運んでいましたが、昭和16年7月28日ロサンゼルスに入港した際に石油の積込みを拒否されてしまい、これ以降商業タンカーとしての役を終えています。

ご質問の件については、過去にも全く同じ質問をされている方がいらっしゃいますので、そちらを参照されてはいかがでしょうか。現時点において、私の方から捕捉できることは上記の事実くらいです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1056947895exit
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122 辰巳
2012/03/02(金) 21:31:53 ID: L8UMwYVGLh
>>119
初めまして、製作者の辰巳(偽名)です。拙い作品ではございますが、どうぞご覧ください。
さて、明治伝を何年まで制作するかという質問ですが、明治39年若しくは43年をめどに制作し、その後は軽く触れるという形で進行するつもりです
詳しくは…第二幕へのプロローグにて
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123 ななしのよっしん
2012/03/04(日) 23:03:52 ID: MHP8Rsdkro
ども、また参考になりそうな本が出ていますよ。もし知っていたらすみません。

成田一著『近現代日本史歴史学』中新書

これは2月に発売しています。参考資料が充実していますし、日本歴史学近代への姿勢の変化と特徴を簡潔にめていることも興味深いかと思います(新書とということもあり、読みやすいと思います)。

私事ですが成田さんは個人的にもお会いしたことがあり、当時(今もですがw)の未熟なの質問にも摯に受け止め、答えてくれるような尊敬できる方です。近代日本史研究者では最も精的な方のひとりだと思いますので参考になるかと。

この時期はお忙しいかと思います、ご自ください。
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124 eleven
2012/03/05(月) 22:52:20 ID: AXH/6lwsIn
>>123
いつもお世話になっております。
またまたご紹介ありがとうございます!
最近になってようやく、以前ご紹介いただいた川田稔氏の『昭和陸軍の軌跡』を購入したところですw

成田一氏の著作はまだ拝見したことはないのですが、この本は教科書レベルの記述と現在歴史のズレを摘しながら、日本歴史学を概観していくという内容みたいですね。
自分の歴史叙述の立ち位置を知るのに役立ちそうな内容なので、またチェックしてみたいと思います。

お気遣いありがとうございます3月4月はたしかにちょっとリアル仕事が忙しいのでどこまで作れるかはわかりませんが、少しずつでも進めていきたいと思います。気長に待っていただけると幸いです^^
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125 ななしのよっしん
2012/03/10(土) 22:19:11 ID: MHP8Rsdkro
>>124
近代日本史や他の分野での研究状況の進展を、方の動画からめて学ぶ機会を得られたと思っていますので、こうした形で援護射撃ができ、嬉しく思います。

実は東方キャラ代替この動画で学びましたw他の動画幽々子さまが西園寺にしか見えてこなくなるから困りますw

また、成田さんの本にあった関連書籍から気になって購入したのですが、同じく中新書加藤文『「大日本帝国」崩壊-東アジア1945年-』も良い本でした。こちらは2009年の本なので、ご存知したらすみません。

日本戦後喪失した各地の8月15日以後を簡潔にめていて、この先の動画において参考になるかと思います。

ではまた、楽しみにしております。
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126 ななしのよっしん
2012/03/14(水) 06:44:50 ID: HIVl7VJbdg
一つ質問よろしいでしょうか?

トラトマ工作が有りましたよね?
結局中国が「新たに持ち出された条件は範囲が広すぎるから具体的に説明しろ」と要
日本では近衛首相広田外相、杉山陸相、内海相が「交渉打ちきり」を
一方、参謀部と軍部は「交渉継続」をしていたという事は動画にも書いてありましたね。

質問とはこの後なのですが、大本営政府連絡会議の後、近衛首相、閑院参謀総長宮、伏見宮軍部総長宮がそれぞれ昭和天皇に上奏した時に、
なんで伏見宮が「政府案に賛成」に替えしていたのかという点です。
大本営政府連絡会議の席上では、伏見部総長宮も、古賀峯一軍部次長も陸軍参謀部に賛成して「交渉継続」をしていたはずです。

政府が「交渉打ちきり」という結論を下した後にも、多田参謀次長は古賀部次長と相談して同意を得た上で、
閑院宮、伏見宮の両総長の参内に繋がったはずです。
閑院宮は昭和天皇の御前でも「交渉継続」を(というより政府案に反対)していました。

しかし、伏見宮は大本営政府連絡会議とはうってかわって政府案に同意してしまったのは、一体なぜなのでしょう?
古賀峯一軍部次長も、伏見宮が政府案に強く反対してくれると信じたからこそ、多田参謀次長と一緒に参内工作したはずではなかったのでしょうか?
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127 eleven
2012/03/18(日) 12:53:25 ID: AXH/6lwsIn
>>126
それではまず、児島襄『日中戦争Vol3』(文芸春秋)から時系列を整理してみたいと思います。
____________________________________________

昭和13年1938年1月15日大本営政府連絡会議
~午前の部~
伏見宮と閑院宮の両総長も出席。参謀本部の交渉打ち切り反対に、伏見宮総長も古賀部次長も同調する旨の意見を述べる。

~午後の部~
伏見宮と閑院宮は出席せず。多田参謀次長が内海相を含む政府側からフルボッコ。交渉打ち切り決定。


多田参謀次長、古賀部次長と両総長から政府案に反対の上奏をする旨の打ち合わせ。

午後9時20分:閑院宮参謀総長上奏。参謀本部の通り、政府案に反対の上奏。

午後10時5分:伏見宮軍部総長。打ち合わせと逆に政府案に同意する旨の上奏。
________________________

ご質問のとおり、午前の部では、伏見宮は参謀本部に同調しているのに、最後伏見宮は政府案に同意している。この最後の変はなぜか?という疑問が出てきます。伏見宮についての資料はほとんど持ちあわせておらず、かなり推測が入るのですが、自分の考えを述べさせていただきます
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128 eleven
2012/03/18(日) 12:56:57 ID: AXH/6lwsIn
(回答の続きです)

伏見宮は上奏時に下の意見をそのまま伝えるような人物ではない。

古賀峯一軍部次長が伏見宮と上奏前にどのような話をしたのかわかりませんが、伏見宮は閑院宮と違って、下の意見をハイハイと聞いてそのまま上奏するような人ではありませんので、上奏時に自分の意見をそのまま述べたとしても特に驚くようなことではないでしょう。


伏見宮は対中強硬

どの程度かはわかりませんが、伏見宮も対中強硬ではなかったかと思います。1月11日の御前会議において「支那が和めてこない場合は帝国は爾後これを相手とする事変解決に期待をかけず」とする「支那事変処理根本方針」が決定されていますが、出席した伏見宮は閑院宮と違って、特に異議も唱えずこれに賛成しています。

また、児島襄『天皇』によれば、「対手とせず」明後、伏見宮は上奏した際、「参謀本部が弱くてだめだ」と言上しています。

米内光政は最初は事変不拡大でしたが、第二次上海事変後は早急中国を屈させなければならないという意見に方針転換しました。伏見宮もこのような考えの持ちではなかったかと思います。少なくとも、事変の不拡大を防ごうとする努は、伏見宮には見られません。


海軍に参謀本部ほど対ソ戦に対する危機感はない

「対手とせず」明後に開かれた戦争導計画の審議を見ても、伏見宮を含め海軍全体として、頭にあるのは対英戦のことだけで、参謀本部が抱いていたソ連への危機意識というのはほとんど見受けられません。参謀本部のように、なんとしても和に持っていかなければならないという熱意は海軍にはなかったでしょう。仮に対ソ戦が始まったとしても、困るのは陸軍ですし。


④統帥部として政府に押し切られるのは癪だが、かといって倒閣の責任は被りたくない

統帥部としては、統帥権の独立を守るためにも、政府側に全に押し切られることは黙認できない事態でしょう。しかし、参謀本部と歩調を並べて反対上奏し、もし近衛内閣が総辞職する事態となった場合、軍部も倒閣の責任を被ることになりますから、それはもっと避けたい事態であったと思います。近衛内閣海軍との関係が悪いわけでもなく、何より民的支持のある内閣でしたしね。
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129 eleven
2012/03/18(日) 12:59:28 ID: AXH/6lwsIn
(回答の続き。結論です)

以上をまとめると、伏見宮としては、自分のの前で参謀本部が政府側に屈させられるのは統帥部の長として容認できない。だから午前の部では参謀本部を支持した。しかし、参謀本部と共に反対を貫いて、軍部も倒閣の責任を被ることは避けたい。

自分の考えとしても、中国くべきだと思うし、たとえ対ソ戦になっても海軍には関係のない話である。ならば、古賀次長が参謀本部と打ち合わせているとしても、海軍としては政府案を支持する方が得策である。
大体において、このような判断であったのではないかと推測します。

しかし伏見宮の資料はもっと欲しいところですね。何かいいのないかなあ…(´`;)
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130 ななしのよっしん
2012/03/18(日) 20:01:47 ID: MHP8Rsdkro
>>129
伏見宮の研究は、専門的訓練を受けている方の中だと、旧軍人で軍事野村実『天皇伏見宮と日本海軍文藝春秋1988年近代日本史が専門の小田部雄次『天皇と宮』新人物往来社、2011年があるようです。

も気になってググっただけなので、中身については何ともいえません。ですが、前者がピンポイントな内容だろうとおもいます。後者は去年の作品ですから、最も最近の研究ですから研究動向や録が使えると思いますよ。
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131 eleven
2012/03/19(月) 00:15:50 ID: AXH/6lwsIn
>>130
ありがとうございます野村実氏の『天皇伏見宮と日本海軍』はも持っているのですが、この本は三部構成になっていて、伏見メインの話は第一部のみ。第二部は山本五十六再考、第三部が戦史こぼれ話という内容になっており、伏見宮の支那事変期における動きは全然書いてないのですよね…(^^;;
天皇と宮』は本屋にあるな~と思いつつ放置状態でしたw また立ち読みしてみたいと思います。
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132 ななしのよっしん
2012/03/19(月) 01:59:41 ID: MHP8Rsdkro
>>131
も読んでいないのでえらそうなことはいえませんw

学術論文でも案外手が付けられていないようです。ciniiで簡単な検索をしても統帥権干犯問題で一本あったくらいですね。同じ著者が1935年危機という論考を書いていますが、海軍かどうかは不明です。どうやら、軍部は日本研究では未開拓分野の可性がありますねww陸軍べると、海軍海軍省が圧倒的に重要だったことが大きいのでしょうが

部に関してはあるいは内の相時副官だった実譲がめた内の覚え書きが書籍化されています。読んだのが大分昔なので役に立つかわかりませんが、そうした他の資料集から接近してもいいかもしれませんね。ただ、実めている仮定で抜け落ちているものもあると思いますが・・・内が陸相の手のひら返しにぶーたれていた印が強い本でしたがw
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133 ななしのよっしん
2012/03/19(月) 04:16:49 ID: HIVl7VJbdg
>>127>>128>>129
ありがとうございます。非常に良く解りました。
>>az4896678036exit_nicoichiba

これを読むと、帝国海軍がとてつもなく腐りきった組織であるのが解りますが、>>128の③などは恐ろしい話ですね。
海軍には、「益」「日本国全体の利益」という発想はまるで存在しなかったかのようです。
じゃ、「海軍」とか偽情報流しているは?
上記の本に書いてありますが、「海軍」の伝統は大人事で全にぶち壊され、「ソ連」がたくさん居座っていたようで。
(米内光政含む)
嘘つき」で「ソ連」で「反英」でなければ海軍では出世ができないのかってくらいにのさばっていたようで。
陸軍にもそのような人材は少なからず居ましたが、少なくとも陸軍海軍のような「嘘つき」は少ないし、海軍と違って、陸軍なりの「益」を考えるだけの余裕はありました。
(それが本当の意味で「益」と呼ぶに値するかは別問題ですが、「益」とか「日本国」という意識は少なくともあった)
福留繁とか之とか吉田満とか宮正武とか、海軍出身の作家は「嘘つきばかり」「歴史の偽造屋」ばかりだそうで。
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134 ななしのよっしん
2012/05/06(日) 17:28:05 ID: HIVl7VJbdg
今回も面かったです。
すばらしい作品をありがとうございます
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135 ななしのよっしん
2012/05/06(日) 19:42:26 ID: HIVl7VJbdg
elevenさんは、近衛文麿という人間をどう思いますか?
彼は、本気で日中戦争を終わらせるつもりがあったんでしょうか?
次の本を読んでいると、近衛日本の共産化、ソ連への売国のために、維持でも日中戦争続けてを衰退させようと企んでいたのではないかとか思えてきます。
そもそも、近衛って河上肇の講義を聞くためだけに東大辞めて京大に行ったくらい筋入りのアカですからね

>>az4569548202exit_nicoichiba

>>az4569791166exit_nicoichiba

>>az4896670116exit_nicoichiba
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136 ななしのよっしん
2012/05/06(日) 19:46:56 ID: 9lWhg1HqmR
ある程度以上過去人間のある間の意図なんてわかるわけないじゃん(正論)
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137 ななしのよっしん
2012/05/06(日) 20:34:27 ID: e7D+EHXoQI
日中戦争敗北しても亡となるわけではない。国体は変わらん。
陸軍が勝手に失敗するのが関の山だ。勝てばけもの
テロの危険を背負ってまで踏んるものかや。
アメリカにしても個人義者が国家のために命をかけて戦争に取り組むのか否や。
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138 ななしのよっしん
2012/05/07(月) 00:50:53 ID: PcQgBuLegM
尾崎アカなのはいいとして、近衛はどうでしょうかね…
むしろ終戦工作時には「国体護持」「赤色革命阻止」をして動いていたように思えますが…
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139 ななしのよっしん
2012/05/07(月) 01:35:27 ID: MHP8Rsdkro
うp乙でした。また既知ならすみませんが、いい本がありました。

キャロル・グラック著(崎透訳)『歴史で考える』岩波書店2007年こないだ紹介した成田一さんの書籍に近い感じですが参考になるかもしれません。

先日、読むのを後回しに本棚にしまい込んでいたの気分転換に読んだのですが、アメリカ人の日本史近代研究者として、アメリカ側から見た日本、及び日本研究者に対する視点昭和のとらえ方は、議論ある点もあるかと思いますが、なかなか面いです。昭和だけを扱う本ではありませんが、近代の捉える点でいいかもしれません。文献録もきわめて充実していますので、参考になるかと。

>>138
近衛アカ説はなんかコミンテル陰謀説と併せて良く出るけど、どうも福政策したらアカレッテルされるレヴェルな気がするよね。そもそもこの時代は社会政策は大体批判者にアカ認定されるし。

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140 ななしのよっしん
2012/05/07(月) 07:13:33 ID: HIVl7VJbdg
>>137
日中戦争敗北しても亡となるわけではない。

そりゃおかしいですよ。
日中戦争敗北するような頃には、日本軍事も使い果たしています。
満ソは手薄になるでしょう。
ソビエトがいつ宣戦してもおかしくありません。
ソ連による日本占領も非常に楽でしょう。

アメリカにしても個人義者が国家のために命をかけて戦争に取り組むのか否や

あなたは911の頃、アメリカ中で「USA!」と盛り上がっていた姿は知らないのですか?
例え知らなくても、アラモの砦やメイン号事件、パールハーバーを見れば、
「個人義者だから国家に命をかけない」なんて結論はおかしいと思うのが普通です
アメリカ人は、日本人が足元にも及ばないくらい「愛国的」です。
日本人の基準では「極右」と呼ぶべきでしょう。

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141 ななしのよっしん
2012/05/07(月) 07:26:44 ID: HIVl7VJbdg
>>138
>むしろ終戦工作時には「国体護持」「赤色革命阻止」をして動いていたように思えますが…

いわゆる「近衛上奏文」を書いたのは「吉田茂」と言われています。
近衛文麿の手柄ではないでしょう。

近衛は、戦後GHQにすりよって、
「私はずっと戦争反対だった。戦争になってしまったのは昭和天皇と軍部のせいだ」
などと責任転嫁に終始しました。
でも、eleven様の労作でも既に摘していますが、近衛は「軍部に引きずられた」どころか、
軍部より先んじて戦争煽り、積極的に戦争戦争拡大に貢献していたのが事実じゃないですか?

昭和天皇戦争責任」にしたって、大日本帝国憲法では一切問える資格はありません。
大体、終始一貫して戦争反対だった昭和天皇責任転嫁した近衛の、一体どこが「国体護持」だったのですかね?

昭和天皇は、近衛理屈を読んで、
近衛はどうも自分にだけ都合がいい事を言っている」
と不信感もあらわに仰ったそうですし、近衛の死には一言、
近衛は弱いね」
と吐き捨てたそうですね。
阿南陸軍大臣の死にすら同情的だった昭和天皇としては、異例の冷淡さです。
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142 ななしのよっしん
2012/05/09(水) 01:17:44 ID: PcQgBuLegM
から一言

>大体、終始一貫して戦争反対だった昭和天皇責任転嫁した近衛の、一体どこが「国体護持」だったのですかね?

とありますが、昭和天皇を守ることと皇室天皇制を守ることは違うのでは?
題とは違うのですが、気になったので。
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143 eleven
2012/05/10(木) 00:04:02 ID: AXH/6lwsIn
>>139

またまた本のご紹介ありがとうございます^^
海外日本史近代研究者としては、クリストファー・ソーン先生ジョン・ダワー先生の著作を拝見しているのですが、キャロル・グラック氏は初見でした。また機会があれば読んでみたいと思います。
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144 eleven
2012/05/10(木) 00:08:18 ID: AXH/6lwsIn
>>135

 ご視聴ありがとうございます近衛の評価についてはまだ時期尚なので避けますが、近衛尾崎秀実と同じく共産主義者であったのではないか、という点については、私は疑問に思います。少なくとも「現在研究において、近衛共産主義者であったという明確な拠は出てきていない」ということは言えるでしょう。

 近衛が若いころ河上肇に師事し、社会主義に傾倒したのは間違いない事実ですが、これは近衛のみに限った話ではなく、当時の族全体に見られる傾向です。

 例えば、木戸幸一が若い頃に読んでいたのは、
アメリカ社会民主主義ジョンスパルゴー
ロシアナロードニキ革命ラッセル・スジロフスキー
同じくロシアアナキスト、クロポトキンなどです。
そして、大正9年(1920年)には「現時の社会思想は庭園の私有を許さない」として木戸の別荘を売却し、売却益の一部を労働者のための学校である信中等学校に寄付しています。
筒井清忠「近衛文磨 教養義的ポピュリストの悲劇」)
 活動を実践していたという点では、木戸幸一の方が近衛よりはるか社会主義的であったと言えます。

 ロシア革命衝撃があり、大正に入って日本が大衆社会を迎えていた当時において、族たちには大衆の意向に逆らっては自分たちは存在し得ないという認識がありました。そのような時代背景において、族が自責の念、あるいは保身から、社会主義思想に共鳴し、それを実践しようとしたのは当然と思いますし、批判されるべきことでもないでしょう。

 そして近衛は、ずっと社会主義一辺倒であったわけではありません。「英本位の平和主義を排す」や「東亜新秩序明」は、麿アジア義の系統に連なるものであり、むしろ右の思想です。
 昭和伝でも言及したように、近衛内閣社会主義的な政策を実行していきますが、社会主義者=共産主義者というわけではありませんので、これをもって共産主義者であると言うこともできません。


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145 eleven
2012/05/10(木) 00:16:45 ID: AXH/6lwsIn
>>135
(続きです)
 掲示板中川八洋氏の著作を列挙されていますが、氏の思想やものの考え方自体はさておき、この人の本の記述の仕方は相当問題があると思います。

 例えば、貼り付けておられる『近衛文麿戦争責任』において、中川氏は昭和研究会の有メンバー飯会のメンバー後藤之介、矢部貞治、蝋山政風見章ら全てを「マルキスト(共産主義者)」と書いておられますが、「昭和研究会」や「飯会」に属していただけで「共産主義者」と書くのはあまりにも乱暴です。
確かに風見章などは戦後社会党の「左政治家」として活躍していますが、彼らがあえて共産革命して行動していた具体的な拠はありません。

 また、支那事変がどのように拡大していったのかは、昭和伝でもかなり細かく扱いましたが、中川氏は北支への明も、第二次上海事変前の政府断固膺懲明も、政府を対手とせず明も、いずれも、近衛文麿が「確信犯的」に日本戦争に引きずりこむために断行したと、断定しておられます。

中国永遠に戦争がつづくこと、それが総理近衛文麿的であった。日中間の戦争それ自体が期限に継続されること、それが近衛文麿の執念をかけた狙いであった。」『近衛文麿戦争責任』(P133)

 そして氏の最終的な結論としては

近衛共産主義者として、一九一七年のロシア革命が成功した同じ土壌、すなわち敗戦によって生じる経済破綻と精の荒という共産革命のための土壌をつくるために対戦争論んでいた。」『近衛文麿戦争責任』(P96-P97)

 ここまで断定するには、相当具体的な拠資料が必要になりますが、資料的裏付けが何もなく、一体何を根拠に書いておられるのか全く不明です。全体に渡って文章が終始断定調ですが、仮にも歴史、それも近現代史を扱う本において、拠となるものを何一つ示さずになぜここまで書けるのか理解に苦しみます。
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146 eleven
2012/05/10(木) 00:21:33 ID: AXH/6lwsIn
>>135
(続き。ラストです)

 そもそも思想は内面の問題であり、外部からは推察するしかないのですが、仮に近衛日本の共産化を狙っていたと仮定すれば、東条内閣以降、近衛終戦工作に協していた事実と整合性がとれなくなります。共産化を狙っていたなら、終戦工作に協する必要は皆無でしょう。むしろ陸軍の抗戦と組んで戦争継続に協した方がよい。しかし、近衛がそのような行動をとったという事実もありません。

 歴史において、近衛の下した決断が、結果的にことごとくソ連を利するものであったことは事実であり(それがブレーンである尾崎の狙いでした)、そこから近衛共産主義者説が出てきたのだと思いますが、近衛自身を「共産主義者」と断定する拠はありません。断定できるのは尾崎秀実のように、言や著作で本人の思想と行動明らかになっている場合のみです。
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147 ななしのよっしん
2012/05/11(金) 05:31:49 ID: HIVl7VJbdg
>>144>>145>>146
ありがとうございました
大変よく解りました。
本当にありがとうございました。

労作である本編と、ここでeleven様がお答えくださいました質問の答え……
これは出版できるレベルの高さです!
お世辞抜きに本気でそう思います。
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148 ななしのよっしん
2012/05/12(土) 22:26:20 ID: +C2HoqSNyu
今気づいて最新話を拝見させてもらいました。いよいよWW2に入っていきますね。とても楽しみに待っています。
さて、先日興味深い話をいくつか聞きましたのでそれに関していくつか質問させてください。
1、第一次上海事変の発端となった上海日本人僧侶襲撃事件は関東軍の謀略だったとされていますが、その根拠は田中吉の言しか今のところないと聞いたのですが、そうなんでしょうかね?そうでないのならその拠を教えてください。
2、満州アメリカを一枚かませるべきだったのか、あと、リットン報告書を素直に受けておくべきだったのか?
3、支那事変時に731部隊人体実験細菌戦は本当にあったのか。昔学校では犠牲者は3000人ぐらいと習ったのですが、どうお考えですか?
4、東条首相東条陸相時代に近衛内閣混乱させたのだからやはり最大の戦犯だと聞いたのですが、この意見に対してどう思いますか?
5、南部印進駐は明らかに欧植民地に対する侵攻準備だったのだから、アメリカ石油禁輸は当然だと聞いたのですが、どう思いますか?
6、日本は南進ではなく、関特演の通りに北進すべきだったという意見に対してどう思いますか?
7、広田内閣の現役武官大臣制復活二・二六事件直後で、軍部の意見は無視できなかったのだから仕方がなかったという意見に対してはどう思いますか?
8、最後ですが、関東軍という組織のことをどう思いますか?
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149 ななしのよっしん
2012/05/13(日) 09:34:57 ID: HIVl7VJbdg
「たった一人の言しかない」と言えば、満洲事変を関東軍が始めたという話もそうですね。
これ言ったのは「正」一人だけで、石原莞爾板垣片倉衷も、死ぬまで「自衛だった」としています。
で、正という人物は、戦争中ろくでもない事ばかりやって威り散らしていた人物であり、
「私は過去の悪行をちゃんと反省できる心優しい人間ですよ」
って言いたいがためにほとんどの当事者が死んでいる「満洲事変」を捏造したんじゃなかろうかと。
言われていますね。

満洲は、わざわざ関東軍が謀略などしなくても、中村大尉事件とか万宝山事件とか大小問わず様々な反日運動がありました。

日本人に物を売った」というだけで頭でし上げられた満洲商人すら居ます。
http://www.iza.ne.jp/images/user/20091003/631183.jpgexit
……頭でのし上げ、この円錐帽子、まるで「文化大革命」の時代のようですね。

反日運動が数多く存在したことはeleven様の労作の通りです。
従って、わざわざ関東軍が謀略を起こさなくても、学良や無知中国人の側が勝手に挑発したという可性もあります。

悪貨は良貨を駆逐する
これは経済学の話ですが、歴史にも言えるのではないかと。
日本が良い事をやったとか、日本行動には相当の正当性があったという歴史は消し去られ、
「とにかく日本は悪かった」という自虐史観(悪行史観)ばかりが流布されます。

その点、eleven様の作品は本当に素晴らしいと思います。
決して「なんでも日本は悪かった」という自虐史観は排除し、できる限り日本の言い分や、
戦後から見れば「狂ったキチガイ」扱いの右翼義者のをも正に評価し、紹介しています。
本当に素晴らしい方です。

恐らく、この動画を作成されるには何冊以上もの本を読破し、
ここはと思った箇所は抜き書きし、
しかもそれを々にでも解りやすくまとめあげる…
大変な苦労があるのだと思います。
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150 ななしのよっしん
2012/05/20(日) 21:49:22 ID: HIVl7VJbdg
松岡洋右(てゐ)が大歓迎される図

>>sm12195424exit_nicovideo
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