271 ななしのよっしん
2016/01/27(水) 06:34:50 ID: hg8vgtH8W6
歴史なんて曖昧なものだし、あんまり一つの説に意固地にならん方がいいわな
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272 ななしのよっしん
2016/01/27(水) 06:52:32 ID: o0mV1aCT2k
さあったった勝永か信繁かァ!?
丁半バクチと一緒で勝った負けたが大事!どっちかが大正義でどっちかが無能いらない子ォ!
よござんすかぁ…入りまァす!
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273 ななしのよっしん
2016/01/27(水) 11:54:08 ID: 11ut11eN29
>>272
ネットはそういう感覚で歴史る人多いよね
過去の人とはいえ人間オモチャにしてんじゃねえよって思う
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274 ななしのよっしん
2016/01/27(水) 12:38:15 ID: K3RsJT+m2o
まあ歴史想像は楽しいよね、幸村サイコパスもちょっと賛成かな

親父殿の表裏かっこいいに使われるけど
卑怯者、全く信用出来ない者の意味だからなあ
大名や優秀な人物が好評価していないのはそれが理由
武田後の動きはギリワンと言えるほどの変わり身だし、ひどく言えば武田を売って裏切った首謀者は幸なんじゃね的な動きもしている
幸村もまあ独善的な行動も多い、源義経と何か被る
評価も遅刻して幸村の戦い見てないに「日本一の兵」と言われ、サイコパスにほめられても、、
武士とは程遠い信用無視ギリワンサイコパスと言えばそうなりそう
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276 ななしのよっしん
2016/01/28(木) 00:18:03 ID: PsWCJnhnQI
自演くせえのが湧いてるな
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277 ななしのよっしん
2016/01/28(木) 11:32:37 ID: K3RsJT+m2o
幸村無能とか毛利かわいそうとか言ってねーからw
出しの配置やら備えでのハッタリなど戦術センスはそこそこの物があったんじゃないかと思うよ、他部隊との協調性はさそうだけどね

問題にしてるのは義理難く忠義に厚い猛将のイメージの部分で
幸、幸村行動の何処に義理と忠義があるんだという疑問
裏切りイメージ藤堂高虎なんかは、先駆けを毎回務めて忠義を尽くしたとされるが、真田は自分の為に動くイメージしかない、まあそれは特別に悪いことでははいが

なので、ぼくのかんがえたさいきょうの幸村としては
己の事を最優先に考える少し自己中であり、冷腹黒い、白髪混じりの小さな謀将

だがそれがいい


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278 ななしのよっしん
2016/01/28(木) 23:58:35 ID: kzqD0sTMbV
>>274
>>277

幸の「義理と忠義」論に特に異を唱える気はないが、それを「だから信繁も」とつなげるのはちと強引な話の持っていきかたに見える。
だって、信繁自身が体的に行動して事跡に残ってるのは、大阪の陣くらいしかないし。批評する以前の問題。

そもそも、幸や信繁が「義理難く忠義に厚い」なんてイメージ自体、一般的なものではないと思っていたんだが、最近は違うので?
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279 ななしのよっしん
2016/01/29(金) 11:25:16 ID: K3RsJT+m2o
>>278
「義理堅く忠義に厚い」ように過去の大河やゲームなどで扱われているのが一般的だと思うがどうかな?
上の記事にも「義トリオ」てのがあるぞ

次に「だから信繁」ものところ
体的に行動していないからといって幸の行動に全く関係ないと言うのはありえないし、体で動いていないならば尚更の事、幸村が忠義に厚いと言うのはあり得なくなる
そして「表裏」(信用ならない卑怯者)は忠節を尽くす対称の秀吉がいった言葉とされ、忠節の逆評価となっているがにしても幸村に対し「親父と似ずに忠義者」などの評があるわけではない
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280 ななしのよっしん
2016/01/29(金) 11:39:53 ID: K3RsJT+m2o
なので結局、親父行動を伴にしてきた幸村親父と同様の行動評価される、なので「部下に持つなら幸村のような忠義者だな」の為政者たちの評価はなく(武勇を評価している悪久と忠キチガイぶりはそれぞれの記事にて)
講談等による好き嫌いで決まるような判官贔屓世界に置いてのみ忠義ものとされている模様

まあそれでもいいと思うんだ、信之も言っているように戦いに一生をかけ、いつまでも下克上の心を忘れないのも戦国武士とは思うんだ(信之の保身コメントより)
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281 ななしのよっしん
2016/01/29(金) 20:16:57 ID: kzqD0sTMbV
>>279
>「義理堅く忠義に厚い」ように過去の大河やゲームなどで扱われているのが一般的だと思うがどうかな?

具体的にそう言う論評を聞いたわけではないのね。
大河ドラマでは大阪の陣ぐらいでしか出番いから、「義理堅く忠義に厚い」ことを示すような描写は記憶いっすなぁ。
同じ『真田太平記』では、親父の遺命で大阪方に参したようなものだし。
無双シリーズ直江兼続キャラ付けに巻き込まれたのと、史実で著名な合戦参加実績がいが故に登場機会を嵩ます為の「義トリオ」だから、「一般的なイメージゲームに反映した」とするには、ちと私は苦しいかなぁ。

>体的に行動していないからといって幸の行動に全く関係ないと言うのはありえないし、体で動いていないならば尚更の事、幸村が忠義に厚いと言うのはあり得なくなる

体的に動いていない」ならばそれは「体的に動く意思がかった」と言うだけ。それを「親父同様の表裏の者に違いない」と結論付ける点に論理の飛躍を感じるって話。
因みに私も別に、信繁を「義理堅く忠義心に厚い」とは、思ってませんけれどね。先述したように、評価するにはサンプルが少なすぎる。
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282 ななしのよっしん
2016/02/02(火) 20:21:54 ID: PsWCJnhnQI
真田幸村イメージを決定づけたのは江戸時代の上方における講談で、
この講談人気者はみな共通のイメージがある。
「三演義」の諸葛孔明、「太平記」の楠木正成、そして「難波軍記」の真田幸村
これらはみな劣勢の勢を挽回させるために智謀の限りを尽くすが、最後は敗れる悲劇の智将、
という類で、ちょっと趣は異なるが源義経も似ているかもしれない。
というより先行する孔明や正成のイメージ幸村のほうが寄せられた、というのが正しいんだろうね。
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283 ななしのよっしん
2016/02/12(金) 14:36:25 ID: n+UZw679ki
無双4やったけどなんか好きになれないキャラだったな・・・・・
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284 ななしのよっしん
2016/02/12(金) 15:35:51 ID: B7ENbr3TaE
信繁に限らず、大阪大物浪人衆たちは戦国徒花って感じだよね。
下泰直前の、最後の最後に咲いたって印
歴史好きの中には「乱」を嫌う人がいるけど、個人的には三英傑と同じかそれ以上に、こういう時代に逆らって死んでいき、やがて伝説になっていった人物は凄く魅的に思えるな。
既に江戸幕府という武政権は各地の大名に所領安堵が済んでいるのだから、もはや大名たちは豊臣に感じる恩なんていわけで、豊臣に果たす忠なんて必要いんだよね(大名個人の恩義は別だけど、個よりを優先すべき時代)。
信繁や後藤又兵衛、御宿勘兵衛たちはその封建社会から弾かれた、もしくは自ら抜け出した存在なわけで、忠義と言うスケールで計るのは彼らの魅を小さくしてしまうことだと思う(彼らが身低頭して本来忠義を以って仕えるべき相手はであり幕府だから)。
自分たちに死に場所を与えてくれた秀頼への恩はあっただろうけどね。
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285    
2016/02/21(日) 20:54:03 ID: zvOF8W+vH7
幸村の字がどこから来たのかまだ不明なままか
そういや信繁の子孫が伊達の世話になってるし当時伊達の諱にの字のついた人が多いからなんか関係があるのかな
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286 ななしのよっしん
2016/02/23(火) 08:47:52 ID: B7ENbr3TaE
>>285
・当時良くも悪くも時の人だった伊達から借りた説
村松殿(宝寿院)から借りた説
正から取った説
ぶっちゃけ適当に充てた仮名なので確たる由来なんてい説

有名どころはこのあたりかな
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287 ななしのよっしん
2016/02/28(日) 11:29:50 ID: 3npFoNY/RQ
信繁(幸村)の豊臣への忠義になんだか懐疑的な意見が多いが・・・
そもそも信繁は秀吉のもとに長く人質に送られていて、秀吉の傍近く仕え、豊臣の面々とも密接な関係があった。
その上、正室は秀吉の忠臣大谷吉継。ここまで条件がってれば普通豊臣氏への近感・忠義は形成されていくのが普通だろ。
確たる根拠もなく、こうした事実無視してやたら懐疑的になる理由がわからんな
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288 ななしのよっしん
2016/02/28(日) 19:03:56 ID: 3npFoNY/RQ
失礼「大谷吉継」だな。
とにかく信繁は豊臣に強い忠心を抱くのに申し分ない環境にいたといえる。
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289 ななしのよっしん
2016/02/29(月) 11:53:10 ID: B7ENbr3TaE
真田信繁の忠心」に懐疑的なのではなく、「武士の忠心」とは何かということですね。
武士とは君の所領安堵(御恩)に対して働きや貢物(奉)で報い、「」と「土地」を守る存在。大坂城浪人集たちはその構図からはみ出た存在であることは間違いない(この時点で武の頭領は家康であり、存続している大名たちは皆家康の恩を受けているから)。
だから浪人たちの豊臣に対する「恩」は浪人から大名への返り咲きという一発逆転の機会を与えてくれたこと、名や所領と同等に武士アイデンティティであった「名」を上げる最後の機会を与えてくれたことへの恩であり、諸大名が家康に尽くした忠とは別のベクトルのものですよ。
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290 ななしのよっしん
2016/03/03(木) 22:19:36 ID: MSMjrwQ9uh
武士が皆後世の教科書通りの価値観しか持っていなかった、というわけではないからなあ
大坂五人衆の動機にしても、御した長曽我部君の復権とキリスト教大事の明石山内がくれた地位名誉より豊臣大事の毛利、諸説ある後藤バラバラだし
他にも徳の統治が気に食わないとか、戦をしたいから戦ったという人までいたわけで
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291 ななしのよっしん
2016/03/04(金) 08:57:01 ID: B7ENbr3TaE
>>290
結局、大阪に集まった浪人たちは守るべき領地・おを持たないもしくは捨てた者たちだからね。武(=封建)社会のはみ出し者、もしくは領君として失格と罵られるのを覚悟で武名を上げに来た人々。
そもそも秀吉亡き後の豊臣は武の頭領ではなく公家だからねぇ。
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292 ななしのよっしん
2016/03/04(金) 09:18:05 ID: B7ENbr3TaE
で、そんな豊臣に集まった浪人衆の魅は、一発逆転に賭けたギャンブラー性、武名を高める最高の機会を得た名誉欲、死に場所をめるクレイジーさだと思う。
木村大野とは違って、彼らは苦とは言え豊臣と命運を共にしない生き方もあったわけだしね。
封建社会から飛び出して死にを咲かせたアウトローたちに、「忠義」というを再び被せるのはむしろ魅を削ぐことなんじゃないかなーと個人的には思う。
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293 ななしのよっしん
2016/03/04(金) 19:14:03 ID: 3npFoNY/RQ
ここの皆が言っている大坂城に入った浪人衆の傾向は、一般的には当たっていても信繁については当てはまらないだろ
なんせ信繁はの後で、叔父の信を通じて家康から持ちかけられた「こちらにつけば信濃で大名として取り立てる」という誘いを言下に断っている
信繁にとって故郷に帰れる上にそこで大名に取り立てられるという破格の条件だぞ
40万石はとしても破格の条件には間違いない。しかも身内を介しての誘いだ。これに何らの未練もなく言下に断るというのは信繁がいかに豊臣への忠義に身をげていたかの明になる
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294 ななしのよっしん
2016/03/04(金) 20:17:44 ID: B7ENbr3TaE
>>293
幕府方の引き抜きを断ったのは信繁だけじゃないですよ。
あと知行と引き換えの引き抜きを断ったこと自体が、忠義の為に戦っていたわけじゃないことの左だと思うんですが、どうでしょう。
でさえ叔父が仕え、自分はと共に命永らえることを許された徳に対して尽忠報恩を見せる絶好の機会を自ら蹴ったんだから。畿内の一地域を支配してるだけの当時の豊臣に士が忠義を尽くすほどの徳や恩もいしね。
まぁ斯くの如く言っても400年前の人の心なんて分からない。もしかしたら信繁が忠を尽くす程の豊臣には有ったのかも知れない。でもそれは一般論ではなく、後世の人間には知りようのパーソナルな感情なわけで、小説家の想像にでも任せるしかないことだと思いますよ。

個人的には朱子学的な償の忠義よりも、名誉や野心を重んじる武士像が好きなので、好きな武将へのそういう解釈はちょっと理解できないですけどね。
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295 ななしのよっしん
2016/03/05(土) 13:18:12 ID: 3npFoNY/RQ
いや、別に朱子学的な無条件の忠義など言い立てるつもりはないが…朱子学の忠義は君がどんな暴君でも忠義を尽くすというものだが別に秀頼は暴君じゃないしね
そうではなくて、信繁が置かれた環境や個人的心情を一切考慮せずに「御恩と奉」というの関係のみで「忠義」を定義するのはどうかと思うのだが
そもそも前にも書いた通り、信繁と豊臣との関係は深い。人質として長く秀吉の下にいて仕え、豊臣との人々との関わりも深かった。正室は秀吉の忠臣大谷吉継で、しかも秀吉が仲人だ。これだけ条件がってれば普通豊臣への近感と忠義の心が形成されていくのは何らおかしくない
信之(信幸)の名を出しておられるが、信繁と信之では立場が全く違う。
前述のように豊臣との関係が濃密で家康との接点は極めて薄かった信繁に対して、信之は家康自身に抜されて取り立てられた上に、家康の忠臣本多忠勝小松姫を正室に迎えているのだからね。同じ土俵で論じるのがそもそも不適当だと思う
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296 ななしのよっしん
2016/03/05(土) 13:30:57 ID: 3npFoNY/RQ
「表裏卑怯の者」と呼ばれた幸も最初の君である武田信玄には生涯変わらぬ忠心を持っていた。信玄の小姓として傍近く仕え、信玄に育てられ、抜してもらった恩があったからだ。そういう個人的な心のつながりを無視して形式的な「御恩と奉」しか忠義の形はあり得ないというお考えはどうかと思う
家康に生きながらえさせてもらった恩」と言われるが、何度も赦免されて故郷に戻る事を願っていた幸の訴えを聞き入れず、九度山で彼が死ぬように仕向けた家康の態度はいわば「の生殺し」といえる
幸のそばで念の最期を見届けた信繁から見れば、むしろ家康情な仕打ち以外の何物でもなく、恨みこそすれ、恩義に感じるいわれなどないと思う。何しろ幸が死んで後ですら家康は信繁を許さず、九度山で「の生殺し」にするつもりだったのだからね
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297 ななしのよっしん
2016/03/05(土) 23:43:50 ID: kzqD0sTMbV
九度山で、が落ちもげるほど困窮していたところを、破格の支度で迎えてくれたわけだから、信繁から見れば秀頼に恩はあろう(信繁自身がどう思っていたかは別として)。
また、家康幸・信繁の死一等を減じたのは「豊臣政権下の執政」としての裁可。九度山からの招聘は、本来筋の豊臣恩赦を形式上与えたようなものなので、豊臣への方が恩義はあるのでは?

とは言え。
件の信との引き抜き交渉の伝承が事実だとすれば、「豊徳間の和が成れば、大阪城を出て叔父上に仕えさせていただきたい」とのくだりから、信繁自身豊臣へ忠勤を続ける意思はなかったともとれる。
今の身分を保してくれている豊臣が滅べば、幕府にとって信繁は居先から逃亡した罪人でしかないわけで、保身の為の現実的な考えもあったのかもなぁ。
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298 ななしのよっしん
2016/03/06(日) 12:32:00 ID: MSMjrwQ9uh
>>290で言いたかったのは、大坂に集った人たち全てがはみ出し者の典というわけではなかった、ということなんだ
つまり「大坂に集った全ての人は名誉や恩賞のみのために戦い、忠心などはそれらに付随するものでしかなかった」というわけではないと

息子大助豊臣に殉じたことからして、幸村も利抜きで豊臣に殉じる気持ちはあったんじゃないかなあ
けれど一家として地位名を得て子孫に遺したい気持ち、家族全滅を避けることの義務も同時に抱えていたのでは

あと集った人々の背景や思惑がバラバラだったとしても同じ地で生活して共に大敵と戦っていたら仲間意識が芽生えて、忠義とは別に豊臣が居場所というか心の拠り所になっていったかもしれない

ついでに後藤又兵衛来が残した史料から、豊臣秀頼は仕えがいのある君だったことが分かる
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299 ななしのよっしん
2016/03/06(日) 13:45:56 ID: 3npFoNY/RQ
>>297
いや、「豊臣の執政」といってもそれが全面的に家康の意思であり、
秀頼や淀殿の意思は全く介在していないなどという事は当時から周知の
事実だったわけで、当然、幸や信繁もそれは分かってたわけだから
それは全く問題にするに足らないだろう
家康の行為に対して幸や信繁が何ら恩義に感じるいわれはない、
むしろ恨みに思う事であることは>>296で述べた通り
とのエピソードについては信繁が「自分は秀頼様のお命と豊臣
守れればそれでいい」と考えていたという事で、それを成し遂げたならば
故郷に戻りたいという意思であり、まさに信繁の利なしの忠義の表れを
示すものだろう

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300 ななしのよっしん
2016/03/06(日) 13:47:23 ID: 3npFoNY/RQ
>>298
そのご意見には全面的に賛同するよ
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