1 ななしのよっしん
2018/07/07(土) 10:12:56 ID: HeVD87guFR
この世で最も意味で、人類が知的生命体だと錯覚させたもの。
これを利用できる人間の方が希少なのに。
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2 ななしのよっしん
2018/07/07(土) 10:22:52 ID: C+9rY74sNd
最も、って表現形式も論理なんだがな
結局人間の思考って論理から逃れられないことに難がある。むしろ論理の方が粗雑すぎるんだわ
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3 ななしのよっしん
2018/07/07(土) 12:09:55 ID: 2KqKbMw3jU
とりあえずお約束だが、「論理」の前に「理論」とは何かを理解した方がよい。

理論」とは、個々の事実を統一的に説明し、未知の物事に対する予測を可にする体系のこと。
(「体系」とは、一貫した原理で組織された知識、という程度の意味)
ちなみに、事実ではなく意味を統一的に説明し予測可にする体系のことは、「意味論」と言う。
理論や意味論の中でも特に、物事を単純化・抽化したものを「モデル」と言う。
また、数理科学ではしばしば、「何のモデルであるか」を捨した「形式体系」のみが研究になるが、
その「形式体系」は、「公理系」(明を必要としない形式的な「文」の集合)と「推論規則」からなる。
そうしたある形式体系Aが他の形式体系Bのモデルとみなせるとき、AはBの「表現」である、とも言う。
こうした理論や意味論やモデルや形式体系や表現の存在意義は、もとの情報を扱いやすくすることにある。

一方、「論理」とは、推論に関する形式体系。
たく言えば、もとの情報から確実に言える情報を導く抽的思考のための知識のこと。それが論理
論理を用いれば、形式的手続きが踏まれるため、主観が混入する余地がなく、手続きが正しければ
もが同じ前提から同じ結論に到達する。従って、価値観や立場の違いをえたコミュニケーションに適する。
ただし、推論規則が正しいことに対する合意が大前提となる。例えば、十分に教育されていない者は
背理法といった推論規則そのものを理解できない性がある。また、論理的コミュニケーション
行うこと自体が拒絶される状況も考えられる。さらに、推論規則を理解した上で、その状況では
その推論規則が現実のあるべき思考を示さないと考えられる場合(例えばファジー論理が適切である場合)もある。
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4 ななしのよっしん
2018/07/08(日) 02:17:01 ID: HeVD87guFR
前提とは2+2の様な計算前の式であり、形式的手続きは足し算であり、結論は4の事だよね。
そして推論規則とは、足し算を用いるのが正しいかどうか、あるいは足し算の答えが4になるのかどうか、という理解で良い?

だとすれば「ただし、推論規則が正しいことに対する合意が大前提となる。」と言うのは実感するし、そして同時にそれは不可能だと思う。

ウィキペディアにおいて詭弁と呼ばれる思考法を、正当な物と考える人は本当に多い。それに感情論を是とする意見もある。
どの様な過程を採用するかは側からは主観にしか見えない以上、それは主観でしかない。

そして何より、明が長い程説得がない。
これらの点から、正直論理とかは一般社会生活上まるでゴミの様にだと思う。
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5 ななしのよっしん
2018/07/08(日) 07:19:51 ID: 2KqKbMw3jU
論理が何か正確に理解したいなら、形式体系とかそこらへんから理解すると良いが、
その上で情報も重要なキーワードとなる。
観測、調、観察の結果として情報が得られ記録されて、それはしばしば特定開範囲で
他者と共有される。それを情報と言って、その具体的な表現のことをデータと呼ぶ。

そこで問題となるのが、利用できる情報には限りがあるということだ。
これは観測、調、観察の技術、資、権限、および他者の保有する情報の利用権が関係する。
そうした限られた情報から幅広い応用に資する情報を得るには、大きく分けて、
統計的手法と論理的手法とがある。統計的手法も、近似的情報を導く論理的手法と言えない
こともないし、一種の帰納論理ともみなせるが、ここでは区別しておく。
これら2つの手法は科学的手続きの2つの柱を成しており、特に論理的手法はもとの情報から
確実に導ける情報は何か明らかにする手法として科学的応用にとどまらず利用される。
なお、もとの情報から確実に導ける情報のうち、具体的に導く過程が判明したものを
論理的帰結と呼び、その過程のことは明と呼ぶ。
前提情報があっても明がない情報は、論理的に未確定として除外するなど別扱いにできる。

以上に含まれない観点として、前提情報の信頼性も問題としないといけないのは言うまでもない。
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6 ななしのよっしん
2018/07/17(火) 02:48:30 ID: Enth1kzxO8
ラクトースを拾ったんだけど、最近の糖類は音楽を奏でるらしい
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7 ななしのよっしん
2018/08/02(木) 12:05:07 ID: e+IedRTSfc
「論」が柵・グリルで「理」がグリッド・格子でしょ

つまり
論=囲い込み、区割り、エンクロージャ
理=座標割当て、パターニング

こう考えると論理というのは回路構築法の事で理論というのは回路解析法といった具合になるかと
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8 ななしのよっしん
2019/08/08(木) 03:09:19 ID: dEyzL68qxa
馬鹿だから自分の解釈があってるか自信ないので例えで表現する

 まず「AとはBである」という前提がある。そして、論理はその前提においての「BとはAである」「CはBではない」という確認である。
 それがあって初めて「BとXを混ぜ合わせる事によってZが完成する」つまり「AとXを混ぜ合わせた場合でもZは完成する」「CとXを混ぜ合わせてもZは完成しない」という理論を提唱できる。
 しかし、そもそも「AがBである」という前提が間違った認識である場合、「BとXを混ぜ合わせたらZが完成した」場合でも「AとXを混ぜ合わせてもZは完成しない」という事態になってしまう。

これであってるかな?間違えてるようなら数年後でも構わないから摘よろしく
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9 ななしのよっしん
2019/08/22(木) 04:59:26 ID: tq84Vs8waY
論理的っていうのは、論理学が出来るのとはまた別のことをしていて、全く関係がないんだよ
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10 ななしのよっしん
2019/08/22(木) 06:11:22 ID: K0sDQpc3Ur
>>8
最初から躓いている。大百科内でなら前件否定の記事とその関連項目を読むといいかも。

>>3摘しているけど論理理論は字面は似ているけど、内容は似ていない。英語だとlogictheoryで字面すら似ていないし。
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11 ななしのよっしん
2019/10/18(金) 16:30:15 ID: J96sj/Gx7A
うる覚えだが、logicalに感じるかどうかについてはtheoryについての感度、つまりどれだけ内容を理解しているかにかかっているので、個人差が生じるということらしい。
全く論理的ではないという事例も考えうるが、よく論理学練習問題に出てくる前件肯定式も代入する要素を日常的なものと非現実的なものを並べてより抽的な思考の訓練をさせることがあるが、人間は、あえてこう言えばだが、理論(知識)の方に論理を合わせるような傾向があるということだと思う。
ゆえに斉一性の原理というそれ自体は論理的ではないものも、経験という知識から導出されることが許されてるわけだし。ほどほどの論理とほどほどの理論の両輪という感じ。
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12 ななしのよっしん
2019/10/19(土) 17:48:17 ID: tq84Vs8waY
論理学を履修していない連中に限って矢とこの単を使いたがる現名前を付けたい
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16 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 07:00:59 ID: K0sDQpc3Ur
>>13
コンピュータの記事の>>71と同じ方?
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18 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 09:24:34 ID: K0sDQpc3Ur
>>17
調べてみましたが、今までに自分があの掲示板に書き込みをしたことはないようです。
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19 ななしのよっしん
2020/03/30(月) 11:58:33 ID: uY58/9ofVD
>>4
意見(結論)に対する根拠(前提)をめること自体が論なんだし、それはまってる。
あとそれは論理な場合の例を出しているだけで、「だから論理である」と結論付けるのは飛躍してるよ。
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20 ななしのよっしん
2020/03/30(月) 13:07:07 ID: n8K2fmxf5i
>>13
どういうに役立てたいかによるけど、世間的によりめられるのはどちらかというとレトリックの方だと思う。
記事でも書かれてるけど、論理で説明できるのは、AならばBという関係だけだ。前提のAが正しい事を説明出来ない。つまり、論理の出発点が曖昧。だからロジカルに見える人は、出発点を常識的に見て正しそうな事におく。
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21 ななしのよっしん
2020/06/13(土) 09:47:24 ID: VR83zmRL5n
よくネット玉にあがってる人達に対して「論理的な意見が言えない」というが、それらを批判する人達(運良く玉にあがってない層)が論理的批判できてるとは思えないな
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22 ななしのよっしん
2020/07/26(日) 13:57:48 ID: HeVD87guFR
論理的理論、というのもありそう。
例えば矛盾という概念無視するのがそう。

「AならばBである」と、「AだがBではない」を両立させられる認知、思考様式。これを理論と呼ぶならば非論理義の理論と言えそう。

例えば「機関AはXという定義を用いる」が、「BさんもAの例を根拠にXという定義を用いる」。「しかしBさんの定義独自研究であり単なる押し付けであり、Yの定義が正しい」。
マジで大勢がこれに賛同するの見たからな……
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23 ななしのよっしん
2020/07/27(月) 08:40:18 ID: tq84Vs8waY
現実世界事実として扱うべきものは飽くまでも統計的な確からしさでしかないから多値論理的な処理が必要になってくるのは仕方がないんじゃないだろうか
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24 ななしのよっしん
2020/07/27(月) 08:45:59 ID: tq84Vs8waY
古典論理だけじゃなくて多値論理も割と有用だぞ
例えばお前炊飯器洗濯機は多値論理で制御されてるかもしれんぞ
作られた年代にもよるが
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25 ななしのよっしん
2020/07/28(火) 15:15:22 ID: HeVD87guFR
だとすれば大地らで球面ではないのも多値理論上は正しいのか。
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26 ななしのよっしん
2020/07/28(火) 15:22:40 ID: HeVD87guFR
矛盾という概念を持たない論理……
それでは虚無義(不可知論)ないし独断義に陥るのでは。
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27 ななしのよっしん
2020/08/04(火) 01:06:44 ID: oEbGdso/Df
多値理論ってなんじゃ?
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28 ななしのよっしん
2021/03/27(土) 13:41:43 ID: bUqCbPFj5M
論理的な考え=冷たい人ってイメージを世間様(曖昧)が持つようになったのはいつ頃?
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29 ななしのよっしん
2021/05/27(木) 19:27:46 ID: 3UQxy4VPlP
>>28
日本の範疇なら、民性レベル論理より感情を優先する関係でずっと昔から
論的観点でも日本語は情緒の説明に長ける(だから文学向き)一方で論理を説明するのに向いてないから、「人はに住むのではない、国語に住むのだ」の通りそもそもが論理的でない
ただ、それに逆張りして「論理的な考えで冷たい俺かっけー」みたいな考えが一定の人権持ち始めたのは割と最近
の頭の良い人たちの文言や文献見ても、論理的な考えだけぶつけて満足せず論理と感情を上手いこと折衷してる方が多いから、そういう逆張りって「賢ぶりたい賢くない人」の態度なんだと思う今日この頃
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30 ななしのよっしん
2021/06/05(土) 09:50:10 ID: tSbYWECX4C
自分は論理的である、何故ならば論理的であるからだ!
と言う自称論理が多い事多い事。
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