511 ななしのよっしん
2018/03/22(木) 23:52:15 ID: AqAxEjhc0j
劉禅みたいに丸投げしてくれて
管仲と楽毅2人分の仕事ができるようほほーい♪
てなことにはならんのは間違いない
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512 ななしのよっしん
2018/03/23(金) 20:09:44 ID: M9rIeK+8dj
より人材が豊富なのは確かだが一を丸々る人物というのは
何処のでも稀有な存在だし
で働いたこともないのに庸なと決めつけるのもあり得ない
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513 ななしのよっしん
2018/03/23(金) 21:52:57 ID: aPTKX2Y9wx
諸葛亮庸となると、ほとんどの面で勝っているのに
そんなが仕切ってる一つ落とせないは、とんでもない雑魚国家ってことになるからな
司馬懿が死後に諸葛亮を誉めたのってそういう意味もあったのか?
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514 ななしのよっしん
2018/03/25(日) 11:32:57 ID: RlNi28Vbu3
まず「じゃ庸なしかなくて弱小のだから有能扱いだった」というそのものズバリな表現は正史(あるいは裴註などの同時代に近い史料)にはない。

一方で元ネタと関係ない「かの個人的な評価」としては、これはまあ探せば似たようなものはあるだろう。
まあとしては何を根拠に?と思うんだけども、ぶっちゃけた話人物の評価なんてその人の価値観次第なんだしね。

諸葛亮中国史上「孔子以来」とすら言われた程に格化された人だけども、その一方で「連年謀な出征を繰り返し、亡へのを決定づけた人物」「劉璋をだまし討ちにさせ、外交への信義を失わせ、を僭称させた失徳の人」とする評価もまた古くからあるよ
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515 ななしのよっしん
2018/03/26(月) 10:41:13 ID: rzdmI1dhAC
裴松之の「諸葛亮がもしに仕えたなら司馬懿陳羣ですら相手にならねぇんだよ!」っていう評価は過剰な気もするけど潔いほど諸葛亮大好きっぷりが出てて清々しい
確かに庶民出身の徐庶が四品官まで出世したことを考えるとコネクション持ちの諸葛亮ならもっと出世してもおかしくないとは思う
ただ、もしに仕官しても諸葛亮でそうしたように命削ってまで才を発揮しただろうか?という疑問は残る
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516 ななしのよっしん
2018/03/30(金) 17:13:39 ID: 3DAPzSnHEc
諸葛亮では々ってのは、恐らく学友の徐庶、石韜の地位の低さから
想定したんだと思うが、学友の1人である建は州刺史、征東将軍まで登っているから
諸葛亮で埋もれるとは考えにくいな。人脈がないので、貴族閥の強いでは
時代のような強権高位は流石不可能だと思うが・・・・
徐庶がそこまで地位が高くないのも、寒門、柄の低さによるところが大きい)
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517 ななしのよっしん
2018/03/30(金) 17:22:08 ID: 3DAPzSnHEc
とりあえず諸葛亮劉備に会うことなく、208年に曹操に仕え始め、史実通り234年に病すると
仮定して、柄も考えると三クラスはちとキツイかな。新参だし。

の歴代三は鍾繇、歆、王朗陳羣、董昭、司馬懿満寵、陳矯、賈詡
どの人物も長命で曹操曹丕)に仕えた期間も長いので、ここは少し理。
尚書に就任して、三になる前に病、という程度だろうか。あくまで文官メインとするなら。

武官メインの場合はもっと難しい。と違って族重用だから、曹休曹真のような
人物の上に行くことはほぼ不可能諸葛亮軍事に参画したのもの窮状ありきだから、では
軍事に関してはほぼ出番がいと思われる。(いいとこ地方の反乱鎮圧くらい)
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518 ななしのよっしん
2018/04/09(月) 10:22:01 ID: rzdmI1dhAC
校尉(太守レベルの高級武官)で爵位も受けた蔡瑁との縁戚関係もあるし荊州が曹操)にした時に一緒に降していればそれなりの待遇は受けられたと思う
賈詡や傅幹みたいなの高官たちもまだ諸葛亮丞相にもなっていない劉備存命時から高く評価してるし、裴松之じゃないが諸葛亮に仕えてたら歴史が変わるレベルで活躍してたんじゃないかと思う
ただ歴史にもしは意味だしそもそも諸葛亮に仕えることは絶対にかっただろうから言っても詮き事だけど
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519 ななしのよっしん
2018/05/14(月) 18:35:37 ID: Ztw6gYBY5N
三顧の礼エピソードは、孔明劉備を試そうという意図があったと見ていい?
劉備が自分が仕えるに価するかどうかを見たと。
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520 ななしのよっしん
2018/05/14(月) 23:10:51 ID: B8U95VdPz+
諸葛亮は本来は、立つ活躍はしない(できないのではなく、しない)だよ
徐庶と同じ
あんなに立ったのはの人材不足のせい
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521 ななしのよっしん
2018/05/15(火) 09:30:07 ID: rzdmI1dhAC
>>519
三顧の礼の原形は出師の表における「先は取るに足らない私の下へ富なその身を三度もわざわざ運び、粗末な私ので当時の諸の情勢と対策についてお尋ねになった々」の部分
つまり劉備への感謝を述べつつ自分がそれぐらい劉備に重用されてたことを強調してる
要は諸葛亮が本当に三回も劉備に自分のへ出向かせるという失礼な態度をとったかどうかはどうでもよくて「劉備にそれだけ信頼され且つ後事を託された諸葛亮)に全てを任せとけ」ってことだよ
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522 ななしのよっしん
2018/06/03(日) 20:00:24 ID: 28310yw05E
>>519
劉備に「義兄弟関羽張飛)より名士を重視する」と誓わせる意味があったと考えられる。劉備は孔融を救ったり、一時的とは言え陳羣を召し抱えたりとある程度は名士を重視していたけど、陳羣の反対を押し切って徐州を陶謙から譲り受けた時など、ここぞという時には名士より義兄弟の意見を重視しがちだったから。
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523 ななしのよっしん
2018/06/08(金) 17:43:43 ID: ril7Qbuyzh
>>490
この人は斜陽の美しさがある
同世代や先輩が次々に死んで自分だけになっても最後まで貫き通したというところがホントにかっこいい
が散ることに美しさを見いだす日本人的な価値観かもしれんが
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524 ななしのよっしん
2018/07/28(土) 17:49:11 ID: LiNcXX9jRh
>>504
とりあえず正史を見るに馬謖が山に登ったのは間違いないよ
馬謖は南山を頼みとして、下山してに楯籠らなかった。(張コウ伝)
馬謖諸葛亮示に背き、行動は妥当性を欠き、張コウに大敗した。(諸葛亮伝)
馬謖路を捨てて山に上ってを構え、示する措置は煩雑を極めた。王平は何度も馬謖を諌めたけれど~(王平伝)
とまあ、張コウ軍との衝突において山を頼みにしてて、それは諸葛亮示に背く動きだったというわけ
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525 ななしのよっしん
2018/08/02(木) 17:40:11 ID: RlNi28Vbu3
いや「馬謖が山に登った」「命に反した」と書いてあるのは間違いないが、「諸葛亮は山に昇るなと命じた」とは書いてないんだよ。

そのロジックでは「馬謖諸葛亮示になにかしら背いた」→「馬謖登山し、王平がそれを諫めた」→「なら命と言うのは登山するなということだったのでは?」という展開になるが、見ての通り最後の部分は推理であって史料から断言できることではない。

仮に諸葛亮示が「王平の言に従え」とか「列を拠点として張コウ軍を誘引し足止めせよ」とかだったとしても、史書の記述とは全く矛盾しない。

まあwikipediaにも堂々と「諸葛亮筋を抑えろと命じたのに、馬謖はそれに背き、王平はこれを諫めた」とか書いてあるから、この辺誤解してる人ほんと多いんだけども、史学という観点からすると噴飯ものだよ
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526 ななしのよっしん
2018/08/02(木) 21:23:31 ID: rzdmI1dhAC
張郃伝と王平読んでみたがそもそも馬謖諸葛亮の命に背いた々の記述が見当たらねぇ
馬謖諸葛亮の命に背いて山頂に々の記述があるのっての伝だ?それとも裴注?それとも諸葛亮馬謖を処刑した⇒山に登ったことを怒ってるんだ!きっと諸葛亮馬謖に山に登るなって命してたんだ!っていう想像?
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527 ななしのよっしん
2018/08/04(土) 11:18:54 ID: AqAxEjhc0j
とりあえず >>524 を見るといいよ
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528 ななしのよっしん
2018/08/04(土) 11:57:38 ID: rzdmI1dhAC
>西鎮長安 命張郃 使馬謖督諸軍在前 郃戦
>謖違節度 挙動失宜 大為郃所破
諸葛亮伝読んだって「明張郃諸葛亮を防がせ、諸葛亮馬謖を使わして諸を督させ先とし、亭で張郃と戦わせた」、「馬謖諸葛亮の命を違えて適切な挙動をせず張郃に破られた」
としか書いてないじゃん
山登ったことが諸葛亮への命違反なんじゃなくて、負けた事もしくは負けて逃げたことが馬謖の罪状なんじゃねーの?
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529 ななしのよっしん
2018/08/07(火) 04:27:57 ID: HgDwDnbzHp
戮謖以謝。上:「臣以弱才,叨秉旄鉞以厲三軍
不能訓章明法,臨事懼,至有亭違命之闕,之失,
咎皆在臣授任方。臣明不知人,恤事多闇,《》責帥,臣職是
請自貶三等,以督厥咎。」是以為右軍,行丞相事,所統如前。

諸葛亮伝より、馬謖処断から諸葛亮の上まで。見てわかる通り
で戦った趙雲について諸葛亮は「之失」とある。
つまり負けたのは馬謖だけではなく趙雲もそうだった。
(演義では趙雲諸葛亮とともにいて姜維一騎打ちしている)

ただ、趙雲のいる場所は中に通じるであり、そこで戦っていた曹真中方面に
繰り出した形跡がないので、負けはしたが大局的には役割を果たした結果であると思われる。
また、趙雲との戦いにおいて曹真は、あくまで手勢を派遣しただけで固守に努めていたことも大きい。
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530 ななしのよっしん
2018/08/07(火) 04:50:52 ID: HgDwDnbzHp
馬謖諸葛亮の命を違えた、もっと言えば「なぜ馬謖は山に登ったのか」ということに繋がるが、
そもそも諸葛亮の命に違えて馬謖は山に登った、とあるだけで、諸葛亮馬謖にどのようなことを
伝えて送り出したか、というのは後世に伝わっていない。また、王平の諫言も正史と演義では異なる。

後に王平は、亭で敗れたにもかかわらず昇進しているから、王平諸葛亮の命を守りしっかり役
果たしたのだ、というに演義ではなっているが、実際のところ諫言の内容は何もわからない。
ただ、王平は軍規をもって馬謖を諌め、その王平の諫言を馬謖が採用しなかったというだけである。
この前に「措煩擾」、すなわち馬謖の挙動は落ち着かず、慌てふためいて正常ではないとあるから、
既に王平の諫言の時点で、馬謖は既に正常に軍を動かし、命を伝えるという状況ではなかったのだろう。
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531 ななしのよっしん
2018/08/07(火) 05:05:38 ID: HgDwDnbzHp
史書には馬謖が病にせっているという記述はなく、馬謖が慌てた原因を考えるなら、その時点で既に、
亭方面軍の軍が、戦況的に見て非常に不利な状況であったということが考えられる。すなわち、
「やってきた張郃が想像以上の大軍であったため、逡巡した」結果があの結果ではないだろうか?と考えられる。

これを明するように、書明紀では『:「阻山爲固、
今者自、既合兵書致人之術;且貪三、知進不知退、
今因時、敬必也。」部勒兵歩騎五』とあるから、
ともかく、曹叡)は、大軍を率いて長安までやってきた後、
その大軍のどを右将軍張郃に預けて送り出したということになる。
もちろん諸葛亮に奪われた安定、、南安の奪還も考慮しているだろう。

「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり。」とは孫子の言。想定外の事態に
馬謖は独断で対処しようとして、それが「煩擾」「違命」に繋がり、「敗北」「逃亡」という結果を生んだ。
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532 ななしのよっしん
2018/08/07(火) 05:21:47 ID: HgDwDnbzHp
個人的にだが、亭の戦いは構図上、19世紀1806年のアウエルシュタットの戦いがよく似ているのではないかと思う。
フランス軍別働隊27000が、プロイセン軍である63000と戦った。なんでこんなことが
起こったかと言えば、イエナという場所でナポレオン・ボナパルト率いる
フランス90000が、プロイセン別働隊51000を捕捉し、そして指揮官であるナポレオン本人が
濃霧もあって敵はプロイセン軍であると誤認してそのまま戦闘態勢に入ってしまったからだ。

またほぼ同じくしてフランス別働隊27000は濃霧で進軍が遅れ、そのまま敵と鉢合わせて戦闘になった。
もちろん相手は敵の63000である。これに加えて敵のプロイセン軍も軍と別働隊を間違えていた。
亭の戦いも王平伝で「所領千人鳴鼓自持,張郃疑其兵,不往逼也」とあり、
張郃が「諸葛亮本隊が亭に待ち構えている」と考えていた可性も否定できない。

ちなみにアウエルシュタットの戦いはフランス別働隊の指揮官ダヴーが
獅子奮の働きで27000で敵の63000を打ち破っている。
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533 ななしのよっしん
2018/09/10(月) 15:10:24 ID: 6NVx9fmsYw
>>陳寿は評において「臨機応変の軍略は得意でなかったのではないか」と疑問を投げかける。

これ確か初唐の軍靖にディスられまくってたよなぁ。
「史官鮮知兵、不能紀其実跡焉」(意訳:史官ごとき用兵の素人が何ほざいてるか)
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534 ななしのよっしん
2018/09/22(土) 21:48:58 ID: B8U95VdPz+
何がどう間違ってるのかも言えないくせにレッテル貼りだけで批判する馬鹿の例として教科書に載せたいやつな
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535 ななしのよっしん
2018/09/26(水) 11:28:18 ID: rzdmI1dhAC
靖に対して軍事マウント取れる中国史の人物なんてそういないだろうし…と言うか靖って裴松之と並ぶかそれ以上の諸葛亮(と曹操)大好き人間だしな…
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536 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 18:35:00 ID: tRxjZbTbAb
立って孔明がいい出したことなのになんで北伐なんてしてもうたんや…これやらんかったらもっと長持ちしたやろ
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537 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 21:23:14 ID: 03dabRh06Y
ほならね理論古代中国にもあったんだな
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538 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 21:27:47 ID: b25b9ZoIXl
シャムさんも三国志に生まれてたら大物として歴史に名を残していた…!?
戦死者0人で天下統一しそう
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539 ななしのよっしん
2018/10/09(火) 08:27:07 ID: 28310yw05E
>>536
立は取り合えずの形で、最終的な的はによる天下統一(=漢王朝の再)だったから。

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540 ななしのよっしん
2018/10/15(月) 17:08:44 ID: rzdmI1dhAC
を倒してを再させ富を共にしようぜって名諸葛亮らに推戴されて劉備が即位した形なのに北伐しないわけにいかないだろ
是もしに単に辺に引き篭もって割拠して地元民搾取するだけなら公孫淵と変わらん
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