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アメンホテプ4世


ヨミ: アメンホテプヨンセイ
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アメンホテプ4世とは、エジプトの第18王ファラオである。別名、アクエアテン(イクナートン)。


概要


アメンホテプ3世の息子。B.C.1353年前後に即位した。

首都であるテーベに殿を築き、わずか数年間で巨大な都を完成させる。

が、そのテーベを即位中に放棄した。

放棄した理由として最も有なのが、官の存在である。官たちは国家経済を握り、およそ国家収入の半分をその手中に収めていたと言われる。官たちはテーベに自らをたたえるレリーフを建造し、ファラオさえもしのぐほどの権威と権、そして経済を手にした。

アメンホテプ4世はそのような現状を嫌い、テーベを放棄し、アケトアテン現在アマルナへと遷都する。これをアマルナ革と呼ぶ。

アメンホテプ4世は、既存勢跳梁跋扈するテーベから逃れ、一から全てやり直すことを命し、殿や王宮を建設、さらにはそれまでの多教をし、一教・アテン信仰を始める。これは世界で初めての一教であるが、同時にアメンホテプ4世自身も崇拝するように取り決めたため、実際には二教と言われることもある。

しかしながら、結局遷都は失敗。現在アマルナは砂に埋もれており、息子ツタンカーメンの手によって首都は再びテーベに戻される。その後、アメンホテプ4世に関する石碑などの記述は削り取られ、ミイラも破壊を免れるために、別の場所に移されることになった。このことからも、官の大きな恨みを買ったことがうかがえる。

現在は、破壊を免れた碑文がかろうじて彼の業績をたたえるのみであり、彼の存在が知られたのも、19世紀に発掘が始まってからである。それまで、アメンホテプ4世は底的に歴史から殺されていた。

一説には、ユダヤ教ルーツがこのアテンとする一教なのではないかとも言われている。アテンをたたえると、旧約聖書編に類似点が摘されている。

彼の始めたアマルナ美術は、写実的であることが大きな特徴であり、アメンホテプ4世の姿も、々しいタラコ唇を含めて現在に伝わっている。


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最終更新日: 14/04/17 15:46
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