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アントニオ猪木(―いのき 1943 年2月20日 - )とは、日本人の元プロレスラー、参議院議員である。
ジャイアント馬場らと共に、日本のプロレス黄金時代を築いたレスラーの一人。
本名猪木寛至(いのき かんじ)。スポーツ平和党を結党、党首として国政に進出し、参議院議員活動中は本名で政治活動をした。
やることが常人の遙か斜め上を行くスケールの大きさが多くの人に影響を与え、今だ根強い人気がある。とにかく目立ちたがり屋でトラブルメーカーだが、袂を分かったはずの人もいつの間にか仲直りしたりと、非常に魅力的な人間であることは間違いない。
キャッチフレーズは『燃える闘魂』。
プロレスがリアルかファンタジーか今さら議論しても仕方がないのだが、アリとの対戦やイラクでの人質救出は、そんな議論さえ一蹴してしまう出来事ではある。
▲1943年、誕生。一時、一家でブラジルへ移住していた。
1960年、力道山にスカウトされ、プロレスデビュー。
1972年、新日本プロレスを旗揚げ。
1976年、プロボクシングチャンピオンのモハメド・アリと対戦。
1989年、プロレスラーでは初めて国会議員(参議院)に当選。
1990年、湾岸戦争中にイラク国内で起きた在留外国人の国外出国禁止処置(事実上の人質)事件において、
一国会議員の身で現地へ乗り込み、人質全員を解放させた。
1995年、北朝鮮で「スポーツと平和の祭典」を開催して38万人の観客を集めた。
1998年、現役引退。
引退後は、さまざまな格闘技イベントのプロデュースを行った。最近のイメージは、闘魂ビンタとダジャレ。
2005年、自身の持つ新日本プロレスの株式(全株式の51.5%相当)を株式会社ユークスに売却し、事実上新日本プロレスの経営から身を引いた。
2007年、IGF(イノキ・ゲノム・フェデレーション)を旗揚げした。
2010年、WWEのホール・オブ・フェイムにて殿堂入りを果たす。日本人レスラーとしての殿堂入りは彼が初。
2013年、参院選に日本維新の会から出馬し当選。
マキルヘニー社の辛み調味料の「ペッパーソース」、商品名『タバスコ』を猪木の経営するアントントレーディング株式会社が1970年代に輸入代理店契約を結んで、タバスコを全国に広めた。
この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ
一休宗純の言葉の引用として認知度の高い『道』は、清沢哲夫の著書『無常断章』からの引用である。「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 | レファレンス協同データベース[外部]
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