7/2(月)よりスマホまたはPCでアクセスした場合、各デバイス向けのサイトへ自動で転送致します
基礎データ | |
---|---|
正式名称 | イラン・イスラム共和国 Islamic Republic of Iran جمهوری اسلامی ایران |
国旗 | ![]() |
国歌 | イラン・イスラム共和国国歌[動] |
公用語 | ペルシア語 |
首都 | テヘラン |
面積 | 1,648,195 km2(世界第25位) |
人口(’17) | 約8100万人(世界第18位) |
通貨 | イラン・リヤル(IRR) |
時間帯 | UTC+3:30 (IRST,夏:+4:30) |
政治体制 | 共和制 |
イラン(Iran)とは中東に位置する、世界を代表する産油国。湾岸諸国の1つとして知られる。イラク、アフガニスタン、トルコ、パキスタン、サウジアラビア等に囲まれた、なかなかスリリングな地域にある。
正式名称はイラン・イスラム共和国(英語:Islamic Republic of Iran、ペルシア語:جمهوری اسلامی ایران)。
基本的にはペルシア帝国の末裔。それまでの長い歴史・詳しい概要などはWikipediaの記事[外部]や歴史の教科書にまかせて、ここでは簡単な概要と現代の様子について書いておこう。
国土はアメリカのアラスカ州と同じぐらいの大きさ。世界第三位の埋蔵量を誇る産油国で、石油は世界の埋蔵量の11%、天然ガスは15%を占める。イスラム教国家だが、他のイスラム教国家と違い少数派であるシーア派を国教とする。山岳地帯が多く、国内の気候の差が激しい。夏の平均気温が38度を超えるところもあれば、冬は平均気温が氷点下になる場所もある。
抵抗経済(外国からの輸入に頼ることなく自分たちで農業や産業を育てる体制)を掲げ、教育水準の向上やインフラ整備を行ってきた。また、石油に頼った経済を打開するためにいろいろ頑張っているようで、自動車や家電、医薬品、農業などにも力を入れている。しかし現在でも、物価上昇に悩まされており、なかなか上手くいっていないようである。
▲現在のイランは共和制で、立法・司法・行政の三権全てを掌握した「政教一致」となっている。イスラム法学者が「最高指導者」として統治し、大統領はその下にいる。これは、イマーム(指導者)が預言者ムハンマドの後継者とされ、指導者による法解釈が絶対的な権限を持っていると扱われるシーア派の教義に基づくもの(イランはイスラム教の少数派であるシーア派の国家である)。
イラン革命以後、厳格なイスラム教国作りに奔走している。厳格なイスラム法の遵守(特に女性の服装規定など)、名誉の殺人などについて、欧米諸国などから問題視されることが多い。
しかし、現在では人口8000万人のうち60%が革命後に生まれた世代で、ネットの利用者も6000万人以上おり、現在の若い世代がネットで世界のファッションや文化に触れているためか若者たちはそこまで革命に対する熱はなく、かなり変化が進んでいるようである。
保守的な地域でも、黒いチャドルを着ない女性やヘジャブをかぶらない女性、ジーンズを履いている女性がいるとされ、公共の場で手をつないでデートするカップルや公衆の面前で女性にプロポーズする男性が現れるなど、イランの保守的な体制に逆行するケースが増えている。公共の秩序を乱したとして逮捕されても「逮捕するなら腐敗した政治家だ」とはっきり抗議の声が上がったり、弁護士が開設したネットの相談窓口には「異性と手をつないで外を歩くのが何でダメなの?」といった質問が相次いでいるという。 イランで公開プロポーズした男女が逮捕される。一体なぜ? (ハフィントン・ポスト日本語版 2019年03月10日 17時00分 JST)[外部] 夜の公園でキス、ジーンズの女性も…変わるイランの若者 (朝日新聞デジタル 2019年2月5日19時11分)[外部]
体制側ではSNSを批判に使われるのを恐れており、国営テレビなどでは"反政府デモをもたらした存在"としてSNSを批判し、「社会の秩序を乱す」との理由で遮断されてきた外国サイト(ツイッターやフェイスブック、欧米のニュースサイトなど)も多々あるが、国民はVPN経由で密かにSNSを利用しているとされており、保守強硬派は「中国のようにネットを完全管理すべきだ」と主張しているものの、インターネットは現在イランの経済活動にも深く浸透してしまっているため、送金や決済などはネットが当たり前、SNSでビジネスをする企業もある。治安維持の関係者によると、ネットを完全に停止して抑え込もうとすると国内外の批判・経済の混乱・イスラム法による統治からかえって民心が離れるなどの懸念があり、対応に苦慮しているらしい。朝日新聞 2019年2月5日(火)
▲イラン高原には、石器時代の頃に人が住み始めたとされている。紀元前6000年頃から麦を中心とした農耕が始まり、3000年頃にエラム人が国を興してイランの歴史が始まった。当時はエラム王国と呼ばれていた。約1000年後、中央アジアからアーリア人が南下してきて、エルム人と一緒に暮らすようになる。やがて先住民はアーリア人と同化した。
紀元前550年、キュロス大王がイラン北西部のメディア人を倒し、独立。アケメネス朝ペルシアを建国して勢力を拡大。リディア、メソポタニア、エジプトを征服して大国を作り上げた。ダレイオス1世(在位522~486年)の治世がアケメネス朝の全盛期であり、イランの歴史から見ても最大の領土を持っていた。未だに野心を燃やすアケメネス朝は西へ勢力を伸ばそうとギリシャに侵攻したが、492年にペルシア国と戦争になる。戦いに敗れたアケメネス朝はギリシャ侵攻を断念しなければならなかったが、その後ペルシアが急速に弱体化。その隙を突き、時の王アレクサンドロスによって滅ぼされ支配下に収まった。しかし3年後にアレクサンドロスが病死し、後継者争いが勃発。セレウコス1世によってセレウコス朝が作られた。
紀元前226年に樹立されたサーサーン朝では、シルクロードを通じて遠く離れた日本との交流が始まった。
元々イランは、中央部の都市ヤズドを発祥としたゾロアスター教の国であった。しかしゾロアスター教を国教と定めたサーサーン朝が7世紀にイスラム教勢力に駆逐されて以後はイスラム化が進んだ。13世紀のモンゴル帝国の侵攻も経て、1501年にはイスラム教シーア派を国教にしたサファヴィー朝が樹立。これ以後にシーア派化が進行し、シーア派大国とも評される現代のイランが構築された。
1925年、クーデターによってパフラヴィ朝を樹立した指導者レザー・ハーンは脱イスラム化を図り、戦後に至るまで様々な政策を打ち出した。しかしこれは秘密警察まで投入した強制的なものだったため国民の反発を買い、脱イスラム化に失敗。のちのイスラム革命の引き金にまでなってしまった。
1939年9月、第二次世界大戦が勃発したときイランは中立を表明。しかし政権が反英親独の体制を取っており、国内にはドイツの情報機関が活発に活動していた。ドイツ人の追放を拒否し、連合国の鉄道使用を認めないなど親枢軸の立場を取り続けた。加えてイランは膨大な石油埋蔵量を保有し、もしそらの資源が枢軸国の手に渡れば、大幅に強化される危険性があった。
イランの枢軸国入りを防ぎたいイギリスと、バクー油田の安全を確保したいソ連軍が結託。1941年8月25日に、カウタナンス作戦を発動。中立国イランへの侵攻を開始した。脆弱な戦力しか持っていないイランは蹂躙され、容易く上陸を許す。南からはイギリス軍とインド軍、北からはソ連軍に挟撃され、31日には両軍が合流した。油田は略奪に遭い、縦貫鉄道は制圧された。
戦闘の結果、親独政権が倒れ、親英派のモハンマドが新首相が就任。ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニアの大使館を閉鎖し、国内のドイツ人はイギリス軍に引き渡す約束を交わした。イランはイギリスとソ連に分割占領されたが、10月17日に撤収し主権を回復。その後の1943年9月に連合国に入った。
▲イランは1979年のイラン革命によって建国された。前の政権を倒して建てられたが、前政権が親アメリカ的であったため、建国当初から西側諸国の批判を集める。さらに、攻撃的な外交を続けたために国際社会から孤立。そのままイラン・イラク戦争になだれ込むが、ただでさえ少なかった支援国家が激減。経済制裁などで国が立ち行かなくなり、最後はイラン側が折れる形で終結。戦後はその教訓を生かし、宗教に捕らわれない合理的な外交を進めてきた。
2000年代初頭はさらにアメリカ側に譲歩するような政策を取ってきたが、核開発問題が表面化し、一変。イラン・アメリカとも双方名指しの批判、情報戦が行われている。国内でも情報統制や意図的なデマの流布が行われているため、最新の情報を正しく読み解くのが難しい。電話などは、特定のキーワードを言っただけで回線を切断されたり、新聞や雑誌も検閲が入っており空白の記事もある。そのため、最新の現地情報はtwitterなどからとられることも多く、情報社会の新たな形として注目を集めている。
また、核兵器を製造しているとして、アメリカを代表とする諸国から経済制裁を受けており、2009年現在、アメリカやイスラエルとの武力衝突が懸念されている。それに加えて、イラクの東端に位置し、パキスタン・アフガニスタンと国境を接しているシルタン・バルチェスタン州では反政府組織が活発に活動。外国人に対する誘拐事件や自爆テロなども発生しており、現在でも退避勧告が出ている。首都テヘラン周辺では2009年6月に行われた大統領選挙の開票結果を発端とした抗議デモが続いている。
イランの核兵器保有については、イスラエルが安全保障を脅かされると非常に強く警戒している。なおイランは核疑惑があっても核拡散防止条約(NPT)の加盟を継続しているが、イスラエルは核保有し、しかもNPTすら未加盟である。これはイランの核保有を正当化するものではないが、イスラエルも人のふり見て我がふり直せ状態ではある。
イランは、アラブ人国家でスンニ派の大国サウジアラビアとも対立している。2016年からは特に顕著で、サウジアラビアがシーア派指導者殺害→イラン国民がテヘランのサウジ大使館に放火→サウジが国交断絶を宣言…という険悪な雰囲気になってきている。
非常に簡潔に言えば、サウジアラビアとイスラエルとめちゃくちゃ仲が悪い、ということである。
2013年6月に保守強硬派のアフマディネジャドから、保守穏健派のハサン・ロウハニに大統領が交代した。ロウハニは、欧米との対話路線を重視し、経済制裁を解除することを目標に掲げていた。外交努力が実り、2015年に米露中英仏独との核合意に達した。要は核の査察を受け入れ、その代わりに経済成長と平和利用を認めるというものである。
2016年現在も経済制裁は解除されていないが、経済制裁解除を見越して、欧米や日本、中国などの企業が進出を目指して奔走している。これはイランが人口8000万人の大国で、大きなビジネスチャンスを目当てにしているためである。
▲1950年代初頭、イラン国内の油田はイギリスのアングロ・イラニアン石油会社から厳しい搾取を受けて貧困に喘いでいた。そこでモサッデク首相は油田を国営化する強硬手段を出て、米英から反発を買う。1953年、クーデターが発生してモサッデク政権が転覆。国営化は白紙に戻されてしまった。その背後にはCIAの影があった。首相の座にはパフレヴィー2世が返り咲き、アメリカの支援を受けて欧米化を推進した。急速な欧米化はイスラム教シーア派の宗教指導者から恨みを買い、また国営化を白紙にしたアメリカにイラン国民は怒りを抱き始めた。