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エジプト(古代)


ヨミ: エジプトコダイ
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エジプト(古代)とは、先史時代~プトレマイオス滅亡までのエジプトである。


概要


現代エジプトとは異なりイスラム教のような一教ではなくオシリス天空やホルスなどの多教が、ファラオの下で信仰されていた、ナイルの流域で農耕が始まってから古代ローマに滅ぼされるまでのエジプトす。首都はテーベ、メンフィスアレクサンドリアなど。

いつが始まりかは、正直わかっていない。ナルメル王が上下エジプトを統一し第一王が始まる前から、何らかの王があったり未知のファラオがいた可性があるからである。ただ、紀元前5000年ごろから人が定住し農耕を行っていたみたいではある。


古王国時代(第3~6王朝)


紀元前2836年ごろ~紀元前2185年ごろ

有名なピラミッドが多数つくられたのはこの時代である。

ハムナプトラにも出演しみんなにトラウマを植え付けたイムホテップただし、映画ハムナプトラ』に登場したイムホテップはおよそ3000年前の人物であり、時代が合わない。また、イムホテップが殺したファラオセティ1世であり、これは新王時代のファラオである。官イムホテップとハムナプトラのイムホテップは同名別人であると考えたほうが良いが設計したジェゼル王(ジェセル王、ジョセル王、ジュセル王など異表記多数)のピラミッド(サッカラの階段ピラミッド)やスネフェル王の屈折ピラミッド、そして世界の七不思議にも数えられ、今なお世界の人々からの注を浴びるクフ王・カフラー王・メンカフラー王のギザの三大ピラミッドが作られた時代である。ギザのピラミッドの傍に控えるスフィンクスもこの時代に造られたという説が一般的である。

ピラミッドはクフ王らのピラミッドある意味頂点に達し、それ以上の巨大なピラミッドは作られていない。


第一中間期(第7~10王朝)


どうやら内乱が起きていたようで混乱していたようである。日本史で言う南北朝時代のような地方長官の争いが起きていたという。


中王国時代(第11~14王朝)


紀元前2060年ごろ~紀元前1782年ごろ

最終的に第11王エジプトを再統一した。エジプトが統一されたことで大規模共事業であるピラミッド建設が再開されたが、以前の物ほど巨大なものは作られず、また、ピラミッド素材なども古王時代の切り出した石から日干し煉瓦に代わっていた。日干し煉瓦ピラミッドは長い年の間に風化し、そのほとんどが崩れ去っている。

その後、中王が衰退するとピラミッド建造も行われなくなった。ピラミッド建設の終焉である。


第二中間期(第15~16王朝)


第15、16王はヒクソスというイラン系(?)の異民族エジプトを征ファラオの座に居座っていたようである。このため彼らの信仰していたセトバアルなどの外来のを持ち込んだ。


新王国時代(第17~20王朝)


紀元前1540年ごろ~紀元前1070年ごろ

有名なツタンカーメンラムセス二世の時代である。ヒクソスを追放しエジプト人がエジプトを統治する時代が戻ってきた。遺跡もこの時代のものが多く残っている。旧約聖書ユダヤ人エジプト脱出や遊戯王アテムはこの時代という設定である。

第18王ではエジプト初の権を備えた女王ハトシェプストが登場した。彼女は夫であるファラオトトメス2世の死後、まだ幼い義理の息子のトトメス3世の共同統治者となり、実質的なファラオとなった。彼女の場では男装していたとされる。

第18王の時代には多教から一教への宗教改革が行われた。アメンホテプ4世が行ったアマルナ宗教改革と言われるこの革は「アテン」を唯一神としてり、アメンホテプ4世もアクエアテン名し、新たな都アケトアテン遷都するなどした。だが、残念ながら革は短命に終わり、アクエアテンの死去とともに再び多教へと回帰している。

同じく第18王ファラオの中にマスクで有名なツタンカーメンがいる。若くして即位し、また若くして崩御したファラオは、近代になってほぼ盗掘されていない墓が発見されたことから急に知名度が上昇した。

第19王ファラオであるラムセス2世の時代はエジプトが最も栄えた時代であるといわれている。外に対しては中東への外征、内に対しては数の巨大建築物建造と、内外にその政治軍事を発揮し、さらに60年をえる在位期間を誇る最も偉大なファラオ ラムセス2世によってエジプトは最盛期を迎えた。

また、ピラミッドが建設されなくなった後、王の墓は「王」と呼ばれる土地に造られるようになった。結果「王」には数の王や王族の墓が並ぶようになり、時には王の墓の上に新しい王の墓が建築されることもあった。


末期(第25~31王朝)


紀元前664年~紀元前332

ゆるやかに衰退していく。第27王と第31はアケネメスペルシャの征である。異民族に支配されていることからわかるように全に落ちである。


プトレマイオス朝


かの有名なアレキサンダー大王ペルシャをエジプトから駆逐し、支配下に置いた。が、彼はくに死に息子も暗殺されるなどしてその支配は部下のプトレマイオスによって受け継がれていく。彼の開いたプトレマイオスはいわゆるヘレニズム国家として栄え、この時代はギリシャ文化との融合が起きた。が、この王も勢いがあったのはプトレマイオス3世までである。それ以降は暴君が続いたり王内部で殺し合いが頻発するなどして衰退していき、ローマの圧に抗しきれなくなっていった。美女で名高いクレオパトラ7世が、最後はローマに敗れ、その息子プトレマイオス15世が処刑(エチオピアで暗殺されたともいう)されたことでプトレマイオスは滅亡、以降はローマ属州としてやっていくことになる。

しかし、ローマ属州になったからと言ってそれからすぐに古代エジプトの習俗や宗教が消えたわけではない。ローマ皇帝エジプト教の殿を立てたり、400年代になっても多教の信仰があった形跡はある。しかし、その後キリスト教ローマ帝国教になり異教が禁止されるなどすると徐々に「エジプトらしさ」など独特さは失われていったのであった。


関連項目



最終更新日: 18/11/09 01:34
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