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オカダ・カズチカ


ヨミ: オカダカズチカ
掲示板をミル!
78カキコ!

オカダ・カズチカとは、新日本プロレス所属のプロレスラーである。
本名は岡田ウルティモ・ドラゴン校長による闘門出身者で最も成功した選手の一人。 

身長191cm・体重107kg。キャッチフレーズは「レインメーカー
新日本プロレス40年の歴史で初めて出たホンモノ」「史上最強インベーダー」など。お供に外道がいる。
くれぐれも"外道さんが本体"などと言ってはならない。 

外道「レインメーカーの概要だぞ!お前らよく見とけ」

闘龍門デビュー~ヤングライオン時代

1987年11月8日生まれ。愛知県安城市出身。中学卒業後、闘門13期生として入学
当初のリングネーム岡田かずちか。
同期生には後にハッスル、SMASHWNC等で活躍する大原はじめ、大阪プロレス松山勘十郎、タッグチーム"スピードオブ・サウンズ(SOS)"で活動するツトム・オースギヘラクレス千賀らがいた。 
門の校長ウルティモ・ドラゴンは、オカダを「飛べるG馬場」をプロデュースしようとしていた。

初任給のファイトマネーが交通費込みで50ペソ(当時の500円)で、そんな生活が1年続いた。
そんな中、ミル・マスカラスとの対戦のチャンスを貰ったり、当時の先生の一人であるネグロ・ナバー
「10年もしないでビッグスターになっているだろう」と評され、更に第9回ヤングドラゴン杯優勝と評価が高まっていく。 

2007年7月22日に行われたウルティモ・ドラゴン20周年記念行にて、闘門の卒業及び新日本プロレスへの
入団を発表。石狩太一(現・タイチ)を相手にヤングライオンとして再デビューを果たす。
2009年にはNOAHへの対抗戦に抜。四つんばいになった相手の頭に蹴りを入れるなど、その闘志あふれるファイトに評価は高かったものの結果は残せなかった。
2010年2月からTNAへ武者修行立つ。

2011年1月4日東京ドームにて後藤洋央紀タッグを組み、杉浦貴(NOAH)&高山善廣を相手に凱旋試合をするが
善戦及ばず敗北。再びTNAへ。
5月13日~15日に新日本初の単独アメリカ遠征が開催、初日の初代IWGPインターコンチネンタル王座決定トーナメントに出場。
結果は優勝補の元WWEスーパースターMVPの前に一回戦負け。15日の8人タッグでは中邑真輔のボマイェで敗北

レインメーカーとして

2012年1月4日東京ドームで、”を降らす男=レインメーカー”オカダ・カズチカに変身し凱旋。メキシコ遠征から帰したYOSHI-HASHIとのダブル凱旋試合でインパクトが残せず、知名度の低さも相まり、メイン後のIWGP王座挑戦のアピールではブーイングを受けてしまう。

だが、その後のシリーズから本来の実を発揮し、棚橋を苦しめる戦いを展開。前戦でもCHAOSの面々とタッグを組み結果を残すと、2月大阪大会で棚橋弘至からまさかの王座奪取。中邑真輔に次ぐ若さでのIWGPヘビー級王者となる。3月4日の旗揚げ記念日、後楽園ホール大会では内藤哲也戦で王座初防衛。
旗揚げ40周年を迎えた新日本における新世代選手同士によるIWGP戦を制し、レインメーカーの地位を確立した。
この時ばら撒かれたオカダの肖像画が描かれた”レインメーカードル札"(通称「オカダドル」)は、入場時の定番アイテムとなり現在に至る。 

続く5月福岡でNewJapanCup覇者後藤洋央紀の挑戦を退け、オカダ時代の到来を決定づけたと思われたが、
6月に前王者・棚橋との防衛戦で王座陥落。王座を奪った大阪で、リベンジを果たされる形となる。

王座陥落で勢いを失う事はなく、G1 CLIMAX前の練習国立競技場を貸切、50メートル走に挑戦。
運動靴ながら594という脅威の記録をマークし、G1優勝に視界良好である事を猛アピール。(中学時代は陸上部)
公式戦では以前防衛戦で降した内藤後藤・注の同門対決となった中邑真輔に敗れるもBブロック首位で通過。
Aブロックを勝ち上がったカールアンダーソンとの死闘を制し、史上最年少での初参戦初優勝という快挙を達成。

G1覇者は次期シリーズでのIWGP挑戦が通例となっていたが、マネージャー外道ドームでの挑戦をブチ上げ、
団体側も挑戦権を防衛する事を条件に了承し、史上始めて挑戦権利書を賭けて試合が行われる事態となる。
以降、G1決勝で戦ったアンダーソンG1公式戦とタッグで敗れた後藤洋央紀を相手に権利書の防衛に成功し、
"レインメーカーに相応しい舞台"東京ドームでのIWGP挑戦が正式決定。王者・棚橋との決着戦が行われる事となる。

2012年プロレス大賞でMVPベストバウトの二冠にくなど、時代は全にオカダのモノと思われたが、
史上最大の世代闘争と銘打たれたドーム決戦棚橋敗北し、時代と王座を死守されてしまう。
続く2月広島では、CHAOS鈴木軍の本格抗争の開戦をきっかけに、鈴木みのるとの一騎打ちが実現するが惨敗。
さらに旗揚げ記念日でのイリミネーション戦でも鈴木の策略に敗れ、一気にスランプへと突入してしまう。

この1.4での敗戦からはじまったスランプを「己の慢心」と「ハングリーの欠如」と判断したオカダは、
スランプ脱出を図るべく、なんと世田谷への引越し、具の総買い替え、高級の購入など
総額一千万円に及ぶ浪費を敢行。自身のプロレス人生の原点である「一文」に自らを追い詰め、
(虚実はともかく)ある意味レベルの違いすぎる独自の調整法で中卒デビューで培ったハングリーを取り戻した。
この後の復調を受けて、散財による調整法がYahoo!スポーツニュース(13年4月9日分)で取り上げられる事となる。

迎えた3月春の祭典NewJapanCupに新技レッドインク(=赤字)を引っさげての初参戦。
初戦で鈴木ランスアーチャー、二回戦ではカールアンダーソンを降して順調に最終戦後楽園に駒を進め、
準決勝では同門・矢野通を、決勝で過去3度優勝している後藤を撃破し、G1に続いての最年少初参戦初優勝
わずか三ヶでの異例の王座再挑戦が決まり、4月での棚橋との王座戦へと漕ぎ着ける。

4月の両で「人類の想像をえた史上最強インベーダー(外道談)」となったオカダが死闘の末に棚橋辱。
二度IWGP戴冠を成し遂げた。試合後は、アナウンサーマイクに涙を見せる場面もあったが、
バックステージインタビューでは、「歴史が変わりましたー」と外道と陽気に杯、余裕の表情を取り戻した。
5月3日レスリングどんたく2013では、自ら名した挑戦者・鈴木みのるを相手に30分もの闘を展開。
予告通りの"スペシャルな決め方"で初防衛を果たした。
6月22日DOMINION6.22では、鈴木戦後名乗り出た真壁刀義を相手に二度の防衛戦。
自らを"ホンモノのプロレス"と称し、オカダを絶対に認めないという真壁の意地を打ち砕き前回と並ぶV2を達成した。
真壁を破った直後に挑戦表明をしたのは、BEST OF THE SUPER JrIWGPJr王者として全勝優勝、
さらにはエース棚橋を降した外国人軍団BULLET CLUB率いるプリンス・デヴィット
オカダはIWGPJr王座外道が挑む事を条件に挑戦を受諾、7月5日シリーズ開幕戦でデヴィットvs外道が実現。
しかしBULLET CLUBの介入で外道王座奪取は失敗、また戦場北海道に移しての前戦においても
イリミネーション形式での全面対抗戦に敗、さらに外道リンチに遭う等、不安を残してタイトル戦を迎える事に。
だが7月20日終戦では、デヴィットと介入するBULLET CLUB相手に快勝。外道討ちに成功した。
前年覇者として最年少での連覇がかかったG1CLIMAXでは、同門で盟友の石井や、
異色対決となった柴田勝頼との試合などで勝利を収めるも、ライバル棚橋相手にドロー。
開幕からの連敗や、最終戦での小島聡戦で喫した敗がき決勝進出すらわなかった。

G1終戦で敗れた小島を挑戦者に迎えた9月DESTRUCTIONでは、
「絶対にレインメーカーは当たらない」とした小島に対して意地のレインメーカーで防衛。
直後に挑戦に名乗りを上げた棚橋弘至とは戦績が五分ということもあり、
負けた方がIWGP戦線から撤退というハードな条件での全決着戦となった。
執拗な右腕破壊、底したレインメーカー対策、足の負傷を模した三味線殺法と形振り構わぬ棚橋に苦しめられるも、
最後は背中合わせに片腕をフックしてからのレインメーカーで防衛に成功。棚橋IWGP戦線からの追放に成功した。
11月には年内最後の防衛戦をカールアンダーソンと行い、BULLET CLUBの介入に苦しむが快勝。
直後にドームでの対戦が決定しているG1覇者内藤が登場、「役は」をする内藤
「知ったこっちゃない。役なんてくれてやるが王者はだ」と強気の切り返しを見せた。
1.4東京ドームメインで確定と思われていたオカダvs内藤であったが、
会場やネット上での内藤への不安感を受けてか、中vs棚橋IC王座戦との投票による試合順争いが決定。
ダブルスコア近い票差を付けてIC王座戦が圧勝、年に一度の大舞台セミファイナルに甘んじる事となった。
(名義上はダブルメインイベントとなっている)


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最終更新日: 16/09/15 21:21
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