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ジャック・ミラー


ヨミ: ジャックミラー

ジャック・ミラー[外部]とは、オーストラリアタウンズビル[外部]出身のオートバイレーサーである。

1995年1月18日生まれ。

2012年からMotoGPmoto3クラスフル参戦を開始した。
2014年にはmoto3クラスランキング2位の好成績を収める。
2015年からは最大排気量クラスに参戦するようになった。
2017年はプラマックレーシングから最大排気量クラスに参戦している。


ゼッケン、ヘルメット、名前


ゼッケンは43番を使用している。
2011年ドイツ選手権(IDM125ccクラスに参戦したが、そのとき43番を付けていた。
2011年moto3スポット参戦から2014年までゼッケン8番を付けた。
2015年に最大排気量クラスに昇格するとき、ゼッケン8番をエクトル・バルベラが使っていたので、
ジャックは43番を付けることにした。

ヘルメットイタリアのAGV[外部]ライダースーツイタリアのDainese[外部]を使っている。
この2社ともヴァレンティーノ・ロッシ御用達のメーカーである。
ロッシファンであることが伝わってくる。

ジャックミラーミラーはかなり一般的でありふれた名前である。
ミラーMiller)のmillというのはで取れた小麦を粉にする機械のことで、そのだったり、
小川を流れるだったりした。
こんな感じの建物[外部]が昔はどの農村にもあり、このそばに住んでいる人を
Millerと呼んでいた。


経歴


農場に生まれ、土の路面のレースを始める

ジャックミラー1995年1月18日オーストラリアタウンズビル[外部]の裕福な農家に生まれた。

2歳半からバイクに乗り始め、農場を走り回っていた。
ジャックの両親が、ジャックの4歳年上の兄貴であるファーガスヤマハのPW50[外部]を買い与えたが、
先にそのバイクを乗り回したのはジャックだった。

少年の頃は勝手にトラクターこういう形の牽引車[外部]。農場でよく見かける)を乗り回していた。
人のでもそういうことをやっていたらしい。

Wikipediaに「クアッドバイク[外部]の走行、水上スキー[外部]フェンシング[外部]を楽しんでいた」と記されている。


7歳の頃からレースを始めた。オーストラリアらしく、土の路面をオフロードで走るレースである。
坦な土の路面を走る競技を「ダートトラック[外部]」、
凹凸のある土の路面ジャンプしながら走る競技を「モトクロス[外部]」というのだが、
ジャックダートトラックモトクロスの両方のレースに出ていた。

土の路面を走るレースで4回オーストラリアチャンピオンを獲得した。


2009年頃まで、つまり14歳頃まで土の路面を走るレースをしていた。
2009年頃に足を折してしばらくレースを止めていたが、そのころに黒田一義さんに出会う。
黒田さんに「ロードレース(舗装された路面を走るレース)に転向しなよ」と言われて、
そこでロードレースに転向した。

ちなみに黒田一義さんは阿部典史[外部]メカニックだった人である。
1993年から1994年途中まで、阿部ホンダサテライトチームブルーフォックスに在籍し、
全日本で走っていた。このときのメカニック黒田さんだった。
2009年頃にはオーストラリアに移住していて、そこでメカニック仕事をしていたらしい。
2015年時点でのさんはオーストラリア人であるとのこと。

ジャックは「の最初のメカニッククロダサン、ウエノサン、ワタベサンなんだ」と答えていて、
ロードレース最初期は日本人メカニックの世話になったとっている。

黒田さんはジャックについてこうっている。
「最初は、ロードレース初戦ということで緊していたのか、悪さをすることもなく、普通少年でした。
ロードレース2戦からは悪ガキになっていました」


2009年ジャックが走ったロードレースサザンダウンズ・チャンピオンシップ[外部]と、
オーストラリア・スーパーバイクシリーズ[外部]と、MRRDA[外部]
このときは地元タウンズビル[外部]から南に1000km離れたブリズベン[外部]を拠点にしていた。
ブリベンに輸送用のクルマを置いて、レースがあるとジャック親父ブリベン飛行機で行き、
ブリベンからクルマサーキットへ行くのである。2009年の1年だけで6万3000km走行したという。

金曜日ジャック学校を終えると親父ジャックを拾ってブリベンへ行ってそこからクルマ移動。
クルマ移動の時はジャックが眠っている。
サーキットへ辿り着くとジャックバイクで走り、その間は親父クルマの中で眠る。
2009年の週末はずっとこんな調子だったという。

ジャック父親のピーターはこう回想している。
2009年サーキットへ行くだけで6万3000km走って、サーキットで走ったのは1850kmでした。
ところがスペインの人たちは違う。スペインじゃ住んでいる所のすぐ側にサーキットがあり、
お金を払えば一日中サーキットで走っていられる。1週間で1450kmの走り込みができるんです。
オーストラリアの1年がスペインの1週間になるってわけです。スペイン環境は良いですねえ」

2010年にヨーロッパへ家族そろって移住

ジャック15歳になった2010年家族そろってヨーロッパへ移住した。
オーストラリアには「16歳誕生日になるまで本格的なロードレースは禁止」という規制がある。
ジャックの参戦機会を増やしてあげるため、家族そろって移住した。

移住先はヨーロッパ大陸で、家族3人がモーターホーム(キャンピングカー)暮らしだった。
2010年から2011年ジャックスペイン選手権とドイツ選手権で走らせるために、
ヨーロッパ中を移動していた。

こうした家族の献身的な支援もあって、2011年ドイツ選手権125ccクラスチャンピオンを獲得した。

2010~2011年の頃は土の路面の走り方の癖が抜けきっていなかった。
しかしながらジャックなりに工夫と努を重ね、徐々に舗装路面の走り方を習得していった。

2012年からMotoGPのmoto3クラスフル参戦。金欠になる

2011年ドイツ選手権125ccクラスチャンピオン争いするジャックの姿を見て、
MotoGPフォワード・レーシングを掛け、シーズン後半の5戦に125ccクラスへスポット参戦した。
このスポット参戦の走りも上々で、ジャックは翌年からMotoGPmoto3クラスフル参戦した。

1年2012年は、フォワード・レーシングだった。
このチームはあまり良いチームではなかったらしく、ジャックは「駄にを使った」と言っている。
「1年は文し・欠で苦しい思いをした。こんなに苦労してまでレースを続けていいのか、
とさえ思った。でも両親が『もう1年続けてみよう』と言ってくれた」とっている。

2年2013年チームジャーマニーだった。
このチームは前年よりマシチームで、ジャックの成績も上昇。シングルフィニッシュ10回を数えた。

ジャックミラー回想によると1年と2年チームから給料をもらえなかったらしい。
いわゆる支払いライダーpay rider)だったのである。

2012~2013年において、の間のジャックオーストラリアに帰してバイトをして
を稼いでいたという。

2013年の好成績を見て、若手を引き抜く定評のあるアキ・アジョ監督[外部]が、
「うちのKTMワークスに入らないか」と誘ってきた。この引き抜きは大正解だった。

ちなみに、2013年の途中まで、家族ジャック支援するためキャンピングカー暮らしを続けていた。

moto3クラスでチャンピオン争いをした2014年

2014年KTMワークスアジョ・モータースポーツから参戦した。
この年になって初めて、ジャックチームからの給料をもらうようになった。

開幕戦からジャックの快進撃が始まった。開幕戦でキャリア初優勝、2戦も優勝して連勝。
いきなりチャンピオン最有補に躍り出た。
シーズン前半を締めくくる第9戦ドイツGPでも優勝して、ランキング1位に立つ。

しかしながらこの時点でアレックス・マルケスも善戦しており、19ポイント差の2位に付けていた。

夏休みを終えての4戦でジャックはやや勢いが止まり、3位・5位・6位・3位と勝ちきれなくなった。
一方でアレックス・マルケスは6位・4位・2位2位と差を詰めてくる。
第13戦サンマリノGPを終えてランキング首位ジャック2位アレックスの差は9ポイントにまで縮まった。

そして迎えた第14戦アラゴンGP。この日は小が降りが立ちこめ、路面に濡れた部分が残っていた。
ジャックミラーは好スタートして先頭に立つがアレックス・マルケスも2番手に付ける。

なんとレース序盤の4周に、バックストレートエンドの16コーナージャックミラー
アレックス・マルケスが接触、ジャックは転倒してしまう[外部]
アレックスコースライン上を走っていたがジャック理して外に被せようとしてしまい、
接触してしまった。「ジャックは引くべきでした。アレックスがぶつけに行っているようには見えません。
理せずに譲ればその後のバックストレートで抜けたでしょう」と坂田和人さんは解説している。
アレックスコースアウトするライダーが続出する状況の中しぶとく走りきり、2位に入った。
これでとうとうランキングの首位がアレックスになった。

続く日本GPでもアレックス優勝でジャックは5位。2人のポイント差は25ポイント差にまで広がった。

オーストラリアGPでジャックは優勝するもアレックスはしっかり2位を確保。
2人のポイント差は20ポイント差にしか縮まらなかった。
この時点で残りわずか2戦。ジャックは絶体絶命の窮地に陥った。




ここでついに、ジャックはそれまで披露しなかった走法を見せることになる。
17戦のマレーシアGPでジャックアレックスに対して反則スレスレのきわどい幅寄せを繰り返し、
アレックスの焦りを誘う作戦に出た。レース中に少なくとも6回の幅寄せを行い、何回か接触している。
1コーナーの脇でカメラを構えていた遠藤智さんは、「マシンガチンと当たる音がした」と
言している。こちらの動画[外部]に接近したシーンが2つほど映っている。

この幅寄せ・妨戦術が功を奏したのかジャック2位アレックスが5位となり、
2人のポイント差は11ポイント差になった。
終戦バレンシアGPはコーナーが多く速度が低く、いかにもミスしやすいコースであり、
ジャックにも明が見えてきた。

終戦は見所満点のレースとなった。ジャックが何回か幅寄せを行うも[外部]アレックスが持ちこたえ、
アレックスマルク・マルケスと同時に世界チャンピオンを獲得することになった。

moto3から最大排気量クラスへの飛び級


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最終更新日: 18/09/08 13:46
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