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ジョン欠地王


ヨミ: ジョンケッチオウ
掲示板をミル!
63カキコ!

「私はジョン英国史上最も偉大な王と呼ばれた者だ」(キリッ)


概要


ジョン欠地王とは、イングランドイギリス)のプランタジネット第3代国王である。1167年生まれ、1199年に即位して1216年に死去。
初代ヘンリー2世の末子だが、王がジョン達に領地を分け与えた後、まだ幼かったジョンに「お前にはやる領地がくなったな」と言ったのが「土地し(Lackland)」という渾名の由来である。


DQN人生の始まり


ヘンリー2世は元々フランス広大な領土を持っていたアンジュー伯で、同じくフランス広大な領土を持ち、前のフランス王ルイ7世と離婚したばかりのアキテーヌ女アリノールと結婚して、さらにイングランド王位を継いだためフランス王の直轄領をはるかしのぐ広い領土の君となった。

ヘンリー2世は積極的な外征で領土を広げていったが、内外にその敵は多く、妻や息子達とも抗争を繰り広げていた。ジョンはというと、から兄貴リチャード1世(後の獅子心王)に与える領地のうちアキテーヌ公爵領をもらおうとしての反感を買っている。さらにアイルランド支配のためにアイルランド卿に任命されるが支配に失敗して逃げ帰っている。
リチャード1世が本格的に向かおうとすると、の方が形勢有利と見るや1189年にジョンからに寝返り、はこのショックまもなく死亡リチャード1世がイングランド国王となった。

しかしジョンの不穏な動きは止むことなく、が第3回十字軍に出掛けた際にフランスフィリップ2世(ルイ7世の子)と共謀してイングランド王位を狙ったりイングランド領内で好き放題しまくっていたが、帰ってきたリチャード1世に為す術もく屈している。


ょぅι゙ょ寝取り


1199年にリチャード1世がフランスとの戦いで戦死すると、甥のブルターニュアーサーが次期国王したが、ジョンイングランドフランス諸侯やの支持を受けてイングランド王として戴冠。

だが前妻と離婚していたジョンは、既に婚約者のいた12歳のイザベラ・オブアングレームと強引に結婚。その婚約者がフランスフィリップ2世に訴えたことでフィリップ2世はこれを口実にフランスイングランド領に攻め込んだ(フランス領内においては、あくまでフランス王>イングランド王の君関係だったので、フィリップ2世には臣下の争いを裁定する権利があったのである)。

ジョンは甥アーサーを暗殺したという疑惑もあり、フランスの諸侯の支持を失い、アキテーヌの一部を除き大半の領土をフィリップ2世に奪われた。


波紋破門疾走


さらにジョンイングランド領内のカンベリー大司教任命権でローマ教皇と争っており、ついにブチ切れたローマ教皇インノケンティウス3世は1207年にイングランド務停止とし、1209年にジョンを破門した。
ジョンは最初は視していたがローマ教皇がフランスに積極的に肩入れするのを見てさすがにヤバいと感じたか、ここでローマ教皇に全領土を寄進するという前代未聞の荒業を行った。

これに騙されて「なんだ、イングランドの忠実な臣下じゃん」と勘違いしたローマ教皇は一度寄進されたイングランド領をあらためてジョンに授けるという形でこれを許してイングランド介入を取り止め、その間にジョン神聖ローマ皇帝オットー4世やフランス王と敵対するフランドルの諸侯等と提携し、フランス王の軍を打ち破る等戦果を上げ、逆にフランスフィリップ2世が窮地に立たされることになった。


マグナ・カルタ


1214年、ジョンフランス王にトドメの一撃を刺そうと大規模な軍事行動に出る。自身は南から、ドイツフランドル等の軍は北からフランスを挟み撃ちしようというのである。
ところがまさかの大事な場面で、フランス王太子ルイ8世の攻撃を受けたジョンが逃げ帰るというヘタレぶりを見せてしまう。フィリップ2世ドイツフランドルの軍勢をブービーヌの戦いで撃破、ジョンはここまで奪回した領土を全て返還させられてしまう。

そして皆さん、いよいよ今日のその時がやってまいります。イングランドに帰ったジョンを待っていたのは、対フランス戦の影で重税に苦しんでいた諸侯から庶民までの総スカンであり、ジョンはこれに屈し王の権限を制限する大章こと「マグナ・カルタ」への署名を余儀なくされたのでした。12156月15日ジョンイギリス民主主義の発展に貢献した、まさにその時歴史が動いたのでした。


最期


とはいえジョンはまだまだ余裕があったらしく、あの甘ちゃんローマ教皇インノケンティウス3世に働きかけてマグナ・カルタ効にしてもらい反撃しようとしたが、反発した諸侯はフランス王太子ルイ8世を担ぎ出してイングランドは内乱の渦に巻き込まれロンドンを占領されるまでに至る。
この事態を救ったのは1216年のジョンの急死であり、イングランド諸侯はジョン息子ヘンリー3世支持に回ったためイングランドは辛うじて救われたのであった。

なお彼の死因の食い過ぎとも言われるが、痢説が有


ジョンの愉快な家族達



その評価


同時代の人から現代に到るまで、ジョンといえば無能暴君DQN、陰険などロクな評価がない。
なにしろ長い歴史を持つイギリス王室で、彼以降ジョンという名前を持つ王はいない(王族には何人かいるが、さぞかし子供のころにいじめられただろうと推察する)。
しかもイギリス王として一、菩提寺であるウエストミンスター寺院ではなく、ウスターとかいう片田舎教会に葬られている。
イギリスBBC企画した「Worst Britons」(英国史上最悪の人物を決める賞)の13世紀部門の代表にいたり、2ちゃんねるでも「ジョン欠地王とともに苦難を乗り越えるスレ」というスレ世界史で長く存在していた。

しかし彼も一概に無能とは言い切れない部分が多々ある。彼の統治下においてイングランドの内政面、特に法や行政は発展しており、後にビートルズを生み出すリヴァプール自由都市に昇格させるなど画期的な政策も打ち出している。また彼が育てたイングランド軍はフランス軍をボコる等戦果を挙げており、そのせいで起きたとされる財政難についてはリチャード1世の外征等のせいで慢性化していたものを引き継いだ部分も大きい。
とはいえフランスにあった広大な領地を失ったり王権を制限されるマグナ・カルタに署名させられたことは「英国史上最も無能な王」と呼ばれてもしょうがない面はある。

なお、「欠地王」の呼称は彼が父親から領地を相続しなかったことが由来だが、在位中に多くの領土を失ったことから「失地王」と呼ばれることもあり、それらが混同されることも多い。


コーエーでのネタキャラ化


蒼き狼と白き牝鹿シリーズではリチャード1世と正反対のネタキャラ祭り上げられている。「チンギスハーンIV」のパワーアップキット版では、新君プレイで冒頭の文句で自己紹介をしたり、アフリカ砂漠ん中を旗揚げ地に勧めたりとにかくネタキャラ路線を突っ走っている。
また、今川氏真劉禅そしてジョン欠地王と並んで「信長の野望」の烈風伝や世記の一部バージョンでは仲良く挙兵していたり、三馬鹿ポジションにいる。ゲームではそろって無能であり、とりあえず史実では再評価の動きが強いのも共通点である。


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最終更新日: 17/04/13 15:47
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